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空虚は腹を満たさず

「もういいよ。つぐは君」

 

そう言って彼女は俺の手をそっと掴んだ。


その言動は自白と同意語であり、俺は「分かり、ました」とだけ口にする。


「ど、どうしてだよ。どうしてリサ姉が僕たちを裏切るんだよ!」

 

電子はそのままリサさんに飛び掛かろうとしたが、すぐさま新川によって取り押さえられた。


だが口の自由までは拘束されていないため、「なぁ、きっと与那国に脅迫されていたんだろ? なぁ、そうなんだろ!?」と希望を述べ始める。


しかし、リサさんは「違うよ、電子ちゃん。私から彼に取引を持ち掛けたの」と首を横に振った。


「リサ姉。理由を聞いても良いかな?」

 

将亦からの問いかけに対して彼女は「お金が必要だったの」とありきたりな回答を口にする。


すると電子は「そ、それだけのために、それだけのために僕たちを売ったのか!」と激高を見せた。


それに即座に反応を見せるのは将亦であった。


「電子ちゃん。その先の理由を聞くのが先決だよ」

 

驚くほど冷静を保っている彼女は、視線をリサさんに移すと「そのお金で、何がしたかったの?」と尋ねた。


それに頷くと、「弟を連れて海外に行きたいんだ」と言葉を少しずつ連ねていく。


「母の再婚相手なんだけど、その人は暴力的でね」

 

そう言ってリサさんは突然胸元のリボンを外すと、そのままブラウスまでおもむろに脱ぎ始めた。


そんな奇行の直後、彼女の体には鞭で打たれたような傷跡と無数の丸い火傷が現れる。


それを見た将亦は「なんてこと……」と口元を反射的に抑えた。


「別に同情して欲しい訳じゃない。体罰は日常に溶け込んでいたし、それが普通ではないにしろ、ただ耐えるだけなら楽だった。だけど、この暴力の矛先が弟にも向けられ始めた」

 

リサさんは傷の付いた二の腕を強く握りしめると、将亦はそっと彼女に寄り添って「もういいよ。十分、分かったから」と着ていたブレザーを羽織らせる。

 

しかし、それでも話すことを止めずに「弟なんて酷いんだよ。まだ小学生なのに目元には痣があって、先月なんて肋骨が折れてた。もちろん児童相談所に掛け合ったりもしたよ。だけど、根本的な解決には至らなかった。私たちは無様なほどの弱者だった」と将亦に儚い笑顔を向ける。


「それで、与那国に交渉を持ち掛けたんだね」

「そう。彼ならお金も人脈も有り余るほど持っている。だから、私たちを救えると知っていた」


俺は彼女に対して、「相談してくれれば」という言葉を伝えることができなかった。


人脈も金もない、ましてや働いてもいない一介の高校生が、体罰に苦しむ二人の子どもをどうやって救えると言うのだ。


きっと、一時的な気休めは与えることができるだろう。


しかし、それでは意味がない。


彼女、いや、彼女たちは命が掛かっている。


救われなければ死ぬだけなのだ。

 

この場にいる全員がそれを理解して、沈黙を貫いている。


各々思うことがあるだろうが、共通しているのは己の無力さであることは容易に想像が付いた。


彼女に生きる希望を与えたのは敵である与那国であり、仲間の俺たちは呑気に紅茶を飲むだけだった。


それが悔しくて、だけどこの感情をどうやって表現すれば良いか分からなくて、俺は無意識に壁に向かって拳を叩きつける。


それは渾身の一撃であったが、コンクリートでできた建築物は一ミリだって欠けやしない。


自分の中で答えなど見つかる訳もなく、更なる無力感を味わうだけだった。


「ごめんね。革新党もみんなの事も大好き。それは今も変わらない。だけど、私にはそれ以上に守らなきゃいけないものがあるから」

 

リサさんは背中を向けると、教室の扉に手を掛けた。


しかし、それを遮るように将亦は「待ってよ! 行かないでよ! ずっと私たちと居てよ!」とまるで幼児ような駄々をこね始めた。


「裏切り者を引き留めるなんてお人好しにも程があるよ」

 

そんなリサさんの言葉に対して食い気味に、「違う! リサ姉はいつも本物の笑顔を私たちに向けてくれていた! そんな人を裏切り者なんて言わない! 大切な家族なんだよ!」と自分の心情を吐露していく。


それに続くように電子が「そうだよ。リサ姉がいなくなったら誰がお茶を淹れてくれるんだよ。おうちゃんの紅茶なんて飲めたもんじゃないぜ?」と声を震わせながら彼女を引き留めようとする。

 

みんな、彼女が本当に大好きなんだ。


だからこそ、TFLに情報を流されたことよりも、彼女がいなくなることを悲しんでいる。


勿論、俺もその中に含まれており、「今からみんなでリサさんたちを救う方法を考えよう。そうすれば、きっといい方法が見つかる」と空虚な言葉を吐き連ねていく。


その道が例え不可能だと分かっていても、俺たちは、俺たちのために、ここにいて欲しかった。

 

必死の説得に彼女はようやく振り向くと、「みんな、もっと私の事を嫌いになってよ。もう二度と会いたくないって言ってよ。この裏切り者って罵ってよ。私の心が痛くて、痛くて堪らない」と胸元をぎゅっと握りながら涙を流すリサさんの姿が映った。


それに感化された将亦と電子は彼女に抱き着こうとしたその時、扉がガラッと開くと与那国と田名島が現れた。


そして、彼は右手をそっと差し出して、「君は君の役割を全うしてくれた」とリサさんを奪おうとする。

 

その手をどうか握らず、俺たちの方を向いて欲しい。


そうすれば、きっとまた元通りだ。


紅茶やコーヒーの香りに包まれた、日常の軌跡に戻ることができる。


だが、現実は恐ろしいほど残酷だ。


「ごめんね、みんな」

 

そう言ってリサさんは与那国の手を握ると、この教室をすんなりと出てしまう。


余りにも呆気ない別れに、俺たちはそのまま立ち尽くしてしまった。


この空虚な教室にすすり泣きが聞こえる。

 

それは将亦の物であり、彼女はそのまま床にぺたんと座り込んでしまった。


「ごめんね。リサ姉、ごめんね」

 

将亦の隠しきれない精神的動揺。


彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出ている。

 

それは将亦だけではなかった。


電子もまたぬいぐるみに顔を埋めたまま動かないし、俺も歯が折れてしまいそうなくらい噛み締めている。


しかし、その中で唯一平静を保っているのは新川であった。


彼は将亦に向かって、「これで、お別れにしないだろ!?」と口にする。


短いながらも的確なワードチョイスはいつも誰かに進む勇気を与えてくれる。


その言葉にハッとした彼女は教室を勢いよく飛び出ると、「絶対に、このメンバーで迎えに行くから! どこよりも、誰よりも強くなって、大切な人を守れるようになるから! だから、その時を楽しみにしてて!」と宣誓というよりも歪な叫び声を上げた。


するとリサさんはようやく振り返って将亦の元までいくと、そのまま彼女に抱き着いた。


そして、「ありがとう、本当にありがとう。絶対だよ? そしたらまた、みんなでお茶を飲もうね。今よりももっと美味しいのをご馳走してあげる」とここでようやく二人の距離はゼロとなった。


その光景を見ていた電子は自分もと言わんばかりに、駆け寄ると、そのまま涙を流しながら「全員が馬鹿野郎だ! ちくしょう!」と誰に向けてか分からない汚言を口に出し始める。


「お前は、行かなくていいのか?」

 

新川は俺にそう問いかけるが、「犯罪行為に触れる可能性がある」と声を震わせながらそれを拒否した。


この光景を俺は決して忘れてはいけないと感じる。


弱さは人を守ることはできないが、寄り添うことはできる。


これは強者になるにつれて薄れていく感覚であることは容易に想像が付いた。


だから俺たちは弱いまま強くなるんだ。


彼女たちの声は木霊となって学校中に響き渡る。


しかし、スーパーマンなんていないし、この状況がハッピーエンドで終わることはなかった。


「山分さん。別れを惜しむ時間はありません。諸々の手続きがありますので」

 

タイムスケジュールを気にする田名島は事実を淡々と述べ始めたため、リサさんは今度こそしっかりと「じゃあ、またね」と別れを告げた。


それは確かに離れ離れになることを意味していたが、そこには確かな温かさが込められており、再開を暗示するには十分すぎた。

 

将亦と電子は名残惜しそうに指先を伸ばすが、そこには既に空気しか残されていない。


最後にリサさんは俺に向かって、「あとは頼んだよ、つぐは君!」と何故かピンポイントで声を掛けてきた。


その心理は到底分かりそうにない。


だが、俺は彼女に分かるように深く頷くと、そこで彼女の背中しか見えなくなった。

 

俺は将亦の元に近づくと、「絶対にお前は生徒会長になるんだ。そして全てを変えるぞ」と肩を掴む。


すると将亦は頷いて、「もう、こんな思いはしたくないもんね」と立ち上がった。


彼女の瞳にあったはずの涙は既に乾いており、そこには以前よりも深みが増した将亦桜花と言う存在があった。


人が変わる瞬間、その場面に居合わせた俺はその光に当てられて、思わず目を細めてしまう。


しかし、目を閉じている時間はない。


最終決戦はもうすぐそこまで来ているのだから。

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