三十二話「極星のいない戦場」
最初の異常が観測されたのは、西部貨物区画だった。
無人倉庫の間を巡回していた警備員から、巨大な黒い影を目撃したという通報が入る。
直後、区域内に設置された三基の星素観測器が同時に途絶。
最後に送信された映像には、赤黒い星素を纏う上位星殻兵の姿が映っていた。
アストラ本部、統合管制室。
大型画面へ西部貨物区画の立体図が表示される。
「上位反応、一体。周辺に星殻兵と思われる反応が五体あります」
日和の報告を受け、蘭が現場周辺の情報を確認する。
「一般人は?」
「夜間作業員が二十三人。警備員を含め、十一人の避難を確認。残る十二人の位置は不明です」
「天衝隊へ緊急出動要請。空を直接現場へ向かわせて。先行班には避難経路の確保を――」
指示を出しかけた蘭の前で、別の警告が表示された。
北部山岳地帯。
急激な気圧低下と地脈の異常。
まだ雨雲すら形成されていないにもかかわらず、局地的な落雷が連続して発生している。
山中に点在する集落では、地面から異常な量の星素が噴き出していた。
「蘭さん!」
「見えてる」
蘭は北部の観測情報を別画面へ展開した。
「自然現象じゃない。複数の環境系星能が、無秩序に重ねられてる」
「このままでは、山岳地帯全域へ広がります」
「森羅隊へ連絡。碧に現場指揮を任せる。近隣集落の避難も同時に開始して」
日和が森羅隊との回線を開く。
その直後。
三つ目の警告が、統合管制室へ響き渡った。
南部居住区。
同一集合住宅に住む複数の住民が、同時に錯乱状態へ陥った。
通報を受けて駆けつけた星務庁職員二名も、建物へ入った直後から連絡が途絶えている。
日和が息を呑む。
「精神系の異常反応……現在も増加中です」
「対象人数は?」
「確認できるだけで六十八人。集合住宅の周辺でも、同じ反応が出始めています」
「心導隊を出す」
三件。
どれも、一般部隊だけでは対応できない規模だった。
蘭は迷わず、三つの通信回線を同時に開いた。
《空。西部貨物区画に上位星殻兵。取り残された作業員が十二人いる》
『分かった。位置を送れ』
《送信済み。先行班と合流して》
『三分で着く』
《碧。北部山岳地帯で環境異常。地脈、気圧、雷が同時に乱れてる》
『自然発生ではないのね』
《うん。森羅隊はもう出動準備に入ってる》
『合流する。集落の避難経路を先に送って』
《桜。南部居住区で集団精神汚染。確認できるだけで六十八人》
『発生源は分かっていますか』
《まだ。星務庁職員も二人、内部で反応を失ってる》
『心導隊の先行班を向かわせてください。私もすぐに出ます』
三人の返答に、迷いはなかった。
空。
碧。
桜。
異なる三つの系統で、それぞれ頂点に立つ極星。
三人の位置情報が、本部から別々の方向へ移動を始める。
西へ。
北へ。
南へ。
蘭は画面を見つめながら、僅かに眉を寄せた。
「重なりすぎてる……」
「え?」
「何でもない。各現場との回線を維持して」
「はい」
三件に因果関係は確認できない。
発生地点も、異常の性質も違う。
それでも蘭の胸には、拭いきれない違和感が残った。
極星三人を、違う方向へ引き離すような配置。
だが今は、根拠のない疑念へ割ける時間はない。
それぞれの現場には、助けを待つ人々がいる。
蘭が西部貨物区画へ救護班を手配しようとした、その時だった。
四つ目の警告が表示された。
これまでの三件とは異なる、低く長い警報音。
統合管制室の空気が変わる。
「星魔反応です!」
日和が反応地点を拡大する。
「中央第七再開発区域。星素濃度、急速に上昇!」
「規模は?」
「まだ確定できません。ただし、地下から地上へ向かって反応が拡大しています」
画面に映し出されたのは、旧市街を取り壊し、新たな複合施設を建設している区域だった。
完成した高層棟。
建設途中の商業施設。
解体されずに残っている旧建造物。
地上と地下に、異なる年代の構造が複雑に入り組んでいる。
「区域内に作業員と住民が残っています」
「避難状況は?」
「把握できていません。現地の管理設備が、星魔反応と同時に停止しました」
蘭は、配置可能な部隊を確認した。
天衝隊は西。
森羅隊は北。
心導隊は南。
三人の極星は、既に本部を離れている。
今から呼び戻せば、それぞれの現場で被害が広がる。
何より、再開発区域の星魔が待ってくれる保証はない。
蘭は残存戦力の一覧から、一人の名を選んだ。
《彩乃先輩。聞こえますか》
「聞こえてる。四件目ね」
返答は早かった。
創雅隊隊室。
鷲宮彩乃は既に白い制服へ袖を通し、左腕へ金色の隊長腕章を巻いていた。
柔らかく波打つピンク色の長い髪を背中へ流し、端末に表示された再開発区域の構造図を見つめている。
《中央第七再開発区域に星魔反応。極星三人は別件で出動済みです》
「市民は残ってる?」
《正確な人数は不明です。作業員と周辺住民が区域内にいる可能性があります》
「分かった。創雅隊を出す」
《現場全体の指揮をお願いできますか》
彩乃は一瞬だけ目を閉じた。
極星はいない。
星魔の規模も、市民の人数も不明。
建設途中の区域は、一度崩れ始めれば被害範囲の予測が難しい。
容易な任務ではない。
だが、彩乃の表情に迷いは浮かばなかった。
「使える戦力を送って。いない人の話をしても、現場は待ってくれないから」
《編成候補を送ります》
彩乃の端末へ、複数の名前が表示された。
片桐茜。
獅堂蓮司。
雨宮奏。
鏡涼介。
香坂真琴。
いずれも本来の所属は異なる。
能力も、戦い方も違う。
即席の混成部隊。
彩乃は全員の情報へ目を通すと、端末を閉じた。
「十分よ」
◇
アストラ本部、第一出動区画。
創雅隊員たちが輸送車両へ乗り込んでいく。
車両の前には、今回招集された隊員が並んでいた。
創雅隊副隊長、片桐茜。
天衝隊副隊長、獅堂蓮司。
心導隊副隊長、雨宮奏。
天衝隊へ入隊したばかりの鏡涼介。
そして、天衝隊の香坂真琴。
全員の視線が、正面に立つ彩乃へ集まる。
「今回の任務は、中央第七再開発区域に出現した星魔の討伐。それから、区域内に残された市民の救助です」
彩乃が端末を操作し、周囲の壁面へ区域図を表示する。
「現地の管理設備は停止しています。市民の人数と位置は不明。建物も、どこまで星魔の影響を受けているか分かりません」
「ずいぶん情報が少ねえな」
蓮司が区域図を見上げる。
「現地で確かめるしかねえか」
「そうなります。私が全体を見ます。蓮司副隊長は前衛の戦術指揮をお願いします」
「了解」
「茜は創雅隊員を率いて、外周から避難経路を確保。現地の構造に異常があれば、すぐに報告して」
「任せとき。道がないなら、うちらで作ったらええんやろ」
「ええ。ただし、先に入りすぎないで」
「分かっとるって」
茜が快活に笑う。
彩乃は隣へ視線を移した。
「奏さんには、区域内の残響を探ってもらいます。現行の構造だけでは判断できない場合、《リプレイ》をお願いするかもしれません」
「分かりました」
「ただし、私の指示までは発動しないでください」
「はい」
奏の《リプレイ》は、建物を修復する能力ではない。
その場所に過去存在していた構造を、現在の空間へ一時的に重ねる造形系クラフト。
崩落した柱。
失われた床。
撤去された連絡路。
過去の形を正確に選べれば、失われた経路を一時的に取り戻すことができる。
だが、再開発区域には新旧の建物が複雑に重なっている。
誤った過去を現在へ重ねれば、かえって構造を不安定にする危険があった。
彩乃は、涼介へ目を向ける。
「鏡さん」
「はい」
「あなたには、蓮司副隊長の指揮下で前衛に入ってもらいます」
「了解しました」
「星魔の核が確認できても、単独では動かないでください」
涼介の返事が一瞬だけ遅れた。
士官学校襲撃の際、自分の判断を優先して避難命令を破った。
助けられた人間はいる。
だが、自分を狙う上位個体を医療区画へ引き寄せたのも事実だった。
入隊後、何度も言われてきた。
一人で戦うな。
自分だけで決めるな。
「必ず、指示を待ちます」
「お願いします」
最後に、彩乃は真琴を見た。
「マコは救助班と中央区画へ。構造を見て危険だと判断したら、私を待たずに経路を変えて」
「分かったわ、鷲宮隊長」
「無理だけはしないで」
真琴が僅かに笑う。
「それは、お互いさまでしょう?」
「そうね」
二人の間に、それ以上の説明は必要なかった。
同じ士官学校で学んだ、第31期の同期。
同じ造形系として、何度も互いの構築を見てきた。
彩乃は、真琴がどこまで耐えられるかを知っている。
真琴も、彩乃が何を守るために構造を組むのかを知っている。
「極星三人は、全員別の現場へ出ています」
彩乃が全員を見渡す。
「応援は、すぐには来ません」
誰も口を挟まなかった。
「だからといって、任務の目的は変わらない。星魔を倒す。市民を救う。そして、ここにいる全員で帰還します」
彩乃が輸送車両へ向き直る。
「創雅隊、出動します」
◇
中央第七再開発区域。
現場へ近づくにつれ、車両の振動が激しくなった。
地震ではない。
地面の下を、何か巨大なものが移動しているような揺れ。
窓の外には、建設用クレーンと高層棟が並んでいる。
そのさらに奥。
赤黒い星素が、地面から煙のように噴き上がっていた。
「観測値より濃いな」
蓮司が窓越しに外を見る。
「現地へ着くまでの間にも成長してやがる」
「星魔反応の中心は、地下工事区画です」
奏が端末へ表示された波形を確認する。
「でも、残響が広すぎます。区域全体へ何かが引きずられたような……」
「星魔が移動してるのか?」
涼介が尋ねる。
「分かりません。現在の反応と、ここに残っている過去の反応が重なっています」
奏は窓の外へ視線を向けた。
完成した建物。
建設途中の骨組み。
解体を待つ古いビル。
同じ土地に、複数の時代が積み重なっている。
「ここ、声が多すぎる」
「無理に拾わなくていいわ」
真琴が奏へ告げる。
「必要なものは、現場へ着いてから選びましょう」
「はい」
先頭車両が急停止した。
直後、前方から金属が軋む音が響く。
「何や!?」
茜が扉を開ける。
建設途中の高架通路が、道路側へ傾いていた。
支柱の一部が赤黒く変色し、内部から砕け始めている。
その下には、避難しようとしている作業員たちがいた。
「全員、降車!」
彩乃の指示と同時に、隊員たちが車外へ飛び出す。
「マコ!」
「見えてるわ!」
高架通路から、鋼材とコンクリート片が落下する。
真琴が作業員たちの前へ走り込み、両手を広げた。
白い星素が地面から立ち上がる。
造形系クラフト――《繭殻》。
滑らかな白い殻が作業員たちを包み込み、降り注いだ破片を受け止める。
轟音。
殻の表面に、細かな亀裂が走る。
それでも内部には届かない。
「このままでは、高架そのものが落ちます!」
「支点は二か所!」
彩乃が傾いた構造を見上げる。
基礎部分は既に崩れている。
元の柱へ補強を加えても間に合わない。
ならば、支える位置そのものを変える。
彩乃が右手を上げた。
造形系クラフト――《白亜》。
地面を突き破り、白い鉱石状の柱が二本伸びる。
一本は傾いた高架の中央を支え、もう一本は斜めに伸びて荷重を地面へ逃がす。
崩れかけていた高架通路が、空中で止まった。
「マコ、今のうちに!」
「避難させるわ。皆さん、私の声が聞こえますか!」
真琴が繭殻の一部を開く。
「走れますか?」
「は、はい!」
「白い通路から外れないで。前の人を押さずに進んでください!」
彩乃が作業員たちの前へ、白亜の足場を形成する。
瓦礫に塞がれていた道路の上へ、白い仮設通路が伸びていく。
「茜、出口をお願い!」
「了解や! こっちやで! 足元見て、慌てんと進んで!」
茜が創雅隊員を率い、作業員たちを区域外へ誘導する。
最後の一人が通路を渡りきった直後。
白亜の柱へ、高架全体の重量がかかった。
低い亀裂音が響く。
「鷲宮隊長、長くは保たないわ」
「分かってる。全員、距離を取って!」
真琴が繭殻を解除する。
彩乃も作業員たちが安全圏へ到達したことを確認し、白亜の柱を崩した。
支えを失った高架通路が、誰もいない道路へ落下する。
地響きとともに、粉塵が周囲へ広がった。
「怪我人は?」
彩乃が尋ねる。
「全員無事よ」
「さすがやなあ。相変わらず息ぴったりやん」
茜が笑いながら戻ってくる。
「学生ん頃から、こんな感じやったん?」
「もっと失敗してたわ」
真琴が答える。
「彩乃が作った壁を、私が内側から押し潰したこともあるもの」
「マコ。それは言わなくていいから」
「鷲宮隊長にも、そんな時期があったんですね」
涼介が思わず口にする。
「鏡さん」
「はい」
「今の話は忘れてください」
「了解しました」
彩乃の穏やかな声に、僅かな圧が混じる。
蓮司が小さく笑った。
「昔話は帰ってからにしろ。お客さんだ」
粉塵の向こうで、赤黒い光が灯る。
一つ。
二つ。
三つ。
人の形を模した黒い外殻。
星殻兵。
高架の落下音に引き寄せられた様子はない。
最初から彩乃たちが来ることを知っていたように、道路の三方向から姿を現した。
「星殻兵、確認!」
創雅隊員が声を上げる。
「正面二体、右側通路に三体!」
「左の建物内にもいます」
奏が顔を上げる。
「感情は聞こえません。でも、星素の動きが残っています」
「合計は?」
「少なくとも七体です」
蓮司が一歩前へ出る。
「涼介、俺から離れるな」
「了解!」
「茜。右を頼めるか」
「二体まではいける。残りは創雅隊で抑えるわ」
「無理に倒す必要はありません」
彩乃が区域図を確認しながら告げる。
「市民の避難路を守ることが最優先です。進路から外れる個体は追わないで」
星殻兵が一斉に動いた。
だが、その頭部が向いた先は彩乃たちではない。
先ほど作業員を逃がした、白亜の仮設通路。
「避難路を狙ってる?」
涼介が拳を構える。
「違う」
蓮司が答える。
「壊す気なら、最初から高架ごと落とせた」
一体の星殻兵が、仮設通路の前へ立つ。
別の二体が、区域中心部へ続く道路を塞ぐ。
残る個体は建物の間へ散開し、彩乃たちの進行方向だけを封じていく。
市民を追わない。
星魔にも近づかない。
アストラの動きだけを妨害している。
「こいつら、時間を稼いどるんか?」
茜の言葉に、彩乃の表情が変わる。
「何かを待っている……?」
その時。
区域の中心部から、強い振動が届いた。
地面へ大きな亀裂が走る。
建設途中の商業施設が、地下から突き上げられるように揺れた。
赤黒い星素が一気に噴き出し、周囲の鋼材やコンクリート片を巻き上げる。
巨大な影が、地下工事区画から地上へ姿を現した。
星魔。
人とも獣とも判別できない輪郭。
凝縮された赤黒い星素が、周囲の構造物を呑み込みながら膨張していく。
その中心で、脈打つ核の反応。
「星魔を確認!」
日和の声が通信から届く。
《反応値、上昇を続けています!》
「区域内の市民反応は?」
《少なくとも三か所! 北側商業棟、旧地下通路、それから星魔反応の南側です!》
「討伐班と救助班を分けます」
彩乃が即座に判断する。
「蓮司副隊長、鏡さんを連れて星魔へ。茜は創雅隊と避難経路を維持。マコは北側商業棟の救助をお願いします」
「了解」
「任せとき!」
「分かったわ」
「奏さんは私と――」
彩乃の言葉が止まった。
奏が、星魔とは別の方向を見ていた。
崩れかけた高層棟の上層。
風に流される粉塵の向こう。
人影が一つ、建物の縁に立っている。
「奏さん?」
「人がいます」
「市民?」
「違います」
奏が目を閉じる。
周囲に残る無数の感情。
恐怖。
混乱。
逃げたいという衝動。
その中に、一つだけ異なる感情があった。
恐れている。
だが、逃げようとはしていない。
怒っている。
だが、アストラへ向けられたものではない。
何かを守ろうとする意志と、自分自身を試そうとする意志。
二つが、同じ人間の中に存在している。
「星魔を見ています」
人影が高層棟から飛び降りた。
「何や、自殺する気か!?」
茜が駆け出そうとする。
だが男の身体は地面へ叩きつけられなかった。
着地の直前。
男の全身を覆うように、硬質な構造物が展開される。
衝撃が地面へ広がり、周囲の瓦礫が浮き上がった。
造形系クラフト。
身体を守る殻のような装甲。
その形を、彩乃たちは知っていた。
《人物照合、完了しました》
通信越しの蘭の声が、低くなる。
《瀬川直人です》
涼介が目を見開く。
「瀬川直人……?」
アストラの保護下から姿を消した男。
強制的にクラフトを発現させられ、それでも自我を失わなかった成功例。
黒瀬迅によって連れ去られ、行方が分からなくなっていたはずの人間。
直人はアストラへ攻撃を仕掛けない。
逃げ惑う市民にも、武器を向けない。
《護殻》に覆われた腕を上げ、星魔へ向かって構える。
「待って!」
彩乃が呼びかける。
「あなたの目的は何?」
直人は答えなかった。
星魔が咆哮する。
再開発区域全体が、大きく揺れた。
赤黒い星素が膨れ上がり、直人へ向かって押し寄せる。
直人は退かない。
その背中は、星魔を倒そうとしているように見えた。
だが、星殻兵は直人を襲わない。
むしろ彼が星魔へ到達できるように、アストラの進路を塞いでいる。
味方ではない。
単純な敵とも言い切れない。
彩乃が右手を上げ、全隊員を制止する。
「動かないで」
直人の《護殻》へ、赤黒い星素が触れた。
殻の表面を流れた光が、男の身体へ吸い込まれていく。
直人が地面を蹴る。
星魔へ向かって、真っ直ぐに駆け出した。
極星のいない戦場で。
アストラの知らない実験が、始まろうとしていた。




