三十一話「星脈の現在地」
午後六時四十分。
アストラ本部、医療区画。
星脈精密検査室の前に設けられた待合室で、鏡涼介は壁際の長椅子へ座っていた。
入隊時の簡易検査は既に終えている。
今日行われるのは、星素の保有量だけでなく、星脈の構造や循環経路、星能回路への接続までを調べる精密検査だった。
廊下の奥から、二人分の足音が近づいてくる。
涼介が顔を上げた。
白い制服。
短い黒髪。
左腕に巻かれた金色の隊長腕章。
九条桜。
その隣を、雨宮奏が歩いている。
「九条隊長。雨宮副隊長」
『お待たせしました、鏡さん』
「いえ。俺も今来たところです」
涼介は立ち上がり、自分が座っていた場所を奏へ譲った。
「どうぞ」
奏が涼介を見上げる。
「年下だから席を譲ろうとしているなら必要ありません」
「副隊長だからです」
「……そうですか」
奏は長椅子へ座った。
だが、その視線は涼介から離れない。
「まだ怒ってるんですか?」
「怒っていません」
「睨みながら言われても説得力ないですよ」
「誰のせいだと思っているんですか」
涼介は返す言葉に詰まった。
先日、奏の年齢を知った際に、十四歳の少女が副隊長であることへ驚きすぎた。
それだけならまだよかった。
無意識に子供へ接するような態度を取ったことで、奏の機嫌を完全に損ねている。
桜は二人のやり取りを、穏やかな笑みを浮かべながら見守っていた。
「九条隊長も検査を受けるんですか?」
『いいえ。私は奏の付き添いです』
「付き添い……」
涼介が奏を見る。
奏の眉が僅かに動いた。
「何か言いたそうですね」
「いえ、何も」
『奏は、その類い稀な力を認められ、特例でアストラへ入隊しています』
桜が涼介へ説明する。
『ですが、十八歳未満の隊員は、未成年者保護規定によって午後八時以降の任務を禁止されています。今日の検査は任務ではありませんが、ツインズ覚醒後、初めて行う精密検査です』
「だから九条隊長が?」
『はい。上官として、私が付き添っています』
「なるほど」
奏は士官学校へ入学していない。
通常の入隊経路も通っていない。
それでも心導隊の副隊長を任されている。
年齢だけを見れば十四歳の少女。
だが、能力と実績を見れば、アストラでも代わりのいない星能者だった。
検査室の扉が開いた。
白衣を着た検査担当者が、端末を片手に姿を見せる。
「鏡涼介さん。準備が整いましたので、検査室へお入りください」
「はい」
涼介が扉へ向かう。
その背中へ、奏が声をかけた。
「鏡さん」
涼介が振り返る。
「何ですか?」
「検査装置を壊さないでください」
「壊しませんよ」
「士官学校では、壁を壊したと聞いています」
「あれは敵に壊されたんです」
「床は?」
「……俺です」
「やはり気をつけてください」
奏の表情は真剣だった。
涼介は何も言い返せないまま、検査室へ入った。
◇
円筒状の検査装置の中央に、涼介が立つ。
両手首、胸部、首筋へ、星素測定用の端子が取りつけられた。
足元の環状装置が淡い光を放つ。
「最初に、平常時の星素循環を測定します。身体の力を抜いて、そのままお待ちください」
「分かりました」
装置が作動する。
涼介の身体を、淡い光が下から上へ通り抜けていく。
星脈の形。
星素が流れる方向。
星能回路へ接続する位置。
それらが読み取られ、検査室の画面へ青白い線として表示された。
「続いて、クラフトを発動してください。まずは筋力強化からお願いします」
「はい」
涼介が右腕へ星素を集める。
物理系クラフト――「剛脈」。
星脈を流れる星素が、右腕へ集中した。
「次は速度」
星素が脚部へ移る。
「反応速度」
頭部から全身の神経へ、星素が細く巡る。
「最後に耐久強化をお願いします」
全身の骨格と筋肉を、青白い星素が覆った。
画面へ表示された星脈の流れが、涼介の意思に応じて次々と形を変えていく。
担当者が数値を確認する。
「終了です。クラフトを解除してください」
涼介が星素を鎮めた。
「結果は?」
「雨宮奏さんの検査終了後、お二人へまとめてご説明します。先に待合室へお戻りください」
「分かりました」
◇
涼介が検査室から出ると、奏が立ち上がった。
「壊しませんでしたか?」
「信用なさすぎません?」
「事実を確認しただけです」
『奏。次はあなたですよ』
「はい、桜隊長」
奏が検査室へ入る。
桜も観測室側へ向かった。
涼介は再び長椅子へ腰を下ろす。
検査室の扉は閉ざされ、内部の様子を見ることはできない。
だが、検査が始まって間もなく、扉の向こうから二つの異なる星素反応が伝わってきた。
一つは、場所や物へ残された感情の残響を聞き取る星能。
もう一つは、ツインズとして新たに発現した星能。
二つの星能回路が、奏の中で別々に動いている。
それでも、放たれる星素の起点は一つだった。
約二十分後。
検査室の扉が開いた。
先に桜が出てくる。
その後ろから現れた奏に、目立った疲労は見られなかった。
「終わりましたか?」
「はい」
「どうでした?」
「結果は、これから説明すると言われました」
『鏡さんも一緒に、説明室へ入ってください』
桜に促され、三人は隣の部屋へ移動した。
◇
説明室の壁面には、二人分の検査結果が並べて表示されていた。
青白い線で描かれた星脈。
循環する星素。
そこから枝分かれする星能回路。
涼介と奏が並んで座り、桜は奏の隣へ腰を下ろす。
検査担当者が端末を操作した。
「お待たせいたしました。お二人の測定と解析が終了しましたので、順番にご説明します」
最初に、涼介の検査結果が拡大される。
「まず、鏡涼介さんです」
画面中央へ、測定値が表示された。
「保有星素量は――一万二百St」
涼介の目が僅かに見開かれる。
「一万を超えた……」
「つい先日まで士官学生だった方とは思えない、非常に高い数値です。士官学校に残されていた直近の記録と比較しても、襲撃時の戦闘を経て増加しています」
上位個体との戦闘。
星素を筋力だけへ集中させるのではなく、速度、反応、耐久へ瞬時に切り替えた。
これまでとは違う星素の使い方が、涼介の星脈にも変化を与えていた。
「そして、星脈の成長段階は第二段階。通称、原始星です」
「第二段階……」
奏が画面を見る。
「一万二百Stも持っているのに、第二段階なのですか?」
「雨宮副隊長。保有星素量と、星脈の成長段階は別の指標なんです」
涼介が答えた。
奏が隣を見る。
「別なのですか?」
「はい。保有星素量は、その人が身体の中へどれだけ星素を蓄えられるか。星脈の成長段階は、星素を巡らせる構造がどこまで完成しているかを表します」
「星素が多ければ、星脈も成長するわけではないのですね」
「影響はします。でも、必ず同じように成長するわけではありません」
涼介は画面に表示された自分の星脈へ目を向けた。
「第一段階は『分子雲』。星脈が形成され始めた状態です。星素の流れがまだ散らばっていて、安定した循環経路を作れていません」
奏は黙って説明を聞いている。
「第二段階が、俺の『原始星』。星素を集める核と、身体へ巡らせる経路が形になり始めています。クラフトを安定して使えるようになるのも、基本的にはこの段階からです」
「では、第三段階は?」
「『主系列星』です。星脈の循環経路が一つの輪として完成して、供給と回収を安定して行える状態です。一般的には、ここが星脈の完成形だとされています」
「なるほど」
奏が小さく頷く。
「星脈って、三段階に分かれるんですね」
「いえ、三段階ではありませんよ」
涼介が答える。
「現在は、第四段階まであります」
奏の視線が、再び涼介へ向く。
「第四段階?」
「第三段階で完成するはずの循環経路を、独立した形で複数持つ星脈です」
涼介はそこで一度言葉を切った。
「第四段階――『多重循環』。通称、極星です」
奏が、隣に座る桜を見る。
桜は何も誇ることなく、普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべている。
物理系の獅堂空。
精神系の九条桜。
環境系の天城・イワノワ・碧。
三人だけが認定されている、第四段階の星脈。
極星。
「極星という区分が正式に定められたのは、第三十六期士官学校の入学検査です」
検査担当者が、涼介の説明を引き継いだ。
「獅堂空隊長と九条桜隊長は、入学以前から第三段階へ到達していました。しかし、完成した星脈の内側に、当時の基準では説明できない複数の循環経路が確認されていたのです」
「その時点では、第四段階ではなかったのですか?」
「はい。お二人にしか見られない個別の異常として処理されていました」
担当者が、別の記録を画面へ表示する。
「その後、第三十六期の入学検査を受けた天城・イワノワ・碧隊長にも、同様の構造が確認されました。系統の異なる三名が、複数の独立した循環経路を持っていた。それによって初めて、個人固有の異常ではなく、星脈の新たな成長段階であると認められました」
空と桜は、既に第三段階へ到達していた。
そこへ、無名だった碧が現れた。
三人の星脈構造が同時に再検証され、第四段階「多重循環」として認定された。
そして、三人へ与えられた呼び名が極星だった。
「九条隊長は、入学する前から……」
涼介が桜を見る。
『検査に時間がかかったことは覚えています』
桜は静かに微笑んでいる。
第四段階の星脈を持つ本人が目の前にいるというのに、その口調には僅かな自慢すらなかった。
「続いて、雨宮奏さんの結果をご説明します」
画面が切り替わる。
二つに枝分かれした星能回路と、その両方へ星素を送る一本の循環経路が表示された。
「保有星素量は――三万一千六百St」
涼介が固まった。
「三万……」
「ツインズ覚醒前に記録された保有星素量は、一万四千百Stです。覚醒後、保有上限が大幅に上昇しています」
奏自身も、表示された数値を見つめていた。
以前の二倍を超えている。
「俺の一万二百Stが、一瞬で霞みましたね」
「張り合っていたのですか?」
「少しくらい喜ばせてください」
「一万を超えているのですから、十分に高い数値ではありませんか」
「雨宮副隊長に言われると、慰めにしか聞こえないんですよ」
「事実を言っただけです」
奏は本気でそう思っているらしい。
検査担当者が説明を続ける。
「星脈の成長段階は、第三段階。主系列星へ移行しています」
「第三段階……」
「ただし、ツインズの覚醒によって第三段階へ移行したのか、第三段階への移行がツインズの覚醒を促したのか、現時点では判断できません。前例が極めて少ないため、今後も経過観察が必要です」
奏は画面に表示された二つの星能回路を見る。
「私にも二つの星能回路があるなら、第四段階ということになるのですか?」
「いいえ。ツインズと極星では、星脈の構造が異なります」
担当者が二つの模式図を並べた。
一方は、一本の大きな輪から二方向へ伸びる星能回路。
もう一方は、それぞれが独立して循環する複数の輪。
「雨宮さんの星脈に存在する完成した循環経路は、一つです。その一つの経路から、二つの星能回路へ星素が分岐しています。これがツインズです」
画面上で、奏の星脈から二つの回路へ星素が流れる。
「対して極星は、独立して完成した循環経路そのものを複数持っています。それぞれの循環が星素を供給し、回収し、再び巡らせることができる。星能回路の数ではなく、完成した星脈循環の数が違うのです」
「二つの星能を持つことと、二つの星脈を持つことは同じではない……」
「そのとおりです。雨宮さんは第三段階の星脈から、二つの星能回路へ星素を供給しています」
奏が、自分の胸元へ手を置く。
一つの星脈。
二つの星能。
覚醒によって増えた星素量。
奏自身にも、まだ知らない変化が身体の中で起きている。
『何か違和感があれば、すぐに私へ伝えてください』
桜が奏へ告げる。
「はい、桜隊長」
『数値が上がったからといって、無理に使う必要はありません』
「分かっています」
『本当に?』
「……善処します」
『約束してください』
「約束します」
桜はようやく安心したように微笑んだ。
検査担当者が二人分の記録を閉じる。
「本日の説明は以上です。詳細な検査記録は、後ほど各部隊の医療担当者へ共有します」
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
涼介と奏が同時に頭を下げた。
◇
医療区画を出たところで、桜の戦術端末に連絡が入った。
『申し訳ありません。書類へ署名してきますので、二人ともここで待っていてください』
「分かりました」
「はい」
桜が検査室へ戻る。
廊下には、涼介と奏だけが残された。
僅かな沈黙。
先に口を開いたのは、奏だった。
「鏡さん」
「はい」
「先ほどの説明は、分かりやすかったです」
涼介は僅かに目を見開く。
奏は正面を向いたまま、涼介を見ようとしない。
「どういたしまして」
「ですが、子供扱いしたことを許したわけではありません」
「まだ駄目なんですか」
「当然です」
奏はそう答え、検査室の前へ置かれた長椅子へ座った。
涼介も、その隣へ腰を下ろす。
今度は席を譲らなかった。
奏も、何も言わなかった。
◇
同時刻。
アストラ本部の内部回線を流れる、二人分の検査記録。
本来なら医療区画と各部隊の担当者にしか閲覧できないデータが、記録にも残らない経路へ複製されていた。
暗号化された情報が、秘匿回線を介して外部へ送信される。
送信先の端末には、二人の名前が並んでいた。
雨宮奏。
鏡涼介。
四宮が、奏の検査結果を開く。
「雨宮奏は、自然に複系統化した成功例」
保有星素量、三万一千六百St。
第三段階、主系列星。
一つの完成した星脈から、二つの星能回路へ分岐している。
人為的な処置を受けることなく、星脈が自ら新たな回路を獲得した。
「覚醒前後の記録も揃っている。複系統化が星脈へ与える変化を調べるには、これ以上ない資料だ」
画面が切り替わる。
鏡涼介。
保有星素量、一万二百St。
第二段階、原始星。
GIFTED適合率――九一・四パーセント。
「鏡涼介は、第二段階。星脈はまだ完成していない」
四宮の言葉に、久世が画面へ目を向ける。
「だからこそ、作り替えられる」
第三段階へ到達すれば、星素の循環経路は閉じる。
星脈は完成し、外部から構造へ干渉することが難しくなる。
だが、涼介はまだ第二段階。
循環経路は形成の途中にある。
完成していないからこそ、別の形へ導く余地が残されている。
四宮が、涼介の検査記録を拡大した。
「適合率九一・四パーセント。これ以上の候補は、簡単には見つからない」
「問題は、いつ第三段階へ移行するかだ」
「士官学校襲撃時の戦闘で、星脈の成長速度が上がっている。このままアストラで実戦を重ねれば、遠くないうちに主系列星へ到達する」
久世が、完成へ近づきつつある星脈を見つめる。
現在は、第二段階。
だが、その現在地に留まる時間は長くない。
四宮が端末を閉じた。
「確保するなら、その前だ」




