誰が射止めるか、誰が狩ったか
昼前。
木陰のベーカリーは、少しだけ落ち着いた時間に入っていた。
焼き上げたパンを棚に並べ、次の仕込みに手を伸ばしていると、常連の冒険者がカウンターに肘をつく。
「なぁ、リラ」
「はい?」
「金の日の午後、暇か?」
手は止めず、顔だけ向ける。
「その日は仕込みで忙しいです」
「そっかぁ」
残念そうに笑いながらも、引き下がりはいい。
……いいけれど、最近こういうやり取りが少し多い。
別の客が、また聞く。
「じゃあ、次の金の日は?」
「その日もです」
「じゃあ、いつなら――」
「基本、暇な日はないですね。採取も仕込みも結構大変なんですよ」
言い切ると、さすがに相手も苦笑した。
悪い人たちじゃない。
乱暴でもないし、しつこすぎるわけでもない。
ただ。
最近、少しだけ、うっとおしい。
リラはパン生地をまとめながら、内心で小さく息を吐いた。
なんとかならないかな。
そんなことを考えてしまう程度には参っている。
最近、冒険者ギルドでよく出る名前がある。
――リラ・エルフェン。
顔立ちは整っていて、スタイルも悪くない。
接客は丁寧で料理が上手い。
何より、店が安定していて収入がある。
冒険者たちの間では、
『誰が彼女を射止めるのか』
そんな話題で盛り上がっていた。
そのことを、リラ自身は知らない。
知っていたら、きっともっと面倒な顔をしただろう。
金の日の午後。
冒険者ギルド。
依頼帰りのユリウスは、受付前に立っていた。
この街に来て、約3か月。
冒険者としては日がまだ浅いが、ソロでBランクに上がったのは事実だ。
依頼完了の手続きを終え、報酬袋を受け取る。
その背後から、聞こえてくる声。
「なぁ、リラさぁ」
「また、あのパン屋の話か?」
「そう。木陰のベーカリーのリラ」
ユリウスは、わずかに眉を動かす。
「顔もいいし、料理もうまいし」
「店、いつも客いるよな」
「生活力ってやつ? 冒険者的には重要だろ」
「冒険者続けられなくなったら、夫婦でパン屋とかもよくね?」
笑い声。
「でさ」
誰かが声を潜めた。
「誰が落とすか、賭けないか?」
その一言で、空気が変わる。
「お、いいな」
「俺、次に誘う予定なんだけど」
「いや、お前は無理だろ」
軽口。
冗談めいた調子。
だが、ユリウスの胸の奥で、何かが引っかかった。
……やめとけ。
そう言おうとして息を吸った、その瞬間。
ギルドの扉が、勢いよく開いた。
「――ファイヤーボアが出た!」
叫び声が、冒険者ギルドの空気を切り裂いた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ざわりと音が広がる。
ファイヤーボア。
危険度A。
AからBランクの冒険者が複数人で当たることを前提にした魔獣だ。
巨体。
それでいて、魔物の中でも上位に入る速さ。
真正面には、大きく湾曲した牙。
後ろには、鈍器のようなコブを備えた太い尻尾。
そして、何より厄介なのが――
危険を察知すると、全身に炎を纏って突進してくること。
近づくことすら簡単じゃない。
この街の周辺では、滅多に出ない魔獣だった。
「……冗談だろ」
誰かが呟く。
受付の職員が、即座に奥へと走った。
「ギルド長を呼んできます!」
一気に、空気が張り詰める。
高位の冒険者たちは、自然と腰を上げ始めた。
装備の確認。
仲間探し。
ユリウスも、反射的に武具に手を伸ばす。
この街は、「冒険者の楽園」と呼ばれている。
理由は単純だ。
出てくる魔物の多くが、Cランク向け。
Cランク冒険者でも、真面目に依頼をこなせば、食べるに困らない。
だから人が集まる。
その代わり。
Bランクは全体の二、三割。
Aランクは一握り。
Sランクに至っては、この街にはいない。
――この状況なら。
ユリウスは、すぐに理解した。
自分も出ることになる。
ギルド長が姿を現し、短く状況を確認する。
「周辺の被害状況は?」
「今のところ報告はありません。ただ、森の南寄りです」
「民家が多いな……放置はできん」
即断だった。
「A、Bランクを中心に編成する。Cランクも数名組み込む」
ざわつきが強まる。
「え、Cも?」
「危険すぎるだろ」
「俺はちょっと今日この後用事が」
不満の声。
その中に、ついさっきまで、
「俺がリラを落とす」
などと意気揚々と語っていた男の姿もあった。
ユリウスは、黙って装備を確認する。
誰が何を言おうと、出るべき状況だ。
そのとき。
また、ギルドの扉が開いた。
続報か、と全員がそちらを見るも、
――違った。
立っていたのは、一人の女性。
見慣れた顔。
木陰のベーカリーの店主。
リラだった。
一斉に視線が集まる。
リラは、明らかに驚いた顔で立ち止まり、きょろりと周囲を見回した。
「……えっと」
戸惑い故か、声が、少し小さい。
「買い取り、お願いしたいんですけど」
皆の視線に耐えきれず、言葉がだんだんと尻すぼみになる。
受付の職員が、慌てて駆け寄った。
「す、すみません! 今、大規模討伐の準備中で、買い取り対応は――」
「あ、そうなんですね」
素直にうなずいてから、首をかしげる。
「ちなみに、何があったんですか?」
「……ファイヤーボアが出たんです」
その瞬間。
リラの表情が、ぱっと変わった。
「ああ!」
そして、はっきりと。
「それです」
と答えた。
周囲が、きょとんとする。誰も彼女の言っていることを理解できずにいた。
「……はい?」
「ファイヤーボア、討伐したので」
にこりと笑って。
「買い取りをお願いしたいんです」
ギルド内が、静まり返った。
誰かが、ようやく声を出す。
「……いやいや」
「何かと間違ってないか?」
「グレイボアだろ? せいぜい」
皆の批判的な声に、リラは戸惑いながら首を振る。
「いえ。ファイヤーボアですけど」
そのとき、ギルド長が前に出た。
「……見せてみろ」
リラはうなずき、腰のマジックバッグに手をかける。
次の瞬間。
どさり、と。
ギルドの床に現れたのは――
間違いなく、ファイヤーボアの死骸だった。
巨体。
焦げ跡。
特徴的な牙と尻尾。
ギルド長が、一目で判断する。
「……本物だ」
そして、リラを見てその厳しい相好を緩めた。
「よくやったな」
そのやりとりを間近で見ていた受付の職員が、思わずと言った風体で震える声で問いかける。
「ひ、ひとりで……?」
リラは、その言葉に笑顔で首を横に振った。
「まさか、違いますよ」
その仕草に、周囲の冒険者たちが、どこか安堵した空気を漏らす。
だが。
「この子と一緒です」
そう言って、リラは肩を指した。
「きゅ」
そこにいた白い魔獣が、軽く手を上げる。
――よっ、という感じで。
今度こそ。
冒険者たちは、完全に固まった。
リラはそんな空気に気づかないまま、上機嫌に続ける。
「あの、肩の部分のお肉だけは引き取りでお願いします」
彼女の頭の中は、すでに別のことでいっぱいだ。
トンカツにするか。
生姜焼きにするか。
ポークステーキをピタサンドにするのもいい。
豚汁も捨てがたい。
――どう使おうか。
その日を境に。
リラに言い寄る冒険者は、目に見えて減った。
しばらくしてから、リラは思う。
最近、とても過ごしやすい。
でも、そんな考えもすぐに思考の海に飲まれていった。
彼女の頭の中は、豚肩ロースをどう使うか考えるのでいっぱいだった。
あの騒動の後。
ユリウスは歩きながら、ふと口元を緩める。
冒険者たちの顔は、本当に見ものだった。
彼女と、オモチの不思議そうな顔を思い出し、また笑いそうになる。
ギルド長がすんなり納得したのも、彼女の実力を以前から知っていたのだろう。
なるほど。
面白い人だ。
次に店へ行くのが、少しだけ楽しみになった。




