↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/34

二十一話「届かない心」

 事件翌日、午前八時十二分。


 アストラ本部、星能解析区画。


 防護ガラスで仕切られた実験室の中央に、十六個の黒い装置が並べられていた。


 中央区地下交通ターミナルから回収された、感情増幅装置。


 すべての装置は星素遮断容器へ収められ、個別の回線からも切り離されている。


 それでも、僅かな赤黒い光が内部で明滅を続けていた。


「完全には止まっていません」


 雨宮奏が、防護ガラス越しに装置を見つめる。


「人の感情は残っていない。でも、同じ言葉を繰り返しています」


 奏のクラフト――「リフレイン」。


 場所や物に刻まれた感情の残響を、声として聞き取る力。


 しかし今回、奏が聞いているものは感情ではなかった。


「接続」


「待機」


「回収」


「十六個全部から、同じ声が聞こえます」


「声っていうより、命令じゃねえのか」


 水城斗真が、腕を組んだまま答える。


「昨日も同じだった。装置同士で命令を送り合ってたんだろ」


「はい。ただ、昨日とは内容が違います」


「回収?」


 伊織が聞き返す。


 奏は頷いた。


「誰かを待っているように聞こえます」


 その言葉を聞き、九条桜が装置へ目を向けた。


 短い黒髪の奥。


 穏やかな瞳に、僅かな警戒が浮かんでいる。


『装置を回収しに来る者がいる、ということでしょうか』


「その可能性はあります」


 解析室の扉が開いた。


 入ってきたのは、扇原蘭と羽鳥日和だった。


 蘭の手には、星務庁の紋章が表示された端末が握られている。


「ちょうどいいところに、面倒な連絡が来たよ」


「星務庁からですか?」


「うん」


 蘭は端末の画面を全員へ向けた。


 表示されているのは、証拠物の移管命令。


 中央区地下交通ターミナルで回収された装置十六個と、拘束した六人の身柄。


 そのすべてを、本日正午までに星務庁へ引き渡すよう記されている。


「早すぎませんか?」


 日和が首を傾げる。


「事件報告書だって、まだ完成してませんよね」


「それどころか、正式な押収物目録も送ってないよ」


「じゃあ、どうして十六個だと知ってるんですか」


 解析室の空気が変わった。


 昨日、現場から回収された装置の正確な数を知っているのは、心導隊と統合管制室。


 そして、回収に立ち会った限られた職員だけ。


 星務庁へ送信された第一報には、複数の装置を押収したとしか記載されていない。


「六人のことも同じ」


 蘭が画面を切り替える。


「拘束した人数は、まだ報告書に載せてない。尋問前に情報が漏れたら困るから、本部内でも閲覧制限をかけてた」


「それでも向こうは知っていた」


 伊織が呟く。


「そういうこと」


 蘭は防護ガラスの向こうへ視線を移した。


「移管命令そのものは本物だよ。星務庁の正規回線から、正規の権限で送られてきてる」


「本物だからこそ、厄介ですね」


『本部長は、何と?』


「拒否したよ」


 蘭が僅かに口元を上げる。


「正確には、解析終了まで移管を延期するって突っぱねた。今ごろ向こうは怒ってるだろうね」


「本部長、強いですねえ」


 日和が感心したように言う。


「権限上は、星務庁の方が上ですよね?」


「だから、ずっと置いておくことはできない。最低限の解析だけ済ませたら、引き渡すことになるよ」


 蘭が端末を操作する。


 一つの装置を映した画像が拡大された。


 黒い外装の底面。


 削り取られた製造番号の下に、僅かな刻印が残っている。


「問題はこっち」


 日和が画像の一部を拡大する。


「消去された刻印を復元しました。十年前まで、星務庁の研究設備に使われていた管理形式と一致しています」


「星務庁が作ったってことか?」


「まだ断定はできないよ」


 蘭が斗真の問いに答える。


「部品が流出しただけかもしれない。廃棄された設備を、誰かが再利用した可能性もある」


『そうでなければ、星務庁の内部に協力者がいることになります』


「うん」


 蘭の声から、普段の柔らかさが消える。


「それを確かめる前に、向こうへ全部渡すわけにはいかない」


 蘭は解析区画の見取り図を表示した。


「装置を第三保管棟へ移すよ。あそこなら、外部回線から完全に切り離して保管できる」


「ここでは駄目なんですか?」


「この解析室は星務庁と共同利用することがあるから、管理権限の一部が向こうにも残ってるの」


 日和が嫌そうに画面を見る。


「遠隔で保管容器を開けられる可能性があるんですね」


「ないとは言い切れないね」


 蘭は桜を見る。


「桜。心導隊に、移送の護衛を頼める?」


『分かりました』


「装置にはまだ精神波が残ってる。通常の警備隊だけで運ばせるより、心導隊がいた方が安全だから」


『六人の身柄はどうしますか』


「そっちは医療区画の隔離室から動かさない。本部長直属の警備班をつけるよ」


 奏が、再び装置へ意識を向けた。


「回収」


「接続」


「待機」


 先ほどまで一定だった声が、僅かに速くなっている。


 奏が表情を曇らせた。


「急いだ方がいいと思います」


『何か変わりましたか』


「待っている声が、近づいています」


     ◇


 午前九時三十六分。


 解析区画と第三保管棟を繋ぐ、地下搬送路。


 装置を積んだ二台の輸送車両が、人気のない通路を進んでいた。


 先行車両には、桜、奏、伊織。


 後方車両には、斗真と二人の解析職員が乗っている。


 地上へ通じる出入口は閉鎖済み。


 搬送路の両側には、異常を検知する星素観測器が一定間隔で設置されている。


《第三保管棟まで、あと八百メートル》


 統合管制室から、蘭の声が届く。


《今のところ、周辺に異常な反応はないよ》


「装置の状態も安定しています」


 日和が観測値を報告する。


「内部の星素出力は、移送開始時から変化ありません」


 先行車両の後部座席。


 奏は目を閉じたまま、装置から聞こえる声へ意識を集中させていた。


「回収」


「接続」


「待機」


 同じ命令が、何度も繰り返されている。


 だが、その間隔は少しずつ短くなっていた。


「桜隊長」


『はい』


「やっぱり、何かが近づいています」


 車両の隣を走る伊織が、周囲へ目を配る。


「どちらからか分かりますか」


「分かりません。声は装置の中から聞こえています。でも、呼びかけている先が――」


 奏の言葉が止まった。


 それまで同じ命令を繰り返していた十六個の装置。


 そのすべてが、同時に別の言葉を発した。


「到着」


「止めてください!」


 奏が叫ぶ。


『停止してください!』


 桜の指示と同時に、二台の輸送車両が急停止した。


 直後。


 前方の壁が、内側へ弾け飛んだ。


 分厚い防護壁の破片が、先行車両へ降り注ぐ。


 伊織が運転席へ身を乗り出し、ハンドルを切った。


 車両が横滑りする。


 巨大な破片が、直前まで車両のあった場所へ落下した。


「何ですか、あれは……」


 崩れた壁の向こう。


 照明の届かない暗闇から、人の形をしたものが歩いてくる。


 一体。


 二体。


 三体。


 その数は、全部で六体。


 人間より一回り大きな体躯。


 全身を覆う外殻には、継ぎ目が存在しない。


 金属でも、岩石でもない。


 赤黒い星素そのものを圧縮し、鎧の形へ固めたような身体。


 頭部に顔はなく、細い亀裂の奥で赤い光だけが明滅している。


《未登録の星素反応を六つ確認!》


 日和の声が響く。


《人間の星脈反応がありません。機械類とも一致しません!》


「警告します!」


 伊織が車外へ出る。


「所属と目的を明らかにしてください!」


 六体は答えない。


 一斉に頭部を動かし、後方車両へ視線を向けた。


 装置が積まれている場所を、正確に捉えている。


『目的は、回収された装置ですね』


 桜も車両を降りた。


 その身体から、淡い桃色の星素が広がる。


 眠気。


 恐怖。


 戦意の収奪。


 複数の干渉が、六体へ同時に送られた。


 何も起こらない。


 歩みすら止まらない。


 桜の星素は確かに触れている。


 防がれたわけでも、分散されたわけでもない。


 受け取るものが、そこに存在しなかった。


「効いていない……?」


 伊織が目を見開く。


 桜は静かに六体を見つめていた。


『奏。あの中から、何か聞こえますか』


「確認します」


 奏が目を閉じる。


 六体へ意識を向けた瞬間、その顔から血の気が引いた。


「ない……」


『奏?』


「何もありません」


 怒りも。


 恐怖も。


 命令に従う忠誠心も。


 誰かを傷つけようとする悪意さえ存在しない。


 ただ、感情を伴わない命令だけが流れている。


「接近」


「排除」


「回収」


 奏が目を開く。


「桜隊長。あれには、本当に心がありません」


 六体が同時に地面を蹴った。


 一体が先行車両へ迫る。


 伊織の姿が、その視界から消えた。


 クラフト――「盲点」。


 相手の認識から自分の存在を外し、その死角へ潜り込む星能。


 伊織が側面へ回り、外殻の継ぎ目を探す。


 だが、顔のない頭部が伊織の動きを追った。


「見えている?」


 巨大な腕が振るわれる。


 伊織は咄嗟に身体を沈めた。


 頭上を通過した腕が、先行車両の側面を抉り取る。


「認識で捉えているんじゃない……!」


《周囲の星素変動を感知してるみたい》


 蘭が観測結果を伝える。


《盲点で意識から外れても、伊織さんの星素そのものを追ってる》


「厄介ですね」


 伊織が距離を取る。


 別の二体が後方車両へ迫る。


 斗真が両腕を広げた。


「止まれ!」


 透明な膜が、地下搬送路を満たす。


 クラフト――「無響室」。


 外部から伝わる音と精神波を遮断する空間。


 六体の動きが、同時に止まった。


「効いた!」


 解析職員の一人が声を上げる。


 だが停止したのは、僅か一秒。


 六体の頭部にある赤い光が点滅する。


 それぞれが異なる方向へ身体を向け、再び動き出した。


「嘘だろ」


《外部からの命令は切れてるよ》


 蘭が告げる。


《でも、個別に組み込まれた行動へ切り替わったみたい》


「命令がなくても動けるのかよ」


「違います」


 奏が声を上げる。


「新しい命令を受けたんじゃありません。最初から、二つの命令を持っています」


 外部からの指示が届いている間は、全体で連携する。


 接続が切られた場合は、各個体が事前に与えられた命令を実行する。


 思考しているわけではない。


 判断しているわけでもない。


 定められた動きを、正確に繰り返しているだけ。


『斗真さん。そのまま無響室を維持してください』


「でも、止まりませんよ!」


『構いません。六体の連携は切れています』


 桜は全体を見渡した。


 二体が後方車両。


 一体が先行車両。


 残る三体は、地下搬送路の出入口を塞ぐように散開している。


 先ほどまで完全に揃っていた動きに、僅かなずれが生まれていた。


『伊織さん。後方車両へ向かっている二体を引き離してください』


「了解しました」


『奏は、個体に残された命令を追ってください。次の行動が分かるはずです』


「やってみます」


 伊織が走り出す。


 盲点で姿を消しても、星素反応までは隠せない。


 ならば、追われることを利用する。


 伊織は二体の間を抜け、星素出力を意図的に上げた。


 二体の頭部が、同時に伊織を追う。


「こちらです」


 伊織が壁際へ駆ける。


 二体が方向を変えた。


 後方車両から引き離されていく。


 残る一体が、輸送車両の荷室へ拳を振り上げた。


「右腕を振り下ろします!」


 奏が叫ぶ。


 桜が運転席の扉を開け、中にいた解析職員の腕を掴む。


『外へ』


「えっ――」


 職員の身体が引き出された直後。


 巨大な拳が車両の屋根を貫いた。


 荷室の扉が歪み、内部へ積まれていた星素遮断容器が露出する。


 一体が、容器へ腕を伸ばす。


「回収」


 奏の耳へ、命令が響く。


「装置を持っていきます!」


『渡すわけにはいきません』


 桜が、その進路へ立った。


 顔のない頭部が桜を捉える。


 右腕が振り上げられた。


 そこに敵意はない。


 怒りも、殺意もない。


 障害物を排除する。


 ただ、それだけの動作。


 桜は動かない。


「桜隊長!」


 奏が叫ぶ。


 拳が振り下ろされる直前。


 伊織が桜の腰を抱え、横へ跳んだ。


 二人のいた場所へ拳が直撃する。


 路面が砕け、地下搬送路全体が揺れた。


「避けてください!」


 伊織が桜を支えたまま声を上げる。


「心がなくても、攻撃は当たります!」


『申し訳ありません。助かりました』


「無茶をしないでください」


 桜は立ち上がり、敵へ目を向ける。


 表情は変わっていない。


 だが、桃色の星素は既に収められていた。


 通じない力を繰り返すことはしない。


『奏。核は見つかりますか』


「探しています。でも、感情の残響がないので、位置を絞れません」


『命令が最も強く聞こえる場所を探してください』


「命令の……」


 奏が六体を見つめる。


 心はない。


 声もない。


 だが、命令だけは存在している。


 その命令が、どこから全身へ伝わっているのか。


 奏は再び目を閉じた。


「接近」


「排除」


「回収」


 同じ言葉を一つずつ分けていく。


 外殻を流れる星素。


 四肢へ伝わる命令。


 すべての起点。


 胸部の奥。


「見つけました!」


 奏が一体を指す。


「胸の中央です。外殻の奥に、命令を送り出しているものがあります!」


『斗真さん。無響室の範囲を絞れますか』


「一体だけ切り離すってことですか?」


『はい』


「できます。でも範囲を絞れば、残り五体の接続が戻ります」


『三秒あれば十分です』


「何をするつもりですか」


『伊織さんが、核を取り出します』


 伊織が一瞬だけ桜を見る。


「私ですか」


『外殻が開く瞬間を、奏が教えてくれます』


「随分と簡単に言いますね」


『伊織さんならできます』


 迷いのない言葉だった。


 伊織は短く息を吐き、敵へ向き直る。


「分かりました」


 桜が後方車両にいる二人の職員を見る。


『車両の陰から出ないでください』


 二人は青ざめた顔で頷いた。


『始めます』


 斗真が両手を、一体へ向ける。


「三秒だけだぞ!」


 透明な膜が収束した。


 六体を覆っていた無響室が、一体の周囲だけへ縮まる。


 同時に、残る五体の赤い光が強く輝いた。


 接続が戻る。


 五体が一斉に方向を変え、斗真へ向かう。


 対して、切り離された一体は僅かに動きを鈍らせた。


「右腕が来ます!」


 奏の声。


 伊織が踏み込む。


 振り下ろされた拳を紙一重でかわす。


「次、左へ旋回!」


 敵の身体が回転する。


 伊織はその動きに合わせ、背後へ滑り込んだ。


「胸部が開きます!」


 攻撃の出力を上げるため、胸部へ星素が集中する。


 赤黒い外殻が僅かに割れた。


 奥で脈打つ、黒い球体。


 伊織の手が伸びる。


 一秒。


 二秒。


 指先が、核へ触れた。


 瞬間。


 切り離されていた一体が、予定にない動きを見せた。


 頭部が百八十度回転する。


 伊織へ、腕が伸びる。


「そんな動き、聞こえなかった……!」


 奏が息を呑む。


 核を守るための動きではない。


 自らの胸部ごと、伊織を押し潰そうとしている。


『伊織さん!』


 淡い桃色の星素が、伊織の心へ触れた。


 恐怖を奪う。


 同時に、迷いを消し去るほどの冷静さが与えられる。


 迫る腕。


 閉じ始める外殻。


 伊織は手を引かなかった。


 核を掴み、力任せに引き抜く。


 その身体へ腕が届く直前。


 三秒が過ぎた。


「解除!」


 斗真が無響室を解く。


 六体の接続が戻る。


 核を失った一体から、赤黒い光が消えた。


 巨体が崩れ落ちる。


 伊織はその下から転がり出た。


「取った……!」


 右手には、黒い球体が握られている。


 だが、残る五体は止まらない。


 同時に伊織へ向き直った。


 胸部の奥。


 五つの核が、赤く点滅する。


《急激な星素出力の上昇を確認!》


 日和の切迫した声が響く。


《五体とも内部崩壊を始めています!》


「自爆する気か!」


《爆発まで、推定十二秒!》


 斗真が周囲を見る。


 地下搬送路。


 地上へ逃げる時間はない。


 輸送車両には、解析職員が残されている。


 さらに荷室には、十六個の感情増幅装置。


 ここで爆発すれば、装置に蓄積された星素まで連鎖する。


『斗真さん』


 桜が静かに呼ぶ。


「分かってる!」


 斗真が両腕を広げた。


 無響室が、再び展開される。


 だが今度は、五体を閉じ込めるためではない。


 輸送車両と心導隊員たち。


 守るべきすべてを覆うように、透明な膜が幾重にも重なっていく。


「無響室は精神波を遮る力です」


 斗真の腕が震える。


「物理的な爆発まで、完全には止められない!」


『止める必要はありません』


 桜が答える。


『外側へ漏れる星素だけ、切り離してください』


「爆発そのものはどうするんですか」


『輸送車両を使います』


 伊織が即座に意図を理解した。


「一台をぶつけて、奥へ押し込みます」


『お願いします』


 伊織が先行車両へ飛び乗った。


 エンジンを始動させる。


 五体が迫る中、アクセルを踏み込んだ。


 無人の車両が急加速する。


 一体を正面から撥ね飛ばし、そのまま残る四体へ突っ込んだ。


 車両と五体が、崩れた壁の向こうへ押し込まれる。


「あと三秒!」


 日和の声。


 伊織が走る。


 桜が手を伸ばし、その腕を掴んだ。


『斗真さん、閉じてください!』


「無響室――最大出力!」


 透明な膜が、崩れた壁の穴を塞いだ。


 直後。


 白い閃光が暗闇を満たす。


 轟音。


 地下搬送路が大きく揺れた。


 壁面へ亀裂が走り、天井から粉塵が降り注ぐ。


 透明な膜が激しく歪む。


 斗真の足が、路面を滑った。


「ぐっ……!」


 無響室の表面へ、赤黒い星素が何度も叩きつけられる。


 遮断された星素が行き場を失い、壁の向こうで渦を巻く。


「まだ……終わってねえ!」


 斗真が歯を食いしばる。


 額から汗が流れ落ちる。


 桜が、その背中へ手を添えた。


 疲労は消せない。


 消費した星素も戻せない。


 それでも、限界へ近づく身体を支えるための冷静さを与えることはできる。


『大丈夫です。あなたなら保てます』


「簡単に……言ってくれますね」


『信じていますから』


「それ、断れないやつだろ……!」


 斗真が両足を踏みしめる。


 透明な膜が、赤黒い星素を押し返していく。


 やがて。


 壁の向こうから、光が消えた。


《星素反応、消失》


 蘭の声が響く。


《地下搬送路の構造も保たれてる。全員、無事?》


「何とか」


 斗真が無響室を解く。


 その場へ片膝をついたが、倒れはしなかった。


 伊織が回収した黒い核を、路面へ置く。


「こちらも確保しています」


「解析職員二名、負傷なし」


 奏が後方車両の中を確認する。


「装置も、十六個すべて無事です」


《了解。すぐに救援班を送るよ》


 蘭の声に、僅かな安堵が混じった。


《よく守ってくれたね》


 粉塵の漂う搬送路。


 桜は、崩れた壁の向こうを見つめていた。


 そこには、砕け散った赤黒い外殻しか残っていない。


 人の身体はない。


 機械の骨格もない。


 六体すべてが、星素だけで作られていた。


「桜隊長」


 奏が隣へ立つ。


「あれに、桜隊長の力は届かないんですか」


 桜は、僅かに視線を下げた。


 奏が拾い上げた外殻の欠片。


 そこからは、今も何の感情も聞こえない。


『レゾナンスでは、触れられません』


 奏が桜を見る。


 精神系の力ではない。


 自分の力ではない。


 桜は、レゾナンスでは、と答えた。


 その違いが気になった。


 だが、奏が尋ねるより先に、桜は倒れた斗真のもとへ歩き出していた。


『斗真さん。立てますか』


「少しくらい休ませてくださいよ」


『では、救援班が来るまで休んでいてください』


「意外と優しい」


『歩けるようになったら、第三保管棟までお願いします』


「やっぱり人使いが荒い……」


 斗真が路面へ座り込む。


 伊織もその隣へ腰を下ろした。


「ですが、全員を守れました」


「敵には逃げられたけどな」


「一体分の核も確保しています」


 伊織が黒い球体を見る。


「十分でしょう」


 奏は三人を見つめた。


 桜の力は通じなかった。


 伊織の盲点も見破られた。


 斗真の無響室によって外部命令を遮断しても、星殻兵は事前に組み込まれた行動へ切り替えた。


 それでも、誰一人欠けていない。


 敵の目的だった装置も、すべて守り切った。


 桜は敵を倒していない。


 戦いを終わらせてもいない。


 ただ、三人が力を発揮できる場所を作り続けた。


 それが、今日の心導隊の戦いだった。


     ◇


 午後一時十五分。


 アストラ本部、統合管制室。


 回収された黒い核の解析結果が、大型画面へ表示されていた。


「生体組織なし。機械部品もなし」


 日和が検査項目を読み上げる。


「構成物質の九十八・七パーセントが、凝縮された星素です。残りは外殻を維持するための人工触媒」


「核そのものが、星脈の代わりをしていたみたいだね」


 蘭が波形を拡大する。


 人間の星脈は、感情や意思によって星素の流れが変化する。


 だが、回収された核に揺らぎは存在しない。


 あらかじめ刻み込まれた命令に従い、決められた経路へ星素を流すだけ。


「感情も、思考も、自我もない」


 蘭が結論を告げる。


「本当に、心を持たない兵士だよ」


「そんなものを、星素だけで作れるんですか」


 日和の問いに、蘭はすぐには答えなかった。


 現在の星脈工学では、人間の星能を補助する装置は作れる。


 星素を蓄積し、放出する兵器も存在する。


 だが、自律して戦闘を行う存在を、星素だけで構成する技術など公表されていない。


「この核の中に、識別情報が残ってた」


 蘭が一つの文字列を表示する。


 大部分は破損している。


 それでも、先頭に記された名称だけは読み取ることができた。


 星殻兵。


「これが、あれの名前……」


 日和が画面を見つめる。


「たぶんね」


「開発者の情報は?」


「消されてる。でも、気になるものがあるよ」


 蘭が、核の内部構造と感情増幅装置の設計図を並べた。


 二つの画像。


 用途も、形状も異なる。


 だが、星素を循環させる中枢部分だけが、完全に一致している。


「同じ技術から作られています」


 日和が気づく。


「感情増幅装置と、星殻兵が……」


「うん。それだけじゃない」


 蘭は、さらに別の資料を表示した。


 大門剛士の星脈を強制的に開いた装置。


 旧西央放送局で回収された、強制クラフトの研究資料。


 三つの中枢構造が、同じ形式で作られている。


「人の星脈を無理やり開く技術」


「感情を増幅する技術」


「そして、星素だけで兵士を作る技術」


 日和の顔から、普段の軽さが消える。


「全部、同じ研究から生まれたものなんですか」


「少なくとも、根っこは同じだと思う」


 統合管制室の扉が開いた。


 本部長が入ってくる。


「星務庁から、再度の移管命令が届いた」


 蘭が椅子を回す。


「今度は何を渡せと?」


「装置十六個。拘束した六人。そして、地下搬送路で回収された正体不明の核だ」


 日和が息を呑む。


「核のことまで、もう知ってるんですか」


「そうらしい」


 星殻兵の襲撃から、まだ四時間も経過していない。


 正式な報告は作成されていない。


 星務庁へ連絡した者もいない。


 それにもかかわらず、向こうは新たな押収物の存在まで把握している。


「移管は?」


「拒否した」


 本部長は短く答えた。


「この件に関するすべての情報を、本日付で本部長権限の最高機密へ指定する」


「星務庁へ逆らうことになりますよ」


「逆らう相手が星務庁だけならな」


 本部長の視線が、画面に表示された星殻兵の名へ向けられる。


「地下搬送路の経路を知っていた者を、全員洗い出せ」


「了解」


「外部だけではない。本部職員も対象だ」


 蘭は一瞬だけ黙った。


 地下搬送路の使用を決定したのは、襲撃の一時間前。


 経路を知っていた者は、アストラ本部の中にも限られている。


 星務庁だけを疑えば済む段階は、既に過ぎていた。


「分かりました」


 蘭が新たな解析画面を開く。


「内部記録も調べます」


     ◇


 同時刻。


 星務庁の記録上には存在しない、地下研究区画。


 五つの画面から、星殻兵の反応が順番に消えていく。


 最後まで残っていた映像も、激しい光とともに途切れた。


「星殻兵五体、消失」


 研究員が報告する。


「一体の核は、アストラに回収されました」


「構いません」


 御門朔夜は、地下搬送路の映像を見つめていた。


 伊織が敵を引きつける。


 奏が命令の起点を見抜く。


 斗真が星素の爆発を閉じ込める。


 そして桜は、三人の力を繋ぎ合わせた。


「装置の回収には失敗しました」


「ええ」


「六体すべてを失ったにもかかわらず、ですか?」


「目的は果たしました」


 朔夜が映像を停止する。


 画面の中央。


 桜が星殻兵へ精神干渉を行った瞬間が映し出されている。


 淡い桃色の星素は外殻へ触れている。


 それでも、星殻兵は一歩も止まらなかった。


「九条桜の精神干渉は、正常に作用しませんでした」


 研究員が観測結果を表示する。


「付与、収奪、ともに反応なし。星素は対象を通過しています」


「予想どおりです」


「ですが、心導隊は星殻兵を退けました」


「九条桜は優秀な指揮官です。彼女の力が使えなくなっただけで、心導隊が無力になるとは考えていません」


 朔夜は、回収された核から送信されていた最後の情報を確認する。


 星殻兵は失われた。


 代わりに、必要な観測記録は得られた。


 心を持たない存在へ、九条桜の力は届かない。


 人間である限り逃れられなかった彼女の領域。


 その外側に立つ兵士を、作り出すことができた。


「次の個体には、個別判断機構を追加してください」


「命令網を切断されても、連携を維持できるようにします」


「それから、星素感知の精度を上げましょう。盲点への追従には僅かな遅れがありました」


「了解しました」


 研究員が端末へ指示を入力する。


 朔夜は画面の中の桜を見つめた。


 その表情に、動揺はない。


 力が通じなかったというのに、焦りも、恐怖も見せていなかった。


「何を考えているのでしょうか」


 研究員が呟く。


「自分の能力が通じない敵を前にして、なぜあれほど落ち着いていられるのか」


「考えていることまでは分かりません」


 朔夜が静かに答える。


「ですが、いずれ理解するでしょう」


 画面が切り替わる。


 整然と並ぶ、無数の黒い核。


 一つずつに赤黒い星素が注ぎ込まれ、人の形をした外殻が作られ始めている。


「心を持たないものから、奪えるものはない」


 空洞だった頭部に、赤い光が灯る。


「与えた感情を受け取る心もない」


 最初の一体が、ゆっくりと立ち上がった。


「九条桜の力が、すべての敵へ届くわけではありません」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。