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これはあれか?あれだよなやっぱり?あれ以外に考えられないよな?
即ち、人体の先端から放出されたカリウムその他を含む水溶液が陶製容器内の貯水と相互作用を起こすことによって生じる空気振動。より専門的に言うなら、おしっこの音。
普通は水とか一緒に流してごまかすもんなんじゃねえのか?
女子はそうするものだ、と哲平の知識にはある。
女子は……ならいいのか。
少なくとも哲平はそんなことはしたことないし、男子トイレでそんなことをしている奴に出くわしたこともない。
この扉の向こうにいるのは男なのだ。
いくらセーラー服を着ていてやたらに可愛らしい顔立ちをしていておしっこをするのにもわざわざ個室に入って、ということはつまりしゃがんでスカートをたくし上げてパンツを下ろしてそれでもってあそこから。
待て待て待て落ち着け俺、これじゃこの大男のことを言えない、いやこいつは実咲人のことを女だと思ってるはずだからまだましだ、こうやって扉に張り付いて耳を押し当ててるのだって理解でき、いやいやいや。
「何してんだてめえ、こらっ」
声を押し殺して怒鳴りつけ、引っペがしにかかる。だが男はものともしない。あまつさえ扉の上端に手をかけて背伸びを始めた。
こいつ、上から覗く気か!?
それはいかになんでも許されない。たとえ実咲人の本当の性別がどっちだったとしても人としてやってはいけない。
「おい離れろ。締めんぞ」
哲平は男の肩の上に飛びつくようにして首の脇から腕をこじ入れにかかる。スリーパーホールドの体勢で後ろに体重を預ければいかな巨漢とはいえ持ちこたえられるものではない。
しかし敵もさるものだ。すぐ顎を引いてがっちりとガード、ずり落ちそうになった哲平は腕を伸ばして縁を掴み体を引き上げた。
その結果。
縁に腕を乗せて体を支える哲平と。
個室の中から驚き顔で見上げる実咲人の。
目が合った。
「なにしてるの」
「……け、懸垂?」
「もう、ばか。恥ずかしいから。早く降りてよ」
赤らんだ頬で下を向く。
「い、いいかミサト、これは違うぞ、誤解だからな、つまりっ」
「いーから早くってば!!」
「わ、悪い」
哲平は即座に手を離した。ただでさえ何やら複雑な状況になっているのだ。こんな場面をまた別の誰かに目撃されでもしたら通報されかねない。
きっと似たようなことを考えたのだろう。大男は既に扉の前から引いていた。おかげで降りるのに苦労はなかったものの、文句の一つも言わないことには気が済まない。
無事着地した哲平は振り向くやいなや口を開いた。
「お前な」
そのまま開いた口が塞がらなくなった。
「何かしら、哲」
まるで女王の間に出御するように、白瀬直巳が男子トイレへと入って来る。