第10話 副官の心配2
条件付きではあるが一応は司令官を説得することに成功し、スノウはとりあえず安堵していた。だが彼女と出会った時のことについては、依然として思い出せないままだった。
司令官無断外出事件から数日後、司令官付副官に面倒なことの一切を押し付けた挙句、自分だけさっさといなくなった副司令官が、さっそく副官室にやってきて少し興奮気味にスノウを称賛してくれた。
「ありがとうロウ少尉、司令官が考え直してくださった! やはり君ならできると思っていたよ!」
今日の午前の会議で、司令官が格闘技競技会について出した少々問題のある指示を、みずから変更すると言ったらしい。副司令官はそれを、彼女が指示を撤回したと思っているようだが、あくまでも変更であって完全に撤回したわけではないことをスノウは知っていた。
何故ならあの時──、
「その時はほっぺにちゅーで我慢してもらうわ」
そのあまりにも軽い司令官の言葉に、スノウは口を半開きにして呆れてしまった。
「それ、何かの解決策になるんですか?」
「え〜だめぇ? 案外嬉しいものだと思うけど……」
競技会の優勝者がそれで素直に引き下がってくれる紳士的な人物だったらいいのだが、そんな保証はどこにもない。むしろ軍隊なんて色々と鬱積した男たちの巣窟だ。
「もっと別の形の褒賞があるでしょう? もっとまともな! 普通の!」
さらなる改善案を求める副官の苛立たしげな催促にも、司令官は「えー?」と間延びした返事をした。
「今どきの子は勲章なんかで喜ばないでしょう?」
「では金一封でも用意しては?」
「あーそれもダメ。経理課長が予算は一銭も無いって嘆いてたもん。帝国軍との戦闘が激しかった頃は人もお金もじゃぶじゃぶあったらしいけど、今じゃどんどん削られちゃって。世知辛い世の中だよねぇ」
世の中の何を分かっているのか知らないが、少女はやれやれとばかりに肩をすくめた。だが確かに、軍隊と言えども国の税金で運営される組織。予算が無ければ褒賞も用意出来ず、給金を上げてやることも出来ない。
「どうしようって悩んでた時に、ヒメルの写真の話を聞いてこれだって思ったの。あたし自身を賞品にすればいいって!」
(だから何でそこに行き着くんだ──?)
スノウは眉間を指で押さえながら唸った。だがすぐに復活し、姿勢を正し司令官を見る。
「しかし、あまりに突飛なことを発言されてはまわりが驚きます。あなたは基地司令官なのですから、何気ない発言にも慎重になっていただかないと──」
「何気なく言ったわけじゃないんだけどなあ……」
両手を頭の後ろで組みながら、司令官はソファーの背もたれにのけぞって天井を見上げ、呟くように言った。しかし何かに気づき、その視線を副官に向けくすりと笑う。
「何ですか?」
「やっぱり変なの、そんなこと言うなんて。あなたは殺し屋なのに、まるで本物の副官みたいなことを言うのね」
言われてスノウはため息を吐きながら気だるげに答える。
「潜入任務なんだから役になりきるのは当然でしょう。すぐにバレては仕事にならない」
「あたしにはすぐにバレたよ」
「──っ! それは!」
それは全くの想定外だったのだ。顔を知っている者がいるなど思いもよらない。今まで遂行してきた暗殺任務では常に覆面を被り、素顔を明かしたことなど一度もないはずなのに、一体この少女はどこで自分を見たと言うのか、スノウには思い当たるところがまるで無かった。
「それにしても、仕事にしてはちょっと真面目にやり過ぎじゃない?」
そう言うと司令官はその身をお越して背筋をぴんと張り、悪戯っぽい表情でスノウを指差した。
「正直に言いなさいよ。本当はあたしの事が心配だからなんでしょう?」
(だから何でそうなるんだ!)
スノウは否定の言葉を吐こうと大きく息を吸い込んだが、ムキになって否定しても疲れるだけで、どうせこの少女の耳には届かないような気がして、そのまま言葉を飲み込み、代わりにため息を吐いた。
「わかったわかった。あなたがそこまで心配するんだったら、やり方を少し変更してあげる」
こちらが何も言わないのをいいことに、司令官は何がわかったわかったなのか一人で勝手に納得した。
「でもあたしはね、『私を賞品にする』って案は替えるつもりはないの」
まだ言うかこの小娘は。
スノウはうんざりした顔で司令官を睨むが、本人は気付かぬ様子でソファーから立ち上がるとこちらにとことこ歩み寄ってきて、腰に手を当て決して豊満とは言えない胸を張った。
「この競技会はあたしが司令官になってから始めての大イベントなの。何がなんでも大盛況のうちに終わらせるんだから。協力してよね!」
スノウは返事をするのも嫌になって、あさっての方向を向いてため息を漏らした。
司令官とのやり取りを思い出すと、また小さなため息が口をついて出た。
隊員のやる気を引き出すとか大層な事を言って、その実、その方が見てて面白そうだからというだけなのではないか。スノウはそんな気がしてならない。
「どうした? あまり嬉しそうではないな」
スノウの顔を見ながら、副司令官は訝しげに尋ねた。
もともとあまり感情を表に出す方ではないという自覚はあるが、それでもこの呑気なおっさんが見てわかるほどに、随分と疲れている顔を自分はしていたらしい。
「副司令官、つかぬことをお伺いしますが──」
投げられた問い掛けには触れずにそう切り出すと、何でも訊いてくれとばかりに副司令官は真面目な顔をして少し居住まいを正した。
「ハインロット大佐は以前からあのような方なのですか?」
副司令官はその一言で副官の言わんとしていることを十分理解した様子で、「あ〜」とどこか上の方に視線を向けながら答えた。
「申し訳ないが私もその辺はよく分からないのだ。ハインロットに娘がいるということ自体も実を言うと、今回初めて知ったくらいだ」
副司令官はばつが悪そうに頭をポリポリと掻いた。古くからの友人だと言った手前、なんとも格好がつかないのだろう。
「私は若い頃のハインロットしか知らないが、あの子は父親によく似ているよ。彼も少々破天荒な所があった」
少女のアレは少々どころの話ではない。スノウは心の中でうめいた。
「第一に容姿がよく似ている。まるで生き写しだ。私はあの子を初めて見た時、ハインロットが戻って来たのかと思った。そしておそらくは彼女もまた、人を引き付けずには居られない魅力を持っているのだろう。父親がそうであったようにな」
副司令官はどこかに思いを馳せるような眼差しを宙に放った。
きっと彼にはその類い稀なる魅力で人を引き付けた友の姿が見えているのだろう。そんな横顔を見ながら、スノウの中に一つの疑問が生まれた。
副司令官は知らないのではないか。似ていると断言する父と娘が、実の親子ではないという事を。
それが伏せられた事実だからなのか、単に疎遠だったからなのかはわからないが、少なくとも副司令官は、ハインロット父娘を本当の父娘と思っているのではないか。
「ハインロット氏は副司令官に一度もご家族に関することはお話しにならなかったのですか?」
司令官の出生についてはふせたままで、スノウは副司令官に尋ねた。
「一度もないさ。ハインロットが軍を辞めて以来、私たちは全く連絡を取りあわなかったからな。それなのに突然電話をしてきて、娘がガンデルクに赴任することになったから頼むと言ってきたのだ。自分の代わりにしっかり見張ってくれと一方的にな。決して一人にするなとも言っていたぞ」
「一人にするな?」
今度はスノウが訝しげに副司令官に尋ねる番だった。
「娘が自分の元から離れて心配なのは分かるが、共和国軍の英雄とまでいわれた男が、まったく大した親バカぶりだよ」
やれやれと副司令官は肩をすくめるが、表情はそれほど嫌がる風でもなく、まるで子供の成長を見守るような微笑みを浮かべた。
「しかし一人にするなと言われても、一日中ずっと見張ることなど到底できないでしょう。公務中は良いとしても、それ以外の時間はどうやっても一人になってしまう」
基地司令官の職にある指揮官は居住する場所が指定されているので、その間は共和国軍が管理運営する宿舎に入居することになる。
当然、ツルギ・ハインロット大佐も前任の基地司令官が住んでいた部屋に着任と同時に入居しているのだが、まさか若い女性の一人住まいに妻子もあるであろう副司令官が同居するわけにもいかない。そんなことは誰もがわかることだ。それなのに一人にするなとはどういうつもりなのだろうか。
しかし問いかけられた副司令官は、予想に反してきょとんとした表情を見せた。
「そうか、君は知らないのか。司令官は宿舎に一人で暮らしているわけではないぞ」
「──えっ?」
「親戚の子と二人で住んでいるそうだ。その子は軍人ではないが、料理が得意で基地の食堂に働き口を見つけたとハインロットは言っていたな。君も見かけたことがあるかもしれん」
(基地の食堂? ──まさか、あいつかっ?)
それを聞いて、一人だけ思い当たる顔があった。士官食堂で会った、あの料理長だ。
親戚の子とはもしかしてあの男のことだろうか。
いくら親戚とはいえ、男女が一つ屋根の下で暮らすという状況を、副司令官に親バカと言わしめるユリス・ハインロットは許したのだろうか。
などと無言でスノウが考えていると、副司令官は大きく息を吐いて満面の笑みを浮かべた。
「まあとにかく、無事に格闘技競技会も進みそうでなによりだな」
こちらの気も知らず、副司令官はやはり呑気だ。
もしかしてこれからも、自分と司令官と副司令官の三人で、事あるごとにこんなやり取りが続くのだろうかと、スノウは気分が沈んだ。




