二十九話「人の集まる場所」
鏡涼介の天衝隊配属が正式に決定した翌日。
アストラ本部には、緊急出動を知らせる警報も、管制官からの招集もなかった。
任務のない一日。
涼介に与えられた最初の仕事は、本部内の施設と、これから共に働く隊員たちを覚えることだった。
「まずは食堂に行こうか」
鳴海颯真が、廊下の先を指す。
「この時間なら、他の隊の人たちもいると思う」
「挨拶をするんですよね」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。任務中じゃなければ、みんな普通だから」
「空隊長と蓮司副隊長は、朝から言い争っていましたけど」
「それが普通なんだよ」
「……そうなんですか」
「うん。天衝隊ではね」
士官学校にいた頃、涼介にとってアストラは遠い存在だった。
教科書に記された任務記録。
広報映像に映る隊員たち。
極星を筆頭に、国内最高峰の星能者が集まる組織。
昨日、その一員になった。
正式な隊員証も、天衝隊の隊章が刻まれた戦闘制服も受け取っている。
それでも、自分がここにいるという実感はまだ薄かった。
颯真が食堂の扉を開く。
昼前の食堂には、既に多くのアストラ隊員が集まっていた。
天衝隊。
心導隊。
森羅隊。
そのほかにも、創雅隊や界航隊の制服が見える。
「いた」
颯真が奥のテーブルへ目を向ける。
四人の男女が向かい合って座っていた。
九条桜。
雨宮奏。
柊木伊織。
鳴海斗真。
心導隊の隊員たち。
桜は涼介を見ると、自分から席を立った。
『鏡涼介さんですね。正式なご入隊、おめでとうございます』
「ありがとうございます」
涼介は慌てて頭を下げた。
「俺を知っているんですか?」
『はい。士官学校襲撃時の報告書を拝見しました。空からも、少しだけお話を聞いています』
「空隊長が、俺のことを?」
『ええ。詳しいお話ではありませんでしたけれど』
涼介が颯真を見る。
颯真は苦笑しながら、小声で補足した。
「隊長の説明は、短かったけどね」
「何と言っていたんですか」
「『弱えし、無茶するし、命令も破る。けど使える』って」
「……それだけですか」
「それだけ」
褒められているのか、けなされているのか分からない。
だが、空が自分を戦力として認めたことだけは伝わる。
桜が柔らかく微笑んだ。
『改めまして、心導隊隊長の九条桜です。これからよろしくお願いします』
「よろしくお願いします、九条隊長」
テレビや広報映像で、何度も見た顔。
心導隊を率いる精神系の極星。
記者会見では、常に穏やかな表情で質問へ答えていた。
けれど、実際に目の前で微笑まれると、映像とは印象が違う。
声も。
表情も。
纏う空気も、思っていたよりずっと柔らかい。
――やっぱり、かわいい……。
その瞬間、伊織が涼介の顔を覗き込んだ。
「今、桜隊長を見て、かわいいと思いました?」
「えっ」
「図星ですね」
「なぜそう思ったんですか」
「顔に出ています」
涼介は咄嗟に桜から視線を逸らした。
『伊織さん。初対面の方を困らせてはいけません』
桜は困ったように笑う。
「すみません。ただ、あまりに分かりやすかったので」
「忘れてください」
「難しいですね」
そのやり取りを見ながら、斗真が笑っている。
桜の隣に座る少女だけは、涼介へ疑いの目を向けていた。
その左腕には、銀色の副隊長腕章が巻かれている。
小柄な身体。
幼さの残る顔立ち。
それでも、副隊長章が偽物でないことは分かる。
「そっちの子も、心導隊なんですか?」
少女の眉が動いた。
「そっちの子?」
「鏡さん」
斗真が小声で止めようとする。
「その呼び方は――」
「心導隊副隊長、雨宮奏です」
斗真の忠告は間に合わなかった。
「副隊長?」
涼介は奏と銀色の腕章を見比べる。
「失礼ですけど、何歳ですか」
「十四歳です」
「十四!?」
涼介の声が食堂へ響いた。
近くにいた隊員たちが一斉に振り返る。
「十四歳で副隊長って……まだ子供じゃないですか」
奏が立ち上がった。
「誰が子供ですか!」
「いや、十四歳は子供だろ」
「私はあなたより先にアストラへ所属しています!」
「でも学校は?」
「通っていません!」
「やっぱり駄目じゃないですか!」
「何が駄目なんですか!」
奏の声がさらに大きくなる。
涼介はからかっているわけではない。
事情を知らないからこそ、純粋に心配し始めていた。
「ちゃんと勉強してるんですか」
「しています!」
「食事は?」
「毎日食べています!」
「こんな時間まで働いていいんですか?」
「まだ昼前です!」
「夜の任務もありますよね」
「ありますけど、子供扱いしないでください!」
伊織は完全に面白がっていた。
「雨宮副隊長。心配してくれてるみたいですよ」
「余計なお世話です!」
「悪意はなさそうです」
「悪意がないから余計に困るんです!」
斗真が涼介へ静かに告げる。
「鏡さん。雨宮副隊長は、子供扱いされることを一番嫌います」
「それ、もっと早く教えてくださいよ」
「止めようとはしました」
「聞こえませんでした」
「あなたが先に全部言ったんです」
『奏。鏡さんに悪気はありませんから』
桜が二人の間へ入る。
「悪気がなければ何を言ってもいいわけではありません!」
『それは、そのとおりですね』
「九条隊長?」
『鏡さん。奏は若いですが、心導隊の副隊長です。年齢だけで判断してはいけませんよ』
「……すみません」
涼介が奏へ頭を下げる。
「失礼しました、雨宮副隊長」
「本当に分かっていますか?」
「十四歳でも、アストラでは先輩だということは分かりました」
「年齢から離れてください!」
「でも十四歳なのは事実ですよね」
「まだ言いますか!」
奏の周囲へ淡い紫色の星素が滲み始める。
颯真が涼介の肩を掴み、後ろへ引いた。
「涼介。今はこれ以上言わない方がいい」
「ですが、学校にも通っていないなら――」
「それが一番駄目だから!」
颯真が涼介の口を塞ぐ。
伊織と斗真は、既に笑いを隠していなかった。
「第一印象は最悪ですね」
伊織が告げる。
「雨宮副隊長の方だけですか?」
「両方です」
「俺もですか」
「そっちの子、と呼びましたから」
涼介が奏を見る。
奏は腕を組み、明確に顔を背けた。
これ以上は、何を言っても悪化する。
その程度の判断は、涼介にもできた。
◇
涼介と颯真が心導隊のテーブルへ加わって間もなく、食堂の入口が再び開いた。
天城・イワノワ・碧。
その後ろには神楽坂玲がいる。
二人に気づいた周囲の隊員たちが、軽く頭を下げる。
碧と玲は短く応じながら、涼介たちのいるテーブルへ向かってきた。
涼介は席を立つ。
「神楽坂副隊長」
「鏡さん。正式入隊、おめでとうございます」
士官学校襲撃時とは違う、穏やかな声だった。
戦場にいた玲は、どれほど多くの星殻兵に囲まれても表情を崩さなかった。
状況を見極め、必要な命令だけを下し、涼介を一人の戦力として動かした。
今は目元も柔らかく、僅かに微笑んでいる。
「士官学校では、ありがとうございました」
涼介は玲へ頭を下げた。
「神楽坂副隊長の指示がなければ、俺一人では星殻兵を倒せませんでした」
「私は必要な指示を出しただけです」
玲が優しく答える。
「土門さんが敵の動きを止め、篠宮さんが核を見つけた。そして、あなたが攻撃を当てた。誰か一人の力で成し遂げたことではありません」
「はい」
「それを理解できているのなら、あの戦いには十分な意味がありました」
玲は涼介を真っ直ぐに見た。
「これからは士官学生ではなく、同じアストラ隊員ですね」
「はい。よろしくお願いします、神楽坂副隊長」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
玲が穏やかに微笑む。
士官学校で見た冷静な指揮官とは違う。
任務を離れれば、思っていた以上に柔らかな人物らしい。
涼介は続いて、碧へ顔を向けた。
「天城隊長」
士官学校で見た光景が蘇る。
七つの自然現象が、崩壊しかけた校内全域を覆った。
崩れた地盤を繋ぎ止める大地。
炎を押し流す水。
煙を散らす大気。
星殻兵を焼く炎熱。
機能を停止させる雷。
避難路を支える植生。
崩落を止める氷雪。
環境系ギフト――「七環神域」。
碧がいなければ、あの学校は建物としての形を保っていなかった。
涼介は深く頭を下げる。
「士官学校では、ありがとうございました」
『私は地下の装置を止めただけ。あなたを直接助けたのは空と玲たち』
「それでも、天城隊長がいなかったら、学校全体が崩れていました」
『そうかもしれない』
碧は淡々と受け入れ、空いている席の椅子へ手をかけた。
涼介は少し迷ってから、もう一度口を開く。
「俺も、いつか天城隊長のようになりたいです」
椅子を引こうとしていた玲の手が止まった。
「……今、何と?」
先ほどまで浮かんでいた穏やかな微笑みが、玲の顔から消えている。
涼介が玲を見る。
「俺もいつか、天城隊長みたいに――」
「おやめください!」
玲の声が食堂へ響き渡った。
周囲の隊員が一斉に振り返る。
先ほどまで奏と涼介が言い争っていたため、同じ食堂で二度目だった。
「え?」
「碧様のようになりたい? あなたが?」
「はい。俺も、多くの人を守れるような――」
「話が飛躍しすぎています!」
玲が勢いよく涼介の前へ出た。
「士官学校で七体の星殻兵を破壊した程度で、碧様と同じ場所へ立てるとお思いですか!」
「同じ場所に立てるとは言ってません。いつか近づきたいと――」
「近づく!?」
玲の声がさらに大きくなる。
「碧様へ!?あなたが!?その未完成な剛脈で!?」
「剛脈はこれから鍛えます!」
「鍛えたところで碧様は七環神域を扱われるのですよ!」
玲は指を一本ずつ立てる。
「大地! 水! 大気! 炎熱! 雷! 植生! 氷雪! 七つです! あなたは一つの身体に星素を振り分けるだけでしょう!」
「だけって言いました?」
「クラフト風情が、碧様を目標に掲げるなど百年早いです!」
「百年経ったら俺、死んでますよ!」
「では来世で目指してください!」
「目標にするくらいいいでしょう!」
「よくありません!」
「なんでですか!」
「碧様だからです!」
理由になっていない。
しかし玲の中では、これ以上ないほど明確な理由だった。
ほんの少し前まで、穏やかに微笑みながら涼介を同じアストラ隊員として迎えていた。
その人物が、碧の話になった途端、理性と音量を失っている。
桜が困ったように笑った。
『玲は、碧のことになると少しだけ熱心になりますから』
「少しだけですか、これ」
颯真が玲を見ながら呟く。
伊織が笑いを堪えながら答えた。
「九条隊長なりの配慮です」
玲はまだ止まらない。
「そもそも碧様の偉大さは、扱える現象の数だけではありません! あれほどの力を持ちながら驕らず、常に他者を優先し、広域に存在する一人一人の安全を把握して――」
『玲』
碧が呼ぶ。
玲は即座に振り返った。
「はい、碧様!」
『ご飯が冷める』
「申し訳ありません! すぐにお茶をご用意します!」
玲は涼介を放置し、碧の世話へ戻った。
湯呑みを用意し、碧の盆を整え、椅子を引く。
先ほどまで涼介へ向けていた剣幕が嘘のようだった。
涼介は、その背中を呆然と見つめる。
「……士官学校では、もっと静かな人でしたよね」
颯真が小声で答える。
「任務中はな」
碧が席へ着き、玲へ顔を向ける。
『それと玲。私は、目標にされても困らない』
「ですが碧様!」
『うるさい』
「……申し訳ありません」
玲は一瞬だけ静かになった。
涼介が小声で呟く。
「天城隊長本人はいいって言ってますけど」
玲が勢いよく振り返る。
「聞こえていますよ、クラフト風情!」
「また始まった!」
颯真が頭を抱える。
「事実を言っただけじゃないですか!」
「碧様のお言葉を都合よく解釈しないでください!」
「どう聞いても許可でしたよ!」
「違います!」
「何が違うんですか!」
「碧様のお言葉を私より理解しているような口を利かないでください!」
「そこに怒ってたんですか!?」
心導隊の四人が、そのやり取りを眺めている。
斗真は肩を震わせ、伊織は隠すことなく笑っていた。
奏だけは、涼介へ冷たい視線を送っている。
「誰に対しても失礼なんですね」
「雨宮副隊長には関係ないでしょう」
「私は先輩として忠告しているんです!」
「十四歳なのに?」
「まだ言いますか!」
『二人とも』
桜が穏やかに呼ぶ。
『食堂では静かにしましょうね』
「……はい」
「すみません、九条隊長」
奏と涼介が同時に答える。
その横では、玲がまだ納得していない表情で涼介を睨んでいた。
◇
昼食後。
颯真に案内され、涼介は統合管制室を訪れた。
士官学校襲撃時、校内全域の情報を集め、各隊へ指示を出していた場所。
大型画面には、国内各所の星素反応と、出動中の部隊情報が表示されている。
扉が開いた瞬間、補助管制席にいた羽鳥日和が勢いよく立ち上がった。
「鏡君! 待っていました!」
「羽鳥日和さんですよね。よろしくお願いします」
「違います!」
「何がですか?」
「日和先輩です!」
涼介は日和を見る。
日和は胸を張り、得意そうな表情を浮かべている。
「所属も仕事も違いますけど」
「士官学校では私が先輩です! 第三十九期ですから!」
「卒業したのは一年しか違わないですよね」
「一年でも先輩は先輩です!」
中央の管制席に座っていた蘭が、端末から顔を上げる。
「日和。後輩ができた初日から困らせないの」
「蘭先輩には分からないんです!」
日和が蘭へ振り返る。
「私にもついに、先輩らしく振る舞える相手ができたんですよ!」
「先輩らしく振る舞いたいなら、まず端末設定の説明をして」
「今からします!」
日和が涼介へ手を差し出す。
「隊員証と戦術通信端末を貸してください」
「お願いします、日和さん」
「日和先輩です」
「お願いします、日和さん」
「なぜ直さないんですか!」
「まだ今日会ったばかりなので」
「初対面でも先輩です!」
「それなら、これから先輩らしいところを見せてください」
「後輩なのに生意気です!」
日和は涼介から端末を受け取り、管制卓へ接続する。
「まず、天衝隊の共通回線を登録します。こちらが空隊長、こちらが蓮司副隊長、こちらが颯真さん、こちらが真琴さんです」
「真琴先輩です」
「そこは先輩をつけるんですね\!?」
「士官学校の先輩ですから」
「私も士官学校の先輩です!」
「真琴先輩には、襲撃のときに助けてもらいました」
「私も管制室から支援していました!」
「今日初めてお会いしました」
「私とは面識がなかっただけでしょう!」
蘭が端末へ目を戻した。
「日和。説明が進んでないよ」
「今から進めます!」
日和は画面を切り替える。
「この画面から私へ直接連絡できます。任務中でも任務外でも、困ったときはいつでも――」
「任務外に管制へ連絡する必要はありません」
蘭が即座に訂正した。
「あるかもしれないじゃないですか!」
「ないよ」
「即答しないでください!」
「任務外に日和へ連絡しても、本部の設備について聞かれるだけだと思うよ」
「相談に乗るかもしれません!」
「何の相談?」
「隊員生活とか、人間関係とか!」
「日和が?」
「その反応は何ですか!」
日和が蘭へ詰め寄る。
蘭は椅子を僅かに後ろへ動かし、日和から距離を取った。
「涼介君。分からないことがあったら、まず颯真に聞いてね」
「はい、蘭先輩」
「私にも聞いてください!」
「内容によります」
「後輩なのに生意気です!」
颯真が涼介の肩を軽く叩く。
「これでも日和さん、任務中は頼りになるから」
「これでも、は余計です!」
「任務中は、ですよね」
「鏡君まで!」
日和の声が統合管制室へ響く。
周囲の管制官たちは、既に慣れているのか誰も振り返らなかった。
◇
午後。
天衝隊専用訓練室。
涼介が到着すると、空と蓮司が訓練方針を巡って言い争っていた。
『とりあえず、あたしと一回やれば足りねえものは全部分かる』
「初日に新人を壊す気か。まず剛脈の配分を一から直す」
『殴られりゃ嫌でも直すだろ』
「直る前に死ぬわ!」
『そこまで強く殴らねえよ』
「お前の加減を信用できると思うか?」
『失礼だな。あたしは繊細だぞ』
「どこがだ」
『力加減は得意だ』
「施設の修繕記録を見てから言え!」
颯真が涼介を見る。
「ほらな」
「何がですか」
「朝からずっと、あの調子だろ」
「任務がなくても忙しそうですね」
「本人たちはな」
空が二人へ顔を向ける。
『颯真。涼介の相手しろ』
「はい?」
同時に、蓮司が涼介を呼ぶ。
「涼介。今は動くな。先に出力を測る」
颯真と涼介は互いを見る。
空は訓練場の中央を指している。
蓮司は測定装置の前を指していた。
「こういうとき、どっちに従えばいいんですか」
「俺もまだ分かんない」
『聞こえてんぞ、颯真』
「なら指示を統一してください!」
「隊長。先に基礎測定だ」
『実戦形式で測りゃいいだろ』
「初期値がなけりゃ比較できねえだろうが」
『あたしの目で見れば分かる』
「お前にしか分からねえ情報を記録に残せるか!」
空と蓮司が互いに一歩近づく。
空の身体から、スカイブルーの星素が滲む。
蓮司の周囲には、杭のついた鎖が出現した。
颯真の顔が引きつる。
「まずい」
「何がですか」
「この流れ、前にも見たことがある」
「どうなったんですか」
「訓練室の床がなくなった」
「……逃げた方がいいのでは?」
「遅い」
『だったら、お前があたしを止めてみろよ』
「上等だ。少しは頭を冷やせ」
空が床を蹴った。
スカイブルーの光が、訓練室を横切る。
蓮司の杭が床へ突き刺さり、鎖が空の進路を塞いだ。
衝撃音。
涼介と颯真の前を、砕けた床材が飛んでいく。
「始まった!」
颯真が叫ぶ。
「止めなくていいんですか!」
「僕たちに止められると思う\!?」
「思いません!」
『颯真! 右に逃げろ!』
「命令だけ出さないでください!」
空の拳が鎖を弾き飛ばす。
進路を変えた鎖が、颯真と涼介へ迫る。
二人が同時に床を蹴った。
颯真は速度で回避する。
涼介は反応へ星素を集中させ、鎖の軌道を読む。
しかし、かわした先へ別の杭が落下した。
「涼介、止まるな!」
蓮司が叫ぶ。
「どっちの訓練なんですか、これ!」
「ついでだ!」
涼介が脚力へ星素を移し、横へ跳ぶ。
着地した直後、空と蓮司の衝突による衝撃波が迫った。
颯真が涼介の腕を掴む。
「伏せろ!」
二人が床へ身を投げる。
その頭上を、砕けた訓練用標的が通過した。
「標的役って、俺たちのことですか!」
「たぶんそう!」
「聞いてません!」
「僕も聞いてない!」
訓練室の入口から、真琴が二人を呼ぶ。
「二人とも、壊される前にこちらへ来なさい!」
真琴が両手を広げる。
造形系クラフト――「繭殻」。
白い殻状の構造物が涼介と颯真を包み込み、飛来する破片を防いだ。
「ありがとうございます、真琴先輩!」
「お礼はあとでいいから、早く入って!」
涼介と颯真が繭殻の内側へ飛び込む。
直後、空の拳と蓮司の鎖が激突した。
轟音。
訓練室全体が大きく揺れる。
真琴が深いため息をついた。
「新人の初日に、何をしているのかしら」
「止めないんですか」
「止められないから、あなたたちを守っているの」
「合理的ですね」
「天衝隊にいると、嫌でも合理的になるわ」
繭殻の外では、空が楽しそうに笑っている。
『やるじゃねえか、蓮司!』
「笑ってんじゃねえ! 新人の訓練をどうするつもりだ!」
『今やってるだろ!』
「お前と俺の模擬戦になってんだよ!」
『涼介も避けてただろ』
「巻き込まれてただけだ!」
涼介は、白い殻越しに二人を見る。
物理系の頂点。
戦場を組み立てる副隊長。
任務中なら、これ以上ないほど頼もしい二人。
その二人が、新人の訓練方法を巡って本気で殴り合っている。
「アストラって、いつもこんな感じなんですか」
颯真が隣へ座り込む。
「任務がない日はな」
「任務がある日の方が静かそうですね」
「それは間違ってない」
◇
夕方。
訓練室の床には、幾つもの亀裂が走っていた。
壁際の標的は半数以上が破壊され、蓮司の杭が突き刺さった跡も残っている。
模擬戦の被害確認は、明日行われることになった。
涼介と颯真は、訓練室の床へ並んで座り込んでいた。
結局、空と蓮司の模擬戦が終わったあと、本来の訓練も行われた。
出力測定。
星素配分の切り替え。
颯真との模擬戦。
既に涼介の身体には、腕を上げるだけでも重さを感じるほどの疲労が溜まっている。
「初日から、こんなに訓練するんですか」
「隊長に目をつけられたからな」
「颯真さんも一緒でしたよね」
「僕は巻き込まれたんだよ」
「昼からずっと巻き込まれていますね」
「天衝隊にいると、よくあることだよ」
涼介は天井を見上げる。
今日会った面々を思い返す。
テレビの中より近く、柔らかく笑った桜。
年下とは思えない副隊長でありながら、子供扱いすると本気で怒る奏。
任務中とは別人のように、碧のことになると理性と音量を失う玲。
後輩ができたとはしゃぎ、自分を先輩と呼ばせようとする日和。
それを当然のように止める蘭。
そして、一日中言い争っている空と蓮司。
士官学校にいた頃、彼らは遠い存在だった。
極星。
隊長。
副隊長。
アストラ隊員。
任務記録や広報映像の中では、誰もが常に強く、迷いなく、完璧に見えた。
だが、実際は違う。
冗談を言う。
腹を立てる。
言い争う。
後輩ができたことを喜ぶ。
尊敬する相手の話になると、周囲が見えなくなる。
強い人間は、いつでも強そうにしているわけではない。
それでも、涼介は士官学校襲撃で知っている。
任務が始まれば、彼らは迷わず自分の役割を果たす。
空は上位個体を一撃で破壊し、窮地に陥った涼介を救った。
蓮司は学校全体の崩落を鎖で食い止め、避難経路を守った。
颯真と真琴は、危険の残る医療区画から負傷者を救出した。
碧は七環神域で、崩壊しかけた学校全域を支えた。
玲は森羅隊を率い、涼介を一人の戦力として動かした。
蘭は本部から校内すべての状況を追い、各隊を必要な場所へ導いた。
普段の姿がどうであっても、戦場では誰もが自分の役目を知っている。
涼介は今日初めて、アストラを部隊としてではなく、人が集まる場所として見た。
自分も、その中へ入った。
「颯真さん」
「何?」
「俺も、ああなれますか」
「誰みたいに?」
「まだ分かりません」
空のように強くなりたい。
蓮司のように戦場を見たい。
碧のように多くの人を守りたい。
目標はいくつもある。
だが、誰かと同じになることが正解ではない。
自分が天衝隊で、何をできるようになるべきなのか。
それは、これから探せばいい。
「なら、まずは明日もここへ来ることだな」
颯真が立ち上がる。
「筋肉痛でも?」
「隊長は待ってくれないよ」
「そうですね」
涼介も床へ手をつき、立ち上がろうとする。
そのとき、訓練室の奥から空の声が響いた。
『涼介! 休んでねえで次やるぞ!』
涼介の動きが止まる。
「明日じゃないんですか」
颯真も立ち止まっていた。
「僕も、もう終わりだと思ってた」
『颯真もだ! さっさと来い!』
「僕も\!?」
颯真が叫ぶ。
蓮司の声も続いた。
「隊長! 先に床を直させろ!」
『まだ半分残ってんだろ!』
「残ってる方を壊す気か!」
『壊さねえよ!』
「今日の惨状を見てから言え!」
再び、空と蓮司の言い争いが始まる。
涼介は颯真を見る。
颯真も涼介を見た。
「行きますか」
「行かないと、隊長がこっちに来る」
「それは困りますね」
「うん。被害が増える」
二人は重い身体を引きずりながら、訓練室の中央へ向かう。
任務のない一日は、まだ終わりそうになかった。




