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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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赤いリボンと、オモチの気持ち

 木の日。その日のパン販売を終え、素材採取のためにリラは森へと来ていた。

 最近はオモチが出かけていることが多く、こうして一人でのんびり森を歩く時間が増えている。


 ――今日も、あの子に会いに行っているのかな?


 やわらかな日差しが木々の間をすり抜け、穏やかな空気が流れる中、ふと視界の端を何かが横切った。


 するり、と木の上を走る影に思わず足を止め、視線で追う。

 枝の上にいたのはヴェロスだった。細い体にしなやかな動き、その手には見覚えのある赤いリボンが結ばれている。


「……あの子」


 オモチがプレゼントしていた子だと気づいた瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。


 そのとき、もう一体のヴェロスが現れ、自然な動きで隣に並ぶ。距離は近く、くす、と鳴き合ったかと思うと、鼻先を軽く触れ合わせた。


「……あ」


 思考が止まる。


 さらにその後ろから、小さな影がちょこちょこと現れた。まだ幼いヴェロスが二匹の後を追いかけ、無邪気に、楽しそうに動き回っている。


「……え?」


 言葉が追いつかないまま、頭の中でゆっくりと繋がっていく。

 リボンの子。隣にいるヴェロス。そして、その後ろの子供たち。


 ――つまり。


「……これって」


 ほんのわずかな沈黙のあと、


「……オモチ、失恋?」


 ぽつりと呟いたあと、なんとも言えない気持ちが胸に残る。

 切ない、というよりは、少し困ったような感覚だった。


 そのまましばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて小さく息をつき、リラは歩き出す。


 その日の夕方、オモチは一度帰宅したものの、またいつも通り出かけていった。おやつをくわえ、いそいそと。


 その背中を見送りながら、リラは少しだけ迷う。


「……言ったほうがいいのかな」


 けれど、すぐに首を振った。


 そもそも、魔獣に人間と同じ価値観を当てはめていいのか分からない。一夫一妻とは限らないし、もしかしたら違う形もあるのかもしれない。


「……うん」


 結局、見守ることにした。


 オモチのことは、オモチに任せる。それが一番いい。


 そう思った。

 ――数日後。


 店の中には、いつも通りの匂いと音が戻っていた。焼き上がるパンの香りと、窓から差し込むやわらかな光。その中で、オモチの様子だけが、ほんの少しだけ変わっている。


 おやつを持ち出すことはなくなり、毛づくろいもいつも通りに戻った。

 ぼんやりと窓の外を見つめることもなくなったけれど、その代わり、どこか元気がない。


 窓辺で丸くなっている時間が、前よりも増えていた。


「……あぁ」


 リラは、その様子を見てそっと息をつく。


 ――失恋、したのかな。


 その日の夜、店の明かりがやわらかく揺れる中、リラは少しだけ手をかけてパンを焼いた。

 豆をたっぷり使った、甘いパン。オモチの好きなものだ。


「今日は特別」


 そう言って皿に並べると、オモチがゆっくりと顔を上げた。


「きゅ?」


 少し不思議そうな声。


「食べよ」


 声をかけて、向かい合うように座る。

 焼きたての香りが、静かな店内に広がる中、二人でそっと手を伸ばした。


 ひとくち。


 オモチの尻尾が、ほんの少しだけ揺れた。


 「きゅ……」


 完全ではないけれど、ほんの少しだけ元気が戻ったように見えた。

 その小さな変化に、リラはそっと息をつく。


 翌日。朝の光が店内に差し込み、焼きたてのパンの香りがゆるやかに広がる中、ユリウスがいつものように顔を出した。


「こんにちは」


「いらっしゃいませ」


 いつもと変わらないやり取り。けれど、ふとした拍子にユリウスの視線がテーブルの方へと流れる。

 そこには、オモチがいた。ぺたんと力を抜いたように寝転がり、静かに目を閉じている。


「……あれ?」


 ユリウスがわずかに首を傾げ、何かに気づいたように口を開く。


「今日はお友達と――」


 その言葉が続く前に、リラはすっと手を伸ばし、そっと口元を押さえた。


「しー!」


 小さな声とともに、真剣な顔で制され、ユリウスは一瞬だけ動きを止めた。


「……ああ」


 すぐに何かを察したようで、それ以上は何も言わない。

 そのやり取りを、オモチはうっすらと目を開けて見ていた。


「……きゅ」


 小さく鳴く。


 昨日の豆パン。今日の自分の様子。

 そして今のやり取り――それらがゆっくりと繋がっていく。

 リラは、知っている。


 そう気づいたのだろう。

 オモチは、ゆっくりと体を起こした。


 とことこと歩いてきたオモチは、リラの足元で立ち止まると、そのままぺた、と鼻先を寄せた。


「きゅ」


 軽く触れるだけの、やさしい仕草。


 ――ありがとう。


 そんなふうに、感じた。

 リラは少し驚き、それからふっと笑う。


「どういたしまして」


 そのまま、そっと頭を撫でると、オモチは気持ちよさそうに目を細めた。

 やがてまた丸くなり、今度はどこか穏やかな顔で眠りにつく。


 その様子を見ながら、リラは静かに思う。


 恋をして、振られて、ちゃんと落ち込んで――それでも少しずつ立ち直っていく。


「……大人だなぁ」


 ぽつりと呟く。


 いろんな意味で、オモチは自分よりもしっかりしているのかもしれない。そう思って浮かべた笑みには、自然とやわらかな愛情が滲んでいた。


 それを見ていたユリウスが、小さくこぼす。


「一生、オモチに勝てる気がしないな……」


「え? なにか言いました?」


「いや、なんでも」


 不思議そうに首をかしげるリラに、ユリウスはわずかに口角を上げる。


 パン屋の中には、いつもの時間が流れていた。


 変わらない日常の中で――それでも、ほんの少しずつ、何かが変わっていく。

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