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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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野営の夜と、あたたかなスープ

 その夜。


 三人は食堂を出て、宿へ戻った。


 夜の宿場町は、昼間とはまた違う顔を見せている。

 酒場の窓からはあたたかな灯りがこぼれ、遠くから楽しげな笑い声が流れてきた。


 石畳の通りを歩きながら、リラは静かに息をつく。

 夜気はひんやりとしていて、昼の熱をゆっくりと冷ましていくようだった。


 胸の奥が、少しだけ軽い。


 足音が、石畳に小さく響く。

 その音さえも、どこか穏やかに感じられた。


 宿に戻ると、それぞれの部屋へ向かう。

 廊下のランプが、やわらかな光を落としていた。


 リラは椅子に腰を下ろし、窓の外へ視線を向ける。


 夜の灯りが、ぽつぽつと街に広がっていた。

 どこかで扉が閉まる音がして、また静けさが戻る。


 今日一日の出来事が、ゆっくりと頭の中を巡る。


 マーガレットの言葉。

 セオドアの声。


 思い出すたびに、胸の奥が静かに温かくなる。


 マーガレットは、強い人だ。


 まっすぐで、決断力があって。

 自分の立場も、背負うものも、きちんと理解している。


 でも――


 同時に、とても優しい人でもある。


 セオドアは相変わらず、少し過保護で。

 それでも、昔とは少し違っていた。


 今は、隣に立つ人がいる。


 それだけで、こんなにも変わるのだと、思う。


 リラは小さく笑った。


 足元では、オモチが丸くなっている。


「きゅ……」


 小さく鳴いて、また目を閉じる。


 窓の外には、宿場町の灯り。

 遠くで、馬の蹄の音がかすかに響いた。


 夜は、ゆっくりと深まっていく。


 *


 馬車旅最終日の夜は、森での野営だった。


 日が落ちるころ、街道沿いで馬車を止める。

 空はゆるやかに暗さを増し、森の影が深く沈んでいった。


 火を起こし、簡単な野営の準備が始まる。


「何か手伝います」


 リラが申し出ると、護衛たちは少し驚いたように顔を見合わせた。

 火の明かりに照らされた表情には、わずかな戸惑いが浮かんでいる。


「じゃあ……頼んでもいいか?」


「はい」


 まずは、晩ご飯の準備だ。


 保存食はいくつかあるが、そのままでは味気ない。

 少し手を加えるだけで、体も気持ちも落ち着く食事になる。


 リラはポシェット型のマジックバッグから、フランスパンと旅菓子を取り出した。

 布越しでも分かる香ばしい匂いが、かすかに夜気に混じる。


 匂い消しの魔道具を立ち上げると、淡い光がゆっくりと広がっていく。

 周囲の空気が整えられ、森の気配が一歩だけ遠のいたように感じられた。


 火にかけた鍋へ、油を少し落とす。


 ドライソーセージと乾燥にんにくを入れると、じゅう、と音が立った。

 油がはねる小さな音とともに、香ばしい匂いが一気に立ち上る。


 そこへ、干しておいたフォルネア産のキノコを加える。

 さらに、粉にしておいたじゃがいもを加え、軽く混ぜ合わせた。


 水を注ぎ、ゆっくりとかき混ぜていく。

 火の上で、少しずつとろみが形になり、やわらかな質感へと変わっていった。


 やがて、温かなポタージュが出来上がる。


 次に、フライパンを用意する。


 燻製したファイヤーボアの肉に香草をまぶし、その上にチーズをのせた。

 火にかけると、脂がじんわりと溶け出し、チーズがゆっくりと広がっていく。


 そこへ、薄くスライスしたフランスパンを重ねる。

 上から軽く押しつけると、じゅっ、と焼ける音が返ってきた。


 表面がこんがりと色づき、香ばしい匂いが立ちのぼる。

 カリカリのグリルピザ風に仕上がり、皿に移しながら味を変えたものを続けて焼いていく。


 火の音が、ぱちりと小さく弾ける。

 そのたびに、夜の静けさがわずかに揺れるようだった。


「……それ、とてもいい香りですね」


 気づけば、マーガレットがすぐそばに立っていた。

 遠慮はしているが、その声音には興味が隠しきれていない。


 視線は完全にフライパンの中に向いている。

 いつの間にか、セオドアと護衛たちも寄ってきて、同じように中を覗き込んでいた。


 セオドアは、そばに置かれた匂い消しの魔道具をしげしげと眺めている。

 仕組みを確かめるように、わずかに身をかがめていた。


 オモチは肩の上で、今にもよだれを落としそうにしている。

 視線は料理に釘づけで、鼻先が小さく動いていた。


 お願いだから、肩をぬらさないでほしい。


「もうできるので、みんなで食べましょう」


 火を囲むようにして、自然と輪ができる。

 それぞれが皿を手に取り、湯気の立つ料理へと手を伸ばした。


 簡単な野営の食事だが、香りと温かさが場を満たしていく。

 火の明かりの中で、空気がやわらかくほどけていった。


 マーガレットはひと口食べ、わずかに目を見開く。


「……美味しい」


 その短い言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 そこからは早かった。


 どの素材を使っているのか、どう保存しているのか。

 火の通し方や、この食感の出し方まで、問いが次々に重なっていく。


 リラは一つ一つ答えていく。

 火の揺れに合わせるように、会話もゆるやかに続いていった。


 食後には、庭で採れたハーブを乾燥させた茶を淹れる。

 湯気の向こうで、やさしい香りが静かに広がった。


 旅菓子も添えると、マーガレットはそれにも静かに頷いた。

 気に入ってくれた様子に、自然と肩の力が抜ける。


 夜。


 マーガレットとセオドアは馬車へ戻っていく。

 火の明かりが柔らかくなり、周囲の暗さが少しずつ深まっていった。


 リラは見張りを引き受け、その場に残る。

 護衛の一人は念のため周囲を見回り、足音がやがて森に溶けていった。


 静かな夜だった。


 火のはぜる音と、風が草を揺らす音だけが残る。

 冷えた空気が頬に触れ、意識がゆっくりと冴えていく。


 やがて、馬車の扉が静かに開いた。


 セオドアが外に出てきて、リラの向かいに腰を下ろす。

 火の灯りが、その横顔をやわらかく照らしていた。


「コーヒー、飲みますか?」


「ああ、もらおう」


 湯を注ぐと、香りがゆっくりと立ちのぼる。

 夜気の中で、その温かさが際立って感じられた。


 ラスクを添えて手渡す。


 セオドアはそれを受け取り、少しだけ間を置いてから口を開く。


「俺は君がこんなに料理にたけているとは知らなかった。長く共にいたはずなのに」


 苦笑が、わずかに混じる。


 オモチは不思議そうに首を傾げている。

 リラはその言葉に、小さく頷いた。


「一応、商会にいたときから基本自炊でしたから。当初から作っていましたよ」


「ああ……君がパン屋をすると聞いたとき、正直できないと思っていた。でも、同じ社員寮にいる人間は君が料理をできることをよく知っていた」


 確かに、夜食を作っているときなんかには、たまにつまみ食いされることもあった。

 距離ができてからは、そうしたこともなくなっていたけれど。


 思い出していると、セオドアが自嘲気味に言う。


「俺は君のためと思っていたことが、本当に正しかったのか、君がいなくなってから考えるようになったよ」


 コーヒーをひと口飲む。

 湯気が揺れ、夜の中へ静かに溶けていく。


「君がいなくなってから、たまたままた孤児の子に出会って、その子の面倒を見ることになった。最初はよかったんだけど、何年か経つとその子も時折困ったように笑うようになったんだ。君のように」


 リラは、わずかに息を止める。

 気づいていたのだと、思った。


 オモチは膝に移動し、丸くなって目をこする。


「マーガレットに言われたよ。努力や成長を認めてもらえないことは一種の不幸だと」


 火の音だけが、静かに響く。


 リラは少しだけ戸惑う。

 恨んではいないが、でも、確かにあの頃の自分は悲しかった。


「目が覚める思いだった。良かれと思ってしていたことが、その子の将来の芽を摘んでいたかもしれない。今回君に会って特に思った。今の君は本当にいきいきして楽しそうだ」


 その言葉に、リラは小さく笑った。

 どこまでもまっすぐな人だと、あらためて思う。


「私は、あなたに助けてもらって、確実に助かりました。それは間違いありません。あなたがいなければ、今の私はいないんです。正直、大変だと思う時期もありましたけど、それでも私はいい環境にいさせてもらえたと思っています。」


 そっとオモチと目を合わせると、優しいまなざしでこちらも見上げていた。


「ちゃんと伝えられていませんでしたけど……あの時、九歳の私を救ってくれて、ありがとうございました」


 その言葉に、セオドアが顔を上げる。

 火の光が、その表情をやわらかく照らしていた。


「そう簡単に変われるかわからないけど、少しずつ頑張るよ」


「ふふっ、マーガレットに過保護って言われていましたもんね。でも、マーガレットがいれば大丈夫じゃないですか」


「本当に、僕には勿体ないほどの婚約者だ。」


「……えぇ、絶対に離さないでくださいね。怒らせて逃げられたなんて洒落になりません」


「ああ、分かっている。分かってはいるんだが……何が彼女を怒らせるのかが、まったく分からない」


 そう言って、セオドアは頭を抱えた。

 普段の落ち着いた様子が崩れ、その表情には困りきった色が浮かんでいる。


 リラは思わず、小さく息をついた。


「そういうところですよ。本当に」


 火の向こうで、セオドアは苦笑する。


 大商会の跡継ぎも、その辺の冒険者も。

 妻に対して抱える悩みは、案外変わらないのかもしれない。


 ふと、セオドアの視線がオモチの腕に向いた。


「……それ、魔道具か?」


 小さな腕につけられた腕輪を、セオドアが興味深そうに覗き込む。

 オモチは眠たげに目をこすりながら、仕方ないといった様子で手を差し出した。


「ええ。はぐれたとき用の探索魔道具です」


 そう答えると、セオドアの表情が少しだけ引き締まる。


「このサイズで、この精度か……」


 指先でそっと確かめながら、感心したように息をつく。


「これを作った人は、相当腕がいいな。こんなに精巧なものをこの大きさで仕上げる技師はそういない。紹介してもらえるか?」


 グリムの顔が、ふと浮かぶ。


「帰ったら確認してみます。紹介してもいいかどうか」


「ああ、ぜひ頼む。交渉材料なら用意する。酒でも何でも送るぞ」


 さらりとした口調だった。


 そのやり取りを、馬車の中でマーガレットが静かに聞いていた。


 カーテン越しに揺れる灯りの中で、小さく微笑みながら。


 火の音が、またひとつ弾ける。


 夜は深く、静かに続いていく。

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