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冒険者の街で、今日もパンを焼いています  作者: 白波 いつき


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9/13

夕方のベーカリーと、小さなお客さま

 夕方。


 閉店の札を下げて、片付けを始めたところだった。

 木陰のベーカリーの裏口が、いつもより少し慌ただしく叩かれる。


「リラちゃん、いる?」


 扉の向こうから聞こえたのは、隣の食堂の女将――トヨの声だった。


「はい。いますよ。どうしました?」


 扉を開けると、トヨは少し息を切らして立っていた。

 その足元に、小さな影がある。


「ごめんね。急で」


 そう言って、トヨは後ろにいた子どもを、そっと前に出した。


「孫のマイロなんだけど、今日は少し預かってもらえないかしら。無理を言って本当に悪いんだけど!」


 マイロは、四歳。

 トヨの娘夫婦のところに、二人目の子が生まれる予定だったのだが、どうやら予定より少し早く陣痛が始まったらしい。


 そんな日に限って、トヨの食堂は団体の飲み会でほぼ満席。

 どうにも手が回らず、慌ててこちらに来たようだ。


「前から言い聞かせてはいたのよ。

 赤ちゃんが来るときは、ばあちゃんのところか、親戚の家に行くからって」


 トヨはそう言って、少しだけ肩を落とした。


「いい子にしてな、って」


 マイロは何も言わず、ぎゅっと絵本を抱きしめて立っていた。

 泣いてはいない。

 騒ぎもしない。

 ただ、じっとこちらを見ている。


「……大丈夫ですよ」


 そう答えると、トヨはほっと息をついた。


「助かるわ。本当に。三時間くらいで戻るから」


「ゆっくりでいいです。こっちはもう片付けだけなので」


 トヨは何度も礼を言って、足早に戻っていった。


 裏口が閉まる。

 店の中に、少しだけ違う空気が流れた。


 マイロは絵本を抱えたまま、片付け中の私をじっと見ている。


「ここ、座ってていいよ。ごめんね。片付けだけ終わらせちゃうから、ちょっと待っててくれるかな?」


 椅子を指すと、こくりとうなずいて腰を下ろした。

 絵本は、まだ手放さない。


 片付けを再開する。

 食器を重ね、作業台を拭いていると、


「きゅ」


 棚の上から、小さな気配が降りてきた。

 オモチだ。


 床に降りると、マイロのほうを見て、少し首をかしげる。


 マイロの目が、ゆっくりと大きくなった。


「……この子、なに?」


 小さな声。


「オモチ。私のお友達。オモチ、マイロくんだよ」


 オモチは、くるりと一回転してから、粘糸を細く伸ばした。

 形が変わる。


 猫。

 次に、犬。


 床の上に、粘糸でできた小さな動物が並んだ。

 マイロの目が、一気にきらきらと輝きだす。


「……すごい」


 立ち上がって、少し近づく。


「きゅ」


 オモチは得意げに鳴いた。


 そこからは、あっという間だった。

 二人はキャッキャと楽しそうに遊び始める。


 その隙に厨房の片付けを済ませ、店舗側に戻ると、


「……ぎゃー!」


 思わず声が出た。


 少し目を離した隙に、粘糸は床、椅子の脚、棚の端まで広がっていた。


「……オモチ?」


「きゅ?」


 視界いっぱいの粘糸。

 オモチはやってしまったと思ったのか、両手を顎の下に添えて渾身の可愛いポーズ。


 そんなことで許される……と、



 うん。……許す。


 マイロはというと、


「わぁ!」


 大興奮だった。

 身体中に粘糸がくっついてもお構いなしではしゃいでいる。


 私はとりあえず糸巻きを持ち出して、粘糸を一本ずつ回収していった。


 オモチは少し不満そうだったが、途中からマイロも手伝ってくれた。

 それはもう、楽しそうに。


 片付けが一段落した頃、私は椅子に腰を下ろして深く息を吐いた。


 マイロは、今度はオモチのそばに座っている。


「ねえ」


「なに?」


「この子、なに?」


「魔獣。ヴェロスっていう種類だよ」


「すきなたべものは?」


「甘いものと、フルーツとナッツかな。酸っぱいのと辛いのは苦手」


「とくいなことは?」


「早く動くこと。あと、糸を出すこと」


「にがてなことは?」


「……じっとしてること」


 マイロは、ふむふむと真剣に聞いていた。


「マイロは、なにが好き?」


「りんご」


 即答だった。


「じゃあ」


 私は立ち上がる。


「ちょっと、おやつ作ろうか」


 今日の日替わりで使ったパイ生地が残っている。

 パンに使おうかと思って、フィリングにしたりんごもある。


 マイロと一緒に、リンゴを生地にのせる。

 フォークで端を押さえると、きれいに筋がついた。


 パイ生地で包む作業に、マイロは夢中になっている。


 出来上がったものを、そっとオーブンへ入れていく。

 リンゴを欲張ったせいで、形は少し歪だけど、それも悪くない。


「アイスも作れるよ」


「……あいす?」


 目が、さらに輝いた。


 鍋で牛乳と生クリームを温め、卵黄と砂糖を混ぜる。

 オモチは作業台の端で見張り役だ。


「きゅ」


 冷ました液体を、保冷機能付きの球状ボールに入れる。

 二つを合わせ、外側にオモチの粘糸を巻いた。


「で、これを、ぶんぶん回す」


「ぼくも?」


「そう。一緒に。できるかな?」


 二人と一匹で、ぶんぶん駒みたいに回す。

 音と笑い声が、店内に響いた。


 汗をかいた頃、開けてみると――

 中には、ちゃんと固まったアイスがあった。


 ちょうど、アップルパイも焼き上がり、皿に盛り、アイスを添える。


 マイロは目を輝かせたまま、慎重にフォークにパイとアイスを乗せ、一口。


「……おいしい」


 それだけで、十分だった。


 その後は夢中で食べて、口の周りはアイスでどろどろ。

 ふと見ると、オモチも同じ顔をしている。

 二人は指を差し、笑い合っていた。


 食べ終わったあとは、絵本。

 オモチは途中で丸くなり、マイロの膝で眠ってしまった。

 マイロは壊れないように、そっと撫でている。


 しばらくして、裏口が開く。


「お待たせ」


 トヨだった。


 マイロは立ち上がった。

 その目が、少し潤んでいる。


 楽しかったぶん、名残惜しいのかもしれない。

 それとも、胸のどこかに小さな不安が残っていたのかもしれない。


「ありがとうね、リラ。本当に助かったよ!」


「あのね、あのね……また、あそびたい」


 そう言って、眠っているオモチをそっと抱きしめてから彼は帰っていった。


 夜。


 あとで聞いたら、二人目は無事に生まれたらしい。

 お風呂から上がり、寝床に向かうオモチに声をかける。


「マイロ、また来たいってさ」


 伝えると、やれやれと言いたげに一度だけ鳴き、ころんと寝床に転がった。


 その日以降、オモチは毎晩、粘糸で小さなクマを作る練習をしていた。


 この日の木陰のベーカリーの夜は、

 いつもより、少しだけ賑やかだった。

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