↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/34

二話「残された声」

 事件から一夜が明けても、男が最期に残した言葉の意味は分からなかった。


 アストラ中央本部、第三作戦会議室。


 壁面モニターには、昨日の商業施設で暴走した男の顔写真と、星脈検査の結果が並んでいる。


「星籍照合、該当なし。出生時検査を含め、過去に星能の発現兆候も確認されていません」


 扇原蘭が淡々と報告する。


 長机の向かいには、心導隊隊長の九条桜と、副隊長の雨宮奏が座っていた。


 桜は黒髪のショートヘアに、ピンクの差し色が入った白い隊服をまとっている。腕に輝くのは、隊長だけに許された金色の指揮章。


 その隣に座る奏は、十四歳という年齢に似つかわしくない鋭い目で検査結果を見つめていた。金髪のツインテールと幼い顔立ち。だが、その腕には紛れもなく副隊長を示す銀色の指揮章がある。


『死因は、星脈鎮静剤ではないのですね』


「医療班の見解ではね」


 蘭がモニターを切り替える。


 人体を走る星脈の画像。その大部分が赤く変色し、至るところで断裂していた。


「鎮静剤が投与された時点で、星脈の崩壊は始まっていた。投与しなくても、数分以内に死亡していた可能性が高いって」


「星能の出力に、肉体が耐えられなかった」


 奏が呟く。


「それだけなら、未熟なクラフトの暴走でも起こり得る。でも、この人には発現へ至るまでの成長がありません」


「うん。普通のクラフトなら、星脈が少しずつ成長した痕跡が残る。昨日まで百七十Stにも満たなかった人間が、突然一万二千St以上を放出するなんてあり得ない」


 強い必要性や極限状態を契機に、クラフトが突如として発現することはある。


 だが、何もないところから力が生まれるわけではない。


 本人が気づいていなくても、星脈には必ず、その力が育ってきた痕跡が残る。


 昨日の男には、それがなかった。


 会議室の扉が開き、一人の女性が入ってきた。


 危機広報部長、高城文乃。


 手にした端末を桜の前へ置く。


「一時間後に緊急会見を行います。こちらが星務庁から届いた発表原稿です」


 桜が画面へ目を落とす。


 数行を読んだところで、その表情から柔らかさが消えた。


『“未登録のクラフトが突発的に暴走した事故”とありますが、これは確定した情報ですか?』


「いいえ。現段階では星務庁の見解にすぎません」


『でしたら、私はこのとおりには読めません』


「そうおっしゃると思っていました」


 文乃は原稿を回収し、別の資料を表示させた。


「危機広報部で作成した原稿です。確認されている事実と、現在調査中であることだけを記載しています」


『ありがとうございます、高城部長』


「お礼は、会見を無事に終えてからお願いします」


 桜は資料を確認すると、隣に座る奏へ顔を向けた。


『奏。現場の再調査をお願いします』


「桜隊長は来ないのですか」


『私は国民の皆様へ、現時点で判明していることを説明しなければなりません』


 奏はわずかに視線を伏せた。


 ほんの一瞬だったが、桜はその変化を見逃さなかった。


『あなたなら任せられます』


「……当然です。心導隊の副隊長ですから」


『はい。ですから、お願いしています』


 奏は平静な顔で立ち上がった。


「行ってきます」


 返事は素っ気ない。


 だが、会議室を出ていく足取りは、入ってきた時よりわずかに軽かった。


 昨日の事件現場となった商業施設は、現在も封鎖されていた。


 割れたガラス。砕けた床。曲がった支柱。


 天衝隊によって八名の要救助者が救出されたが、暴走した本人を含め、多数の負傷者が出ている。


 正面入口で待っていた警察官が、奏たちを見て眉をひそめた。


「心導隊が来ると聞いていたが……責任者は?」


「私です」


 奏が答える。


「いや、そうではなくて。現場指揮官を――」


「心導隊副隊長、雨宮奏です」


 奏が腕の銀色の指揮章を見せる。


 警察官は言葉を失った。


 十四歳の少女と、副隊長という役職が結びつかないのだろう。


「確認は終わりましたか」


「あ、ああ……」


「では、監視記録、被害者の所持品、事件発生前から所在が確認できていない施設関係者の一覧を見せてください」


「所在不明者がいると、なぜ?」


「昨日の暴走が誰かに仕組まれたものなら、証拠を処分する人間が残されている可能性があります」


 警察官の顔つきが変わった。


「……分かった。すぐ用意する」


「お願いします」


 奏の後ろでは、柊木伊織が面白そうにその様子を眺めていた。


「副隊長の年齢を聞かなかっただけ、昨日の人より飲み込みが早いですね」


「余計なことを言わないでください」


「褒めたんですけど」


「伊織さんの褒め言葉は信用していません」


 その横で、水城斗真は施設の内部を見上げていた。


「まだ人の気配が残っています」


「警察と鑑識以外に?」


「断定はできません。空間の反響が不自然です。誰かが意図的に音を立てないようにしている可能性があります」


 奏は通信端末を操作し、二人の星能行使を承認した。


「柊木伊織、水城斗真。現時刻をもって、現場内における星能行使を許可します」


「了解」


「了解しました」


「伊織さんは監視記録を確認してください。斗真さんは私と現場へ。残りの隊員は出入口を封鎖。誰も外へ出さないでください」


 迷いのない指示だった。


 奏と斗真は、昨日男が倒れた吹き抜け広場へ向かった。


 床には巨大な亀裂が走り、その中央だけが黒く焦げている。


 証拠品保管箱の中には、男が所持していた財布、社員証、鍵、それに画面の砕けた携帯端末が収められていた。


 奏は端末の前で膝をつく。


「斗真さん。周囲の音を消してください」


「範囲は?」


「私と証拠品だけで十分です」


 斗真が片手を上げる。


 星素が薄い膜となって広がり、奏と証拠品を包み込んだ。


「無響室」


 その瞬間、施設内から音が消えた。


 鑑識官の足音も、通信端末の電子音も、遠くを走る車の音も聞こえない。


 耳が塞がれたのではない。


 奏を取り囲む空間そのものが、外界の音から切り離されている。


 奏は手袋を外し、砕けた携帯端末へ指先で触れた。


 目を閉じる。


 無数の声が流れ込んできた。


 仕事への不満。


 家族から届いた短い連絡。


 支払いを忘れていた焦り。


 昼食を何にするかという迷い。


 どれも、ごく普通の感情だった。


 その奥に、異質なものがある。


 冷たい。


 暗い。


 何かに怯えながら、それが何なのかさえ理解できていない。


 奏はさらに意識を沈めた。


 途切れた声が、少しずつ輪郭を持つ。


 ――俺には、そんな力なんてない。


 男の声。


 ――ありますよ。


 知らない女の声が、それに答える。


 優しく、穏やかで、相手を安心させるような声。


 だからこそ、奏は本能的な嫌悪を覚えた。


 ――あなたにも星はある。


 背筋を、冷たいものが走る。


 ――開いてあげる。


 奏は端末から手を離した。


 現実の音が一気に戻ってくる。


「副隊長?」


 斗真が手を伸ばしかける。


「触らないでください」


 奏の声に、斗真の手が止まった。


「……すみません」


「いえ。今、触れられると、あなたの感情まで混ざります」


「何が聞こえたんですか」


「昨日の男性が最期に口にしたものと、同じ言葉です」


 奏は砕けた端末を見下ろした。


「女の声で、“開いてあげる”と」


 その時、通信が入った。


《奏、伊織から報告》


 蘭の声だった。


「つないでください」


「副隊長。監視記録に一人、不自然な人物が映っています」


 伊織の声へ切り替わる。


「施設の保守担当者です。避難指示が出たあと、一人だけ地下設備区画へ向かっています。現在も退館記録がありません」


「顔は確認できますか」


「星籍に該当なし。出生時検査にも異常なし。昨日までなら、普通の人です」


 昨日までなら。


 その言葉に、奏が立ち上がった。


「現在位置は?」


「地下二階、西側機械室。先ほど扉が内側から開きました」


「伊織さんは対象を追跡。接触はしないでください。斗真さん、地下へ向かいます」


「了解」


 奏たちは非常階段を下りた。


 地下二階には照明がほとんど残っていない。非常灯の赤い光だけが、狭い通路を照らしている。


 曲がり角の先に、作業服姿の男がいた。


 男は壁際の制御盤へ向かって歩いている。


 右手には、小さな黒い端末が握られていた。


 伊織の姿は見えない。


 だが、既に近くにいるはずだった。


「そこで止まってください」


 奏が呼びかける。


 男は足を止めた。


 ゆっくりと振り返る。


「……俺は、何をしている?」


 自分の手にある端末を見て、男が困惑する。


「それを床へ置いてください」


「知らない。こんなもの、俺は知らない」


「分かっています。ですから、ゆっくり置いてください」


 男の指が震えた。


 端末が手から滑り落ちる。


 床へ触れる直前、黒い端末から女の声が流れた。


「――目を覚まして」


 奏の耳に、別の声が突き刺さった。


 殺せ。


 殺せ。


 目の前にいる者を、すべて。


「全員、伏せて!」


 奏が叫んだ直後、壁の金属板が内側から弾け飛んだ。


 剥がれた金属が細長くねじれ、無数の刃となって通路を走る。


「右へ三歩!」


 斗真が跳ぶ。


 直前まで立っていた場所を、金属の刃が貫いた。


「斗真さん、端末を無響室へ!」


「了解!」


 斗真が黒い端末へ手を向ける。


 透明な空間膜が端末だけを包み、女の声が途切れた。


 だが、男の星能は止まらない。


 壁、床、天井。


 あらゆる金属が引き剥がされ、刃へ変わっていく。


「前方二本、左から一本!」


 奏の指示に従い、隊員たちが回避する。


 攻撃が放たれる前に、奏には聞こえていた。


 男自身の殺意ではない。


 植えつけられた何かが、次にどこを攻撃しようとしているのかを叫び続けている。


「伊織さん、今です!」


 男が奏へ意識を向けた、その背後。


 誰もいなかったはずの暗がりから、伊織が現れた。


 男の認識が、伊織だけを捉えられずに滑っている。


「少し眠ってください」


 伊織が男の首筋へ星脈鎮静剤を打ち込んだ。


 男の膝が崩れる。


 同時に、宙を走っていた金属片が一斉に床へ落ちた。


 奏はすぐに駆け寄り、男の首へ指を当てる。


「脈拍あり。星脈出力は?」


 隊員が携帯測定器をかざす。


「急速に低下しています。ですが、断裂反応が出ています」


「医療班を呼んでください。星脈が完全に崩壊する前に本部へ搬送します」


《界航隊へ緊急搬送を要請した。到着まで四分》


 蘭の声が聞こえる。


「間に合わせます」


 奏は倒れた男の手を握った。


 触れた瞬間、感情が声となって流れ込んでくる。


 恐怖。


 混乱。


 家へ帰りたいという願い。


 そのすべてを押し潰すように、女の声が響いていた。


 ――あなたにも星はある。


 男は誰かを殺したいわけではない。


 自分の中へ植えつけられた声に、身体を奪われているだけだった。


「この人は、まだ自分の中にいます」


 奏は顔を上げる。


「必ず生きたまま連れ帰ってください」


 同時刻。


 アストラ中央本部の記者会見場には、多数の報道関係者が集まっていた。


 壇上に立つ桜へ、無数のカメラが向けられている。


 高城文乃が会見開始を告げると、桜が静かに頭を下げた。


『昨日、第三居住区中央複合施設で発生した星能事案により、多くの方が負傷し、一名の方が亡くなられました。亡くなられた方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます』


 桜は顔を上げた。


『また、避難にご協力くださった皆様、救助活動へ尽力された警察、消防、医療関係者の皆様へ、深く感謝申し上げます』


 記者の一人が手を挙げる。


「今回の事件は、未登録クラフトの自然発現による暴走事故だったのでしょうか」


 星務庁から渡された原稿には、そう断定する文章があった。


 だが、桜は迷わなかった。


『現段階で、そのように断定できる根拠はありません』


 会見場がざわつく。


「では、第三者が関与した可能性があると?」


『あらゆる可能性を含め、現在、心導隊が調査しています。確認されていない情報を、事実としてお伝えすることはできません』


「市民へ危険が及ぶ可能性は?」


『否定できません』


 ざわめきが大きくなる。


 それでも桜は、根拠のない安心を口にしなかった。


『ですが、私たちは既に調査と警戒を開始しています。不審な音声や端末を確認した場合、ご自身で触れず、警察またはアストラへご連絡ください。どうか、憶測による情報を拡散せず、公式発表をご確認ください』


 桜の声に、精神へ作用する力は一切込められていない。


 それでも、会見場の混乱は少しずつ収まっていった。


 人々が耳を傾けたのは、桜に心を操られたからではない。


 彼女が、これまで一度も都合のよい嘘を口にしなかったからだ。


 搬送された男は、一命を取り留めた。


 アストラ中央本部の医療区画。


 検査室の外で待っていた奏へ、担当医が結果を伝える。


「星脈の断裂は止まりました。星能が完全に発現する前に鎮静できたことが大きい」


「意識は?」


「間もなく戻るでしょう。ただし、星脈には深刻な損傷が残っています」


 医師は検査画像を表示する。


 閉じていたはずの星脈が、内側からではなく、外側から引き裂かれていた。


「これは自然な発現ではありません」


「やはり、そうですか」


「ああ。目覚めたんじゃない」


 医師の指が、星脈の裂け目を示す。


「開かれたんだ。外側から、無理やり」


 背後から足音が聞こえた。


 会見を終えた桜が、医療区画へ入ってくる。


『お疲れさまでした、奏』


「桜隊長。会見はもう終わったのですか」


『はい。二人目を、生きて連れ帰ってくださったのですね』


「心導隊として当然の結果です。伊織さんと斗真さん、それに同行した隊員たちが正確に動いてくれました」


『それでも、最初に異変へ気づいたのはあなたです』


「……私は、聞こえた声を伝えただけです」


『いいえ。あなたの指示が、皆さんを生還させました。よくできました』


 奏は桜から顔をそらした。


「そうですか」


 声はいつもと変わらない。


 けれど、金色のツインテールの隙間から見える耳は、わずかに赤くなっていた。


 その時、検査室の中から機器の作動音が聞こえた。


「患者の意識が戻りました」


 奏と桜が病室へ入る。


 ベッドに横たわる男が、ゆっくりと目を開いた。


「ここは……」


『アストラ中央本部の医療区画です。あなたは保護されています』


 桜が穏やかに答える。


『あなたへ危害を加える者はいません。何があったか、覚えていますか?』


「分からない……俺は、仕事をしていただけで……」


「女性の声を聞きませんでしたか」


 奏が尋ねる。


「女……?」


 男の瞳が揺れる。


 何かを思い出そうとした瞬間、その顔から血の気が引いた。


「星が……」


「星?」


「赤い星を、見た」


 震える声で、それだけを告げる。


 直後、男は再び意識を失った。


 窓の外には、昼の空が広がっている。


 白き幽星は、今はまだ見えない。


 それでも奏の耳には、男の中へ残された恐怖が、いつまでも消えずに響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。