金の日と、森の寄り道
金の日の昼。
木陰のベーカリーは、いつもより少し早く落ち着いていた。
棚を整えていると、扉の鈴が鳴る。
顔を上げると、ユリウスが立っていた。
今日は、紙袋をひとつ抱えている。
――少しだけ、視線が迷っている。
ほんのわずかな違い。
でも、いつもと同じではない。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
「これ」
差し出された紙袋から、甘い匂いがした。
「遅くなったんだけど、この前のお礼。太陽の日の昼に、世話になったから」
中を見ると、焼き菓子の詰め合わせだった。
ナッツ入りのものや、薄焼きのクッキー。
この街で人気のある菓子屋の品だ。
「わぁ、ありがとうございます」
「パン屋さんに焼き菓子もどうかと思ったんだけど。ほかに思いつかなくて」
そう言って、少しだけ視線を逸らす。
オモチが、肩の上から袋を覗き込んだ。
「きゅ」
「だめ。あとでね」
そう言うと、不満そうにしっぽを揺らす。
けれど、目はしっかり袋を追っていた。
好きだもんね。
あそこのナッツ入りビスケット。
「これ、オモチも大好物なんですよ」
「そうだったんだ。よかった」
「このあと、森に採取に行く予定で。そのときに頂きますね。うれしいです」
そう告げると、ユリウスの目が、わずかに動いた。
「採取」
「はい。今日は葉物と、スープ用のキノコ。それから木の実を少し。お店用と、自分用に」
「……採取って、やったことないな」
そう言って、少しだけ笑う。
森には行く。
でも、魔獣を探すためだけだと。
「採取って、楽しい?」
「どうでしょう」
楽しいかどうかで、やったことはないかな。
必要だから、やっているだけで。
「でも」
少し考えてから続けた。
「オモチは、森に行くといつも楽しそうなので。それを見ていると、私も楽しくなっているのかもしれません。それに、予定外のものを見つけた時は、ちょっとワクワクしますね」
「へぇ」
その声には、はっきりと興味が混じっていた。
「今日は急ぎませんし。よかったら、一緒に行きますか?」
オモチが、ぴょんと床に降りた。
「きゅ」
その様子を見て、ユリウスが小さく笑う。
「……邪魔じゃなければ。一緒に行ってもいいかな」
「大丈夫ですよ」
素人ならともかく、Bランク冒険者だ。
足を引っ張られることはないだろう。
今日は採取だけ。急ぐ用事もない。
――と。
そう考えた私は、どうやら甘かったらしい。
足元の葉を踏む音。
風に揺れる枝。
本来なら静かなはずの森に、私の声が響いた。
「待って! それは触らないで。毒ですし、触るだけで手が爛れます」
「えっ。さっき、似たようなの取ってなかった?」
「石づきの部分が違います。だから触らないでください」
素人との採取って、こんなに疲れるものだっただろうか。
さっきから、手を伸ばすもの伸ばすもの、食べられないものばかりだ。
オモチも止めるのに必死で、今は私の頭の上でぐったりしている。
「全部、覚えてるんだな」
「必要だからですよ。むしろ、よく今まで平気でしたね」
「基本、持ち込んだもの以外を食べようと思ったことがなかったからな」
少しだけ、間があく。
そのとき。
オモチが、ぴたりと動きを止めた。
頭の上で、すっと姿勢が変わる。
視線は、森の奥。
同時に。
ユリウスも、足を止めていた。
顔は動かない。
けれど、視線だけが、同じ方向を捉えている。
――遠い。
私には、まだ何もわからない距離だ。
少し遅れて、葉の擦れる音がかすかに届く。
気配。
ようやく、私もそれに気づく。
この距離で。
そこまで思って、少しだけ息を止めた。
ユリウスの手が、静かに剣の柄に添えられる。
無駄のない動き。
力みも、迷いもない。
そのまま、動かない。
何も言わない。
ただ、待っている。
森の奥で、何かが動いた。
枝が揺れる。
気配が、わずかにこちらへ向いて――
止まる。
そして、消えた。
逃げた。
オモチの体から、ふっと力が抜ける。
ユリウスの手も、柄から離れた。
何もなかったように、森は元の静けさに戻る。
私は、ひとつ息を吐いた。
……この距離で、気づけるんだ。
素直に、そう思う。
同じ森にいても、見えているものが違う。
少しだけ、足元を見る。
葉。
キノコ。
木の実。
それと。
さっき、二人が見ていたもの。
「大丈夫そうだね」
ユリウスはそう言って、笑いながら再び歩き出した。
私は、その背を少しだけ見てから、あとを追う。
歩きながら、いただいた焼き菓子を口に運ぶ。
ほろりと崩れ、舌の上でやわらかくほどけた。
香ばしいナッツの香りが、ふわりと広がる。
「美味しい」
「きゅぅい」
オモチも満足そうに鳴く。
「良かった。買ってきたかいがあったよ」
ユリウスが、どこかほっとしたように笑う。
その肩に、ぴょんとオモチが飛び乗り、小さな前足で、銀色の髪をぽんぽんと撫でる。
まるで「よくやった」とでも言うように。
突然のことに、ユリウスは一瞬目を見開いた。
けれどすぐに、その表情はゆるみ、静かに相好を崩した。
しばらく歩いたあと、ユリウスが思い出したように口を開いた。
「そういえば、この前のファイヤーボアだけど。どうやって倒したのか、聞いてもいいか?」
探るような、遠慮がちな声音だった。
私は少しだけ首を傾げてから答える。
「あのときも言いましたけど、倒したのは私とオモチです」
「きゅきゅっ」
えっへん、とでも言いたげに、オモチが私の頭の上で立ち上がる。
腰に手を当て、胸を張る。
その得意げなモフモフのお腹を、つん、と指先でつつくと、
「きゅー!」
抗議するような声が上がり、思わず、笑いがこぼれる。
「オモチは、ご存じのとおり、とても速くて、気配が薄いです」
そう言った瞬間。
オモチは一瞬でユリウスの頭の上へ移動した。
「相手が私たちの存在に気づいて警戒する前に、オモチが目や喉元に粘糸を巻きつけます。それから、私のところへ戻ってくるんです」
説明している間にも、オモチはユリウスの前髪を粘糸でまとめ上げ、ちょんまげのようにして戻ってきた。
ユリウスは、ちょんまげ姿のまま目を丸くする。
おでこが出ているせいか、どこか間の抜けた顔だ。
うん……なんだか、可愛い。
「私は雷魔法が得意なんですが、この粘糸は魔道具づくりにも重宝されるくらい、魔力の伝導率がいいんです」
そう言いながら、手にした粘糸を軽く持ち上げる。
「空気中に魔力を放ったり、武器に纏わせるより、ずっと強い力で相手に届けられます。それも、オモチが巻き付けた位置に、きっちり」
私は少しだけ肩をすくめた。
「要するに、不意打ちですね。正直、先に気づかれたら逃げるしかありません」
説明を終え、粘糸に魔力を流す代わりに、ぴっと引く。
ユリウスの髪が解放された。
「不意打ち……だとしても、凄いな」
「君たちにしかできない方法だ」
そう言われて、少し困ってしまった。
凄いと言われても、私たちにとっては、必要だっただけだ。
採取と同じ。
生きるために、安心を勝ち取るために、オモチと一緒に試行錯誤してきただけ。
そのとき、木の上から、オモチの声がした。
「きゅ」
「あ」
私は顔を上げる。
「そこ、ローラスの実があります」
ユリウスが視線を追い、少し遅れて気づいた。
「本当だ」
言われなければ、見逃していただろう。
ローラスの実は、マンゴーに似たとろける食感と、ずば抜けた甘さが特徴だ。
そして、高級品。
それを手にした瞬間、頭の中が一気に色づく。
クリームと合わせて、フルーツサンド。
デニッシュ生地に乗せてもいい。
スポンジとクリーム、ローラスを重ねて、ケーキ風もありかもしれない。
袋に入れた実は、全部で五つ。
少しずつ、重みが増していく。
気づけば、日が傾き始めていた。
「今日は、このくらいで十分ですね」
「思っていたより、楽しかった。すごく勉強にもなったよ」
ユリウスは、そう言ってから、オモチを見る。
「オモチも、ありがとう」
「よかったです」
「きゅきゅう」
森を出る道すがら、ユリウスが、ぽつりと言った。
「こういう時間も、悪くないな」
「一人で森に入るときは、毒のあるものに触らないでくださいね」
「ははっ。わかった。必ず、詳しい人に確認するよ」
私は、少しだけ笑った。
オモチが、二人の間を行ったり来たりしながら鳴く。
「きゅ」
金の日の午後は、
静かに、穏やかに過ぎていった。
帰り道には、
森の匂いと、
焼き菓子の甘さが、
まだ、手の中に残っていた。




