二十一話「届かない心」
事件翌日、午前八時十二分。
アストラ本部、星能解析区画。
防護ガラスで仕切られた実験室の中央に、十六個の黒い装置が並べられていた。
中央区地下交通ターミナルから回収された、感情増幅装置。
すべての装置は星素遮断容器へ収められ、個別の回線からも切り離されている。
それでも、僅かな赤黒い光が内部で明滅を続けていた。
「完全には止まっていません」
雨宮奏が、防護ガラス越しに装置を見つめる。
「人の感情は残っていない。でも、同じ言葉を繰り返しています」
奏のクラフト――「リフレイン」。
場所や物に刻まれた感情の残響を、声として聞き取る力。
しかし今回、奏が聞いているものは感情ではなかった。
「接続」
「待機」
「回収」
「十六個全部から、同じ声が聞こえます」
「声っていうより、命令じゃねえのか」
水城斗真が、腕を組んだまま答える。
「昨日も同じだった。装置同士で命令を送り合ってたんだろ」
「はい。ただ、昨日とは内容が違います」
「回収?」
伊織が聞き返す。
奏は頷いた。
「誰かを待っているように聞こえます」
その言葉を聞き、九条桜が装置へ目を向けた。
短い黒髪の奥。
穏やかな瞳に、僅かな警戒が浮かんでいる。
『装置を回収しに来る者がいる、ということでしょうか』
「その可能性はあります」
解析室の扉が開いた。
入ってきたのは、扇原蘭と羽鳥日和だった。
蘭の手には、星務庁の紋章が表示された端末が握られている。
「ちょうどいいところに、面倒な連絡が来たよ」
「星務庁からですか?」
「うん」
蘭は端末の画面を全員へ向けた。
表示されているのは、証拠物の移管命令。
中央区地下交通ターミナルで回収された装置十六個と、拘束した六人の身柄。
そのすべてを、本日正午までに星務庁へ引き渡すよう記されている。
「早すぎませんか?」
日和が首を傾げる。
「事件報告書だって、まだ完成してませんよね」
「それどころか、正式な押収物目録も送ってないよ」
「じゃあ、どうして十六個だと知ってるんですか」
解析室の空気が変わった。
昨日、現場から回収された装置の正確な数を知っているのは、心導隊と統合管制室。
そして、回収に立ち会った限られた職員だけ。
星務庁へ送信された第一報には、複数の装置を押収したとしか記載されていない。
「六人のことも同じ」
蘭が画面を切り替える。
「拘束した人数は、まだ報告書に載せてない。尋問前に情報が漏れたら困るから、本部内でも閲覧制限をかけてた」
「それでも向こうは知っていた」
伊織が呟く。
「そういうこと」
蘭は防護ガラスの向こうへ視線を移した。
「移管命令そのものは本物だよ。星務庁の正規回線から、正規の権限で送られてきてる」
「本物だからこそ、厄介ですね」
『本部長は、何と?』
「拒否したよ」
蘭が僅かに口元を上げる。
「正確には、解析終了まで移管を延期するって突っぱねた。今ごろ向こうは怒ってるだろうね」
「本部長、強いですねえ」
日和が感心したように言う。
「権限上は、星務庁の方が上ですよね?」
「だから、ずっと置いておくことはできない。最低限の解析だけ済ませたら、引き渡すことになるよ」
蘭が端末を操作する。
一つの装置を映した画像が拡大された。
黒い外装の底面。
削り取られた製造番号の下に、僅かな刻印が残っている。
「問題はこっち」
日和が画像の一部を拡大する。
「消去された刻印を復元しました。十年前まで、星務庁の研究設備に使われていた管理形式と一致しています」
「星務庁が作ったってことか?」
「まだ断定はできないよ」
蘭が斗真の問いに答える。
「部品が流出しただけかもしれない。廃棄された設備を、誰かが再利用した可能性もある」
『そうでなければ、星務庁の内部に協力者がいることになります』
「うん」
蘭の声から、普段の柔らかさが消える。
「それを確かめる前に、向こうへ全部渡すわけにはいかない」
蘭は解析区画の見取り図を表示した。
「装置を第三保管棟へ移すよ。あそこなら、外部回線から完全に切り離して保管できる」
「ここでは駄目なんですか?」
「この解析室は星務庁と共同利用することがあるから、管理権限の一部が向こうにも残ってるの」
日和が嫌そうに画面を見る。
「遠隔で保管容器を開けられる可能性があるんですね」
「ないとは言い切れないね」
蘭は桜を見る。
「桜。心導隊に、移送の護衛を頼める?」
『分かりました』
「装置にはまだ精神波が残ってる。通常の警備隊だけで運ばせるより、心導隊がいた方が安全だから」
『六人の身柄はどうしますか』
「そっちは医療区画の隔離室から動かさない。本部長直属の警備班をつけるよ」
奏が、再び装置へ意識を向けた。
「回収」
「接続」
「待機」
先ほどまで一定だった声が、僅かに速くなっている。
奏が表情を曇らせた。
「急いだ方がいいと思います」
『何か変わりましたか』
「待っている声が、近づいています」
◇
午前九時三十六分。
解析区画と第三保管棟を繋ぐ、地下搬送路。
装置を積んだ二台の輸送車両が、人気のない通路を進んでいた。
先行車両には、桜、奏、伊織。
後方車両には、斗真と二人の解析職員が乗っている。
地上へ通じる出入口は閉鎖済み。
搬送路の両側には、異常を検知する星素観測器が一定間隔で設置されている。
《第三保管棟まで、あと八百メートル》
統合管制室から、蘭の声が届く。
《今のところ、周辺に異常な反応はないよ》
「装置の状態も安定しています」
日和が観測値を報告する。
「内部の星素出力は、移送開始時から変化ありません」
先行車両の後部座席。
奏は目を閉じたまま、装置から聞こえる声へ意識を集中させていた。
「回収」
「接続」
「待機」
同じ命令が、何度も繰り返されている。
だが、その間隔は少しずつ短くなっていた。
「桜隊長」
『はい』
「やっぱり、何かが近づいています」
車両の隣を走る伊織が、周囲へ目を配る。
「どちらからか分かりますか」
「分かりません。声は装置の中から聞こえています。でも、呼びかけている先が――」
奏の言葉が止まった。
それまで同じ命令を繰り返していた十六個の装置。
そのすべてが、同時に別の言葉を発した。
「到着」
「止めてください!」
奏が叫ぶ。
『停止してください!』
桜の指示と同時に、二台の輸送車両が急停止した。
直後。
前方の壁が、内側へ弾け飛んだ。
分厚い防護壁の破片が、先行車両へ降り注ぐ。
伊織が運転席へ身を乗り出し、ハンドルを切った。
車両が横滑りする。
巨大な破片が、直前まで車両のあった場所へ落下した。
「何ですか、あれは……」
崩れた壁の向こう。
照明の届かない暗闇から、人の形をしたものが歩いてくる。
一体。
二体。
三体。
その数は、全部で六体。
人間より一回り大きな体躯。
全身を覆う外殻には、継ぎ目が存在しない。
金属でも、岩石でもない。
赤黒い星素そのものを圧縮し、鎧の形へ固めたような身体。
頭部に顔はなく、細い亀裂の奥で赤い光だけが明滅している。
《未登録の星素反応を六つ確認!》
日和の声が響く。
《人間の星脈反応がありません。機械類とも一致しません!》
「警告します!」
伊織が車外へ出る。
「所属と目的を明らかにしてください!」
六体は答えない。
一斉に頭部を動かし、後方車両へ視線を向けた。
装置が積まれている場所を、正確に捉えている。
『目的は、回収された装置ですね』
桜も車両を降りた。
その身体から、淡い桃色の星素が広がる。
眠気。
恐怖。
戦意の収奪。
複数の干渉が、六体へ同時に送られた。
何も起こらない。
歩みすら止まらない。
桜の星素は確かに触れている。
防がれたわけでも、分散されたわけでもない。
受け取るものが、そこに存在しなかった。
「効いていない……?」
伊織が目を見開く。
桜は静かに六体を見つめていた。
『奏。あの中から、何か聞こえますか』
「確認します」
奏が目を閉じる。
六体へ意識を向けた瞬間、その顔から血の気が引いた。
「ない……」
『奏?』
「何もありません」
怒りも。
恐怖も。
命令に従う忠誠心も。
誰かを傷つけようとする悪意さえ存在しない。
ただ、感情を伴わない命令だけが流れている。
「接近」
「排除」
「回収」
奏が目を開く。
「桜隊長。あれには、本当に心がありません」
六体が同時に地面を蹴った。
一体が先行車両へ迫る。
伊織の姿が、その視界から消えた。
クラフト――「盲点」。
相手の認識から自分の存在を外し、その死角へ潜り込む星能。
伊織が側面へ回り、外殻の継ぎ目を探す。
だが、顔のない頭部が伊織の動きを追った。
「見えている?」
巨大な腕が振るわれる。
伊織は咄嗟に身体を沈めた。
頭上を通過した腕が、先行車両の側面を抉り取る。
「認識で捉えているんじゃない……!」
《周囲の星素変動を感知してるみたい》
蘭が観測結果を伝える。
《盲点で意識から外れても、伊織さんの星素そのものを追ってる》
「厄介ですね」
伊織が距離を取る。
別の二体が後方車両へ迫る。
斗真が両腕を広げた。
「止まれ!」
透明な膜が、地下搬送路を満たす。
クラフト――「無響室」。
外部から伝わる音と精神波を遮断する空間。
六体の動きが、同時に止まった。
「効いた!」
解析職員の一人が声を上げる。
だが停止したのは、僅か一秒。
六体の頭部にある赤い光が点滅する。
それぞれが異なる方向へ身体を向け、再び動き出した。
「嘘だろ」
《外部からの命令は切れてるよ》
蘭が告げる。
《でも、個別に組み込まれた行動へ切り替わったみたい》
「命令がなくても動けるのかよ」
「違います」
奏が声を上げる。
「新しい命令を受けたんじゃありません。最初から、二つの命令を持っています」
外部からの指示が届いている間は、全体で連携する。
接続が切られた場合は、各個体が事前に与えられた命令を実行する。
思考しているわけではない。
判断しているわけでもない。
定められた動きを、正確に繰り返しているだけ。
『斗真さん。そのまま無響室を維持してください』
「でも、止まりませんよ!」
『構いません。六体の連携は切れています』
桜は全体を見渡した。
二体が後方車両。
一体が先行車両。
残る三体は、地下搬送路の出入口を塞ぐように散開している。
先ほどまで完全に揃っていた動きに、僅かなずれが生まれていた。
『伊織さん。後方車両へ向かっている二体を引き離してください』
「了解しました」
『奏は、個体に残された命令を追ってください。次の行動が分かるはずです』
「やってみます」
伊織が走り出す。
盲点で姿を消しても、星素反応までは隠せない。
ならば、追われることを利用する。
伊織は二体の間を抜け、星素出力を意図的に上げた。
二体の頭部が、同時に伊織を追う。
「こちらです」
伊織が壁際へ駆ける。
二体が方向を変えた。
後方車両から引き離されていく。
残る一体が、輸送車両の荷室へ拳を振り上げた。
「右腕を振り下ろします!」
奏が叫ぶ。
桜が運転席の扉を開け、中にいた解析職員の腕を掴む。
『外へ』
「えっ――」
職員の身体が引き出された直後。
巨大な拳が車両の屋根を貫いた。
荷室の扉が歪み、内部へ積まれていた星素遮断容器が露出する。
一体が、容器へ腕を伸ばす。
「回収」
奏の耳へ、命令が響く。
「装置を持っていきます!」
『渡すわけにはいきません』
桜が、その進路へ立った。
顔のない頭部が桜を捉える。
右腕が振り上げられた。
そこに敵意はない。
怒りも、殺意もない。
障害物を排除する。
ただ、それだけの動作。
桜は動かない。
「桜隊長!」
奏が叫ぶ。
拳が振り下ろされる直前。
伊織が桜の腰を抱え、横へ跳んだ。
二人のいた場所へ拳が直撃する。
路面が砕け、地下搬送路全体が揺れた。
「避けてください!」
伊織が桜を支えたまま声を上げる。
「心がなくても、攻撃は当たります!」
『申し訳ありません。助かりました』
「無茶をしないでください」
桜は立ち上がり、敵へ目を向ける。
表情は変わっていない。
だが、桃色の星素は既に収められていた。
通じない力を繰り返すことはしない。
『奏。核は見つかりますか』
「探しています。でも、感情の残響がないので、位置を絞れません」
『命令が最も強く聞こえる場所を探してください』
「命令の……」
奏が六体を見つめる。
心はない。
声もない。
だが、命令だけは存在している。
その命令が、どこから全身へ伝わっているのか。
奏は再び目を閉じた。
「接近」
「排除」
「回収」
同じ言葉を一つずつ分けていく。
外殻を流れる星素。
四肢へ伝わる命令。
すべての起点。
胸部の奥。
「見つけました!」
奏が一体を指す。
「胸の中央です。外殻の奥に、命令を送り出しているものがあります!」
『斗真さん。無響室の範囲を絞れますか』
「一体だけ切り離すってことですか?」
『はい』
「できます。でも範囲を絞れば、残り五体の接続が戻ります」
『三秒あれば十分です』
「何をするつもりですか」
『伊織さんが、核を取り出します』
伊織が一瞬だけ桜を見る。
「私ですか」
『外殻が開く瞬間を、奏が教えてくれます』
「随分と簡単に言いますね」
『伊織さんならできます』
迷いのない言葉だった。
伊織は短く息を吐き、敵へ向き直る。
「分かりました」
桜が後方車両にいる二人の職員を見る。
『車両の陰から出ないでください』
二人は青ざめた顔で頷いた。
『始めます』
斗真が両手を、一体へ向ける。
「三秒だけだぞ!」
透明な膜が収束した。
六体を覆っていた無響室が、一体の周囲だけへ縮まる。
同時に、残る五体の赤い光が強く輝いた。
接続が戻る。
五体が一斉に方向を変え、斗真へ向かう。
対して、切り離された一体は僅かに動きを鈍らせた。
「右腕が来ます!」
奏の声。
伊織が踏み込む。
振り下ろされた拳を紙一重でかわす。
「次、左へ旋回!」
敵の身体が回転する。
伊織はその動きに合わせ、背後へ滑り込んだ。
「胸部が開きます!」
攻撃の出力を上げるため、胸部へ星素が集中する。
赤黒い外殻が僅かに割れた。
奥で脈打つ、黒い球体。
伊織の手が伸びる。
一秒。
二秒。
指先が、核へ触れた。
瞬間。
切り離されていた一体が、予定にない動きを見せた。
頭部が百八十度回転する。
伊織へ、腕が伸びる。
「そんな動き、聞こえなかった……!」
奏が息を呑む。
核を守るための動きではない。
自らの胸部ごと、伊織を押し潰そうとしている。
『伊織さん!』
淡い桃色の星素が、伊織の心へ触れた。
恐怖を奪う。
同時に、迷いを消し去るほどの冷静さが与えられる。
迫る腕。
閉じ始める外殻。
伊織は手を引かなかった。
核を掴み、力任せに引き抜く。
その身体へ腕が届く直前。
三秒が過ぎた。
「解除!」
斗真が無響室を解く。
六体の接続が戻る。
核を失った一体から、赤黒い光が消えた。
巨体が崩れ落ちる。
伊織はその下から転がり出た。
「取った……!」
右手には、黒い球体が握られている。
だが、残る五体は止まらない。
同時に伊織へ向き直った。
胸部の奥。
五つの核が、赤く点滅する。
《急激な星素出力の上昇を確認!》
日和の切迫した声が響く。
《五体とも内部崩壊を始めています!》
「自爆する気か!」
《爆発まで、推定十二秒!》
斗真が周囲を見る。
地下搬送路。
地上へ逃げる時間はない。
輸送車両には、解析職員が残されている。
さらに荷室には、十六個の感情増幅装置。
ここで爆発すれば、装置に蓄積された星素まで連鎖する。
『斗真さん』
桜が静かに呼ぶ。
「分かってる!」
斗真が両腕を広げた。
無響室が、再び展開される。
だが今度は、五体を閉じ込めるためではない。
輸送車両と心導隊員たち。
守るべきすべてを覆うように、透明な膜が幾重にも重なっていく。
「無響室は精神波を遮る力です」
斗真の腕が震える。
「物理的な爆発まで、完全には止められない!」
『止める必要はありません』
桜が答える。
『外側へ漏れる星素だけ、切り離してください』
「爆発そのものはどうするんですか」
『輸送車両を使います』
伊織が即座に意図を理解した。
「一台をぶつけて、奥へ押し込みます」
『お願いします』
伊織が先行車両へ飛び乗った。
エンジンを始動させる。
五体が迫る中、アクセルを踏み込んだ。
無人の車両が急加速する。
一体を正面から撥ね飛ばし、そのまま残る四体へ突っ込んだ。
車両と五体が、崩れた壁の向こうへ押し込まれる。
「あと三秒!」
日和の声。
伊織が走る。
桜が手を伸ばし、その腕を掴んだ。
『斗真さん、閉じてください!』
「無響室――最大出力!」
透明な膜が、崩れた壁の穴を塞いだ。
直後。
白い閃光が暗闇を満たす。
轟音。
地下搬送路が大きく揺れた。
壁面へ亀裂が走り、天井から粉塵が降り注ぐ。
透明な膜が激しく歪む。
斗真の足が、路面を滑った。
「ぐっ……!」
無響室の表面へ、赤黒い星素が何度も叩きつけられる。
遮断された星素が行き場を失い、壁の向こうで渦を巻く。
「まだ……終わってねえ!」
斗真が歯を食いしばる。
額から汗が流れ落ちる。
桜が、その背中へ手を添えた。
疲労は消せない。
消費した星素も戻せない。
それでも、限界へ近づく身体を支えるための冷静さを与えることはできる。
『大丈夫です。あなたなら保てます』
「簡単に……言ってくれますね」
『信じていますから』
「それ、断れないやつだろ……!」
斗真が両足を踏みしめる。
透明な膜が、赤黒い星素を押し返していく。
やがて。
壁の向こうから、光が消えた。
《星素反応、消失》
蘭の声が響く。
《地下搬送路の構造も保たれてる。全員、無事?》
「何とか」
斗真が無響室を解く。
その場へ片膝をついたが、倒れはしなかった。
伊織が回収した黒い核を、路面へ置く。
「こちらも確保しています」
「解析職員二名、負傷なし」
奏が後方車両の中を確認する。
「装置も、十六個すべて無事です」
《了解。すぐに救援班を送るよ》
蘭の声に、僅かな安堵が混じった。
《よく守ってくれたね》
粉塵の漂う搬送路。
桜は、崩れた壁の向こうを見つめていた。
そこには、砕け散った赤黒い外殻しか残っていない。
人の身体はない。
機械の骨格もない。
六体すべてが、星素だけで作られていた。
「桜隊長」
奏が隣へ立つ。
「あれに、桜隊長の力は届かないんですか」
桜は、僅かに視線を下げた。
奏が拾い上げた外殻の欠片。
そこからは、今も何の感情も聞こえない。
『レゾナンスでは、触れられません』
奏が桜を見る。
精神系の力ではない。
自分の力ではない。
桜は、レゾナンスでは、と答えた。
その違いが気になった。
だが、奏が尋ねるより先に、桜は倒れた斗真のもとへ歩き出していた。
『斗真さん。立てますか』
「少しくらい休ませてくださいよ」
『では、救援班が来るまで休んでいてください』
「意外と優しい」
『歩けるようになったら、第三保管棟までお願いします』
「やっぱり人使いが荒い……」
斗真が路面へ座り込む。
伊織もその隣へ腰を下ろした。
「ですが、全員を守れました」
「敵には逃げられたけどな」
「一体分の核も確保しています」
伊織が黒い球体を見る。
「十分でしょう」
奏は三人を見つめた。
桜の力は通じなかった。
伊織の盲点も見破られた。
斗真の無響室によって外部命令を遮断しても、星殻兵は事前に組み込まれた行動へ切り替えた。
それでも、誰一人欠けていない。
敵の目的だった装置も、すべて守り切った。
桜は敵を倒していない。
戦いを終わらせてもいない。
ただ、三人が力を発揮できる場所を作り続けた。
それが、今日の心導隊の戦いだった。
◇
午後一時十五分。
アストラ本部、統合管制室。
回収された黒い核の解析結果が、大型画面へ表示されていた。
「生体組織なし。機械部品もなし」
日和が検査項目を読み上げる。
「構成物質の九十八・七パーセントが、凝縮された星素です。残りは外殻を維持するための人工触媒」
「核そのものが、星脈の代わりをしていたみたいだね」
蘭が波形を拡大する。
人間の星脈は、感情や意思によって星素の流れが変化する。
だが、回収された核に揺らぎは存在しない。
あらかじめ刻み込まれた命令に従い、決められた経路へ星素を流すだけ。
「感情も、思考も、自我もない」
蘭が結論を告げる。
「本当に、心を持たない兵士だよ」
「そんなものを、星素だけで作れるんですか」
日和の問いに、蘭はすぐには答えなかった。
現在の星脈工学では、人間の星能を補助する装置は作れる。
星素を蓄積し、放出する兵器も存在する。
だが、自律して戦闘を行う存在を、星素だけで構成する技術など公表されていない。
「この核の中に、識別情報が残ってた」
蘭が一つの文字列を表示する。
大部分は破損している。
それでも、先頭に記された名称だけは読み取ることができた。
星殻兵。
「これが、あれの名前……」
日和が画面を見つめる。
「たぶんね」
「開発者の情報は?」
「消されてる。でも、気になるものがあるよ」
蘭が、核の内部構造と感情増幅装置の設計図を並べた。
二つの画像。
用途も、形状も異なる。
だが、星素を循環させる中枢部分だけが、完全に一致している。
「同じ技術から作られています」
日和が気づく。
「感情増幅装置と、星殻兵が……」
「うん。それだけじゃない」
蘭は、さらに別の資料を表示した。
大門剛士の星脈を強制的に開いた装置。
旧西央放送局で回収された、強制クラフトの研究資料。
三つの中枢構造が、同じ形式で作られている。
「人の星脈を無理やり開く技術」
「感情を増幅する技術」
「そして、星素だけで兵士を作る技術」
日和の顔から、普段の軽さが消える。
「全部、同じ研究から生まれたものなんですか」
「少なくとも、根っこは同じだと思う」
統合管制室の扉が開いた。
本部長が入ってくる。
「星務庁から、再度の移管命令が届いた」
蘭が椅子を回す。
「今度は何を渡せと?」
「装置十六個。拘束した六人。そして、地下搬送路で回収された正体不明の核だ」
日和が息を呑む。
「核のことまで、もう知ってるんですか」
「そうらしい」
星殻兵の襲撃から、まだ四時間も経過していない。
正式な報告は作成されていない。
星務庁へ連絡した者もいない。
それにもかかわらず、向こうは新たな押収物の存在まで把握している。
「移管は?」
「拒否した」
本部長は短く答えた。
「この件に関するすべての情報を、本日付で本部長権限の最高機密へ指定する」
「星務庁へ逆らうことになりますよ」
「逆らう相手が星務庁だけならな」
本部長の視線が、画面に表示された星殻兵の名へ向けられる。
「地下搬送路の経路を知っていた者を、全員洗い出せ」
「了解」
「外部だけではない。本部職員も対象だ」
蘭は一瞬だけ黙った。
地下搬送路の使用を決定したのは、襲撃の一時間前。
経路を知っていた者は、アストラ本部の中にも限られている。
星務庁だけを疑えば済む段階は、既に過ぎていた。
「分かりました」
蘭が新たな解析画面を開く。
「内部記録も調べます」
◇
同時刻。
星務庁の記録上には存在しない、地下研究区画。
五つの画面から、星殻兵の反応が順番に消えていく。
最後まで残っていた映像も、激しい光とともに途切れた。
「星殻兵五体、消失」
研究員が報告する。
「一体の核は、アストラに回収されました」
「構いません」
御門朔夜は、地下搬送路の映像を見つめていた。
伊織が敵を引きつける。
奏が命令の起点を見抜く。
斗真が星素の爆発を閉じ込める。
そして桜は、三人の力を繋ぎ合わせた。
「装置の回収には失敗しました」
「ええ」
「六体すべてを失ったにもかかわらず、ですか?」
「目的は果たしました」
朔夜が映像を停止する。
画面の中央。
桜が星殻兵へ精神干渉を行った瞬間が映し出されている。
淡い桃色の星素は外殻へ触れている。
それでも、星殻兵は一歩も止まらなかった。
「九条桜の精神干渉は、正常に作用しませんでした」
研究員が観測結果を表示する。
「付与、収奪、ともに反応なし。星素は対象を通過しています」
「予想どおりです」
「ですが、心導隊は星殻兵を退けました」
「九条桜は優秀な指揮官です。彼女の力が使えなくなっただけで、心導隊が無力になるとは考えていません」
朔夜は、回収された核から送信されていた最後の情報を確認する。
星殻兵は失われた。
代わりに、必要な観測記録は得られた。
心を持たない存在へ、九条桜の力は届かない。
人間である限り逃れられなかった彼女の領域。
その外側に立つ兵士を、作り出すことができた。
「次の個体には、個別判断機構を追加してください」
「命令網を切断されても、連携を維持できるようにします」
「それから、星素感知の精度を上げましょう。盲点への追従には僅かな遅れがありました」
「了解しました」
研究員が端末へ指示を入力する。
朔夜は画面の中の桜を見つめた。
その表情に、動揺はない。
力が通じなかったというのに、焦りも、恐怖も見せていなかった。
「何を考えているのでしょうか」
研究員が呟く。
「自分の能力が通じない敵を前にして、なぜあれほど落ち着いていられるのか」
「考えていることまでは分かりません」
朔夜が静かに答える。
「ですが、いずれ理解するでしょう」
画面が切り替わる。
整然と並ぶ、無数の黒い核。
一つずつに赤黒い星素が注ぎ込まれ、人の形をした外殻が作られ始めている。
「心を持たないものから、奪えるものはない」
空洞だった頭部に、赤い光が灯る。
「与えた感情を受け取る心もない」
最初の一体が、ゆっくりと立ち上がった。
「九条桜の力が、すべての敵へ届くわけではありません」




