一話「白き星の下で」
『白き幽星は命に脈を授け、巡る星素は天地を鎮める。
されど幽星、緋に蝕まれし刻、天の衡は失われ、世は相容れぬ二つの理へと裂かれん』
◇
星歴一〇〇九年。
人類が幽星を発見してから、千九年。
昼間でさえ空に浮かぶその白い星は、すべての人間へ星脈を与え、自然に安寧をもたらしたと伝えられている。
星脈を通じて現実へ発現する超常の力――星能。
その恩恵を受けた人類にとって、幽星は文明と生命の象徴だった。
だが、幽星が赤く染まれば、世界は二つに裂かれる。
かつては誰もが恐れた神話も、今では古いおとぎ話にすぎない。
少なくとも、この日の朝までは。
◇
国家星能防衛本部の演習区画に、金属同士の衝突音が響いた。
壁面へ打ち込まれた四本の杭。その末端から伸びる鎖が、広い演習場を縦横に走っている。
「第一班、正面に固まりすぎだ! お前ら全員まとめて吹き飛ばされてえのか!」
怒声を飛ばしたのは、堂前蓮司。
三十二歳。短く整えた髪に無精髭を蓄え、白い隊服の上からでも分かるほど逞しい身体を持つ男だった。
左腕には、銀色を基調とした指揮章が輝く。
本部直属、天衝隊副隊長の証である。
「第二班は右へ回れ! 正面は俺が押さえる! 標的の足が止まったら第一班が制圧しろ!」
「了解!」
隊員たちが左右へ展開する。
中央に立つ模擬標的が、物理系星能者を想定した機械腕を振り上げた。
蓮司が右手を引く。
金属音とともに鎖が収縮し、壁面へ打ち込まれていた杭の一本が抜けた。
高速で引き戻された杭が模擬標的の腕へ巻きつき、その動きを止める。
「今だ!」
三人の隊員が同時に踏み込んだ。
一人が標的の脚を払い、もう一人が腕を押さえ、最後の一人が胸部の停止装置へ手を叩きつける。
機械音を響かせて、模擬標的が沈黙した。
「制圧完了!」
「遅い。十七秒もかかってる」
喜びかけた隊員たちの表情が固まった。
蓮司は鎖を消しながら、倒れた模擬標的へ歩み寄る。
「相手が物理系なら、正面に立ってる時間が長いほど死人が増える。副隊長が止めてくれる。隊長が倒してくれる。そんな考えで現場に出るな」
隊員たちが姿勢を正す。
「俺たちの仕事は勝つことじゃねえ。一般人を生きて帰すことだ。忘れるな」
「はい!」
その返事と同時に、演習区画へ警報が鳴り響いた。
壁面の表示が赤へ切り替わる。
《天衝隊へ緊急出動要請》
天井の通信装置から聞こえた声に、隊員全員の表情が変わった。
扇原蘭。
本部の統合管制室から、三つの直属部隊へ指示を送るオペレーターである。
《第三居住区の複合商業施設で、星能者による暴走事件が発生しました。施設内に逃げ遅れた民間人を確認。天衝隊は直ちに出動してください》
「星能系統は?」
《推定物理系。対象は一名。星能の詳細は不明です》
「ギフトか、クラフトか」
《星能者登録に該当なし。過去の発現記録もありません》
蓮司の眉がわずかに動いた。
生まれながら星能を宿すギフトなら、幼少期に発見される場合がほとんどだ。
鍛錬や経験によって後天的に目覚めるクラフトであっても、発現前には何らかの兆候が確認される。
何の記録も持たない人間が、突然強大な星能を発現し、暴走することなど滅多にない。
「取り残された人数は?」
《現在確認できるだけで八名。警備局が施設を封鎖していますが、対象の攻撃範囲を特定できていません》
「了解。第一班から第三班まで出す。救護班も一班つけろ」
《承認します。現場指揮は蓮司さんに一任します》
演習を終えたばかりの隊員たちが、一斉に出動口へ走り出す。
その中で、一人の若い隊員が足を止めた。
「獅堂隊長は出動されないのですか?」
「この程度で隊長を呼んでたら、街がいくつあっても足りねえよ」
《空は本部待機です。現時点では副隊長級案件と判断します》
直後、別回線が強引に接続された。
『あたしも行く』
勝ち気な女の声。
獅堂空。
天衝隊を率いる隊長であり、物理系最強と呼ばれる女性だった。
《空は待機して》
『相手は物理系なんだろ。あたしが行った方が早い』
《一般人八名が取り残されています。施設の耐久性も低下しています》
『だから、壊さねえように加減する』
「隊長の加減が一番信用できねえんだよ」
『あ?』
「何でもありません。副隊長以下で片づけてきますよ」
『十分で終わらせろ。長引いたらあたしが行く』
「へいへい」
《蓮司さん。制限時間ではありませんからね》
「分かってるよ、ランラン」
《任務中にランランと呼ばないで》
蓮司は口元だけで笑い、輸送車両へ乗り込んだ。
◇
第三居住区中央複合施設。
買い物客で賑わう五階建ての建物は、今や見る影もなかった。
正面玄関のガラスは砕け、外壁には内側から殴りつけられたような亀裂が走っている。
天衝隊の車両が封鎖線の前へ停車した。
降り立った蓮司へ、警備局員が駆け寄る。
「対象は四十二歳の男性です。施設内の飲食店に勤務していました。三十分前に突然暴れ始め、現在は一階中央広場にいます」
「武器は?」
「所持していません。ただ……」
警備局員が言葉を切った直後、施設の内側から轟音が響いた。
砕けたガラス片が、正面玄関から噴き出す。
蓮司が腕を振ると、地面へ二本の杭が突き刺さった。杭の間に幾重もの鎖が張られ、飛来する破片を受け止める。
隊員たちは既に、その後方へ退避していた。
「今のが攻撃か?」
「対象が床を殴った衝撃です。接近した警備員三名が負傷しました」
《施設の監視映像を確認。対象の筋力、骨格強度、反射速度が急激に上昇しています》
「物理系の強化型か」
《断定はできません。星素値が安定していない》
蓮司は正面玄関から内部を覗いた。
吹き抜けの中央広場に、一人の男が立っている。
破れた制服。
異様に膨張した両腕。
皮膚の下を、白い光が血管のように走っていた。
男は周囲を睨んでいるわけではない。
怯えていた。
「違う……俺じゃない……」
頭を抱え、何かから逃れるように身体を震わせている。
「俺は、こんなこと……したくない……」
その拳が、本人の意思に反して床へ叩きつけられた。
衝撃が中央広場を走る。
「防御!」
隊員たちが携行盾を構えた。
衝撃に後方へ押されながらも、誰一人として隊列を崩さない。
演習のときとは違う。
盾を構える者。
その肩を支える者。
周囲の瓦礫から民間人を守る者。
全員が、自分の役割を理解している。
《逃げ遅れた八名の位置を送ります。一階東側に三名。二階店舗内に二名。残る三名は西側階段付近です》
「第一班は正面で注意を引け。攻撃する必要はねえ。第二班は東側、第三班は二階へ。西側の三人は俺が行く」
「了解!」
「対象はどうしますか?」
「全員を外へ出してからだ。順番を間違えるな」
蓮司が杭を放つ。
一本は二階の手すりへ。
もう一本は、西側通路の柱へ突き刺さる。
鎖を収縮させ、その身体を一気に引き上げた。
中央広場を飛び越えた蓮司へ、男の腕が向く。
「来るぞ!」
床を殴った衝撃が、蓮司の背後へ迫った。
第一班の隊員が横から飛び込み、耐久力を強化した両腕で携行盾を支える。
激しい衝撃に盾が軋んだ。
「副隊長、今のうちに!」
「助かった!」
蓮司は西側階段へ着地した。
崩れた柱の陰に、母親と幼い子供、足を負傷した老人が取り残されている。
「天衝隊だ。迎えに来たぞ」
「歩けないんです! この人が……!」
「分かってる。全員連れていく」
蓮司は老人の身体へ鎖を巻きつけた。
締め上げるためではない。
脇と腰を支え、担架の代わりとして固定する。
別の鎖を母子の前へ張り、落下する瓦礫を防いだ。
「この鎖から手を離すな。出口まで案内してくれる」
「あなたは?」
「あいつを止める」
母親が鎖を握ると、出口側の隊員がゆっくりと巻き上げ始めた。
蓮司は三人が安全圏へ入ったことを確認し、中央広場へ引き返す。
《東側三名、救出完了。二階の二名も避難経路へ入りました》
「残りは?」
《今、蓮司さんが救出した三名で最後です。民間人全員の退避を確認しました》
「よし」
蓮司が両手を広げる。
周囲の壁と床へ、十本を超える杭が突き刺さった。
「天衝隊、対象を制圧する!」
隊員たちが一斉に動く。
第一班が正面から防御を固め、男の攻撃を受け止める。
第二班が左右から接近し、脚へ拘束具を撃ち込む。
男が腕を振り上げた瞬間、蓮司の鎖がその手首へ巻きついた。
「押さえろ!」
四方の杭へ接続された鎖が、一斉に収縮する。
男の両腕が大きく開かれ、動きを封じられた。
「嫌だ……やめてくれ……!」
「分かってる。お前の意思じゃねえんだろ」
「声が……声がするんだ……!」
「声?」
「星は……誰にでも、あるからって……」
男の皮膚を走る白い光が、急激に強まった。
《対象の星素反応が上昇!》
「全員離れろ!」
男の身体から衝撃が放たれた。
鎖が激しくしなり、杭の数本が床から抜ける。
それでも天衝隊員は退かなかった。
一人が蓮司の前へ飛び出し、強化した身体で衝撃を受け止める。
二人が抜けた杭を拾い、再び床へ打ち込む。
別の隊員が男の足元へ飛び込み、追加の拘束具を装着した。
「固定完了!」
「鎮静剤を投与します!」
救護隊員が男の首筋へ注射器を押し当てた。
蓮司が鎖を引き絞る。
男はしばらく抵抗を続けていたが、やがて全身から力が抜けた。
「対象の沈黙を確認!」
「拘束を維持したまま救護班へ渡せ! 星能が停止したとは限らねえぞ!」
隊員たちが迅速に男を担架へ乗せる。
誰か一人の力で制圧したのではない。
防御する者。
救出する者。
拘束する者。
天衝隊の全員が役目を果たした結果だった。
若い隊員が息を弾ませながら、蓮司を見る。
「制圧まで九分二十七秒です」
「隊長が来る前に終わったな」
蓮司はそう答えたが、表情を緩めなかった。
担架に乗せられた男の腕から、膨張が引いていく。
代わりに、皮膚の内側を走っていた光が赤黒く変色し始めた。
「救護班?」
「星素値、急低下! 呼吸も弱まっています!」
「星能の反動か?」
「違います。これは……星脈そのものが損傷しています!」
救護隊員が蘇生処置を始める。
男の口から血が溢れた。
蓮司は担架のそばへ膝をつく。
「おい。聞こえるか。さっき言ってた声ってのは、誰の声だ」
「分から……ない……女の……声……」
「何を言われた?」
男の焦点が合わない目が、昼の空へ向けられる。
青空の中で、幽星が白く輝いている。
「あなたにも……星は……ある……」
「それだけか?」
「開いて……あげる、って……」
男の身体から、すべての力が抜けた。
救護装置が長い警告音を鳴らす。
「心肺停止!」
「蘇生を続けろ!」
必死の処置が続けられた。
しかし、男が再び目を開くことはなかった。
◇
事件発生から二十七分後。
現場確認のため本部を出た獅堂空が、破壊された施設へ到着した。
高く結った金髪を揺らしながら、救助された人々と天衝隊員を見渡す。
『終わったのか?』
「ああ。民間人は全員無事だ。隊員にも重傷者はいねえ」
『なら、どうしてそんな顔してる』
蓮司は、白い布を掛けられた担架へ目を向けた。
「戦うべき相手じゃなかった」
空から、普段の軽い調子が消える。
『何があった』
「本人に発現の自覚はなし。星能者登録も、発現の兆候もなかった。星能を止めた直後、星脈が崩壊して死亡した」
《対象の過去の記録を確認しました》
蘭の声も、普段より低い。
《星能に関する訓練歴はありません。強い肉体的負荷を受けた記録も、クラフトが発現するほどの極限経験も確認できませんでした》
「だったら、あの力はどこから来た」
《分かりません》
短い沈黙が落ちる。
「最後に、女の声を聞いたと言ってた」
《内容は?》
「あなたにも星はある。開いてあげる――だとよ」
空が担架を見つめる。
『ランラン。この事件の記録を全部、あたしたち三人へ送れ』
《分かった》
『それと、似た事件が過去になかったか調べろ』
《もう照合を始めています》
「隊長」
蓮司は破壊された施設を振り返る。
「あれはクラフトじゃねえ」
『……ああ』
「鍛えて、積み重ねて、自分の生き方の先で手に入れた力じゃねえ。あんなものをクラフトと呼んでたまるか」
空は答えなかった。
白い布の下に横たわる男へ、静かに目を向けていた。
その頭上では、今日も幽星が白く輝いている。
誰一人、気づいてはいない。
純白だった星の縁に、針先よりも小さな赤い光が灯ったことを。




