助け舟のあとで、あたたかい一皿
この街には、ひとり、やたらと世話を焼くおばさんがいる。
通称――お見合いおばさん。
朝市でも、通りでも、誰かを捕まえては話をしている。
本人に悪気はない。むしろ、楽しそうだ。
誰が名付けたのかは知らないが、街ではすっかり定着していた。
そのおばさんが、最近、毎日のように店に来る。
「リラちゃん、いい話があるのよ」
決まり文句は、だいたいこれだ。
話の中身も、ほとんど変わらない。
肉屋の息子が、いかに真面目で働き者か。
親孝行で、腕もあって、将来も安泰だということ。
聞く側の都合は、あまり考えられていない。
「今は、そういう気はなくて」
何度か、きちんと伝えたけれど、おばさんは、にこにこ笑って言う。
「今は、でしょ?」
のれんに腕押しとは、まさにこのことだった。
悪い人ではない。
ただ、引かない。
結局、深く受け取らず、話半分で流すようになった。
せめてパンぐらい買っていってほしい、と思ってしまうのは必然だろう。
それが続いて、太陽の日の朝。
今日は休みだ。
採取も金の日に済ませた。
久しぶりに、何も予定のない一日。
朝の空気は澄んでいて、日差しもやわらかい。
「少し、散歩しようか」
オモチに声をかけて、店の戸を閉めた。
そのときだった。
「まあ!」
聞き覚えのある声が、背後から響く。
振り向くと、そこには、お見合いおばさんがいた。
その隣に立っているのは、見覚えのある青年。
肉屋の息子だ。
彼は、完全に困った顔をしていた。
視線が合う。
一瞬。
お互いに、なんとも言えない笑みを浮かべる。
――これは、逃げ場がないやつだ。
「ちょうどよかったわねえ」
おばさんは、満足そうにうなずいている。
なんと言って逃げようか。
そう頭を悩ませていると、別の声が割り込んだ。
「あれ?」
澄んだ、よく通る声。
振り返ると、ミレイが立っていた。
仕事着ではない。私服だ。
髪も少しだけ崩れていて、いつもより力が抜けている。
その分、わずかな疲れが、そのまま表情に出ていた。
私の姿を見て、ミレイは一瞬きょとんとした。
それから、はっとした顔になる。
「……あ、今日、太陽の日じゃない」
そう言って、困ったように笑う。
そして、ゆっくりと周囲を見回した。
お見合いおばさん。
肉屋の息子。
私。
状況を把握するまで、ほんの一瞬。
次の瞬間。
ミレイは、迷いなく私の腕に、ぎゅっと絡んできた。
「ごめんね、待たせた?」
にこっと笑う。
すっぴんで、あえての無造作な髪。
それでも、目を引く可愛らしさだ。
「私たち、今日デートなんだけど」
そう言って、さりげなく視線を流すと、おばさんが、目を丸くした。
「え?」
「前から約束してたのに、この方たちはなに?」
ミレイは、自然な口調で続ける。
「太陽の日くらい、ゆっくりしようって言ってたのに」
悲しげに目を伏せる。
長いまつげが、影を落とした。
言葉の選び方が、あまりにも絶妙だった。
否定しづらい。
訂正もしづらい。
ミレイが、もう一度おばさんを見る。
すると、おばさんの笑顔が、わずかに引きつった。
「ええと……この話は、また今度でいいわね。今は、邪魔しちゃ悪そうだし?」
そう言うしかない。
ミレイは、にっこり笑って私を見上げた。
「よかった」
「若い人の時間も、大事よね」
そう言いながら、おばさんは肉屋の息子の背中を、ぽんと叩く。
「ほら、行くわよ」
彼は一度こちらを振り返り、小さく頭を下げた。
申し訳なさと、安堵が混ざった表情だった。
二人の姿が、通りの角を曲がって消える。
私はそこで、ようやく息を吐いた。
「……助かった」
そう言うと、ミレイはあっさりと私の腕から離れ、肩をすくめる。
「でしょ?」
その横顔は、もういつものミレイだった。
「たまには、ね。まあ、タイミングが合ってよかったわ」
そう言って、ミレイは来た道を戻ろうとした。
その腕を、今度は私が掴む。
「待って、待って。お礼させて」
「いいよ、別に」
「だめ。それに、朝ご飯食べに来たんでしょ」
少しだけ視線を逸らした、その様子で分かる。
そう言って、半ば強引に、ミレイを店の中へ引き込んだ。
今日は、特別だ。
いつもより、少しだけ手をかけて作ってみよう。
まずは、焼きたてのパン。
表面をこんがりと焼いた、チーズたっぷりのホットサンドだ。
鉄板に触れたパンの縁が、かすかに音を立てている。
中には、軽く炒めた玉ねぎとベーコン。
甘みが引き出された玉ねぎと、脂の旨みが残るベーコン。
そこに、とろけたチーズが絡みつき、
切り口から、じんわりと溶け出している。
手に取るだけで、温かさが伝わってきた。
スープは、トマトクリームに。
酸味は控えめにして、口当たりをまろやかに。
生クリームを少し足し、パンに合わせて、いつもより気持ち濃いめに仕上げてある。
スプーンを入れると、表面に小さな波が立った。
立ちのぼる湯気に、トマトと乳の香りが混ざる。
デザートには、フルーツをたっぷりのせたミニデニッシュ。
焼きたてではないけれど、今朝いちばんの出来だ。
層になった生地は、軽く指で押すと、さくりと戻る。
甘い果汁が、艶やかに表面を照らしていた。
テーブルに並べると、ミレイが目を丸くした。
「……これは、反則」
「助けてもらったからね。今日は特別」
ミレイはホットサンドに手を伸ばし、私はその向かいで、コーヒーを淹れた。
朝食はもう済ませている。
だから、今はこれで十分だ。
深煎りの豆。少しだけ苦味が強くて、香りが残る。
湯気の立つカップを両手で包み、ひと口。
静かな苦さが、口の中に広がった。
ミレイが食べる音。
スープをすくう音。
言葉は少ないけれど、それが、ちょうどいい。
オモチは机の前にきちんと座り、小さな器に入れたナッツを、もそもそと食べている。
私はコーヒーをもうひと口飲んで、その様子を眺めた。
ミレイの顔色が、少しずつ柔らいでいく。
肩の力が抜けて、目の奥の疲れが、ゆっくりほどけていくのが分かった。
大変な仕事だ。
きっと、いろいろあるのだろう。
「……やっぱ、ここ落ち着く」
そう言って、ミレイは、ふっと笑った。
私は、リラックス効果のあるハーブティーを淹れて差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
オモチは、いつの間にか、日の当たる窓際で丸くなっていた。
太陽の日は、こうして、静かに過ぎていく。
少しだけ、にぎやかだったけれど。
木陰のベーカリーには、
今日も、いつもの空気が戻っていた。
※このお話は完結予定未定で、のんびり更新していく予定です。
気楽に読んでいただけたら嬉しいです。




