この街に、足を止めた理由
この街に来たのは、ちょっとした興味本位だった。
いったい冒険者の楽園とは、どんな場所なのだろう。
私とオモチはそのころ、冒険者として旅をしながら、いろんな町を回り、住む場所を探していた。
パン屋をやりたい。
それだけは、ずっと決めていた。
けれど、なかなか条件に合う場所が見つからない。
だから街を転々としながら食べ歩きをして、合間に依頼を受けて小金を稼ぐ。
そんな旅の途中だった。
この街は、今まで立ち寄った街とは少し違った。
門をくぐったとき、まず思ったのは――
空気が、軽い。
人はいるのに、どこか余裕がある。
歩く足取りも、声の調子も、急いていない。
荷車の音。
遠くで笑う声。
風に揺れる葉の音。
それぞれがぶつからずに、やわらかく重なっている。
街中なのに緑が多い。
建物のあいだに木が立っていて、日差しがところどころでやわらいでいた。
その木陰を通るたびに、少しだけ温度が変わる。
いいな、と思った。
オモチが、街なかに居てもやけに嬉しそうだったのも、すぐに分かった。
白い影が、あちこちへと動く。
枝に飛び乗り、また降りてくる。
歩くたびに尻尾が揺れている。
その姿を見ているうちに、私の中にずっとあった緊張も、いつの間にかほどけていた。
――ここ、好きかもしれない。
そんな感覚が、胸の奥に残る。
宿に泊まり、夕食におすすめの店を聞いた。
教えられたのが、トヨの店だった。
ごはんが美味しくて、量もちょうどいい。
気取っていないのに、きちんとしている。
何より、店に入ったときの空気がやわらかかった。
初日に来たとき、オモチは私の服の中に隠れていた。
たぶん町を一緒に歩いているところを、見られていたのだろう。
二日目に行くと、
「お友達も一緒なら、出してあげていいよ」
そう言ってくれた。
いままで、いろんな町を回ってきたけれど、そんなことは初めてだった。
オモチは可愛い。
けれど、魔獣でもある。
それでも、ここでは受け入れられた。
オモチは嬉しそうに店の中を歩き回り、トヨに撫でられて、少しだけ得意げだった。
気づけば、数日続けてトヨの店に通っていた。
朝は市場を歩き、
昼は通りを見て回り、
夜はトヨの店でごはんを食べる。
そんな日が、自然と続いた。
何日目だっただろうか。
昼間に訪れたときだった。
トヨの店の隣。
その店が、売りに出されていることに気づいた。
静かで、奥まった場所。
通りから少し外れているのに、人の流れは感じられる。
声は遠く、足音だけが時々近づく。
落ち着いているのに、寂しくはない。
日が当たり、空き家なのに、どこか温かみのある外観だった。
値段も、この規模の家なら妥当だろう。
むしろ立地のせいか、少し安いくらいだ。
正直、金には困っていなかった。
商会で働いていたころに貯めた金。
商会を辞めるとき、口止め料込みで渡された大金。
この二年の旅で、貯金はもっと減ると思っていた。
でもオモチの協力もあって、思いのほか、手出しは少なくて済んでいる。
――これは、いいのでは?
そう思って、店の周りをぐるりと回った。
裏に回ると、小さな庭があった。
その中央に、大きな一本の木が立っている。
葉が広がり、自然と地面にやわらかな木陰ができていた。
風が抜けるたびに、葉が揺れて、光が細かく動く。
ここにテーブルを置いたら、気持ちいいかもしれない。
朝にパンを並べて、
昼に軽く食べられるものを出して。
そんな光景が、ふっと浮かんだ。
オモチが楽しそうに、木の周りをぐるりと回る。
そのあと、ぴたりと止まって、こちらを見上げた。
どう? と言いたげな顔。
……悪くないな。
店の中を見たくて、埃っぽいガラス窓に張り付いて目を凝らす。
よく、見えない。
オモチが、呆れたように私の肩を叩いた。
そして、建物の横に立てられた札を指さす。
そこには、こう書いてあった。
――気になる方は、商業ギルドまで。
……いやでも。
商業ギルドに行ったら、きっと売るための話を聞くことになる。
そうなると、断りづらくなる気がする。
それから数日。
私は、その物件の周りを、うろうろしていた。
朝に通って、
昼にまた見に来て、
夕方にも、もう一度。
本当に、この街にするのか。
ここで、足を止めるのか。
トヨとも何度か話をした。
この街のこと。
暮らしやすさのこと。
「ここはね、長くいる人が多いよ」
そう言われたとき、少しだけ心が動いた。
ここにしようかな、と考えながら物件へ行くと、
窓から中を覗き込んでいる人がいた。
自分と、同じことをしている。
その瞬間、胸の奥で、何かが静かに決まった。
慌てて踵を返し、商業ギルドへと走り出す。
――あの物件は、逃したくない。
この街で、一度、腰を落ち着けてみたい。
パンを焼いて、
人が来て、
オモチが走り回って。
そんな日々を、ここで過ごしてみたい。
そう思った。




