十九話「止められた極星」
第十二訓練場。
獅堂空は、意識を失った神楽坂玲を両腕で抱えていた。
玲の顔に苦痛の色はない。
だが、全身から星素の気配がほとんど消えている。
「神楽坂!」
訓練場の外にいた蓮司たちが駆け寄る。
蓮司は玲の戦術通信端末を確認した。
「星素残量、ほぼゼロじゃねえか」
『最後ので全部使い切ったみてえだな』
「だな、じゃねえよ」
蓮司が空を睨む。
「止めろって言っただろ」
『玲は壊してねえ』
「意識を失うまでやらせといて、よく言えるな」
『あたしがやらせたんじゃねえ。玲が自分で使い切ったんだ』
「それを止めるのも、お前の役目だろうが」
空は答えず、腕の中にいる玲へ目を落とした。
戦いの途中で終わらせることはできた。
玲の星素が限界へ近づいていることも分かっていた。
それでも、空は止めなかった。
『あそこで止めてたら、朱は出てねえ』
「だから倒れるまで続けさせたのか」
『こいつは、そこまでやるつもりであたしに挑んだんだよ』
蓮司が眉を寄せる。
『手加減して終わらせたら、玲がここへ来た意味がなくなる』
「加減の話をしてんじゃねえ。限度の話だ」
『同じだろ』
「同じじゃねえよ」
空と蓮司が睨み合う。
医療班が訓練場へ入ってきた。
空は玲を処置台へ寝かせる。
医療部の職員が玲の状態を確認し、すぐに搬送を開始した。
「命に関わる状態ではありません。星素の急激な枯渇による一時的な意識消失です」
「星脈の損傷は?」
「今のところ確認されていません。詳しい検査は医療区画で行います」
蓮司が息を吐く。
「分かった。頼む」
処置台が訓練場から運び出される。
空は、その姿が見えなくなるまで玲を見送っていた。
「無事だったからいいようなもんの……」
『無事に終わるようにやったんだよ』
「お前の大丈夫は信用できねえ」
『玲を壊さねえって約束は守っただろ』
「訓練場も壊さなかったのは褒めてやる」
『あたしを何だと思ってんだ』
「何だと思われてるか分かってねえのか?」
蓮司は深いため息をつき、戦術通信端末を操作した。
「戦闘記録を確認するぞ」
『朱か?』
「ああ」
空の口元が持ち上がる。
『あたしも見る』
「お前は医療区画へ行かなくていいのか」
『あたしが行って何すんだよ』
「倒した本人だろうが」
『玲が起きてからでいい』
空は先に記録端末の前へ歩いていった。
「本当に勝手なやつだな……」
蓮司は呟きながら、そのあとを追った。
◇
訓練場の記録端末へ、戦闘終了直前の映像が表示される。
空が玲へ向かって正面から踏み込む。
右拳が、玲の顔へ届く直前。
空の全身が完全に停止した。
「ここだ」
蓮司が映像を一時停止する。
画面の中では、空だけが不自然な姿勢で止まっている。
玲の髪は動いている。
床を滑っていた砂埃も、そのまま流れていた。
「やっぱり、止まったのはお前だけだな」
『ああ』
「絶対静界は、指定した範囲をまとめて止めるギフトだろ」
『今までの使い方ならな』
蓮司が観測記録を確認する。
通常の絶対静界であれば、玲を中心として星素反応が広がる。
しかし、最後の一度だけは違っていた。
玲から引き出された星素は空間へ広がらず、空のいる一点へ集中している。
「周囲へ展開する過程を全部省いたのか」
『だから、あたしが逃げるより早かった』
「実際、どうだった」
『何がだ』
「止められた瞬間だよ」
空は自分の右腕へ目を落とす。
拳を握り、ゆっくりと開いた。
『何もできなかった』
「力で破ることもか?」
『無理だな。力を入れるための動きから止められてた』
蓮司の表情が険しくなる。
「極星一人を、完全停止か」
『ああ』
「もし神楽坂が倒れず、あの状態を維持できてたら?」
『さあな』
空は画面の中で止まっている自分を見る。
『けど、少なくとも止められてた間は、あたしの負けだ』
蓮司が空へ顔を向けた。
空が自分の敗北を認める。
冗談でも、謙遜でもない。
それだけ、玲の朱が完全だったということだ。
「お前にそこまで言わせんのか」
『実際、指一本動かなかったからな』
「とんでもねえもん作りやがったな、神楽坂」
『まだ完成してねえよ』
空は楽しそうに訂正した。
『狙った相手を止めるだけで、四万八千St近く使い切って倒れてんだ。今のままじゃ実戦で一回しか使えねえ』
「それでも、お前を止められる一回だぞ」
『完成すりゃ、もっと長く止められる。倒れずに二回、三回と使えるかもしれねえ』
空の目に、期待が宿る。
「完全停止を何度も使われたら、お前でも厳しいんじゃねえか?」
『だから面白えんだろ』
蓮司は呆れたように空を見る。
「お前、完全に気に入ったな」
『ああ』
空は即答した。
『あいつ、自分で思ってるよりずっと面白えぞ』
画面の中。
玲は空を完全に止めた直後、僅かに笑っていた。
勝てないと分かっている相手へ挑み。
倒れる寸前に、新たな絶対静界を完成させた。
玲は最初から、朱を使えたわけではない。
空との戦いの中で、通常の絶対静界では届かないと認め、その場で新たな使い方を生み出した。
「戦いながら作ったのか」
『追い詰められなきゃ、出てこなかっただろうな』
「だから止めなかったって?」
『そう言ってんだろ』
「それで玲が星脈を壊してたら、碧に殺されてたぞ」
『壊させねえよ』
「その自信がどっから出てくんだよ」
『全部見えてたからな』
空は当然のように答えた。
蓮司は何か言い返そうとして、やめた。
玲の限界も。
星素の流れも。
朱が完成しようとしていることも。
空はすべて理解したうえで、最後まで玲の挑戦を受けたのだ。
「まったく……どっちも無茶苦茶だな」
『一緒にすんな。あたしは倒れてねえ』
「そこじゃねえよ」
◇
アストラ本部、医療区画。
玲が目を開ける。
見慣れた白い天井が視界に入った。
身体を起こそうとするが、腕に力が入らない。
『まだ動かない方がいい』
声のした方へ顔を向ける。
ベッドの傍らに、天城・イワノワ・碧が立っていた。
「……碧様」
『起きたね』
碧の表情は、いつもと変わらない。
玲は記憶を辿る。
空を完全に止めた。
その直後、意識が途切れている。
「申し訳ありません」
『何について?』
「ご相談せず、空隊長へ勝負を申し込んだことです」
『それは、玲が必要だと判断したんだろうから責めない』
碧は淡々と答える。
『でも、星素を使い切って倒れた判断は認められない』
玲は黙ってその言葉を受け止めた。
『空を止めても、自分が倒れたなら実戦では失敗だよ』
「はい」
『一度しか使えず、使用後に戦闘不能になる星能は、使う場面を選ぶ』
「おっしゃるとおりです」
玲は言い訳をしなかった。
碧の指摘は正しい。
空を止められたという結果だけで、その代償を無視することはできない。
『空へ挑んだことは、今も正しかったと思っている?』
「はい」
玲は迷わず答えた。
「必要なことだったと思っています」
『そう』
碧は玲の目を見る。
『なら、その判断が無謀だったことも忘れないで』
「忘れません」
『絶対静界・朱については、体調が戻ったら報告して』
「承知しました」
碧はベッドから離れ、医療室の出口へ向かう。
扉の前で一度だけ足を止めた。
『次は、倒れずに完成させて』
「必ず」
玲の返事を聞き、碧は医療室を出ていった。
◇
碧が退出してから、しばらくして。
医療室の扉が開く。
空と蓮司が入ってきた。
『起きたか、玲』
「空隊長……」
玲はベッドの上から空を見る。
空の身体には、傷一つない。
「勝負は、どうなりましたか」
『お前が倒れた。あたしの勝ちだ』
空は迷わず告げた。
「そうですか」
『負けた気分はどうだ?』
「悔しいです」
『だろうな』
玲は自分の手を見る。
最後に空を止めた感覚は、まだ残っていた。
それでも、空へ次の一手を届かせる前に自分が倒れた。
勝ったとは言えない。
「空隊長」
『なんだ』
「最後の絶対静界は、あなたを止められていましたか」
『ああ』
玲が顔を上げる。
『完全にな。指一本動かなかった』
「そうですか」
玲は小さく息を吐いた。
『満足したか?』
「いいえ」
即答だった。
「止めただけです。私は、その先へ何もできませんでした」
空の口元が上がる。
『なら、朱を完成させろ』
「そのつもりです」
『次は今回みてえに、簡単には止まってやらねえぞ』
玲は真っ直ぐに空を見返した。
「今回も、止まっていただいたつもりはありません」
一瞬の沈黙。
空が声を上げて笑った。
『言うようになったじゃねえか!』
「事実を申し上げただけです」
『ああ。そうだったな』
空は楽しそうに玲を見ている。
以前とは、明らかに違う目だった。
碧の隣にいる副隊長としてではない。
自分を止めた一人の星能者として、玲を見ている。
『早く治せよ』
「空隊長に言われるまでもありません」
『次はもっと長く止めてみろ。その前に、あたしが終わらせるけどな』
「次は、倒れる前に止め続けます」
『楽しみにしてるぞ』
空は満足そうに踵を返した。
「病人を煽るんじゃねえよ」
蓮司がその背中を追う。
『煽ってねえ。約束だ』
「お前ら、次も第十二訓練場でやる気か?」
『ほかに保つ場所ねえだろ』
「今度こそ壊すなよ」
『そっちは知らねえ』
「だから、それを保証しろって言ってんだよ!」
二人の声が遠ざかっていく。
玲は閉じた扉を見つめていた。
敗北した。
その事実は変わらない。
だが、何一つ届かなかったわけでもない。
次は、倒れない。
次は、止めた先へ進む。
玲は布団の上で、静かに拳を握った。
◇
医療区画の廊下。
蓮司は隣を歩く空へ尋ねる。
「さっきの言葉、本人には言わなくてよかったのか?」
『どれだよ』
「朱を完成させたら、次は本気で相手をしてやるってやつだ」
空は足を止めなかった。
『まだ早えよ』
「何がだ」
『今の朱は、あたしを一回止めただけで終わりだ』
「それだけでも十分おかしいけどな」
『完成させて、もう一度あたしの前に立ったら言う』
「本人に伝えた方が、やる気になるんじゃねえか?」
『いらねえよ』
空は迷いなく答える。
『玲は、あたしに認められたくて戦ったんじゃねえ』
蓮司は黙って空を見る。
『自分で決めたことを、自分でやり切るために来たんだ』
だから、今はまだ伝えない。
空に認められたという事実がなくても、玲は再び前へ進む。
『次に闘うとき、どこまで強くなってるか楽しみだな』
空の口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいた。




