四話「本日の管制官」
扇原蘭が統合管制室を追い出されたのは、午前七時四十分のことだった。
「扇原。本日の勤務を禁ずる」
アストラ本部長、榊原征吾の声が、早朝の管制室へ静かに響く。
蘭は手元の端末から顔を上げた。
「まだ、西部第三区画で回収された土壌の分析が終わっていません」
「昨日も同じことを聞いた」
「昨日は、星素波形の照合作業が残っていました」
「一昨日は商業施設の事件調査だ」
「必要な作業です」
「四十時間近く働き続けることが、か?」
蘭は答えなかった。
目元には、隠しきれない疲労が浮かんでいる。
「判断力の低下した管制官は、自分だけでなく前線の隊員まで殺す。休息も任務の一部だ」
「ですが――」
「命令だ。端末を置け」
蘭は数秒間、榊原を見つめた。
説得は不可能だと判断したのだろう。小さく息を吐き、端末を机へ置く。
「……承知しました」
「明日の朝まで、本部への連絡も禁止する」
「緊急事態が発生した場合は?」
「私が判断する」
「三隊同時出動が必要になった場合は?」
「扇原」
「はい」
「帰れ」
「……はい」
蘭が統合管制室を出ていく。
扉が閉まった直後、隣の補助席から羽鳥日和が勢いよく立ち上がった。
「ということは、本日は私の天下ですね!」
榊原がゆっくりと日和を見る。
「羽鳥」
「はい!」
「通常任務と本日予定されている合同演習のみだ。異常事態を確認した場合は、私へ報告しろ」
「もちろんです! 蘭先輩を呼び戻さなくても済むよう、完璧に終わらせてみせます!」
「そうしてくれ」
榊原はそれだけを言い残し、管制室を出ていった。
日和は無人になった統合管制席へ目を向ける。
アストラに入って一年。
補助管制官として蘭の隣に座ることはあっても、中央の席を任される機会は多くない。
日和は両頬を軽く叩くと、蘭が使っていた椅子へ腰を下ろした。
「さて」
正面に並ぶ画面が一斉に点灯する。
天衝隊。
心導隊。
森羅隊。
三隊の通信回線が、日和の操作によって接続された。
口元へ笑みを浮かべ、通信を開始する。
《はいはーい! 本日は蘭先輩に代わりまして、わたくし羽鳥日和が、皆様に指示をお出ししまーす!》
一瞬の沈黙。
最初に反応したのは、獅堂空だった。
『おっ、今日はひよりんか! 派手にやれそうだな!』
《さすが空隊長! 話が早い!》
「最初から嫌な予感しかしねぇな……」
堂前蓮司が、通信の向こうで深いため息をつく。
《大丈夫ですよ、ひよりんコンビで華麗に終わらせましょう!》
「俺まで巻き込むな、ひよりん」
続いて、穏やかな声が回線へ入った。
『よろしくお願いします、ひよりんさん。朝から元気なのは良いことです!』
《ありがとうございます、桜隊長! 本日も明るく爽やかに参りましょう!》
「日和先輩。挨拶は結構ですから、演習概要をお願いします」
雨宮奏の冷静な指摘に、日和の声がわずかに沈む。
《雨宮副隊長、十四歳とは思えないほど真面目ですね》
「年齢は関係ありません。それと、褒めても進行の遅れは帳消しになりません」
《蘭先輩が二人いる……》
「羽鳥さん!」
鋭い声が回線へ割り込んだ。
「あなたに三隊の管制を任せて、本当に大丈夫なんでしょうね!」
《神楽坂副隊長、もう少し私を信用してください!》
「今の挨拶を聞いて、どう信用しろというのですか!」
『玲。日和の進行が遅いのは、今に始まったことではない』
「碧様!?」
《さすが碧隊長。私のことをよく分かっていらっしゃる!》
『褒めてはいない。日和、概要を』
《はい! それでは、お手元の演習資料三ページ目をご覧ください!》
「一ページ目からではないんですか?」
奏が尋ねる。
《…………》
「日和先輩?」
《少々お待ちください。蘭先輩から渡された資料と、皆さんに送った資料でページの順番が違うみたいです》
「お前が並べ替えたんじゃねぇだろうな、ひよりん」
《見やすくしようと思って、少しだけ》
「戻せ!」
『細かいことはいいだろ。やることだけ教えろ、ひよりん!』
《空隊長なら、そう言ってくださると信じていました!》
「空隊長まで煽らないでください!」
『ひよりんさん。フレッシュなのは素晴らしいことですが、蘭が戻る前に資料は直しておいた方がよろしいですよ』
《桜隊長、笑顔で一番怖いことを言わないでください!》
『蘭に叱られるのは私ではありませんので』
《誰か助けてください!》
『日和』
騒がしかった回線を、碧の静かな声が制した。
『説明を』
《……はい》
日和の声から、ふざけた調子が消える。
各員の端末へ、模擬市街地の立体図と人員配置が送信された。
《本日の訓練は、複合倒壊事故を想定した救助演習です。三隊長は監督役。実働指揮官は堂前副隊長》
「了解」
《感知担当、雨宮副隊長。環境遮断、神楽坂副隊長。先行確認に鳴海隊員、防護に香坂隊員、地盤安定に土門隊員、環境観測に篠宮隊員を配置します》
蓮司が送られてきた編成表を確認する。
突入、感知、観測、防護、地盤の安定化。
三隊から選ばれた人員は、それぞれの役割を補い合っている。
「……意外とまともだな」
《“意外と”は余計です!》
「普段の行いだろうが」
《制限時間は二十分。模擬市街地内に残された要救助者十五名を全員救出してください。それでは各員、配置についてください!》
アストラ西部演習場。
住宅街を再現した模擬市街地には、崩れた建物や瓦礫、横転した車両が配置されている。
もちろん、本物の災害ではない。
瓦礫の下にいるのも、体温や心拍まで再現する救助訓練用の人形だ。
三隊長は、高所に設けられた監督区画から演習場を見下ろしていた。
空は腕を組み、明らかに不満そうな表情を浮かべている。
『なんであたしたちが見てるだけなんだ』
『副隊長と隊員の訓練ですから、仕方ありません』
桜がなだめる。
『あたしがやれば五分で終わる』
『それでは訓練になりません』
『三分かもしれない』
『時間の問題ではありません』
二人の隣で、碧は静かに演習場を見つめている。
演習開始を告げる電子音が鳴った。
《演習開始です! 皆さん、ガンガン行っちゃってください!》
「救助演習でガンガン行かせるな!」
蓮司が鎖を伸ばし、倒れた支柱へ杭を打ち込む。
「鳴海、先行しろ! ただし建物には入るな!」
「了解!」
鳴海颯真が地面を蹴った。
「瞬脚!」
星素が両脚を走り、一瞬で模擬市街地を駆け抜ける。
その後を、篠宮澄香が追う。
「露標」
透明な小球が無数に生まれ、崩れた建物の隙間へ入り込んでいく。
「第一棟に熱源三つ! 第二棟地下に二つ確認しました!」
「土門、第二棟の地盤を押さえろ! 香坂は第一棟へ!」
「了解」
「任せてください」
堂前の指示に、隊員たちが動く。
奏は目を閉じ、訓練用人形から発せられる擬似的な感情音声を聞き分けていた。
「西側の車両にも一人います。助けを求める声が、車体に残っています」
「神楽坂、退路の粉塵を止めろ!」
「言われるまでもありません!」
玲が絶対静界を展開する。
舞い上がっていた粉塵が境界で遮断され、救助経路の視界が開けた。
監督区画から見ていた空が、つまらなさそうに頬杖をつく。
『順調すぎるな』
『順調なのは良いことです』
桜が微笑む。
その直後だった。
日和の前に並ぶ画面の一つが、警告音とともに赤く染まった。
演習場ではない。
隣接する市営立体駐車場から、自動緊急通報が届いている。
監視映像が大きく揺れ、一階部分から大量の粉塵が噴き出した。
日和の表情が変わる。
《全員、演習中止!》
現場の動きが一斉に止まった。
《西側の市営立体駐車場で実事故が発生しました。建物の一部が崩落。内部に複数名が取り残されています》
蓮司が演習用の人形を下ろす。
「星能事案か?」
《現時点で異常な星素反応はありません。構造物の老朽化による事故と思われます》
空が監督区画の手すりへ足をかけた。
『あたしが行く』
《空隊長は待機してください!》
『あ? あたしが壁を抜いた方が早いだろ』
《現在の構造で空隊長が壁を殴ったら、駐車場が全部落ちます!》
『加減くらいできる!』
《皆さんで対応できないと判断したら、すぐお願いします。それまでは待機です!》
空の眉がわずかに動く。
普段なら一緒になって勢いづく日和が、明確に自分を止めている。
『……分かった』
《ありがとうございます》
日和はすぐに現場情報を整理する。
《堂前副隊長。演習班を、そのまま臨時救助班へ移行します。現場指揮をお願いします》
「了解した」
《実働隊員は現時刻をもって、実任務における星能行使を許可。三隊長は第二陣として待機してください》
日和が一度息を吸う。
《では改めまして――全員そろって帰ってきてください!》
「任せろ、ひよりん」
蓮司を先頭に、隊員たちが立体駐車場へ走った。
駐車場の一階部分では、天井を支える柱の一本が折れていた。
その影響で二階の床が傾き、駐車車両が次々と壁際へ滑っている。
入口付近で倒れていた警備員を、鳴海が抱き起こした。
「中に何人いますか!」
「点検業者が六人……それと、車へ戻った女性が一人……」
「七人です!」
鳴海から報告を受け、澄香が露標を放つ。
小さな透明球が、粉塵の中へ消えていく。
「三階に熱源四つ! 四階に三つです!」
《生体反応と一致。要救助者は計七名です》
日和の声が届く。
「土門、基礎を見ろ! 香坂は俺と中へ! 神楽坂は粉塵を止めろ!」
「了解!」
玲が入口を中心に絶対静界を展開した。
外へ噴き出していた粉塵と、内部へ流れ込もうとしていた風が止まる。
視界が確保され、救助経路が見えるようになった。
土門はひび割れた床へ両手を当てる。
「地縫」
基礎部分に走った亀裂が接合されていく。
「地面は持たせる! だが、折れた柱までは俺の星能では直せない!」
「分かってる!」
蓮司が鎖を放つ。
複数の杭が天井と残された柱へ突き刺さり、鎖が崩れかけた床をつり上げた。
「これで少しは持つ! 急げ!」
香坂が取り残された作業員の一人へ駆け寄る。
その頭上から、砕けた天井材が落下した。
「繭殻!」
半透明の殻が作業員を包み、落下物を受け止める。
「大丈夫です。この中にいれば、救出まで私が守ります」
一方、鳴海は瞬脚で階段を駆け上がろうとしていた。
「鳴海、止まれ!」
蓮司の声に、鳴海が足を止める。
「でも、まだ上に三人います!」
「速く動くことと、早く助けることは同じじゃねぇ! 床の荷重を確認しろ!」
鳴海の足元で、小さな亀裂が広がる。
あと一歩踏み込んでいれば、床ごと落下していた。
「……すみません」
「謝るのは帰ってからだ。今は指示を待て!」
「了解!」
統合管制室では、日和が建物の設計図と露標から送られる振動情報を重ねていた。
三階と四階をつなぐ東側非常階段。
見た目には損傷が少なく、最短の避難経路に見える。
だが、階段を支える接続部の数値が急速に悪化している。
《東側階段は使わないでください!》
澄香が振り返る。
「ですが、最短経路です!」
《だから人が集中します! 七人と救助隊員が一度に乗ったら、荷重に耐えられません!》
「では、どこから避難させる!」
蓮司が問う。
日和は設計図を切り替える。
立体駐車場の西側。
壁一枚を隔てた先に、アストラ演習場の整備用通路が延びている。
《四階西側へ移動してください。壁の向こうに演習場の整備通路があります!》
「壁を抜けってのか?」
《構造壁ではありません。そこなら壊して大丈夫です!》
「本当にいいんだな、ひよりん?」
《たぶん!》
「たぶんで壁を壊させるな!」
《図面上では絶対です!》
「どっちだ!」
《絶対寄りのたぶんです!》
「帰ったら覚えてろよ!」
蓮司が階段を駆け上がる。
東側非常階段を避け、要救助者を西側へ誘導する。
四階の壁へ二本の杭を打ち込み、鎖を勢いよく引いた。
壁が大きく崩れる。
その向こうに、演習場の整備用通路が現れた。
《合ってた!》
「お前が驚くな!」
日和が安全経路を指定し、誘導情報を送信する。
隊員たちの通信端末へ、淡い光の矢印が表示された。
《表示した経路に沿って進んでください!》
複数の矢印が、安全な退路を指し示す。
《光に沿って進んでください!》
「要救助者、四名通過!」
澄香が報告する。
香坂が繭殻で負傷者を守り、鳴海が整備通路の先まで誘導する。
奏は通路の壁へ手を触れた。
「一人、動けない人がいます。恐怖の声が、奥から聞こえます」
「場所は?」
「南西の車両内です!」
「鳴海!」
「了解!」
鳴海が光の矢印とは逆方向へ駆ける。
傾いた車両の中から、足を挟まれた女性を発見した。
蓮司の鎖が車体を固定し、香坂の繭殻が女性を包む。
「最後の一人、救出!」
《全員、西側通路へ! 東側階段が崩れます!》
隊員たちが整備通路へ飛び込む。
最後に蓮司が壁の穴を越えた。
その直後。
東側非常階段が轟音とともに崩落した。
駐車場全体が大きく揺れる。
だが、整備通路へ避難した七人と、救助に当たった隊員たちは全員無事だった。
事故発生から十九分。
取り残されていた七名は、全員が生きたまま救助された。
立体駐車場の一部は崩落したが、周辺への被害もない。
《建物は少し壊れましたけど、全員無事です! まあ結果オーライってことで》
「最初から崩れかけてたんだ。今回はお前のせいじゃねぇよ」
《堂前副隊長、今のって褒めました?》
「いい差配だった、ひよりん」
日和の返事が止まる。
《……もう一度お願いします。録音しますので》
「調子に乗るから二度と言わねぇ」
奏も通信へ入る。
「整備通路を使った判断は的確でした。意外です」
《雨宮副隊長、“意外”を外してください!》
「では、訂正します。非常に意外でした」
《悪化しています!》
監督区画で待機していた三隊長にも、救助完了の報告が届いた。
『やっぱり、ひよりんとは気が合うな! 次は最初からあたしも出せ!』
《空隊長を出す必要がないように指示するのも、管制官の仕事なんです!》
『あたしがいた方が早いだろ』
《早く壊す必要はありません!》
桜が小さく笑う。
『明るいだけでなく、素晴らしい指揮でした。フレッシュなのは良いことです!』
《ありがとうございます、桜隊長!》
碧も短く告げる。
『悪くない判断だ、日和』
《聞きましたか、皆さん! 碧隊長から“悪くない”をいただきました!》
「羽鳥さん!」
玲の鋭い声が飛ぶ。
「任務回線を私的な喜びに使わないでください!」
《神楽坂副隊長も、そろそろ私を褒めてくれていいんですよ?》
「まず、その軽い態度を改めなさい!」
《でも、全員無事でしたよ?》
「それとこれとは別です!」
日和は笑いながら、救助者と隊員の生体情報を確認していく。
七名の要救助者。
七名の実働隊員。
現場指揮を執った蓮司。
全員の表示が、生存を示す緑色へ変わっていた。
夕方。
三隊が本部へ帰還し、統合管制室から現場との通信が切れる。
各隊から提出された帰還報告を確認した日和は、最後の一件へ承認を入れた。
管制室には、もう彼女以外の声はない。
それでも日和は、任務中と同じように通信回線を開いた。
《本日の任務、これにて終了です。皆様、お疲れさまでした》
返事はない。
三隊は既に回線を離れ、それぞれの隊室や医療区画へ戻っている。
日和は全員の帰還表示を、もう一度だけ確かめた。
普段と変わらない明るい声で、最後に告げる。
《全員そろって帰ってきてくださって、ありがとうございました》
通信を終了する。
無人の管制席で、日和はようやく背もたれへ身体を預けた。
「……管制官って、こんなに疲れるんだ」
机の端には、蘭が残していった未処理の報告書が積まれている。
日和はそれを見なかったことにして、そっと視線をそらした。




