四六 とにもかくにも
「……いいの、かな……」
ちょっと不安になって、圭太を見る。
こういう世界のことはなんでも知っている息子は、立ちあがるところ。
「あ、圭ちゃん。食べ終わったなら、お皿とか、流しに運んでおいて」
頼むとムッとした顔をする。
「なんで、オレが」
「ママ、これからお掃除するし、お皿とか放っておくと、汚れが落ちなくなっちゃうのよ。ここ、食洗機ないでしょ?」
左右色違いの目が睨んできたけれど、気もそぞろで構っていられない。
──とにかく、最初はわたし達の部屋。お布団も干さなくちゃ。あ! ベランダ、汚かったっけ! 落ち葉は下に落として、手すりは拭く? ……苔とか、削らないとだめかしら……ああ、百均のビニールシートが欲しいっ!
考えを巡らせながら、納戸へ急ぐ。
ほとんど使われていない納戸は、明かりとりの窓が小さくて、冷凍冷蔵室のような魔法の明かりもない。
そこで道具を探す。
──昼間で良かった!
昔風な棕櫚のほうき。ぼろ布をひと抱え。大きめの木製バケツは二つ。
──ハサミとか、ないかな……
棚を覗いてみたけれど、布切バサミは見あたらなかった。どうしようかと思ったところで、剣があったと考えつく。ハサミより使いにくいけれど、なんとかなるだろう。
そこで細めの棒も追加する。
バケツに布を詰め込んで納戸を出た。
温泉池でからのほうのバケツに湯を汲んで、部屋へ運ぶ。バケツはベランダに置いておく。
明るいところで見ると、ぼろ布は焦げ穴のついたマントやシャツ類で、確かに捨てておしくないものばかり。
気が楽になって杏子は剣の刃をあてた。端を少し切って両手で裂く。かなり力のいる作業のはずが、面白いほど楽々裂けた。細くした布を棒に結びつければ、即席のはたきとなる。
「よーしっ!」
気合いを入れて立ちあがると、ベランダの窓を全部開け放った。
次に部屋の扉を全開にして、椅子で固定する。もちろん廊下の向かいの窓もあける。
これで埃の出口ができた。
「な、なにしてんだよ、てめー」
ベッドでごろごろしていた圭太が文句を言うのへ、杏子は軽くうなずいた。
「なにって、お掃除よ」
大きめに裂いた布で鼻と口を覆い、はたきをかける。
ベッドの天蓋、厚いカーテン。イス。猫足テーブル。天井。
さしこむ光の中に、もうもうと埃が舞いあがった。
「いきなりなにすんだ……ぐげっ……げほぉっ!」
圭太の文句が咳になる。
「外に出てる? それとも、手伝ってくれる?」
マスクの下から声をかけると、圭太はベランダへ逃げていった。
「あ。そっち行くなら、葉っぱを掃いてくれない? ほうき、そこにあるから」
ダメもとで声だけかけておく。その間も手は休めず、あらゆる場所にはたきをかける。風が吹き抜けて、埃をさらっていく。
いい気分。
この屋敷の床は基本的に石で、家具の下だけ絨毯やラグが敷いてあった。
天蓋つきのベッドはさすがに、〈頑健〉な男の身体でも簡単には動かない。でもソファやサイドテーブルはどかせられた。敷いてあるラグを丸めてベランダへ出る。
思ったとおり、圭太はほうきに手も触れず、膨れっ面で体育座りしていた。
予想していたことだけれど、ちょっとがっかりしてしまう。せっかくのいい気分が、半分しぼむ。
いちいち顔に出してもどうしようもないから、努めて快活な顔をして、杏子はラグを幅広の手すりに掛けた。はたきの柄のほうで叩くと、驚くほどの埃がでる。ある程度叩いたところで、ほうきでよくかき落とす。
ラグはしばらく干したままにしておいて、次は床。
奥からベランダへと掃く。さっきはたきをかけて落とした家具や壁や天井の埃と、長年降り積もった汚れ。ぱっと見にはキレイでも、ナゴォの屋根裏より大変な掃除である。
全身埃まみれになってしまう。
──でも大丈夫! 汚れたっていい!
ナゴォの家では身体を洗うのが大変だった。井戸水で拭いたり、川で水浴びが普通。山の中のせいか、どっちも息が止まるほど冷たい。湯を沸かす鍋は小さくて料理に使うのがやっとだし、薪を集めるのもかなりの労働が必要だから、湯で身体を拭くのは贅沢なのだと言っていた。〈頑健〉な杏子はともかく、圭太は一度も水浴びしなかったと思う。
だけど、ここには温泉がある。
その一点だけで、埃に立ち向かう心構えが変わった。
どれだけ汚れても大丈夫、という気持ちになる。
ベランダでうずくまる不機嫌顔を頭から追いだして、杏子は掃除に励んだ。
床を掃いたら、雑巾がけ。
ぼろ布をバケツの湯で濡らして絞り、家具から壁から床へと拭きあげていく。二メートル近い身長で椅子に乗っても天井に届かなかったけれど、ほうきにぼろをくくりつければ届く。撫でるように埃を落とした。
汲んで来た湯はすぐに土色になる。二つのバケツを持って温泉池まで、いったい何往復したことか。
これでへばらないのは、何回経験しても信じられない。
室内が乾くのを待つ間に、ベランダに取りかかる。
昨日丸めて置いた家具の覆いに、圭太が座っていた。息子を追い払って、厚い布をたたみ、部屋の端に積み上げる。
それからベランダの落ち葉を下へ掃き落とした。隅々まで丁寧に。それから室内と同じように手すりから順番に下へと拭いていく。最後にバケツの湯を流した。湯水は雨どいへと流れていく。
ようやくベランダがさっぱりする。
某夢の国のお城についていそうなベランダになった。白くて装飾たっぷりの手すりへ、さっきの家具覆い布を端からかけていく。
ブルーシートのかわりだ。百均がないのなら、あるもので手を打つしかない。
中へ戻ると、圭太がいつの間にかベッドに乗っていた。
「ごめんねー、圭ちゃん。ちょっと、お布団、干すから」
「はあっ? バッカじゃねーの? なに言ってんだよ。ババァ!」
攻撃的な強い口調にはいつも泣かされてきた。
息子にこんな侮蔑的な言いかたをされたらつらくて悲しくて、どうにかなりそうな気がしてしまう。昔みたいに笑ってほしくて、おろおろした。
だけど今は違う。
──こんな埃だらけの部屋のベッドは、埃とダニの巣に決まってる! 身体に悪い!
そこだけは譲れない。
どんなに冷たくされても、侮蔑的でも、笑ってくれなくても、「ママ大好き」といってくれなくても、健康に生きてくれているほうがいい。
杏子は借り物の筋肉で、圭太の乗った掛け布団を引っ張った。
転げ落ちた圭太がなにか言う前に、シーツもベッドパッドも剥ぎ取る。そのまま包むように外へ持っていって、手すりの外で振り捌く。
埃と細かい糸屑が、太陽の光にきらきらする。
「ふふん、ふーんふーーん」
鼻歌まじりに布団を広げ、なるべく日光が当たるように干す。
部屋に戻ると、圭太はソファにいた。だらしなく背もたれに寄っかかっているから、スカートの裾が捲れて下着が丸見えだ。
「圭ちゃん。そういうふうに座りたいなら、ズボンにしなさいよ」
キングサイズのベッドのマットレスに手をかけて、一応注意しておく。
「パンツが見えるでしょ」
圭太は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ババァしかいねーんだから、どーだっていーだろー」
「そうは言うけどね。習慣にしておかないと、どこでもつい、やっちゃうから……」
ハジュメ村で酷い目に遭ったというのに、もう忘れてしまったのだろうか。杏子だったら、刻みこまれるほどの恐怖だけれど。タヌキ男のことなんかすっかり忘れた顔をしている息子が、我が子ながら不思議だ。
マットレスは思っていたより重かった。現代日本のものとは、中身が違うのかもしれない。手で叩いてみると、バネの感触はなくて、なにかがみっちり詰まっているようだ。
とりあえずベッドに寄りかからせる形で風を通す。
ついでにベットの枠も拭く。ベッド下は、精一杯腕をのばしてほうきで掃きだした。これで少しはましになったはず。
窓を開け放して室内を乾燥させる間に、廊下にも手を広げた。
まずは部屋の前。左右に掃いて、掃き出し窓からゴミを出すと、ここだけ明らかに綺麗になる。その分、気分も良くなった。
──う~~ん、際限ないよね~
どこでやめるかが難しい。
悩んでいると、圭太がドアから顔を出した。
「昼メシ」
当然の顔で催促する。
──昼ごはんって、さっきのは……ああ。そろそろおやつの時間かも……
掃除の区切りもつけなくてはならないし、ちょうどいいかもしれない。ナゴォ家と違って、魔法使いの屋敷掃除は一日二日でできる広さじゃないから。
よく動いたせいか、杏子の腹もだいぶ減っている。
「そうね、圭ちゃん。おやつにしましょうか」
少なくともここでは、スナック菓子と炭酸ジュースを持って部屋に籠もることはできない。すぐに食べられるものが、手に入らない。
杏子の作った栄養のあるものしか、食べられないのだ。
ほんの数年前までのように。
なんとなく懐かしい気分で、杏子は掃除道具を一まとめに持つ。台所へ行くなら、ついでに湯も汲んでこよう。電化製品のない家事は、効率を考えなくてはならない。
──昔は、こうだったのよね……
杏子が幼いころはまだあまり便利ではなかった。杏子の母や祖母はいつも忙しく立ち働いていた。そこにまとわりついて喋るのが、すごく楽しかったことを覚えている。
先に立って台所へ向かう息子は、喋る気はかけらもないみたいだけれど。
「圭ちゃん。埃だらけだから、手を洗わないと」
ちょっとだけトゲトゲしくなった注意に、圭太は鼻を鳴らす。
「オレ、触ってねーし」
「触ってなくても、あれだけ埃が立っていたら、ついちゃうでしょ。圭ちゃん、ベッドにいたじゃない。あのお布団は埃が凄かったんだから!」
「ウッセー」
一言で通り過ぎようとする息子のブラウスをつかむ。
「手を洗わなくちゃ、だめ」
「なんだよ、てめーよー! フザケんじゃねーぞ! ブッ殺されてーか?」
半眼で睨むと、せっかくの〈美貌〉が台無しだ。しかも小さい。威圧感はゼロ。
「なんだよって、手を洗ってって言ってるでしょ。そんなに難しい?」
温泉のほうへ行くのに、圭太が抵抗する。
「ウゼーってんのが、わかんねーのかよ! 糞ババァ!」
振りほどこうと、こちらの手を叩く。
──あ……手加減、してるんだ、圭ちゃん!
杏子は初めて気がついた。
洞窟で揉みあったときより、明らかに軽く叩いている。これは杏子を思いやってのことではないだろうか。
家で暴れていたときは、こんなこと気がつかなかった。縦も横も父親を上回った息子が多少手加減していても、杏子には強すぎて、本気と区別がつかない。
──圭ちゃんは、本気で暴力をふるってなんかいなかった……やっばり、本当はいい子なのよ!
「おいっ! ババァ! 放せっつってんだろ!」
良い子とは思えない言葉は聞こえなかったふりをする。
蹴りが飛んできた。
杏子の仮の身体が頑丈すぎるのか、布サンダルの小さな足に撫でられているよう。
──年長さんのときの頭突きのほうが、痛かったかも……
特に、家事とかしていて無防備なところへ突っ込んで来たときは、息が止まった。苦しくて咳こんだ杏子を心配そうに覗きこんできた圭太は、泥と鼻水で汚れた顔でも、天使のように可愛かった。
暴れる圭太をひきずって、温泉の庭へ出る。
「……え?」
薄暗い。
急いで空を仰ぐと、太陽はもう屋敷の屋根の向こうにある。思っていたよりずっと掃除に時間がかかっていたらしい。おやつというより夕食の時間に近い。
「うそ!」
杏子はバケツを手近なベンチに置く。
「圭ちゃん! 手を洗ったら、先に台所へ行ってて。冷蔵庫っていうか、冷蔵室にあるものを適当に食べてていいから!」
「はぁ? なんだよ、それ?」
怒りに?マークを混ぜた顔をする息子へ、説明をする。
「ベッド! お布団! 入れないと、湿っちゃう!」
これだけ言えば、一大事だとわかるはず。
とにかく急いで戻らなくては、今夜大変なことになる。
杏子は後ろも見ずに駆けだした。




