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冒険者の街で、今日もパンを焼いています  作者: 白波 いつき


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5/13

朝のスープと、窓の外の喧騒

まだ通りに人影がほとんどない時間帯に、裏口が小さくノックされた。


「……おはよう」


 扉を開けると、ミレイが立っていた。


 裏口から入ってきた彼女は、いつもより少し眠そうだ。

 金のウェーブが灯りを受けて、やわらかく揺れる。

 菫色の瞳が、静かに店内を見渡した。


 化粧はしていない。

 それでも目を引く顔立ちをしている。


 指先まで整っている人だと、リラは思う。


 朝ここへ来るときの彼女は、控えめな服を選ぶ。

 夜の姿を知る人が見ても、たぶん気づかない。


「おはよう。いつも通りでいい?」


「うん。代わりに、拭くね」


 そう言って、ミレイは勝手知ったる様子で店内へ入り、壁際に立てかけてある布を手に取った。


 窓際にある机と椅子を、慣れた手つきで拭いていく。


 この時間に店内に入れるのはミレイだけ。

 早く来る代わりに、簡単な掃除を手伝う。


 それが、いつの間にか出来上がった暗黙の約束だった。


「今日は、根菜のスープにしたよ」


 ミレイは小さくうなずいて、いつもの席に座る。

 窓からは見えない店の奥寄りの場所だ。


 鍋からすくったスープを器に注ぐ。

 湯気と一緒に、やさしい香りが立ちのぼった。


 人参と玉ねぎに、ほくほくの冬瓜。

 甘みの出る根菜を、いつもより多めに使っている。


 夜の仕事が続くとどうしても胃が疲れるからね。

 それからもちろん、体を動かす仕事の人にも向いている。


 早朝の依頼。

 前日の疲れを引きずった体。


 重たいものは食べたくないけれど、

 何も食べないわけにもいかない、そんな朝にも。


 ちなみに私は、二日酔いのときにも飲む。


「……いい匂い」


 ミレイがそう言って、スプーンを口に運ぶ。


 根菜は柔らかく煮えていて、噛まなくても、ほろりと崩れる。


 塩は控えめ。

 その分、野菜の甘みがじんわりと広がる。


 食べるたびに、体の奥があたたかくなっていく。

 胃だけじゃなく、気持ちまで落ち着く。そんなスープだ。


 匙を置くまでのあいだ、ミレイはほとんど言葉を発さなかった。

 黙って食べて、ゆっくり飲み込む。


 それだけで、ここに来た意味が伝わってくる気がする。


 誰かの視線を気にしなくていい席。

 朝のこの静けさは、スープと同じくらい大切なものだった。


 オモチは、ミレイの隣にちょこんと座っていた。

 撫でられるたびに、目を細めている。


「きゅ」


「ふふっ、相変わらず君はかわいいね」


 そう言いながら、オモチを撫でるミレイの手は止まらない。

 オモチは、完全にご満悦だ。


 八時半。


 表の窓を開けると、冒険者たちが並び始めた。


「俺、昨日タバーンの前でミレイ見かけたんだよ」


「あ、俺も見た。本当にきれいだよな」


 鼻息荒く語る男たち。

 声は大きいが、悪意はない。


 この街では、こういう噂話は朝の挨拶みたいなものだ。

 よくある話だし、男が集えば自然とそんな話にもなる。


 それが、冒険者の街の距離感だった。


「マジで一回一緒に飲んでみたいよな」


「いやいや、俺たちごときの席にそう簡単に来てくれるかよ」


「わかんねーじゃん! ファイヤーブルとか出てきたらさ、お金稼いでさぁ……」


「おれ、まだ死にたくないんだけど」


「近く通ったら、マジでいい匂いだった」


「お前! いつの間に俺のミレイちゃんの近くに!?」


「お前のじゃないだろーよ」


 ……ここに、ご本人がいるんだけど。


 思わず心の中で突っ込みつつ、リラは手を動かす。


 ミレイは聞こえているのか、いないのか。

 きっと、こんな会話は飽きるほど聞いてきたのだろう。


 涼しい顔で、紅茶を飲んでいる。


 ざわざわとした騒めきは、やがて通りの向こうへ遠ざかっていった。


 九時を少し回ったころ。


 客足が途切れたのを見計らって、ミレイが立ち上がる。


「そろそろ帰るね」


「うん。また来て」


 ミレイは小さく笑って、財布を取り出した。


「ちゃんと、食べてる?」


「……うん」


「来ない日も、ちゃんとだよ」


 自分でも、少し言いすぎかなと思う。

 でも、つい。


 ミレイは声を立てて笑った。


「ほんと、お母さんみたい」


「ママは、ミレイちゃんが心配なだけです!」


 わざと胸を張って言えば、ミレイの笑みが、少しだけ深まった。


「ありがとう。今日もおいしかったわ。ママ大好きよ」


....あぁーミレイに高額貢ぐお客様の気持ちがわかってしまうー。

 悶える私をよそに、ミレイは裏口へと向かう。


「またね」

「うん、また」


 扉が閉まり、店内はいつもの朝に戻った。


 オモチが少し名残惜しそうに鳴く。


「きゅ」


「またすぐだよ」


 リラはそう言って、次の仕込みに取りかかった。


 木陰のベーカリーの朝は、

 今日も静かに、やさしく進んでいく。

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