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十話「開くことを望む者」

 翌朝、午前七時三十分。


 アストラ本部、統合管制室。


 正面の大型画面に、十六人の顔写真が並んでいた。


 旧西央放送局で発見された二十七人の候補者。


 そのうち、所在と経過が判明しているのは十一人。


 残された十六人は、今も敵の手に渡っている可能性がある。


 統合管制席に座る扇原蘭が、各隊から送られてくる情報を一つずつ確認していた。


《創雅隊、北部区域へ到着。対象者二名の居住地を確認中》


《森羅隊は東部医療区へ向かっています。対象者の一人が、三年前まで通院していた記録が残っています》


《界航隊は各地の移動記録を照合中。長距離転送施設の利用履歴が確認された場合は、すぐに共有してください》


 複数の通信回線を処理しながら、蘭が画面の一部を拡大する。


 一人の青年の顔写真。


 瀬川直人。


 二十二歳。


 星能者登録なし。


 現在は、物流会社の倉庫作業員として勤務している。


 十年前に実施された星脈検査では、高い星素感応性と強制発現への耐性が記録されていた。


 写真の横へ、赤い文字が表示される。


 所在確認。


《桜、聞こえる?》


『はい』


 九条桜の声が返ってきた。


 心導隊を乗せた車両は、中央区から東へ向かっている。


 後部座席には、雨宮奏、柊木伊織、水城斗真が乗っていた。


《瀬川直人さんの居場所が分かったよ。昨夜、自宅の集合住宅へ戻ったみたい》


『それまでの足取りは?』


《三日前から勤務先へ出ていないの。端末も切られていて、家族や知人にも連絡していないみたい》


「既に敵と接触している可能性は?」


 奏が尋ねた。


《高いと思う》


 車内の端末へ、直人の行動記録が表示される。


 三日前の午後六時二十分。


 勤務先を退出。


 午後七時十一分、中央区の駅で交通記録が途切れる。


 それ以降、昨夜まで公的な記録は一切残っていなかった。


《自宅周辺から、微弱だけど黒い装置と同じ星素波形が検出されてるよ》


「どうして昨日のうちに確保しなかったんですか」


《帰宅が確認されたのは、午前四時過ぎなの。監視に入った隊員が接触を試みたんだけど、直人さんが室内から応答しなかったみたい》


『強行突入は?』


《まだしてないよ。室内の星素反応は安定してるし、近隣住民への避難勧告も完了してる。ただ――》


 蘭が言葉を止める。


『何か気になることがあるのですか?』


《黒い装置の反応が、一度も途切れていないの》


 奏が端末へ目を落とす。


「ずっと作動している?」


《うん。でも、直人さんの星素量には変化がない。装置を身につけているなら、何らかの影響が出てもおかしくないはずなのに》


「まだ使っていないだけかもしれません」


 伊織が言った。


「装置を持っているけれど、起動していない」


《その可能性もあるね》


『分かりました。到着後、私たちが接触します』


《お願い。強制クラフトの兆候が確認された場合は、すぐに鎮静剤を使って》


『承知しました』


 通信が終わる。


 桜は画面に映る直人の写真を見つめていた。


「桜隊長」


 奏が呼ぶ。


『どうしましたか?』


「この人、逃げていたんでしょうか」


『何からですか?』


「アストラからです」


 桜が奏を見る。


「敵に連れ去られたなら、三日後に一人で自宅へ戻るのは変です。黒い装置を持っているのに、助けも求めていない」


「脅されている可能性もあるわ」


 伊織が答えた。


「家族や勤務先へ危害を加えると言われているのかもしれない」


「それなら、もっと怖がっているはずです」


『奏には、何か聞こえているのですか?』


「まだ何も」


 奏は窓の外へ目を向ける。


「だから、気になります」


     ◇


 午前八時二分。


 瀬川直人が暮らす集合住宅は、既に治安部隊によって封鎖されていた。


 十二階建ての建物。


 直人の部屋は、最上階の端にある。


 住民は設備点検を名目に避難を終えており、建物内に残っている生命反応は一つだけだった。


 心導隊は非常階段から十二階へ上がった。


 先頭は伊織。


 その後ろに桜と奏が続き、斗真が最後尾を警戒する。


 廊下に人の気配はない。


 風の音も、住民の生活音も聞こえなかった。


 直人の部屋の前へ到着すると、伊織が扉の周囲を調べる。


「罠は確認できません」


《室内の生命反応は一つ。位置は居間だよ》


 蘭からの報告。


《星素反応にも変化なし》


 桜が扉の前へ立つ。


『瀬川直人さん。アストラ心導隊隊長、九条桜です』


 返事はない。


『あなたが事件に巻き込まれている可能性があります。お話を聞かせていただけませんか?』


 短い沈黙。


 室内から、足音が近づいてくる。


「帰ってください」


 扉越しに、男の声が聞こえた。


『黒い装置をお持ちですね』


「だったら何ですか」


『その装置は、あなたの星脈を傷つける危険があります』


「知っています」


 あまりにも早い返答だった。


 奏が顔を上げる。


 声は震えていない。


 追い詰められた者の呼吸でもない。


『既に装置を使用したのですか?』


「まだです」


『では、扉を開けてください。装置をこちらへ渡していただければ、あなたの安全は保証します』


「必要ありません」


『瀬川さん』


「俺は、何も強制されていない」


 桜の表情が僅かに変わる。


「それを使うと決めたのは、俺です」


 扉の向こうから足音が遠ざかっていく。


 奏が扉へ手を触れた。


 目を閉じ、そこに残された感情へ意識を沈める。


 最初に聞こえたのは、直人の声だった。


「どうして俺には、何もない」


 少し古い残響。


「誰かを助ける力が欲しかった」


「アストラに入りたかった」


「何度調べても、星能は発現しなかった」


 声の奥にあるのは、怒りではない。


 長い間、押し殺してきた悔しさ。


 自分だけが取り残されているという焦り。


 そして。


「あなたにも、星はある」


 女の声。


 これまで黒い装置から流れていたものと同じ声だった。


「開く方法を知らないだけ」


「望むなら、あなたの星を目覚めさせてあげる」


 続いて聞こえた直人の声に、奏が目を開く。


「やっと、俺の番だ」


『奏?』


「怖がっていません」


 奏は扉から手を離した。


「ここに残っているのは、期待です」


 伊織と斗真が顔を見合わせる。


「使わされるんじゃない」


 奏が室内を見つめる。


「この人は、自分から使おうとしてる」


 桜が扉へ向き直った。


『瀬川さん。あなたが力を望んでいることは分かりました』


「だったら、邪魔をしないでください」


『それはできません』


「結局、あんたたちはそう言う」


 室内で何かが床へ置かれる音がした。


「星能者は、力を持たない人間に我慢しろと言う。危険だから。才能がないから。適性がないから」


『力を持つこと自体を否定しているのではありません』


「生まれつき持っていたあんたに、何が分かる」


 桜はすぐには答えなかった。


 幼い頃から、人の感情へ触れられた。


 望まなくても、周囲から恐れられた。


 その力によって救えた人もいる。


 傷つけた人もいる。


『分からないことはあります』


 桜は静かに答える。


『私は、力を持たない人生を経験していません。あなたが積み重ねてきた悔しさを、全て理解できるとは言いません』


「なら――」


『ですが、その装置によって壊された人たちを知っています』


 扉の向こうで、直人が黙る。


『望んでもいない力を与えられ、自分の身体を制御できなくなった人。星脈を傷つけられた人。命を落とした人もいます』


「俺は違う」


『何が違うのですか?』


「俺は自分で選んだ」


 直人の声には迷いがなかった。


「死ぬかもしれないことも、身体が壊れるかもしれないことも聞いた。それでも、俺は力が欲しい」


『その望みが、装置によって強められた可能性があります』


「だったら、俺の心を読めばいい」


 桜の指先が僅かに動く。


「精神系の極星なんだろ。俺の頭の中を調べれば、本心かどうか分かるんじゃないのか」


『できます』


「なら、やってみろよ」


『しません』


「どうしてだ」


『あなたが許可したとしても、今のあなたは正常な判断ができない状態にあるかもしれません。その許可を理由に、心の全てへ踏み込むことはできません』


「都合がいいな」


『そうかもしれません』


 桜は否定しなかった。


『それでも、私はあなたの心を奪って止めるつもりはありません』


「じゃあ、どうする」


『言葉で止めます』


 直人が鼻で笑った。


「そんなもので止まれるなら、とっくに諦めてる」


 電子音が鳴った。


 室内の星素反応が変化する。


《桜! 黒い装置が起動したよ!》


『斗真さん!』


「無響室!」


 斗真が両手を前へ伸ばす。


 扉を中心として、音の消えた領域が展開された。


 黒い装置からの音声を遮断する。


 しかし。


《止まらない! 直人さんの星脈が開き始めてる!》


「既に命令を受け終わってるのか!」


 斗真が歯を食いしばる。


 室内で、直人の苦痛に満ちた声が上がった。


 扉の隙間から、赤黒い星素が噴き出す。


『扉を開けます!』


「待ってください」


 伊織が桜の前へ出る。


「私が先に入ります」


 星能「盲点」が発動する。


 伊織の存在感が薄れた。


 斗真が電子錠の周囲へ無響室を集中させ、隔離された構造の境界を浮かび上がらせる。


「解除座標を固定しました」


 伊織が扉へ手をかける。


 一気に開いた。


 室内の家具が、全て壁際へ押し飛ばされていた。


 居間の中央。


 直人が両膝をつき、自分の胸を掴んでいる。


 右耳の後ろには、黒い装置。


 全身の血管に沿って、赤黒い光が走っていた。


「ぐっ……あああああ!」


 直人が叫ぶ。


 星素が皮膚の外へ噴き上がり、その身体を覆っていく。


 液体のように流れていた星素が硬質化する。


 胸部。


 両腕。


 背中。


 黒銀色の装甲が、直人の身体へ次々と形成されていった。


 造形系クラフト。


 直人の身体を守るように生まれた、全身装甲。


《推定星素量、二万八千……三万一千……まだ上がってる!》


「瀬川さん!」


 伊織が近づこうとする。


 直人の腕が振るわれた。


 衝撃波が室内を走る。


 伊織は咄嗟に身を伏せた。


 背後の壁が砕け、破片が廊下へ飛び散る。


 桜が一歩踏み込む。


『瀬川さん。私の声が聞こえますか?』


「聞こえてる……!」


 装甲に覆われた直人が、ゆっくりと立ち上がる。


「俺は……俺だ」


《意識レベル正常。精神反応にも大きな混乱はないよ》


 蘭の声に驚きが混じる。


《星脈の損傷も確認できない。出力が安定し始めてる》


「そんな……」


 奏が直人を見る。


 旧西央放送局で保護された八人。


 大門剛士。


 橘灯子。


 これまで強制クラフトを発現させられた者は、全員が自分の星能を制御できなかった。


 だが、直人は違う。


 荒い呼吸を繰り返しながらも、自分の足で立っている。


 赤黒かった星素も、次第に澄んだ銀色へ変わっていく。


「これが……俺の力」


 直人が装甲に覆われた手を見つめる。


 拳を握る。


 金属が噛み合うような重い音が響いた。


「ずっと、ここにあった」


『瀬川さん。力を解除してください』


「嫌だ」


『今は安定していても、この先も安全とは限りません』


「また、それか」


 直人が桜へ顔を向ける。


 装甲の奥にある瞳には、確かな理性が残されていた。


「危険かどうかを決めるのは、あんたたちじゃない」


『あなた一人の生命に関することなら、そうかもしれません』


 桜は直人から目を逸らさない。


『ですが、その力は周囲の人を傷つける可能性があります。先ほど、伊織さんへ攻撃しましたね』


「あれは、近づいてきたからだ」


『止めようとする者を傷つけてでも、手に入れたい力なのですか?』


 直人の拳が止まる。


 床には、伊織が避けた攻撃によって生じた亀裂が残されている。


「俺は……」


 窓ガラスが砕けた。


 黒い影が室内へ飛び込む。


 伊織が即座に振り返り、短刀を抜いた。


「誰!」


 男は床へ片膝をついて着地すると、ゆっくりと立ち上がった。


 黒い戦闘服。


 右腕から肩にかけて、灰色の星素が薄く流れている。


 その顔を見た瞬間。


 桜の瞳が揺れた。


『迅さん』


 黒瀬迅が、桜を見る。


「久しぶりだな、桜」


 奏が迅と直人の間へ視線を走らせる。


「この人が、黒瀬迅……」


《桜、応援を向かわせるよ!》


『お願いします』


 桜は迅から目を離さなかった。


『迅さん。あなたが瀬川さんへ装置を渡したのですか?』


「違う」


『では、誰が?』


「答えられない」


『御門朔夜ですか?』


 迅の表情は変わらない。


 それでも、答えなかったこと自体が答えになっていた。


『アストラへ戻ってください』


「できない」


『あなたが事件へ関わっているという証拠が、既に複数確認されています』


「知っている」


『でしたら――』


「桜」


 迅が言葉を遮る。


「こいつは、強制されていない」


 直人が迅を見る。


「約束は守られた。こいつは自分で選び、自分の力を手に入れた」


『その結果、何人が亡くなったと思っているのですか?』


「こいつは生きている」


『橘灯子さんは亡くなりました』


 迅の眉が僅かに動く。


『あなたは、橘さんがどうなるか知っていたのですか?』


「知らなかった」


『今は知っていますね』


「ああ」


『それでも、続けるのですか?』


 迅が黙る。


 桜が一歩近づいた。


『迅さん。私たちは、あなたを敵だと決めつけるために探していたのではありません』


「分かっている」


『なら、話してください。何が起きているのか。御門朔夜が何をしようとしているのか』


「今は話せない」


『なぜですか?』


「まだ、確かめられていない」


『何をですか?』


 迅の視線が、窓の外へ向けられる。


 白き幽星。


 朝の空に薄く残るその輪郭を、赤い光が侵している。


「俺が見たものが、本当に間違っていたのか」


『迅さん』


「答えが出るまでは戻らない」


 迅が直人へ手を伸ばす。


「行くぞ」


『行かせません』


 桜の声が低くなる。


 直人が二人の間へ立った。


「俺は、この人と行く」


『瀬川さん。彼らが何をしようとしているのか、あなたは知っているのですか?』


「知らない」


『でしたら――』


「でも、俺に力をくれた」


 直人が自分の胸部を覆う装甲へ手を置く。


「アストラは、俺に諦めろと言った。この人たちは、選ばせてくれた」


『死ぬ可能性を隠したまま差し出された選択を、自由とは呼べません』


「聞いていた」


 直人が答える。


「失敗すれば死ぬ。身体が壊れるかもしれない。それも全部聞いた」


 桜が迅を見る。


『それでも装置を渡したのですか?』


「俺ではない」


『止めなかった』


「ああ」


『なぜですか』


「俺にも、こいつが間違っていると言い切れなかったからだ」


 桜の表情から、僅かに悲しみが滲む。


『以前の迅さんなら、誰かが自分を壊そうとしていたら止めました』


「以前の俺は、知らなかった」


『何を知ったのですか?』


「桜。退け」


『退きません』


 伊織が「盲点」を発動する。


 姿が見えなくなったわけではない。


 そこに立っていると分かっているのに、意識が伊織を捉えられなくなる。


 迅の視線が桜へ固定された。


 その死角から、伊織が直人へ近づく。


「そっちだ」


 迅が振り向かないまま言った。


 迅の右腕を走る星脈が、迫る斬撃へ応じるように脈打つ。


 灰色の星素が皮膚を覆い、腕の側面から薄い刃が形成された。


 伊織の短刀と衝突する。


「私が見えるの?」


「見ていない」


 迅が目を閉じる。


 足元を伝わる振動。


 空気の流れ。


 呼吸によって生まれる微かな温度差。


 視覚以外の感覚が急速に研ぎ澄まされていく。


 星務庁には、造形系ギフト――「アダプト」として登録されている。


 外部から受けた作用に応じ、自らの身体と星素の性質を作り替える――


 そう認識されている星能。


 伊織が一度距離を取る。


「認識できない相手へ、その場で適応した……?」


「一度受ければ十分だ」


 斗真が迅と直人を無響室へ包み込む。


 外部からの音が途絶える。


 直人の右耳についていた黒い装置から、女の声が消えた。


 それでも、直人の装甲は崩れない。


「もう装置で維持してるんじゃない」


 斗真が言う。


「完全に、本人の星能になってる」


 迅が窓へ身体を向ける。


 桜はその前へ立った。


『眠ってください』


 精神系ギフトが発動する。


 迅の意識へ、強い眠気が付与された。


 足が止まる。


 膝が床へついた。


「迅さん!」


 直人が振り返る。


『動かないでください。眠らせただけです』


 桜は迅へ近づく。


『身体にも、心にも傷は残しません』


「相変わらずだな」


 迅が顔を上げた。


 灰色の星素が、首筋からこめかみへ向かって走る。


 迅の星脈が、桜の干渉を迂回する経路へと組み替わる。


 急激に低下していた脳の活動が、それに伴って回復していく。


 迅が立ち上がった。


『私の干渉へ適応したのですか?』


「完全には無理だ」


 迅の額には汗が浮かんでいる。


 呼吸も僅かに乱れていた。


「もう一度、今より強く使われれば止められない」


『でしたら、止まってください』


「だが、桜は使わない」


『なぜ、そう思うのですか?』


「俺を止めるためだけに、俺の心を壊すことはないからだ」


 桜の目が細められる。


 迅は、昔と変わらない目で桜を見ていた。


「お前は、必要なものまで奪わない」


『それを利用するのですか?』


「利用している」


 迅が答えた。


 直人が桜へ向かって踏み込む。


「行かせてもらう!」


 装甲に覆われた拳が振り上げられる。


 桜は避けなかった。


『怒りをいただきます』


 直人の胸から、感情の一部が引き抜かれる。


 拳の勢いが弱まった。


 だが、止まらない。


 怒りが消えても、直人自身が選んだ意志は残っている。


 桜は両腕で拳を受けた。


 衝撃によって身体が後方へ押し戻される。


 床へ靴底の跡が刻まれた。


「桜隊長!」


 奏が駆け寄ろうとする。


『来てはいけません!』


 桜が制止する。


 直人は自分の拳を見つめていた。


「どうして……」


『今の攻撃は、装置に命じられたものではありません』


「……分かってる」


『あなた自身が、私を傷つけようとしたのです』


「分かってる!」


 直人が叫ぶ。


 その声には、初めて迷いが混じっていた。


『力を得たから、選べるようになったのではありません』


 桜は痛む腕を下ろす。


『あなたは最初から選べました。今も、選べます』


「黙れ……」


『その力で、何をするのですか?』


「俺は……」


『あなたは、誰かを守るために力を望んだのでしょう』


 直人の全身を覆う装甲。


 自分を守るだけならば、これほど強固な形である必要はない。


 胸部は厚く、両腕は大きい。


 誰かの前へ立ち、攻撃を受け止めるための姿。


『最初にその力で傷つける相手が、私でよいのですか?』


 直人の拳が震える。


「俺は……ただ……」


 直人の意識が桜へ向いた、その瞬間。


 迅が床を蹴った。


 直人の胴を片腕で抱え、砕けた窓へ向かう。


「待って!」


 伊織が追う。


 迅の両脚を、灰色の星素が覆った。


 星脈が跳躍時の負荷へ適応し、それに伴って筋肉と骨格が最適な形へ組み替わる。


 窓枠を蹴り、隣接する建物の屋上へ飛び移った。


 直人が反射的に腕を広げる。


 装甲が背後へ展開し、大きな盾へ変化した。


 伊織の進路を遮る。


「瀬川さん!」


 直人が振り返る。


 装甲の奥にある瞳は、明らかに揺れていた。


 それでも、盾を退けなかった。


「俺は、自分で確かめる」


『瀬川さん!』


 桜の声が届く。


『あなたの選択を、諦める理由にはさせません!』


 迅が再び屋上を蹴る。


 二人の姿が、建物の向こうへ消えた。


《追跡部隊が到着するまで三分!》


 蘭の声が響く。


《周辺の監視映像を追ってるけど、迅の移動速度が上がり続けてる。このままだと区域外へ出られるよ》


「俺が追います!」


 斗真が窓へ向かおうとする。


『やめてください』


 桜が止めた。


「でも!」


『斗真さんの無響室は、移動する相手を追跡するための星能ではありません。無理に追えば、あなたが負傷します』


「このまま逃がすんですか」


『いいえ』


 桜は、迅たちが消えた方向を見つめる。


『必ず連れ戻します』


 奏は床へ落ちていた黒い装置へ近づいた。


 直人の耳から外れたものだった。


 装置は中央から割れ、機能を停止している。


 その表面へ手をかざす。


「奏さん、何か聞こえる?」


 伊織が尋ねた。


「少しだけ」


 残されている声は、二つ。


 一つは、御門朔夜と思われる女の声。


「あなたの中には、器がある」


 もう一つは、直人の声だった。


「力があれば、俺は誰かを守れる」


 恐怖も、破壊衝動もない。


 それは装置によって新しく与えられた願いではなかった。


 直人が、ずっと抱えてきたもの。


「桜隊長」


『はい』


「瀬川さんの望みは、本物です」


 桜は静かに目を閉じた。


『そうですか』


「でも、選び方を間違えた」


『はい』


「それでも、助けるんですか」


 桜が目を開く。


『もちろんです』


 その答えに、迷いはなかった。


『間違えた人を見捨てるのなら、私たちが言葉を尽くす意味はありません』


     ◇


 午前九時二十分。


 アストラ本部、統合管制室。


 大型画面に表示された十六人の写真。


 瀬川直人の写真に、新たな情報が追加されていた。


 所在確認。


 強制クラフト発現。


 生存。


 敵対勢力と同行。


 未保護。


 残る十五人については、今も捜索が続いている。


 蘭が直人の星素記録を拡大する。


 最大推定星素量、三万四千二百St。


 星脈損傷なし。


 意識混濁なし。


 発現後、自力で星能を維持。


 これまでの強制クラフトとは、明らかに異なっていた。


「成功例……」


 蘭が小さく呟く。


 その言葉を口にしたことを後悔するように、唇を結ぶ。


 強制発現に耐えたという意味では、成功している。


 だが、人間を実験材料として扱う者たちの基準で、その言葉を使いたくはなかった。


 通信回線が開く。


『ランラン』


 空の声だった。


《どうしたの?》


『迅を見つけたって聞いた』


《うん。でも、逃げられたよ》


 短い沈黙が流れる。


『桜は?』


《怪我はないよ。医療区画で腕を診てもらってる》


『迅がやったのか』


《直人さんの攻撃を受けたの。迅は桜へ直接攻撃してないよ》


『そうか』


 空の声が僅かに低くなる。


『あいつ、何か言ってたか?』


《自分が見たものが、本当に間違っていたのか確かめたいって》


『意味分かんねえな』


《私にも、まだ分からないよ》


『見つけたら教えろ』


《何をするつもり?》


『殴る』


《空》


『一発だけだ』


《そういう問題じゃないよ》


『そのあと話を聞く』


《順番を逆にして》


『考えとく』


 通信が切れる。


 蘭は困ったように息を吐いた。


 直人の写真の隣。


 黒瀬迅の顔写真へ、新たな印がつけられる。


 敵対行動を確認。


 だが、アストラ隊員への致命的な攻撃は行っていない。


 目的も、立場も不明。


 味方とは呼べない。


 それでも、完全な敵とも断定できなかった。


     ◇


 場所の分からない研究施設。


 瀬川直人は、透明な検査槽の中へ立っていた。


 全身を覆っていた装甲は解除されている。


 胸部や両腕には、傷一つ残っていない。


 複数の検査装置が、星脈の状態を測定している。


 御門朔夜は画面に並ぶ数値を静かに確認していた。


「星脈の損傷なし」


 次の項目へ進む。


「発現後の出力低下なし」


 さらに次。


「意識、人格、記憶。全て正常」


 朔夜の口元に、穏やかな微笑が浮かぶ。


「適合を確認しました」


 部屋の壁際には、迅が立っていた。


「直人の意思だったから成功したのか」


「意思だけではありません」


 朔夜が答える。


「星脈の形状。星素への感応性。肉体の耐久性。そして、力を受け入れるだけの強い渇望」


「一つでも欠ければ、橘灯子と同じ結果になった」


「あるいは、大門剛士のように崩壊寸前まで暴走していたでしょう」


 迅の表情が険しくなる。


「それを分かっていて、装置を渡したのか」


「全て説明しました」


「説明すれば、死なせてもいいのか」


「彼は生きています」


「今回はな」


 朔夜は迅へ顔を向ける。


「あなたは、彼を止めませんでした」


「……ああ」


「九条桜なら、発現前に彼の望みを消すこともできたでしょう」


「桜は、そんなことをしない」


「だからこそ、瀬川直人は自分で選べた」


 検査槽の中で、直人が目を開く。


「俺は……成功したのか」


「ええ」


 朔夜が微笑む。


「あなたは、力を持たない人間ではなくなりました」


 直人が自分の手を見る。


 銀色の星素が、指先へ薄く集まっていく。


「これで、俺も誰かを守れる」


「もちろんです」


 迅が朔夜を見る。


「次は何をさせるつもりだ」


「何も」


 朔夜は検査槽へ手を触れた。


「選ぶのは、彼です」


「何を選ばせる」


 朔夜の背後に、新たな画面が開く。


 白き幽星。


 その縁を侵食する、赤い光。


 画面の下には、直人の星脈構造と巨大な星素反応を接続するための計算式が並んでいた。


「器は開きました」


 朔夜が微笑む。


「次は、その中へ星を注ぎます」

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