第1話 無能官僚、辺境へ追放される
「レオン・バルド。お前を本日付で王国財務省から解任する」
王国財務省の大広間に、冷たい声が響いた。
前世で十五年、経営企画部長として数字と戦ってきた俺には、この帳簿の異常が三秒で見抜けた。
十万食分の保存食の購入記録。だが倉庫にあったのは、その半分にも満たない。
差額は四万七千食分。兵士一万人が三か月、飢えるのに十分な量だ
小さいように見えて、積み上げれば国が傾く数字だ。
声の主は、財務卿ガルディア公爵。王国の金庫を預かる男であり、同時に王都でもっとも汚い金を動かす男でもある。
俺――レオン・バルドは、目の前に置かれた一枚の辞令を見下ろした。
『レオン・バルドを北方辺境領バルドへ赴任させる』
赴任。
聞こえはいい。
だが実態は違う。
これは左遷だ。いや、処刑に近い。
北方辺境領バルド。王国最北端にある、税収ゼロの不毛地帯。冬は長く、土地は痩せ、魔物も出る。人口は年々減り、領主は三代続けて逃げ出した。
役人たちの間では、こう呼ばれている。
死んだ領地。
「理由をお聞かせください」
俺が静かに尋ねると、ガルディア公爵は鼻で笑った。
「理由? 自分の胸に聞け。お前は財務省に混乱を招いた」
「混乱ではありません。不正会計を報告しただけです」
大広間の空気が凍った。周囲に並ぶ高官たちが、一斉に視線をそらす。
「不正、か」
ガルディア公爵は薄く笑った。
「若いな、レオン。帳簿とは、国を動かすための道具だ。数字が合っているかどうかなど、些細な問題にすぎん」
「兵士に食料が届いていません」
「届かなくても戦争には勝てる」
「では、なぜ税を取るのですか」
俺の言葉に、周囲がざわついた。ガルディア公爵の目が細くなる。
「口を慎め。お前はただの下級官僚だ」
「下級官僚でも、数字は読めます」
「その数字しか読めぬところが無能なのだ」
無能。
その言葉を聞いた瞬間、周囲の役人たちの顔に安堵が浮かんだ。誰かを悪者にすれば、自分たちは助かる。そういう顔だった。
「レオン・バルド。お前には北の辺境がお似合いだ。せいぜい、雪と貧民を相手に数字遊びでもしていろ」
周囲から笑い声が漏れた。
悔しいか。
もちろん悔しい。
だが、怒りよりも先に、俺の頭の中では別の計算が始まっていた。
北方辺境領バルド。税収ゼロ。人口減少。交通不便。魔物被害あり。
前世なら、どう見るか。
税収ゼロということは、既得権益が少ない。人口が少ないということは、意思決定が速い。王都から遠いということは、干渉されにくい。
そして北方には、まだ未開発の森と鉱山がある。地図で見た限り、近くには凍らない入り江もあった。
港。物流。産業。
前世の言葉で言えば、これはグリーンフィールド投資だ。
何もないからこそ、最初から正しい仕組みを作れる。腐った組織を改革するより、ずっと早い。
「辞令は受け取ります」
俺は辞令を手に取った。ガルディア公爵が満足そうに笑う。
「ようやく身の程を知ったか」
「いいえ」
俺は顔を上げた。
「感謝しているのです」
「何?」
「王都では、腐った帳簿を直すだけで精一杯でした。ですが辺境なら、最初から作り直せる」
大広間が静まり返った。
「税制も、物流も、産業も、人の流れも。全部です」
ガルディア公爵の顔から笑みが消えた。
「何を言っている」
「いずれわかります」
俺は一礼した。
「では、行ってまいります。二度と戻れと言われないよう、精一杯務めます」
「戻れると思うなよ」
「戻るつもりはありません。あなた方の方が、いずれ私のところへ来ることになる」
その言葉だけを残し、俺は財務省を出た。
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王都の空は、嫌になるほど青かった。
大通りには馬車が行き交い、商人たちの声が響いている。豊かな都。だが、その豊かさは長く続かない。
王国の帳簿は、すでに腐っている。
前世の経験から言えば、これは典型的な「成長の限界」だ。支出は膨らみ、税収は伸びず、中間層が搾り取られ続ける。歴史上、こうなった国が立て直せた例は少ない。
数字を読めばわかる。この国は、あと数年で傾く。
「レオン様!」
財務省の門を出たところで、若い女性の声がした。振り返ると、栗色の髪を揺らして一人の少女が走ってきた。
ミリア。財務省で俺の補佐をしていた下級書記官だ。
「聞きました。本当に辺境へ行かれるのですか?」
「ああ。今日付けで解任された」
「そんな……ひどすぎます。レオン様は正しいことをしただけなのに」
「正しいだけでは、王都では生き残れないらしい」
俺が苦笑すると、ミリアは悔しそうに唇を噛んだ。
「私も行きます」
「駄目だ」
「なぜですか」
「バルド領は危険だ。給料も払えるかわからない」
「では、なおさら私が必要です」
「ミリア」
「私は数字が読めます。帳簿も作れます。レオン様がやろうとしていることも、少しはわかります」
彼女は真っ直ぐ俺を見た。
「それに、王都に残っても、どうせ私は潰されます。レオン様の補佐だったというだけで」
確かにそうだ。ガルディア公爵が俺だけを狙って終わるとは思えない。
「後悔するぞ」
「王都に残る方が後悔します」
強い目だった。俺は少し考えてから、頷いた。
「わかった。だが条件がある」
「何でしょう」
「泣き言は禁止だ」
「はい」
「数字から逃げるな」
「はい」
「それから、もう一つ」
「何でしょう?」
「三年で、バルド領の国内総生産を王国一にする。手伝えるか」
ミリアが目を丸くした。
「こくないそうせいさん、とは?」
「国全体が一年間に生み出す富の総量だ。前世……いや、俺が昔いた場所で使っていた概念だ。わかりやすく言えば、王国全体を豊かさを示す数字を、三倍にする」
「三倍、ですか」
「ガルディア公爵が王都で頭を下げたくなるくらいには」
ミリアが初めて笑った。
「それは……見てみたいですね」
俺も少しだけ笑った。
「では征こう。数字を作りに」
「はい。レオン様」
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こうして俺は、王都を追放された。
役職も失った。名誉も失った。味方もほとんどいない。
与えられたのは、税収ゼロの辺境領だけ。
だが、俺は思っていた。
これは罰ではない。
これは、神から与えられたチャンスだ。
腐った組織を上から直すより、何もない土地に正しい仕組みを作る方がずっと速い。
道路を引く。港を作る。産業を育てる。人を集める。税を軽くし、商売を増やし、金が回る仕組みを作る。
前世で学んだことを、全部使う。
王都の貴族たちは、まだ知らない。
領地とは、搾り取るものではない。育てるものだ。
そして、正しく育てられた領地は、王国すら動かす力を持つ。
馬車が北へ向かって走り出す。遠ざかる王都を見ながら、俺は小さく呟いた。
「数字で証明してやる」
三年後、王都の財務省は、俺に頭を下げることになる。
ガルディア公爵は、自らの失敗を数字で突きつけられることになる。
だがそのときには、もう遅い。
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*(第2話へ続く)*
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