↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/44

十三話「静界の亀裂」

 翌日、午前七時四十分。


 アストラ本部、第二作戦会議室。


 大型画面には、都市北部の地図が表示されていた。


 北部廃棄区域。


 建築廃材や使用不能となった車両、大型機械などが集積されている場所である。


 居住者はいない。


 稼働中の公的施設も存在しない。


 その一角から、三つの異常な星素反応が検出されていた。


《昨夜から、反応地点に変化はないよ》


 画面の隅に映る扇原蘭が説明する。


《三つとも、これまでに回収された黒い装置と同じ波形を発してる。ただ、候補者の生体反応は確認できてないの》


「既に区域外へ移された可能性は?」


 神楽坂玲が尋ねる。


《否定できないよ。地下に観測を妨害する設備がある可能性も残ってる》


 玲の隣には、天城・イワノワ・碧が立っていた。


 長い白髪。


 ターコイズブルーの差し込まれた白い隊服。


 その腕には、隊長を示す金色の指揮章が輝いている。


 向かい側に立つのは、界航後方支援部隊隊長、御影遼河。


 その傍らでは、副隊長の相馬千景が現場周辺の座標情報を確認していた。


《今回の目的は、区域内の捜索と黒い装置の確保。候補者を発見した場合は、保護を最優先にして》


「了解した」


 遼河が答える。


「合同部隊の指揮は?」


 蘭が答えるより早く、碧が口を開いた。


『玲に任せます』


 玲が僅かに目を見開く。


「私に、ですか」


『君にだ』


 普段の玲なら、即座に承諾していた。


 森羅隊副隊長として、単独で指揮を執った経験は何度もある。


 だが、今回は森羅隊だけではない。


 界航隊との複隊編成。


 しかも現場には、二人の隊長が同行する。


「御影隊長がおられますが」


「俺たち界航隊は、あくまで後方支援だ」


 遼河が答える。


「ゲートの維持、物資と人員の輸送、退路の確保。複隊編成に参加することはあっても、前線を含む全体指揮を執ることはまずない」


 遼河は画面に表示された北部廃棄区域を見る。


「異常が発生した場合、現場全体を動かす指揮官が必要になる。今回は、お前が適任だ」


「……承知しました」


 玲は姿勢を正し、碧を見る。


「必ず、碧様のご期待に応えてみせます」


 碧はすぐには答えなかった。


『私の期待ではなく、現場を見ろ』


「はい」


『私も、君の指示に従う』


 その一言が、玲の胸へ重く落ちた。


 碧が自分の指示に従う。


 森羅隊の副隊長として、それ以上の名誉はない。


「神楽坂玲、合同部隊の指揮を拝命します」


     ◇


 午前八時二十二分。


 北部廃棄区域の外周に、青白い亀裂が走った。


 空間系ギフト――「ゲート」。


 縦に開いた亀裂が楕円形へ広がり、その向こうにアストラ本部の転送区画が映し出される。


 御影遼河を先頭に、界航隊と森羅隊が現場へ足を踏み入れた。


 最後に、碧と玲がゲートを通過する。


 周囲には、金属の山がいくつも連なっていた。


 潰された廃車。


 折れ曲がった鉄骨。


 錆びた配管。


 解体された大型機械の部品。


 どこを見ても、人の生活を終えた物ばかりが積み上げられている。


 空には幽星が浮かんでいた。


 白い表面の縁で、赤い光が僅かに脈打っている。


「相馬副隊長。撤退用ゲートの座標を固定してください」


「了解しました」


 千景が地面へ片手を置く。


「界錨」


 淡い紫色の星素が地面を走り、ゲートの周囲へ円形の紋様を刻んだ。


「座標固定、完了。周辺に空間系の妨害反応はありません」


「御影隊長はゲートを維持。界航隊は装置を発見しても、私の許可なく接触しないでください」


「了解した」


「篠宮さん」


「はい」


 篠宮澄香が一歩前へ出る。


「区域内の生体反応と、三つの星素反応の正確な位置を確認してください」


「露標」


 澄香の周囲に、無数の透明な小球が生まれた。


 水滴にも見える小球は、廃材の隙間や地面の亀裂へ入り込み、区域全体へ散っていく。


「土門さんは進入経路の安全を確認。地盤が崩れる可能性のある場所は、地縫で固定してください」


「了解」


 土門岳が地面へ触れる。


 黄色い星素が地中へ広がり、廃材の重みに耐えられなくなっている箇所を探り始めた。


「碧様には、区域外周の監視をお願いいたします」


『外周でいいのか』


「生体反応を隠蔽した候補者や、敵の別働員が潜んでいる可能性があります。不測の事態へ対処できる方を、内部の捜索だけに割くべきではありません」


 碧は玲を見つめた。


 命令の意図を確かめるような視線だった。


 玲は逸らさない。


『分かった』


 碧が区域の外周へ向かう。


『君の指示に従う』


「ありがとうございます」


 玲は碧の背中を見送った。


 判断に誤りはない。


 役割の配分も適切だった。


 それでも、自分から離れていく白い背中を見ていると、胸の奥に僅かな緊張が生まれる。


 碧様から任された。


 必ず、結果で応えなければならない。


「神楽坂副隊長」


 澄香の声が、玲の意識を現場へ戻す。


「三つの反応地点を確認しました。事前の観測結果と一致しています」


 端末の地図へ、三つの印が表示される。


 三角形を描くように、それぞれが数百メートル離れている。


「生体反応は?」


「ありません。地表にも、地下にも人間と思われる熱源は確認できません」


「候補者はいない……」


 玲は三つの地点を見比べた。


「第一地点へ向かいます。第二、第三地点には観測要員だけを先行させてください。装置の状態が判明するまで、回収は行いません」


「了解!」


 合同部隊が動き出す。


 廃材の山の間に作られた細い通路。


 土門が足場を固定し、その上を森羅隊と界航隊が進んでいく。


 玲は歩きながら、戦術通信端末へ表示された三つの反応を見つめていた。


 脈動の間隔は、完全に同じ。


 強さも、増減の周期も一致している。


「相馬副隊長」


「何でしょうか」


「この三つは、別々の装置だと思いますか」


 千景が端末を確認する。


「物理的には分離しています。しかし、星素の動きだけを見れば、一つの装置にある三つの部品と考える方が自然です」


「三つで一つ……」


 玲が呟いた直後。


 三つの反応が、同時に大きく脈打った。


《全員、止まって!》


 蘭の声が通信へ響く。


《三地点の星素出力が上昇してる!》


「全隊員、防御態勢!」


 玲の指示と同時に、廃棄区域の地面が揺れた。


 地震ではない。


 積み上げられていた廃材が、ひとりでに動き始めている。


 廃車が金属の山から引き抜かれる。


 鉄骨が空中へ浮かぶ。


 無数の機械部品が、三つの反応地点へ向かって飛んでいく。


「絶対静界!」


 玲を中心に、無色の領域が広がった。


 宙を飛んでいた廃材が、一斉に動きを止める。


 潰れた車体。


 数メートルの鉄骨。


 人の身体よりも大きな機械部品。


 そのすべてが、空中へ縫い止められたように静止した。


「負傷者は?」


「いません!」


「第一班は後退。第二、第三地点の観測要員も、その場から離れなさい!」


《第二地点、後退します!》


《第三地点も異常なし!》


 玲は空中の廃材を固定したまま、三つの反応へ意識を向けた。


 一つではない。


 三つの地点すべてで、静界の内側から力が加わっている。


 地面が盛り上がった。


 埋められていた黒い装置が、赤黒い光を放ちながら地表へ現れる。


 第一地点。


 第二地点。


 第三地点。


 三つの装置から、同時に音声が流れた。


「見捨てないで」


 これまで聞いた女の声ではない。


 男とも女とも判別できない、掠れた声。


「置いていかないで」


 玲の周囲で静止していた廃材が震え始めた。


「ここにいるから」


 絶対静界に固定されているにもかかわらず、鉄骨が僅かに動く。


 玲が星素出力を引き上げた。


「止まりなさい!」


 震えが収まる。


 しかし、静界の外側にある廃材は止まらない。


 三つの黒い装置を中心として、膨大な量の金属が集まり始めた。


 廃車が潰れ、引き延ばされ、巨大な胴体を形成する。


 鉄骨が腕となる。


 機械部品が幾重にも重なり、頭部のない異形を作り上げる。


 三つの地点に、三体の怪物が立ち上がった。


 いずれも全高は五メートルを超えている。


 胸部には、黒い装置を取り込んだ赤黒い核が脈打っていた。


《生体反応はないよ》


 蘭が解析結果を伝える。


《三体とも、人間でも星獣でもない。第一確認個体と同じ自律形成反応を確認》


「星魔……」


 玲が三体の異形を見る。


《星魔第二確認個体と暫定認定するよ。ただし、反応は三つに分かれてるのに星素波形は一つしかない》


 千景が観測器を見つめる。


「三体ではありません」


 三つの核の間を、赤黒い星素が細い線となって繋いでいる。


「一つの星魔が、三つの身体を持っています」


《推定星素量、約四万St》


 三体の星魔が、同時に腕を振り上げた。


「見捨てないで」


 廃材で形成された巨大な腕が、三方向から振り下ろされる。


「静界!」


 三つの無色の領域が、それぞれの腕を包み込んだ。


 轟音が鳴る直前。


 すべての腕が空中で停止する。


 拳から放たれた衝撃も、周囲へ飛び散ろうとした金属片も動きを失った。


「三地点を同時に……」


 界航隊員が息を呑む。


「対象の動きを固定しました」


 玲は三つの静界を維持したまま、指示を出す。


「第一班は第一地点。第二班は第二地点。第三地点には土門さんが向かってください。目標は星魔本体ではなく、胸部の黒い装置です」


「了解!」


「相馬副隊長は、三つの核を繋ぐ星素の経路を調べてください」


「承知しました」


「御影隊長。緊急時の撤退に備え、各地点へゲートを展開できますか」


「可能だ。だが、同時に維持できるのは短時間になる」


「構いません。私が合図するまで、開く必要はありません」


 三つの星魔が拘束を破ろうとする。


 赤黒い星素が噴き上がり、静界の境界へ衝突する。


 玲の黒髪が、行き場を失った星素の圧力で揺れた。


 それでも、足は動かない。


 三つの腕は、僅かにも下がらなかった。


「これが、絶対静界……」


 千景が三地点の観測値を見る。


 玲は星魔を拘束しているだけではない。


 移動する隊員たちの足場を固定し、崩れかけた廃材の山を止め、黒い装置から漏れ出す熱まで周囲へ広がらないよう抑えている。


 条件の異なる静界を、同時に展開していた。


 遼河が玲を見る。


「まだ維持できるか」


「問題ありません」


 玲の戦術通信端末に表示された星素残量は、三万九千Stを上回っている。


 三つの身体へ分散しているとはいえ、相手の推定星素量は約四万St。


 それでも玲の静界は、一度も押し返されていない。


 外周から状況を見ている碧も動かなかった。


 玲の指示どおり、周囲の警戒を続けている。


「第一地点、核へ到達しました!」


「第二地点も配置完了!」


 土門が第三地点の星魔へ近づく。


 固定された巨大な脚の下へ潜り込み、地面へ両手をついた。


「地縫!」


 黄色い光が地面を走り、星魔の脚部を構成する金属と地盤を縫い合わせる。


「第三地点、固定した!」


「相馬副隊長」


「三つの核は、星素を循環させています」


 千景が空中へ観測結果を表示する。


 第一の核から第二へ。


 第二から第三へ。


 第三から再び第一へ。


 赤黒い星素は三つの核を巡り、一度も流れを止めていない。


「一つの核を破壊すればどうなりますか」


「他の二つへ星素が移ります。残された核の出力が上昇する可能性が高いです」


「同時に切り離す必要があるということですね」


「はい。ですが、物理的に離すだけでは不十分です。星素経路そのものが、三地点の座標を接続しています」


 遼河が観測結果を見る。


「俺のゲートで三つの核を別々の場所へ送る」


「転送中も接続が維持された場合は?」


「相馬の界錨で、それぞれを異なる座標へ固定する。座標同士の繋がりを切断できるはずだ」


「準備には、どれほどかかりますか」


「一分」


 玲は三つの星魔を見る。


 拘束は維持できている。


 星素残量にも余裕がある。


「準備を開始してください」


「了解」


 遼河が三地点へ向けて右手を広げた。


 星魔の胸部周辺に、青白い亀裂が生まれる。


 千景は地面へ両手を置き、三つの界錨を同時に刻み始めた。


 星魔が再び声を発する。


「置いていかないで」


 三つの身体から、同じ声が流れる。


「何も取らないで」


 星魔の足元に転がっていた金属片が浮かび上がる。


 静界の内側。


 玲が既に固定している物質だった。


 金属片は細かく震えながら、星魔の身体へ戻ろうとする。


「それ以上、何も取り込ませません」


 玲が右手を握る。


 静界の境界が狭まり、三つの身体を強く締めつける。


 外装の金属が軋む。


 星魔は動けない。


「残り四十秒!」


 千景が告げる。


 三つの核が、激しく脈打った。


 その一つ。


 第一地点の星魔から、突然すべての星素反応が消える。


「第一地点、出力低下!」


 森羅隊員が報告する。


 廃材で作られた巨体が、その場へ崩れ始めた。


「静界の効果ではありません」


 玲が答える。


 自分は身体を固定しているだけで、核の星素循環までは止めていない。


 続いて、第二地点の核からも光が消えた。


 残されたのは、第三地点だけ。


「第二地点も活動停止!」


《待って》


 蘭の声が低くなる。


《星素が消えたわけじゃない》


 千景が観測器へ目を落とす。


 第一の核から消えた星素。


 第二の核から消えた星素。


 そのすべてが、第三の核へ流れ込んでいる。


「第三地点へ出力が集中しています!」


 土門の頭上で、星魔の巨体が膨張した。


 周囲の廃材が静界の境界へ衝突しながら、強引に引き寄せられていく。


 玲が拘束を強める。


「止まりなさい!」


 第三地点の静界が大きく軋んだ。


 それまで三つに分かれていた約四万Stの星素が、一つの核を巡っている。


 赤黒い光が巨体の内側を走り、右腕だけへ集まっていく。


 三つの黒い装置から、女の声が流れた。


 星魔が繰り返していた掠れた声とは違う。


 これまでの強制クラフト事件で、何度も聞いた声。


「侵入者を排除しなさい」


 玲の表情が変わる。


「核を守りなさい」


「最も脅威となる対象へ、すべてを集中して」


「命令が、残されている……?」


《違うよ》


 蘭が三つの装置を解析する。


《同じ音声を反復しているだけじゃない。今の状況に応じて、実行する命令を切り替えてる》


「星魔が判断しているのですか」


《星魔そのものに思考反応はない。三つの装置が、外部から与えられた命令を選択してるの》


 星魔は学習していない。


 考えてもいない。


 それでも、戦うための行動だけは与えられている。


 第一確認個体とは違う。


 偶然生まれただけの怪物ではない。


 敵は、この星魔を戦わせるために用意した。


「残り二十五秒!」


 千景の足元で、三つの界錨が形を整えていく。


 第三地点の星魔が、固定された右腕を強引に引き上げた。


 玲の静界へ亀裂のような光が走る。


「神楽坂副隊長」


 遼河が星魔の出力を確認する。


「一度退く。撤退用ゲートは開けられる」


「分離準備は?」


「まだ終わっていない。だが、このままでは静界が破られる」


 第三地点の星魔が右腕を振り上げる。


 その先には、界錨を維持する千景がいた。


 千景が動けば、三つの装置を分離できない。


 玲は、三つの静界を解除しなかった。


 活動を停止した二つの身体。


 そこには、核の分離を待つ森羅隊員と界航隊員が残っている。


 二つの静界を解除すれば、崩れた廃材が隊員たちへ降り注ぐ。


 周囲に積まれた廃材も固定し続けなければならない。


「続行してください」


「神楽坂副隊長」


「あと二十五秒で、三つの装置を確保できます」


「その二十五秒を維持できる根拠はあるのか」


 玲は星魔を見上げた。


 星素残量は、まだ三万を超えている。


 第三層で星魔第一確認個体を制圧したときも、半分以上の星素を残していた。


 今も、領域そのものが崩壊したわけではない。


 出力を上げれば止められる。


「私が止めます」


 玲は答えた。


「作戦を続行してください」


 遼河は数秒、玲を見る。


 しかし、指揮官の命令を無視することはなかった。


「……了解した。相馬、急げ」


「残り二十秒!」


 星魔の右腕が、さらに巨大化する。


 腕以外の身体が崩れ始めた。


 脚も。


 胴も。


 頭部も。


 身体を維持していた廃材まで右腕へ集まり、一本の巨大な杭のような形へ変わっていく。


《玲、対象は身体の維持を放棄してる》


 蘭の声が響く。


《約四万Stを、一度に放出するつもりだよ!》


「分かっています!」


 玲は第三地点を覆う静界を収縮させた。


 巨大な腕だけを包み込み、外部への変化を拒絶する。


 だが、他の領域は解除できない。


 第一地点。


 第二地点。


 界航隊の転送拠点。


 周囲を埋め尽くす廃材。


 すべての静界を維持したまま、玲は第三地点へ出力を集中させる。


「絶対静界!」


 無色の境界と、赤黒い星素が衝突した。


 空気が歪む。


 廃棄区域全体が、低く震え始める。


「残り十五秒!」


 星魔の腕が僅かに動いた。


 一センチ。


 静界の内側で、停止していたはずの切っ先が下がる。


「止まりなさい……!」


 玲が出力を引き上げる。


 星素残量が急速に減少する。


 二万八千。


 二万五千。


 二万一千。


 それでも、星魔の腕は止まらない。


 無色の境界に、一本の亀裂が走った。


「静界に損傷を確認!」


 千景が叫ぶ。


「神楽坂副隊長、もう持ちません!」


「残りは!」


「十二秒です!」


 十二秒。


 それだけ耐えれば、三つの核を分離できる。


 玲は奥歯を噛み締めた。


「続けてください!」


「全員を退かせろ!」


 遼河の声が飛ぶ。


「装置はまた探せる! だが、人間は戻らない!」


「私が止めると言っています!」


 玲の声が、廃棄区域へ響いた。


 その瞬間。


 玲の脳裏に、作戦会議室での碧の言葉が浮かんだ。


 私の期待ではなく、現場を見ろ。


 見ている。


 自分は現場を見ている。


 三つの装置を確保するために。


 この星魔を倒すために。


 碧様から任された指揮を、完遂するために。


 亀裂が増えた。


 一本。


 二本。


 静界全体へ、無数の光が走る。


「あと十秒!」


 星魔の腕が落ちてくる。


 玲は両手を前へ伸ばした。


「止まりなさい!」


 星素出力を限界まで引き上げる。


 絶対静界は、あらゆる外部変化を拒絶する。


 熱。


 衝撃。


 圧力。


 動き。


 玲が止めると決めたものは、何一つ領域の中で変化することを許されない。


 そのはずだった。


 乾いた音が鳴った。


 無色の境界が砕けた。


 絶対静界が破られる。


 星魔の腕が、一気に振り下ろされた。


「神楽坂!」


 遼河がゲートを開こうとする。


 間に合わない。


 玲は反動で吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられた。


 呼吸が止まる。


 視界が揺れる。


 それでも、玲は顔を上げた。


 巨大な腕の先に、千景がいる。


 界錨を維持したまま、動けずにいる。


「相馬、副隊長……!」


 玲は右手を伸ばした。


 もう一度、静界を展開しようとする。


 星素が乱れ、形にならない。


 巨大な腕が千景へ迫る。


 玲は立ち上がれない。


 自分が続行させた。


 遼河は撤退を求めた。


 それを退けたのは、自分だ。


「碧様……!」


 白い影が、玲の前を横切った。


 次の瞬間。


 地面が轟音を立てて隆起した。


 巨大な岩盤が星魔の腕を下から貫き、空中へ押し上げる。


 廃材の塊が砕け、赤黒い星素が飛び散った。


『――磐根ノ神』


 長い白髪が、吹き荒れる星素の中で揺れている。


 碧が玲と千景の前に立っていた。


「碧様……」


 玲の声には、安堵よりも先に震えが混じった。


 碧は星魔から目を離さない。


『玲、下がれ』


「まだ、終わっていません」


 玲は地面へ手をつき、立ち上がろうとする。


「静界を展開し直します。今度こそ、私が――」


『下がれ』


「ですが、碧様!」


『これは命令だ』


 玲の身体が止まった。


 碧の声は穏やかだった。


 怒鳴ってはいない。


 それでも、拒むことはできなかった。


「……承知しました」


 玲は俯いたまま答える。


 碧が遼河へ顔を向けた。


『遼河さん。分離準備の進行は』


「八割を超えている。だが、相馬を一度下げる」


『お願いします』


「相馬、界錨を解除しろ!」


「しかし、ここで解除すれば最初から――」


「生きていれば、やり直せる! ゲートへ入れ!」


「……了解!」


 千景が三つの界錨を解除する。


 遼河が開いたゲートへ飛び込み、星魔の攻撃範囲から離脱した。


 玲が守っていた第一、第二地点からも、隊員たちが撤退を始める。


 静界の消えた廃材が崩れ落ちる。


 だが、その下に残っている者はもういない。


 碧は全員の退避を確認すると、地面へ片手を触れた。


『土門さん』


「はい!」


『三つの核と地面を繋ぐ星素経路を、地縫で固定できますか』


「止めることは無理です。ですが、位置なら押さえられます!」


『十分です』


 土門の黄色い星素が、三地点へ走る。


 崩れた廃材の下にある黒い装置を捉え、その位置を地面へ縫い止める。


『澄香さん。三つの核の正確な位置を遼河さんへ』


「了解しました!」


 露標が廃材の隙間へ潜り込む。


 三つの核の座標が、遼河の端末へ送られた。


『遼河さん。今度は一つずつで構いません』


「同時に分離しないのか」


『先に、星素の循環を断ちます』


 碧の指先から、ターコイズブルーの星素が地中へ流れ込む。


 大地が動いた。


 三つの核を繋いでいた地層が、深く割れる。


 赤黒い星素の経路が引き延ばされ、細くなっていく。


 星魔が右腕を再生しようと、周囲の廃材を引き寄せる。


 碧が地面へ触れたまま告げた。


『させません』


 核の周囲を、岩盤が覆う。


 廃材が動きを止めた。


 絶対静界のように、変化を拒絶したのではない。


 星魔が引き寄せる力よりも遥かに強い力で、大地そのものが廃材を押さえ込んでいる。


 玲は、その光景を見ていた。


 自分が複数の静界を維持し、必死に止めようとしたもの。


 碧は周囲の力を使い、短い指示だけで封じている。


「第一地点、開くぞ!」


 遼河がゲートを展開する。


 土門によって位置を固定された黒い装置が、廃材ごとゲートの向こうへ落ちた。


 接続先は、北部廃棄区域から数十キロ離れた無人の観測施設。


 核同士を繋いでいた星素経路が、一つ切れる。


 星魔の出力が低下した。


「第二地点も転送する!」


 二つ目のゲートが開く。


 黒い装置が、別の隔離施設へ送られた。


 残された第三の核が激しく点滅する。


《第三地点の装置に異常!》


 蘭が警告する。


《内部温度が急上昇してる。自壊するつもりだよ!》


「見捨てないで」


 星魔の掠れた声が流れる。


「置いていかないで」


 胸部に残された最後の核が膨張する。


 赤黒い星素が、周囲へ噴き出そうとした。


 碧が右手を上げる。


 星魔の周囲から、巨大な岩壁が立ち上がった。


 前後。


 左右。


 頭上。


 何重もの岩盤が星魔を覆い、外界から完全に隔離する。


 直後、内部で黒い装置が爆発した。


 岩壁が内側から膨らむ。


 表面へ無数の亀裂が走る。


 それでも、破片も炎も外へは漏れなかった。


 数秒後。


 赤黒い光が消える。


《星素反応、急速に低下》


 蘭が三つの地点を確認する。


《第二確認個体、活動停止したよ》


 廃棄区域へ静寂が戻った。


 地面には砕けた金属と、星魔を閉じ込めた巨大な岩塊が残されている。


 森羅隊と界航隊に死者はいない。


 重傷者も確認されていない。


 二つの黒い装置は、別々の隔離施設へ送られた。


 三つ目は失われたが、任務目的は達成されている。


「任務完了だ」


 遼河が告げる。


 隊員たちから、安堵の息が漏れた。


 玲は何も言えなかった。


 自分の目の前に、碧が立っている。


 また、碧様に守られた。


 だが、以前とは違う。


 あの地盤沈下では、玲が持たせた時間によって全員が救われた。


 碧は、玲が果たした役目の続きを引き受けた。


 今回は違う。


 玲が判断を誤った。


 玲が退却を拒んだ。


 玲が千景を危険へ晒した。


 だから碧が、自分の前へ立つことになった。


     ◇


 同日、午後一時二十分。


 アストラ本部、第二作戦会議室。


 任務結果が、大型画面へ表示されていた。


 星魔第二確認個体の討伐。


 黒い装置二基の回収。


 人的被害なし。


 候補者の生体反応なし。


 回収された装置からは、これまでに確認されたものより古い記録が発見されている。


 記録された日付は、最初の強制クラフト事件が起きる以前。


 御門朔夜たちは、アストラが事件を把握するよりも前から、何者かを使って実験を続けていた可能性が高い。


《現在捜索中の十五人とは、星素波形が一致しなかったよ》


 蘭が報告する。


《第二確認個体の起源になった人物は、別にいると思う。ただ、人体組織も星脈も残ってないから、今の段階では身元を特定できない》


「回収した二つの装置は?」


 遼河が尋ねる。


《分析区画へ移送済み。二基とも機能の一部が残ってるよ》


「なら、任務の目的は達成したな」


《うん。正式な判定も作戦成功になる》


 画面に、任務記録が表示される。


 現場指揮官。


 前半――神楽坂玲。


 後半――天城・イワノワ・碧。


 玲の視線が、その二行で止まった。


 作戦成功。


 人的被害なし。


 黒い装置を確保。


 どれも間違いではない。


 それでも、玲には自分が任務を成功させたとは思えなかった。


 会議が終わり、隊員たちが退室していく。


 遼河が玲の前で足を止めた。


「相馬に怪我はない」


「……はい」


「界錨を解除したあと、医療区画で検査を受けさせた。星脈にも異常はなかった」


「御影隊長」


 玲は深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


「俺に謝ることじゃない」


「私の判断で、相馬副隊長を危険に晒しました」


「そうだな」


 遼河も否定しなかった。


「だが、今ここで謝られても、俺はお前を許すとも許さないとも言えない」


 玲が顔を上げる。


「指揮官の判断が正しかったかどうかは、謝罪の回数で決まるものじゃない。次に同じ状況が起きたとき、お前が何を選ぶかだ」


「……承知しました」


 遼河はそれ以上何も言わず、会議室を出ていった。


 残ったのは、玲と碧だけだった。


 大型画面には、まだ任務結果が表示されている。


「碧様」


 玲が碧へ向き直る。


「申し訳ありませんでした」


 碧は答えない。


「私は、碧様から託された部隊を危険に晒しました」


『ああ』


 胸の奥が痛んだ。


 否定してほしかったわけではない。


 慰めてほしかったわけでもない。


 それでも、碧の口から事実を告げられると、玲は息をすることさえ苦しくなった。


『君は、遼河さんの撤退提案を退けた』


「はい」


『星魔の出力が変化したあとも、当初の作戦を続けた』


「はい」


『なぜだ』


 玲は答えようとした。


 三つの装置を確保できると考えた。


 残り十二秒ならば耐えられると判断した。


 自分には、まだ星素が残っていた。


 どの言葉も、喉の奥で止まる。


 それらはすべて、あの場でも考えていたことだった。


 だが、その底に別の感情があった。


「私なら、止められると……思いました」


『それは分析か』


 碧のターコイズブルーの瞳が、玲を見つめる。


『それとも、君の願望か』


 玲は何も答えられなかった。


 碧様から任された。


 碧様も自分の指示に従うと言ってくれた。


 その任務で、撤退を命じたくなかった。


 失敗したくなかった。


 碧様に、自分なら任せられると証明したかった。


 現場よりも先に、碧の期待を見ていた。


「……願望でした」


 玲は両手を強く握った。


「私は、自分が止められると信じたかったのです」


『そうか』


「指揮官として、誤った判断でした」


『ああ』


 碧は玲の誤りを否定しない。


『忘れるな』


「……承知しました」


 玲は深く頭を下げた。


「失礼いたします」


 会議室を出る。


 扉が閉まるまで、碧は呼び止めなかった。


     ◇


 同日、午後十一時四十分。


 森羅隊の個人訓練室に、玲は一人で立っていた。


 机の上には、北部廃棄区域の任務報告書が置かれている。


 現場指揮官。


 前半――神楽坂玲。


 後半――天城・イワノワ・碧。


 何度閉じても、その二行が頭から消えなかった。


 玲が右手を上げる。


「絶対静界」


 無色の領域が、訓練室を満たした。


 空調の風が止まる。


 机から落ちかけていた紙が、傾いた状態で静止する。


 壁の時計も、秒針を動かさない。


 音も。


 熱も。


 空気の流れも。


 すべてが完全に固定されている。


 絶対静界は正常だった。


 境界に亀裂はない。


 制御にも乱れはない。


 玲は星能を解除した。


 止まっていた紙が、机の上へ落ちる。


 小さな音が、誰もいない訓練室へ響いた。


「私なら、止められると……」


 あのときの自分の声が蘇る。


 続けて、絶対静界が砕けた音。


 地面へ叩きつけられた痛み。


 千景へ迫る巨大な腕。


 自分の前へ立った、碧の白い背中。


 玲は目を閉じた。


 碧様は間違えない。


 だからこそ、自分がその隣に立たなければならないと思っていた。


 碧様の力を誰よりも理解し、その命令を誰よりも正確に実行できる者。


 それが自分だと信じていた。


 だが今日。


 碧がいなければ、玲は部下を死なせていた。


 自分も死んでいたかもしれない。


 玲は机の上の報告書を伏せた。


 任務は成功した。


 星魔は倒された。


 黒い装置も回収された。


 全員が生きて帰った。


 失敗したのは、神楽坂玲だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。