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Side陽菜 第12話

「友梨佳先輩の教え方、超絶上手いです! わたし、もう駈足もできるようになりました。友梨佳先輩、マジ神です!」

 高辻牧場のログハウス内にある売店に、エマが興奮を抑えきれない様子で駆け込んできた。レジカウンターで在庫管理をしていた陽菜に、息せき切ってまくしたてる。

 よほど練習を積んだのだろう。12月の寒さの中でも、エマの額には汗がにじみ、湯気がうっすらと立っている。

 夏以来、エマは週末ごとに高辻牧場に通い、乗馬レッスンだけでなく厩舎作業や馬の手入れにも熱心に取り組んでいた。もともと運動神経がいいのか、それともサッカー部で鍛えた身体能力の賜物か、この2~3か月でエマの技術は飛躍的に向上し、今では駈足で自由に馬を操れるほどになっている。

 友梨佳は普段、感覚や感性で動くタイプの人間だが、こと馬に関しては指導が的確で分かりやすい。陽菜もかつて友梨佳に乗馬を教わったことがあり、その教え方を今でもはっきりと覚えている。

 曰く、「手綱は馬の口から自分の肘まで一直線に。手のひらに卵を包み込むように握って、曲がるときは片方の卵をつぶし、止まるときは両方をつぶすイメージで」。

 たったそれだけの説明で、初心者が陥りがちな手綱のたるみや、不必要に大きな動きを抑え、最小限の操作で馬をコントロールできるようになる。

 エマは友梨佳と同じ中学の出身ということもあり、尊敬の念を込めて「友梨佳先輩」と呼んでいた。そして、年下の女の子から「先輩」と慕われることがよほどうれしいのか、友梨佳はエマが牧場に来る日はつきっきりで指導していた。

「陽菜先輩、マシュマロってそんなに思い入れの強い馬なんですか?」

 エマがレジカウンターに寄りかかりながら尋ねる。

「そうだね。泰造さんの思いが込められた馬だから」

「強い馬を育てたいってことですか?」

「それもあるけど、マシュマロが活躍して種牡馬になれば、たくさんの人や資金がこの地域に集まるでしょ。泰造さんの夢は、この地域全体を活性化させることなの。友梨佳もうちの代表も、その夢に賛同したのよ。もちろん私もね」

「そうなんですね。なんか、格好いいですね!」

 エマが無邪気に笑う。

(そうだね……私と違って)

 陽菜は心の奥に沈む思いを隠し、微笑みを返した。

「あ、そうだ! 陽菜先輩も馬に乗れるんですよね。今度3人で乗りましょうよ!」

 陽菜は学生時代、常足だけならよく乗っていた。だが、就職してからはまったく馬に触れていないし、今はそんな気分になれそうもない。

「うん……そうだね。機会があったらね」

「約束ですよ!」

 そう言い残し、エマは元気よくログハウスを飛び出していった。

「……神か」

 陽菜はため息混じりに呟きながら、パソコンの画面を開いた。シュバルブランの管理者画面を立ち上げ、Excelファイルの一覧に目を走らせる。

『No.65 スノーキャロルの25 募集口数100 出資口数10 達成率10%』

 いつまで経っても、この数字が動かない。他の募集中の馬には少しずつ出資が集まっているのに、マシュマロだけが取り残されたままだった。

「はぁ……」

 ため息をつき、スマートウォッチに目を落とす。心拍数が普段よりやや高めだ。胸の奥にくすぶる焦りと不安を感じる。

「コーヒーでも飲も……」

 そう呟きながらスマートフォンを手に取った、そのとき。

 突然、スマホが振動した。

 画面には『真田涼平』の名前が表示されている。

「……真田さん?」

 不思議に思いながら通話ボタンを押すと、落ち着いた男性の声がスピーカー越しに響いた。

「こんにちは、陽菜さん。お仕事中にすみません」

「あ、いえ。どうされました?」

「実は、スノーキャロルの25の出資に興味がある方を紹介できるかもしれません」

「本当ですか!?」

 思わず声が弾んだ。ようやく光が見えた気がした。

「ええ。帯広にいる知人の投資家が競走馬に関心を持っていて、最近はクラブ法人への出資にも興味があるみたいなんです。スノーキャロルの25のことを話したら、『詳細を知りたい』と言われましてね」

「すごく助かります! ありがとうございます!」

 陽菜は思わずパソコンの画面を閉じ、前のめりになった。

「ただ、出資するかどうかはプレゼン次第ですね。一口馬主とはいえ金融商品です。投資には慎重な方なので」

「……ですよね」

 熱が入った気持ちが少しだけ冷やされる。

「今、他の募集馬の出資状況はどうなんですか?」

 真田の問いに、陽菜は苦笑しながら答えた。

「それなりに順調です。でも、マシュマロ……スノーキャロルの25だけが……」

「……焦りますよね」

 彼の穏やかな口調に、陽菜は思わず胸の内を少しだけ打ち明けた。

「はい……。正直、すごく焦っています。友梨佳は馬のことを考えてればいいけど、私は経営のことも考えないといけなくて……」

「なるほど。友梨佳さんと自分を比較してしまうんですね」

「え?」

 思わずドキリとした。まるで、自分の内側を見透かされたような気がした。

「陽菜さんがやっていることは、友梨佳さんとは違う分野ですよね。だからこそ、比べる必要はないと思います」

「そう……ですかね」

「ええ。陽菜さんは、ちゃんとこの牧場の未来を考えて行動している。それはとても素晴らしいことですよ」

 優しい言葉が、ほんの少しだけ心を軽くしてくれた気がした。

「ありがとう……ございます」

「……陽菜さん、少しお疲れでは?」

「え?」

「声に覇気がないというか、ため息混じりというか」

「そんなつもりは……」

「近くに行く機会があるので、会って話しませんか?  電話越しより、直接話した方がいいかもしれません」

 唐突な提案に、一瞬、戸惑う。

「……真田さんと?」

「ええ。ドライブでもしましょう。いい気分転換になるでしょう?」

 陽菜は少し考えた。最近は誰かとゆっくり話す余裕もなかった。友梨佳と会う機会はあっても、仕事のことで真剣に相談できる相手かというとそうではなかった。

「……それなら、お言葉に甘えようかな」

「では、後で連絡しますね」

 通話を切った後、陽菜はスマートフォンを見つめたまま、少しだけ息をついた。


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