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第9話 副官の心配

 結局、司令官が基地に戻って来たのは、昼休みの時間をとっくに過ぎた午後二時をまわった頃だった。




 サンダースと別れた後、昼食を食べ損ねたスノウは、そのまま何も食べずに仕事に戻った。当然だが一食くらい抜いても人間死にはしない。

 別に基地内にあるコンビニで何か買って食べても良かったのだが、ドライバーのトーマが仕事をサボっていない限り、今日食べ損ねた分の食費も給料日にはしっかり天引きされるかと思うと、何となく奴に負けた気がして買う気にならなかった。




 スノウが副官室に戻ると、ヒメルが丁度食事を終えて片付けをしているところで、早かったですねと声を掛けられたが、ああ、とだけ答えて自分の椅子に座った。

 念のためもう一度トーマの携帯電話にかけてみたが、呼び出し音はすれどもやはり出る気配がない。

 アイツ、いつか殴ってやる。




 午後やろうと思っていた仕事に手を着け始めてからしばらくして、カツカツと廊下に軽快な足音が響き、それがだんだんと近付いて来るのがわかった。

 どうやらあの少女司令官が帰ってきたらしい。

 ふう、と息を吐いたスノウは仕事の手を止めて、待ってましたとばかりに廊下に出た。

 廊下の向こうからは思った通り、軍服姿もため息が出るほど麗しい基地司令官ツルギ・ハインロット大佐が歩いて来る。


「あれ? もしかしてこれって、ちょっとヤバげなパターン?」


 顔中に不機嫌を張り付けた様な表情で待ち構えている副官を見つけて、司令官は独り言のように言った。こちらに近付くにつれ足取りが重くなる。


「ええ、そうでしょうね」


 スノウは冷静を通り越していっそ冷酷なほどのオーラを漂わせて相槌を打つ。


「何がどういう理由でどこにお出掛けになっていらっしゃったのか、聞かせていただけますか?」


 スノウのその有無を言う隙すら与えない迫力に、いくら司令官でも少しはたじろぐかと思いきや、そうなったのは心配になって部屋から顔を出したヒメルと、遅れてその場に帰ってきたトーマの方で、司令官はと言うと全く意に介す様子もなく、真っ直ぐに副官を見つめ返している。


「どこにって、それがね、朝起きたら何だか今日は無性に海鮮丼が食べたい気分になっちゃって」

「海鮮丼?」


 スノウは眉を寄せて聞き返した。一体それがどんな食べ物なのか、生ものを食べる習慣の無いスノウにはよくわからない。


「せっかく食べるんだったら、やっぱ本場のお店で新鮮なものが食べたいでしょ? だからトーマスと一緒に漁師町のお寿司屋さんまで食べに行ってきたの!」


 まるで友達と休憩時間にお喋りするようなノリで司令官は答えた。


「そんなことの為に基地司令官の業務を放り出したと言うのですか?」


 副官の非難を込めた追及にも、司令官は少しも怯む様子はない。


「いいでしょちょっとくらい。今日は特に出掛ける予定はないんだし、その分今日は残って仕事するから大目に見てよ」

「しかし!」

「海鮮丼美味しかったよ〜。ねー、トーマス!」

「は、はあ……」


 司令官の後ろに隠れるように立ち尽くしていたトーマが、急に話を振られて気まずそうに答えた。ヒメルはそんなトーマにこそこそと近付いてそっと耳打ちする。


「スエサキ軍曹、トーマスってもしかして軍曹のことですか?」


 トーマはぶすっとした顔で愚痴を言うように答える。


「ああ。着任してから毎日司令官を送迎してるのに、司令官は俺の名前をいまだに『トーマス・エサキ』だと思ってるんだ」


 ヒメルは口元を押さえてドライバーから顔を背けた。笑いを必死に堪えて肩を小刻みに震わせる。


「笑うな!」

「笑って、ないですよ、……全然!」

「顔が笑ってんだよ思いっきりよぉ!」


 怒りと気恥ずかしさもあいまって、トーマの顔は真っ赤だ。そして憎たらしいほどにやけ顔のヒメルの頬をつまみ上げた。


「いひゃい!(痛い) いひゅいえふ!(痛いです)」




(──ったくどいつもこいつも!)


 スノウは心の中で吐き捨てた。こちらが真剣に質問しているというのに、よく分からないうちにはぐらかされた。

 勤務時間中であることを全く無視した行動を問い正したいのだが、基地司令官の地位にある指揮官に、今更そんなことを説教すべきなのか。それとも承知の上でやっているのか。

 ……それはそれで更に問題だが。

 そもそも自分はスパイなんだからそんなことで悩まなくても良いのではないか。というような様々な思いがスノウの頭の中に入り乱れていたが、何だか気が抜けてどうでも良くなってしまった。

 もうやめよう。これ以上この件を追及しても、疲れるばかりで成果は得られそうにない。

 それよりも重要な、すぐにでも問い正すべき事項があるのだ。


「司令官。少しお話があるのですが、よろしいですか?」

「あたしに?」


 スノウの申し出に司令官は一時目を丸くしたが、何を期待しているのか少し嬉しそうな表情を見せ、いいよ、と言って司令官室へと足を向けた。




 司令官の後について室内に入ると、彼女は来客用のソファーに腰を下ろし、本当に何が嬉しいのかにこにこと顔に微笑みを浮かべながらスノウに椅子をすすめた。


「どうぞ、座って」

「いえ、こちらで結構です」


 別に先ほどのことを引きずっているわけではないのだが、座って和やかに話す気にはならなかったので、スノウは司令官の向かいに座るのは遠慮し、出入り口から少しソファーセットの方に近付いた位置に立ったまま話を切り出した。


「話というのは、来月の格闘技競技会で優勝した隊員に対する褒賞について、小耳に挟んだことがありまして……」

「ああ、副司令官に聞いたの? 良い考えでしょ? 人手もいらないし、お金もかからない」

「本気で言っているんですか? 自分が優勝賞品になるなんて」

「本気だよ〜。今年の格闘技競技会の優勝者には、基地司令官が何でも言うことを聞いてくれますよ~っていう触れ込みにしようと思ってるの」


 司令官はさらりと言い放つが、スノウにとってはそうやすやすと流せるものではない。その突拍子もない発言のお陰で、こっちは副司令官に余計な期待を掛けられているのだ。


「自分で言っていることの意味がわかっているのですか? 軍人と言えども中には良からぬことを考える者もいるのですよ?」

「いいよあたしは。それでみんなのやる気が引き出せるなら、あたしはどうなっても構わない」


 優美な微笑みをたたえたまま、真っ直ぐに副官の目を見て司令官は答えた。そこには何かしら決意があるのか、琥珀色の瞳は揺らぐことはない。

 何故そんな顔ができるのか、スノウにはわからなかった。だからだろうか、少女の真っ直ぐな瞳を直視できずに視線を逸らした。


「……そんな簡単に、どうなっても構わないなんて言うものではありません。本当にもしものことがあっても、誰も責任なんて取ってはくれない。指揮官だからって、すべてを犠牲にしても良いわけではないでしょう」


 少しうつむきながらスノウは言った。その言葉に、司令官は大きな瞳を更に特大にする。


「変なの。どうしてそんなに真剣になるの? 何のために潜入してきているのかは知らないけど、殺し屋のあなたにとってはどうでもいいことでしょ?」


(どうでもいいことはない。このままだと副司令官に面倒な頼まれ事をされてしまう──……って別に真面目に優勝狙う必要もないのか……)


 副司令官の頼みを承知したふりをして、適当な所で適当に負けてしまえばいいではないか。力及びませんでしたとか何とか言って。それでもいいのに何故、俺はこの少女を真剣に説得しようとしているんだ。


「もしかして、あたしのこと心配してくれてるの?」

「──は?」


 予期せぬ質問にスノウは目をむいた。


(何を言っているんだこの小娘は! 心配して言っているんじゃない。バカなことはやめろと言っているんだ!)


「やっぱり、あなたは優しいんだね。……そう、あの時もそうだった」


 うっとりとするような表情で司令官は言った。だがスノウには何のことを言っているのか見当もつかない。

 そう言えば以前、殺し屋だと言われて否定していた事を思い出し、今回も人違いですと否定しようかと思った。だが、サンダースの情報で、どうやら自分の正体を知っているのは本当にこの少女だけだという結論が出た今、否定をするよりも、何故この少女は自分の正体に気付いたのか、その理由を知る方が良いのではないかという気がしてきた。


「……何故、司令官には私が殺し屋だとわかったのですか?」

「あれ? 認めるの?」


 そう言ってくすりと笑った司令官の笑みは不思議と嫌なものではなかったが、あっさり認めるのもしゃくな感じがするスノウは、不満げな表情で睨み返し、大きなため息を吐いた。


「ええ、そうです。私は本当はエルド・ロウではない。だが、何故あなたにはそれがわかったのです? 私たちはどこかで会っているのですか?」


 半ばやけ気味にスノウは言った。スパイの顔が割れてしまっていては、潜入もへったくれもない。今回の任務はこのまま失敗に終わったとしても、どうにかして気付かれた理由だけでも彼女から引き出そうと思った。


「前に一度だけ会っているよ。あたしは顔を見てすぐに分かった。だって忘れた事なんてなかったもの」


 その時の情景を思い出しているのか、司令官は遠いところを見るような目をして柔らかく笑った。


「……でも、どこで会ったかはヒミツ」

「──なっ!」


 何だそれは。それだけでは全く分からない。


「自分で思い出してよ。じゃないとフェアじゃないでしょう?」


 言われてスノウは必死に自分の記憶の引き出しから少女の顔を探した。これだけの美貌の持ち主だ。そんな簡単に忘れるとは思えない。

 思い出せ。思い出せ。

 念じるように探してはみたものの、やはり出てはこなかった。


「思い出した?」


 期待の眼差しで見つめる司令官に、スノウは渋い顔を返した。


「いえ、まったく」


 それを聞いて彼女はため息とともに肩を落とした。そんな風にがっかりするくらいなら素直に教えてくれたらいいのに。

 だがすぐに気をとり直した司令官は、またあの、何か面白い遊びを思い付いた時の様な表情を浮かべた。


「じゃあこうしましょう。あなたが格闘技競技会で優勝したら教えてあげる」


 スノウは眉間に深いしわを刻み、明らかに不機嫌な顔をする。


「別に悪い条件じゃないでしょ? 競技会へのエントリーは当日まで出来るようにするから、本番は来月なんだし、それまでにあなたが自力で思い出せばエントリーする必要も無いわけだよね」


(まあ、確かにそうだが……)


 しかしそれだけではスノウはなかなか首を縦に振ることができない。他にあのやっかいな副司令官を黙らせる条件が何かなければ。


「もう、しょうがないなあ。じゃあ、あなたが自分で思い出す事が出来たら、優勝賞品として何でも言うことを聞くというのは止める」

「もし優勝者に要求されたら?」

「要求ってつまりそうゆうことを? そうねえ……」


 白い人差し指の先を顎に当てて司令官は少し考える。薔薇色の唇を引き結んで。

 本当に、何をやっても絵になる人だ。


「その時はほっぺにちゅーで我慢してもらうわ」






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