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おばさんクエスト  作者: 如月天音
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十二 住むところ

 その日の残りは、屋根裏部屋の掃除をした。

 もちろん、したのは杏子一人だ。

 ガラスのないぎしぎしする窓を開き、床にも壁にも木箱にも分厚く積もった埃を払って拭く。積まれた木箱の中を確認して、使えそうな服や靴をよりわけ、残りを重ねて寝床を作る。

 杏子が忙しく働く間、圭太はたちこめる埃に咳こみながら文句を言い続けた。

「なんだよー。オレ、メシ全然足りねーんだけどー? ムシすんなよなー」

 ぼろ布で天井や壁や床を拭きながら、杏子は返事をする。

「もうなかったでしょ」

「訊けば良かったじゃんか」

 苦労して綺麗にした場所に、圭太がどんと座りこむ。というか、本来の体格なら『ドン』という音がしただろう座りかただ。今は『すとん』程度である。せっかくの〈美貌〉も膨れ面で台無しだ。

「ポテチか煎餅くらいあるだろ、フツー」

 忙しく手を動かしつつ、杏子は驚いた。

 圭太はなに一つわかっていなかったらしい。

──まだほんの子供なのよね……

 雑巾を洗う水一杯すら汲んでくると言わないのも、気の回る大人ではないから。水が汚れていることに気がつかないのだ。

──圭ちゃんに頼むより、自分でやっちゃったほうが早いし……

 専業主婦の杏子は家事と育児を全部一人でやってきた。華世は女の子だし、下の子もいたせいで家の手伝いをさせたけれど、末っ子長男の圭太にはなにもさせなかった。

子供がやりたがらないことをさせるのは、本当に大変なことなのだ。優しく言っていたら、指一本だって動かさない。怒鳴ってようやく立ちあがっても、わざとのろのろして、うんざりするほど文句を言い続ける。

身体よりも精神的にキツイのだ。自分でさっさと動くほうが百万倍くらい心身の健康にいい。

だから杏子は掃除しながら、圭太に説明をした。

この村にはコンビニやスーパーらしい建物が一つも見えなかったこと。食事は自給自足で、ポテチも煎餅もチョコもなさそうだということ。さっきの食事はナゴォ夫妻が自分達のために作っていたもので、二人の年齢から考えるとあれ以上はないこと。

何度か口を挟みかけた圭太も、最後には黙った。しばらくしてチッと舌を鳴らす。

「ウゼっ! なんだよ、この世界はよー。どーして英雄様の口に合う食いモン一つ、用意してねーんだよ。特殊能力はしょぼすぎだし。チートはお約束だろーが!」

 階下に聞こえない声量なのは、さすがひきこもりと言うべきか。

 少なくともナゴォ夫妻には聞こえないだろうと、杏子は胸の中で計算する。屋根と壁のある寝床を失いたくない。せっかく古着でベッドを作れそうなのに。

 一応、圭太を諭してみる。

「ママは、なにが約束されているのか知らないけれど、ドラクエだって、勇者はレベル上げしなくちゃならなかったわよ。いろんなところに行って、だんだん強い敵を倒せるようになるんじゃないの? そうしないと、ラスボスにすぐに全滅させられたけど?」

 一瞬きょとんとしてから、金と銀の奇妙な頭が、がっくりとうなだれた。

「あー、そっちかぁー。この異世界は、面倒なほうのヤツかー。どーりで迎えが来ねーワケだぜ、クソ。今時、このタイプは流行ってねーっつーの……」

 腕を組んで頭を傾げる。

 やっと掃除を終えた杏子は、ボロボロの服を積み整えて毛布をかけ簡易寝台を作った。それから使えそうな衣類を窓際に持って行って、細かく調べる。

 大きめのシャツは今の杏子でも着れるかもしれない。膝の破れた子供用のズボンは、切って圭太少女の短パンにできそうだ。目の粗い生成りのシャツと袖なしベストを合わせたら、活発だけど可愛い感じになるだろう。

 考えを巡らせていると、圭太の独り言が聞こえてきた。

「とりあえず、しょぼい特殊能力も、レベル上げできるってことだよな……なにをどーすりゃいいんだ?」

 ドキリとして杏子は圭太を窺う。

 いつの間にか簡易寝台の上であぐらをかいている圭太は、しきりと首をひねっていた。

──圭ちゃんが……あの圭ちゃんが! なにかやる気になってる!

 頭の中でリンゴンリンゴンと教会の鐘が鳴り響く。

 この五年、どんなに言っても誘っても、自分からは絶対動こうとしなかった圭太が、なにかしようと言うなんて、信じられない。このチャンスを無駄にしたらダメだ。

 鐘の音が響く頭で超特急で考えを巡らせる。

 指図してはいけない。

 いつものようにムッとして、またひきこもってしまう。

──そうだ。今、ドラクエのレベル上げのことを言ってた……

 思いつきに飛びつく。

 だけど表面上は古着に夢中になってる顔で、さりげなくいつもの調子を心がける。

「そうねえ……ドラクエの勇者って、最初はどうしたんだっけ?」

「母さんの言ってるドラクエって、1とか2とか3とかだろ? 古ィよ」

 馬鹿にしたように圭太はふんと鼻を鳴らす。

「そっか。古いんだ……圭ちゃんは、やったことないの? ママ、ドラクエって、パパがやってるのを見ていただけなの。だから敵と戦うのは知ってるけれど、最初のとこはわかんないのよね」

 これは嘘。

 当時の恋人は今の夫ではなかったし、その彼に手解きされて自分の名前を登録して、ゲームをやった。もっとも、とっくに解き終わった彼の言う通りに動かしただけだから、ストーリーは憶えていない。それでも最初に装備や仲間を揃えたり、町の人々に話を訊いたことは憶えている。

 人に話を訊く。

 そんなこと、圭太にできるだろうか。

 チャレンジしてくれるだろうか。

 圭太はもう五年、母親以外と口をきいていない。仮の肉体はCGみたいな美少女でも、中身は元のままの圭太。ナゴォやキツネ耳のニータとも、話するどころではなかった。

 あまり過大な期待は持たないでおこう。期待通りにならなかったときの悲惨な気分は、さんざん味わったのだから。

 だけどダメモトで一押しをしてみる。

「ここの人って、変わっているよね。動物の耳とか尻尾とか……あれ、本物なのかしら? まさか、コスプレとか?」

 圭太はまた鼻を鳴らした。

「これだからシロートはバカだっつーの。パラメーターにあったじゃねーか。〈獣人〉だよ。おそらく筋力や敏捷度が普通の人間より高いだろーし、ちょっとばかり差別とか、あんじゃね? だから、こんな山ん中で固まって暮らしてんだよ」

 心底驚いて、杏子は目を丸くする。

「すごい! 圭ちゃん、なんで知ってるの?」

「これくらいトーゼンの推理じゃん。誰だって思いつくっつーの」

 言葉とは裏腹に、圭太はものすごく得意そうな顔だ。小鼻はふくらんでいるし、眉はぴくぴくして顎もあがっている。

 夫がやったらムカつくドヤ顔も、息子なら無条件に可愛い。

「ママは全然考えつかなかった! 圭ちゃんは、本当に、この世界のこと、なんでも知ってるのね!」

「この世界じゃねーよ。こういう世界、だ」

 その二つにどういう違いがあるのかさっぱりわからないが、杏子は尋ねなかった。今の良い雰囲気を壊したくない。

「それじゃ、この、じゃなかった、こういう世界で、ママと圭ちゃんは、これからどうしたらいいの?」

 圭太は腕を組み、しばらく考えてから重々しく宣言した。

「とりあえず、情報だな。この世界ではどいつが偉いのか、どんなモンスターが出現するのか、知らねーと。あとは、オレの装備」

空色と赤紫色の瞳がちらりと杏子に向く。

「母さんは充分な初期装備持ってっけど、オレは防御力ゼロっつー格好だし……それに、特殊能力もレベル上げなきゃ、使えねー」

 杏子はうんうんと聞いた。

 圭太がなにを言っているのかは関係ない。ただ、頼もしそうなことを言う息子を見るのが嬉しいだけだ。

杏子にはもう、目の前の奇天烈な色彩の少女は圭太にしか見えなくなっている。

「ま、とりあえず、明日はそれでいんじゃね? 村の賢者っぽいのに会えたら、手っ取り早いけどな」

「それじゃあ、ニータちゃんに頼むのはどう? 圭ちゃんと友達になってくれるって言ってたし、いろいろ教えてくれるんじゃないかな」

 手をぽんと叩くと、圭太は怯んだ顔になる。

「え? ……それはちょっと……まだ、早いっつーか……女の子とか……」

「なに言ってるの? 圭ちゃんも今は女の子。ママよりニータちゃんと年が近いし、すぐに仲良くなれるわよ。それに、ああいう耳とか尻尾とかの女の子、圭ちゃん、好きでしょう。せっかくだから、近くでよく見せてもらったらいいじゃないの」

 古着をよりわけながら、杏子は自分の思いつきに気を良くする。

 今の圭太は百キロの巨漢男子ではない。四十キロそこそこの華奢な女子だ。どんなにキツネ耳が好きでも、耳に触ろうとして飛びかかっても、女子同士のじゃれあい以上のことは起こらない。

犯罪になる危険は皆無。

──偶然かもしれないけれど、神様に感謝だわ……それとも案内人さんに、なのかしら?

 フランケンシュタインぽい顔に、心の中で手を合わせておく。

「……まあ、それも、アリっちゃ、アリか……ヒーローらしく、ここらでH系イベントが一つくらい、あってもいーだろーし……なにを尋ねるべきか、母さんに教えんのも、難しーしな……」

 圭太の独り言に、杏子の心臓が耳まで跳ねた。

──うそ! 圭ちゃんが、本当に他人と話す意欲を……?

 勧めてはみたものの、圭太をその気にさせるには何日もかかるだろうと思っていたのだ。

 フリースクールのときは半年以上かかっている。いくら圭太好みの耳や尻尾のある女の子が相手でも、こんなにすぐに決心してくれるなんて。

──ひょっとして、フリースクールより役に立つんじゃない? わたしが頑張って水晶を集めて元に戻ったら、圭ちゃんは……

 友人を作ったり、バイトしたりと普通の十七歳の少年になるかもしれない。その姿を思い浮かべて、杏子はドキドキしてくる。

──だけど、ここで親が余計なことを言ったらいけないのよね!

 ネットでも、偉い評論家の講演でも、そう言っていた。

 本人のやる気を見守りましょう。

 決して急かしてはいけません。

 本人のペースで進めさせてください。

──大丈夫、大丈夫。圭ちゃんは本当は頭がいいんだし。さっきだって、難しいことを言っていたし。この世界、じゃなかった、こういう世界のことだって、よく知っているんだもの!

 ここ数年で一番良いことが起こりそうな予感がする。

 杏子は予感を大切に、胸の奥にしまいこんだ。


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