08:阿弥陀羅
08:阿弥陀羅
クロの"奇跡"バフの恩恵はかなりのものだった。
「全奇跡をフルブースト」
《アイアイ!》
体力、膂力、脚力、瞬発力、反射力etc.——、流石は龍で、その奇跡はあらゆる能力を爆発的に上昇させる。
おかげで発動率100%状態時のみではあるが、ラーゼオン時代の最強殺人術の使用ロックが一つだけ解除された。
——【阿弥陀羅】
居合い系最強殺人術。
ただし発動率100%は連続稼働三十分が限度で、再使用にはその後二十四時間のクールタイムが必要。
なので普段は負担が少なくクールタイムも発生しない発動率30〜70%が基本となりそうだ。
まあUMAに比べたら圧倒的にローリスクな切り札であることには違いない。
ちなみにUMA使用時間はフルブーストでも相変わらず二秒だった。なんでも深淵耐性は奇跡で底上げできない唯一の項目であるらしい。
それについて苦言を呈したら、
『んな、おっかねえ武器を山ほど抱えてるとか前世の嬢ちゃんはどんな化け物なんだ!?』
そんな総評をいただいた。
※
「ふむ……」
『どーした嬢ちゃん? 考え込んで』
「少し困っていてな。というのも持っている切り札がどれも強すぎる。使えば相手が死んでしまうものしかない」
『自慢か? 結構なことじゃねえか。世界中の戦士たちが喉から手が出るほど欲しい力を、嬢ちゃんは持ってる』
「……しかし人間相手に使えない」
『人間? 魔族相手だけじゃダメなのか?』
「……間もなく起こるかもしれない戦争の為に、ぼくはこの人間社会でも成り上がっていく必要がある」
少なくとも五年以内。
それまでに亥国騎士団に入団し、団内でそれなりの地位を確立したい。
『なーるほど。その為に対人の切り札を持ち得ないのが少し心許ないってわけか』
「その通りだ」
今のぼくは弱いからな。
一発逆転の切り札は対人用のも用意しておきたい。
『相手が死なない程度の技とかも少しくらい覚えてなかったのか?』
「ない。一切。殺す技ならありとあらゆるものを余すことなく極めたが、その逆はさっぱりだ」
殺人以外何も出来ることはないと言っても過言ではない。
なんてピーキーな野郎だ。もっとバランス良く生きときゃよかった。
『いやでも案外死ぬとも限らねえんじゃねえか?』
どういう意味だ?
『いくらオレ様の素晴らしい奇跡で底上げするといっても、過去のお嬢には及びもつかねえ。ならばその技本来の威力は発揮されねえんじゃねえか? つまり本来は殺す技であっても、威力弱体によりそうはならなかったり』
「なるほど」
一理ある。
『それによ、そうじゃなくたってあの御方なら、そうそう死ぬようにはオレ様には思えねえんだよなあ——』
あの御方——
言われて、ぼくはフユの顔を思い浮かべる。
あまりに人族の領域を逸脱した強さの、あの幼孤を。
(たしかに、彼女ならば——)
あの人智を越えた強さを持つ幼孤であれば。
そもそも間違いなど起こり得ぬのかも。平気で耐えうるのではないか——そう思わせる強さがあった。
(…………)
迷った末に、ぼくは試してみることにした。
※
恒例の、ソードくんとの昼の剣稽古の時間。
その際に、ぼくはフユに手合いを求めた。彼女は神妙な顔でそれを受ける。
「な、なんか二人とも真剣……!?」
距離を取って向かい合って立つぼくたちを見て、ソードくんが息を呑む。
「フユ、本気でこい」
ぼくの言葉が大気を揺らす。本気が彼女に伝わる。
「……畏まりました」
彼女は剣を構えた。
「あー! フユさんの構えがいつもと違う! 本気だ! 嘘でしょ!? ジュジュちゃんだけずるーい! ボクにはどんなに頼んでも指導剣をやめてくれないのにー!! くそーボクもジュジュちゃんみたいに強ければあー!!」
ソードの言うとおり、その構えは彼女のいつもとは異なる。
本領の構え。
大きく脚を開き、重心は低く、剣は腰の横に付け、吐く息は細く長い。
——それは、
「"居合い"か。……流派は?」
「……教えません。敬愛すべき師に教わった技である、とだけ」
流派の開示は、手の内を晒すに等しい。言わないのが正解だ。
それにしても、懐かしい。
(クロ、フルブースト)
《アイサー!》
「————っ!」
フユはこちらの変調を過敏に感じ取ったようだ。表情に緊張が走っている。本来ならば上位存在である龍の奇跡は、人族には到底気付けるものではないのに。
流石はフユである。
「ぼくも少しばかり、居合いには心得がある」
「はい。……そのようです」
ぼくも居合いの構えをとる。
「はじめ!!」
ソードの合図。
しかし両者は動かない。
達人の居合い同士の打ち合いでは、どちらかが動いた瞬間、勝敗が決する。
沈黙——。
その間にぼくはある事実を悟る。
(フルブーストをもってしても、フユに戦技無しの勝利はあり得ないな。こうして本気で向かい合ってみるといやというほど実感する)
地力の差は歴然。
まず殺すつもりでないと勝てぬ相手だ。
(本当に、前世はいったいどこに隠れていたんだ?)
この調子だと、今後も未確認の強者の出現も十分あり得る。
だからたとえ人間相手でもやはり切り札は必要だ。
気持ちが固まる。
「————っ!」
刹那——次の瞬間、
ほぼ同時。
動く。
ギンっ!!
一瞬で間合いを詰め、同時に、射程内に相手を捉える。
「————っ」
ぼくは即座に目を閉じた。
そして術を発動する。
「【殺人術・阿弥陀羅】」
居合い系の最強殺人術である阿弥陀羅の発動効果——
それは、瞳を閉じるという代償行為による、術者から半径十メートル円内への時間停止の強制。
キィイイ——ンンン——。
耳朶に一時凍結された時間の反響音が轟く。
これにより術効果の発動を確認。
次に十メートル円内に自身の存在Eを拡張する。
以前フユも使っていた"存在感知"だ。
右78°距離6メートルの地点に無事時間停止中のフユの存在を確認。
さすがはフユだ。技発動の寸前、危険を察知し咄嗟に距離をとっている。
(だが、技効果領域外に出ることはかなわなかったか)
最後にそのフユに向かって、抜刀すれば技は完了。
阿弥陀羅発動中の斬撃は当然時空斬りとなり、時空の断裂は空間の自壊を引き起こす。
入れ物たる空間の崩壊——
それが意味するのは即ち、その中の者の"強制的な死"である。
フユはどうなるだろうか。
耐えるのか。
それとも返しを用意しているのか。
もしくは——
「————っ!!」
ぼくは瞳を開く。
「え……?」
立ち会いのソードが困惑の声を漏らす。
彼目線、剣を抜いたぼくとフユが、次の瞬間には互いに無傷で棒立ちしているのだから当然だ。
「……馬鹿だった。すまない。よもや死なぬかもしれぬなどと。死ぬに決まっている。死なぬはずがない。ぼくの術は当たるか、当たらないか——その二つしか無いのだから」
ぼくは阿弥陀羅を最後まで完遂しなかった。寸前でやめた。
遙か高みの者の"存在"が交わる時——さながら予知夢の如く、その先の未来を見ることが稀にある。
今回がそれだった。
出せばフユは死んだ。
そんな結果が寸前で見えた。
だから止めた。
彼女もそれを認め、技解除後も止まっていた。
剣を抜く必要も無く勝敗が決した。
達人同士である故の境地。
向かい合ったまま止まるぼくたち。
やがて彼女はゆっくりとお辞儀し、
「……お見事です」
去って行った。
とても悲しそうな背中だった。
「え、ええ? つまり? ジュジュちゃんの勝ち? じゅ、ジュジュちゃんが遂に勝っちゃったー!? す、すっごーいい!! 少し前まで手も足も出なかったのにっ! てかあのフユさんに勝つなんて!! ぅううう! 追いつけなくなっちゃうよおおおちょっと待ってえええ!!」
ソードくんの祝福のハグはとても力強かった。