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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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別格の肉と、焼き立ての朝

「おぉう……」


 肉屋の軒先に足を止めた瞬間、思わず声が漏れた。


 台の上に鎮座しているそれは、見るからに“別格”だった。


 深い赤。ただ赤いのではない。陽の光を受け、濡れた宝石のように艶を帯びている。細やかな筋が白く柔らかく入り込み、その一本一本がきれいに走っている。


 ――ブラッドリッジ・カウだ。


 強い個体は尾根沿いに縄張りを持つという魔獣。滅多に市場に出ない。出ても、大きな宿か貴族の厨房に先に押さえられてしまう。


 それが今、私の目の前にある。


 ……誘っている。間違いなく、私を。


 思わず身を乗り出し、匂いを確かめる。血の匂いは強くない。鮮度がいい証拠だ。

 色味、弾力、脂の入り方。


 いい。

 実に、いい。


 この森はボア系の魔獣は多いけれど、カウ系は少ない。ましてやブラッドリッジ・カウなど、年に何度見られるか。


 今を逃したら、次はいつになるか分からない。


「おぅ、リラ!どうだこれ!」


 肉屋の親父さんが得意げに腕を組む。


「一昨日、ダルク達と最近来た冒険者の兄ちゃんが倒したらしい。こんな品、滅多に出ないぞ」


 最近来た冒険者。きっとユリウスだろう。最近は複数人の依頼でダルク達と組むことが多いと言っていた。


「一昨日……」


 そりゃ、鮮度がいいはずだ。


 ごくり、と喉が鳴る。


「どうだ。今を逃すともう買えないかもしれないぞ」


 ――やめてほしい、その煽り。


 頭の中で素早く計算する。ここ数日の売上。仕入れ。粉の在庫。チーズの発注。


 これを買っても、店は回るか。


 ……回る。たぶん。きっと。


 私は大きく息を吸い込んだ。


「買います!」


 ここ最近で一番大きな声だったと思う。


 親父さんがにやりと笑った。



 厨房に戻ると、まずは吸水用の紙を何重にも巻く。余分な水分を抜き、旨味を閉じ込める。

 念入りに包んだそれを、魔道保冷庫にそっと入れる。


 食べ頃は、来週。


 思わず口元が緩む。


「んふふ、ふふふふ」


 一人、保冷庫に向かって笑っていると、チーズの注文で牧場まで行っていたオモチが戻ってきた。


 台にちょこんと乗り、じっとこちらを見る。

 水色の澄んだ目と目が合う。


「んへへへ」


「きゅききき」


 ……笑いが止まらない。



 一週間後の朝。


 この日の朝は、気合が違った。


 もちろん、普段から手を抜いているわけではない。でも今日は特別だ。


 早起きして、ブラッドリッジ・カウのひき肉とグレイボアのひき肉を合わせる。


 卵、パン粉、刻んだ玉ねぎ、塩、胡椒。


 捏ねる。

 捏ねる。

 捏ねる。


 粘りが出るまで、丁寧に。

 成形し、表面に焼き目をつけてからオーブンへ。

 じゅわ、と立ち上る香りに、オモチがそわそわと近づいてくる。


 バンズは昨夜焼いておいた。今日はこれが主役だから。


 レタスを刻みながら改めて計算をする。

 朝に二十個。昼に二十個。それが限界だろう。


 残した肉は今夜ステーキに。筋は煮込んで牛すじに。

 それでもまだ少し残るな……牛カツサンドなんてどうだろうか。


 ……考えるだけでよだれが出そう。


 もちろん、いつものパンも忘れない。


 食パン、サンドイッチ、ホットドッグ、クリームパン、ビスコッティ、旅菓子。


 今日は肉系を少し減らし、森のベリーのマフィンとチーズフランスパンを増やす。


 時計を見る。


 そろそろ開店だ。


 最後の仕上げ。


 持ち歩きやすいよう油と水分は控えめ。トマトは抜き、ソースは固めに。ノラに頼んでいた濃厚なチーズを重ねる。


 焼き上がった肉とともに挟み、蝋紙で包む。

 思わず満足気なため息が漏れてしまった。


 窓を開けると、すでに数人の冒険者が並んでいた。


「リラ!今日やたらといい匂いしないか!?」


 ダルクが鼻を鳴らす。


「ちょうど良かったです。今日は先週ダルクさん達が倒したブラッドリッジ・カウのパン、用意しています」


「マジか!? あのカウの!?」


 見本用に包まず置いていたものを見せると、三人が同時にごくりと喉を鳴らした。


「これ、ぜってーうまいやつじゃん」


 ロイが呟く間に、ダルクとセインは無言で籠へ。


 ロイは値札を見て一瞬止まる。


「高っ」


「ですよね……」


 いつものフランクの三倍。安くはない。


 ロイの反応に、少しだけ不安になる。


「ブラッドリッジ・カウの肉だぞ。安いわけないだろ」


 ダルクが当然のように言い、


「店で食べたらこの五倍はする」


 セインが静かに続ける。


 ロイは悩んだ末、意を決したように籠へ入れた。


 朝の分は、一時間少しで完売した。



 昼前、私は見本のハンバーガーを手に取り、オモチには小さく焼いたものを渡す。


「いただきます」


「きゅいっ」


 敢えて温めない。お客様と同じ状態で。


 かぶりつく。


「んむっ!」


「にゅ!」


 冷めているのに、旨味が爆ぜる。


 赤身の力強さ。脂はしつこくなく、甘みだけを残す。ボアのコクが重なり、チーズがそれを抱きしめる。


 パンが、すべてを受け止め、一つに纏め上げていた。


「……美味い」


 思わず声が漏れた。


 オモチが頬を押さえ、目を細める。


「また、食べたいね」


「きゅきゅい」


 次も、誰かがブラッドリッジ・カウを倒してくれますように。思わず、そう願わずにはいられなかった。



 数日後、日が傾きかけていた頃に、ユリウスが来店した。その表情は何故か冴えない。


「そういえば、この間ブラッドリッジ・カウのパン出したの?」


「そうなんです!冷めてもすごく美味しくて。ステーキも最高でしたけど、ミンチにすると旨味が増して……驚きました」


「そうなんだ」


 彼はどこか哀愁のある笑みを浮かべ、背中を丸めながら店を後にした。


 後日、ダルクから聞いた。


 ユリウスが血眼になってブラッドリッジ・カウを探している、と。


 ……食べたかったんだ。


 少し申し訳なく思いながらも、ぜひとも捕まえてきてくれと内心祈る。


 私たちもまた食べたいから。


 どうか無事に見つかりますように。


 そんなことを願った、麗らかな昼下がりだった。

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