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【完結】血鉄の贄 -人の血肉で鍛剣する世界にて-  作者: Kissaki


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1/5

第一話

「汝の血、肉、骨、爪の先に至るまで。命を象る身体のすべてを――我らは受け取る」


 炉の中で、炎が鳴った。


 ゲオルグは両手を胸の前で組み、目を閉じていた。


「剣あるいは鋏、門か屋根か。聖なる炎をもって作り変え、我ら罪人が責任を持って使い切ることを、ここに誓う」


 宣誓を終えて目を開ける。


 革張りの寝台に横たわった老人は、薄い唇を持ち上げた。


 近所で畑を耕していた男だった。


 名を呼ぶほど親しい間柄ではない。だが、ゲオルグは何度もその姿を見ていた。朝になると鍬を担いで家を出て、日が暮れれば土に汚れた足で帰ってくる。冬には薪を割り、春には種を蒔く。腰が曲がってからも畑へ出るのをやめなかった。


 今、その身体は炉の前にある。


「頼んだぞ、鍛冶師」


 老人の声はひどく掠れていた。


「できれば、くわにしてくれ」


「……ああ」


「まだ、使えるだろう」


 ゲオルグは答えなかった。


 老人の腕は枯れ枝のように細い。頬は落ち、胸板も薄かった。これだけ痩せていれば、大きな道具は作れない。


 それでも鍬なら足りる。


 骨と血肉を余さず使えば、刃と金具までは取れるだろう。柄は木か角か、別の素材を継げばいい。


 老人自身も、それを知っているようだった。


「息子がな。畑を継ぐ」


「聞いている」


「なら、あいつに使わせてやってくれ」


 ゲオルグは老人を見た。


 皺だらけの顔に恐怖はない。


 まったくないはずはない、とゲオルグは思っている。これまで何人も炉へ送り込んできた。泣いた者もいる。失禁した者も少なくない。炉口を前にして逃げようとし、家族に押さえつけられた者さえいた。


 だが、最後には皆、炉へ入った。


 土の中から鉄は出ない。岩を砕いたところで、そこから刃物になるものは何ひとつ現れない。


 人が生きるために必要な硬いものは、人から作るしかなかった。


 生きた人間の血を。


 肉を。


 骨を。


 炉へ入れ、焼き、溶かし、精錬する。


 そうして得られるものを、血鉄けってつと呼んでいた。


 死んでからでは遅い。


 命が絶えれば、身体から血鉄を取り出すことはできなくなる。死肉をいくら焼いても、残るのは脂の焦げた臭いと灰だけだ。


 だから人は、自分の死期を悟ると鍛冶師を訪れる。


 病人や老人、助からぬ傷を負った者がほとんどだ。


 まだ息があるうちに、自らを差し出す。


 そうして父親は息子の鍬になり、母親は娘の包丁になり、兵士は仲間の剣になる。


 珍しいことではない。誰もがそうしてきた。


「始めるぞ」


 ゲオルグが言うと、老人は小さく頷いた。


 炉口を開く。


 熱気が顔を殴った。


 白髪が揺れ、乾いた眉の先が縮れる。何十年も浴び続けてきた熱だった。鼻の奥には煤がこびりつき、舌の根にはいつも苦味がある。


 ゲオルグは老人を抱えた。


 想像通りに軽かった。


 畑で鍬を振るっていた頃は、もっと重かったはずだ。骨ばった背中に腕を回すと、薄い衣服越しにまだ体温があった。


 生きている。


 当たり前のことを、毎回思う。


 炉へ入れるものは、必ず生きている。


 老人の身体を炉口へ近づける。


 炎の色が、老人の頬を赤く染めた。


「鍛冶師」


「なんだ」


「いい鍬にしてくれよ」


 ゲオルグは老人の目を見た。


「できる限りはな」


 老人は笑った。


 ゲオルグは、その身体を炉へ入れた。


 ◇


 夕刻には、工房の空気が肉の焼けた臭いで重くなっていた。


 炉の底から取り出した赤い血鉄の塊を、ゲオルグは火鋏で挟んだ。


 ただ熱せられて赤いのとは少し違う。


 血鉄には、火から離してもしばらく血を思わせる色が残る。表面の奥で濁った赤が揺れ、ところどころに黒い筋が走っていた。


 金床へ置き、槌を振り上げた。


 槌で打つ。


 硬い音が工房に響く。


 もう一度、打つ。


 赤い塊が潰れ、火花が散った。


 ゲオルグは黙って打ち続けた。


 肉や骨や血の区別は、もうない。


 槌を振り下ろすたび、赤熱した血鉄は少しずつ形を変えた。


 老人は鍬になっていく。


 数日前まで土を踏んでいた脚も、息子の名を呼んだ舌も、皺だらけの手も、今はこの塊の中にある。


 それでも、血鉄になった人間が完全に消えるわけではなかった。


 槌を止める。


 ゲオルグは革手袋を外し、十分に冷ました血鉄へ指先を置いた。


 とくん。


 小さな振動があった。


 もう一度。


 とくん。


 心臓など残っていない。


 それでも血鉄は、ときおり脈を打つ。


 残響。


 鍛冶師たちはそう呼んでいた。


 血鉄となった者の体温や鼓動が、物の中に残る。


 なぜ残るのか、それが本人のものなのか。それとも、魂と呼ばれるものが宿っているのか。


 ゲオルグは知らない。知りたいとも思わなかった。


 知れば、槌を振れなくなる気がするからだ。


 鍬の刃を水へ沈める。


 じゅう、と激しく蒸気が上がった。


 鉄と煤の臭いに、まだわずかに残っていた焼けた脂の臭気が混じる。


 蒸気が晴れるまで、ゲオルグはそこに立っていた。


 やがて水から引き上げると、黒みを帯びた、頑丈な鍬刃ができていた。


 明日、老人の息子が取りに来る。


『父親』を。


 ゲオルグは完成した鍬刃を作業台へ置いた。


 そのときだった。


 奥から乾いた咳が聞こえた。


 二度、三度と咳は続き、途中から息を吸い込む音に変わる。


 ゲオルグは槌を置き、手を洗った。


 爪の間に深く入り込んだ黒い煤を落とし、肘まで水で洗った。臭いは取れない。石鹸で擦っても、血鉄を扱った日の手からは鉄臭さが抜けない。


 革の前掛けを外し、工房の奥へ向かった。


 仕切り布の向こうに、小さな寝床がある。


「ヘルマ」


 返事はなかった。


 娘は身体を丸めていた。革の寝床からか細い腕がはみ出している。


 肉が落ちたその腕は、とうに成人した女の腕には見えない。そしてその皮膚には、赤黒い斑が浮かんでいた。


 ゲオルグは寝床の脇へ膝をついた。


「起きられるか」


 ヘルマの瞼が動いた。


「……お父さん」


 声が細い。


「仕事、終わったの」


「ああ」


「誰だった?」


「畑の爺さんだ」


「あの、いつも朝早くから働いてた?」


「そうだ」


 ヘルマは少し黙った。


「何になったの?」


「鍬だ」


「そっか」


 それきりだった。


 何になったのか。


 この世界では、死んだのかと尋ねる代わりに、そう聞くことがあった。


 ゲオルグは娘の肩へ手を差し入れ、抱き起こした。


 すると、ざざ、と音がした。砂を擦ったような音だ。


 娘の皮膚から落ちた黒い粒が、寝床の上に散る。


 ゲオルグの眉間に皺が寄った。


 ヘルマは見られたくないのか、腕を引いた。


「汚れるよ」


「構わん」


「服に付く」


「洗えばいい」


「落ちないくせに」


 ゲオルグは答えなかった。


 ヘルマの背中へ腕を回す。


 身体が硬い。


 以前はもっと柔らかかった。


 幼い頃には、抱き上げると両腕を首へ巻きつけてきた。今は肩の関節を少し動かすだけで痛むらしく、腕を上げることも難しい。


錆血病しょうけつびょう


 そう呼ばれる病だった。


 血が変わる。


 皮膚の下に赤錆のような斑が浮き、血管が黒ずみ、やがて肉や関節まで硬くなっていく。


 ヘルマの首筋にも、細い黒色の筋が走っていた。


 指で触れると冷たい。


「寒いか」


「少し」


 ゲオルグは毛布を引き上げた。


「スープを作った」


「いらない」


「食え」


「お腹、空いてない」


「それでも食え」


 ヘルマが困ったように笑った。


 ゲオルグは立ち上がり、鍋を取りに戻った。


 炉の余熱で温めておいた薄いスープを木椀へ移す。湯気はほとんど立っていない。熱すぎれば、ヘルマは喉を通せなかった。


 水差しも持っていく。


 寝床へ戻ると、ヘルマは先ほどより身体を起こしていた。


 ゲオルグは椀を渡さず、自分で匙を持った。


「口を開けろ」


「自分で食べられる」


「手が震えてる」


「……見ないでよ」


 匙を口元へ運ぶと、ヘルマは諦めて口を開いた。


 少しずつ食べさせるが、三口目で咳き込んだ。


 ゲオルグはすぐに水差しを取り、杯へ注ぐ。


 澄んだ水だった。


 ヘルマの背中を支えながら、口元へ運ぶ。


 娘の喉が細く動いた。


「ゆっくり飲め」


「うん」


 ゲオルグはもう一度杯を傾けた。


 娘が飲めるだけ飲ませ、食えるだけ食わせる。


 身体が弱っているなら、身体に入れるしかない。


 それ以外に、父親である自分に何ができるのか、ゲオルグにはわからなかった。


 ヘルマの口元から垂れた水を指で拭う。


 皮膚に触れた指先へ、冷えた感触が返ってきた。


 生きている人間の温度とは思えない。


 ゲオルグは無意識に娘の頬を包んだ。


「お父さんの手、熱いね」


「炉の前にいたからな」


「いいな」


「何がだ」


「温かくて」


 ゲオルグは手を離さなかった。


 掌の熱を移すように、娘の頬を包み続けた。


 ヘルマは目を閉じた。


 しばらくして、小さく息を吐いた。


「ねえ、お父さん」


「なんだ」


「私も、もうすぐかな」


 ゲオルグの指が止まった。


「何の話だ」


「わかってるでしょ」


「もう寝ろ」


「お父さん」


「もう寝ろ、ヘルマ」


「私の身体、もうほとんど動かないよ」


 ゲオルグは椀を持って立ち上がった。


 なるべく早く、背を向けようとした。


「逃げないで」


 足が止まった。


 娘の声だった。


 弱り切っているくせに、その言葉だけは妙にはっきりしていた。


「私、自分の身体のことくらいわかる」


 ゲオルグは振り返らない。


「朝になるたび、昨日より指が動かなくなってる。足も、もうほとんど感覚がない。身体もずっと冷たいの」


「医者は――」


「もう来なくていいって、私が言った」


 ゲオルグが振り向いた。


 ヘルマは父親を真っすぐ見ていた。


 怒っているわけでも、泣いているわけでもない。


 疲れた顔だった。


「何を勝手なことを」


「だって、治せないでしょう」


 ゲオルグは何も言えなかった。


「だったら、お金を使わないで」


「金の話をしてるんじゃない」


「私はしてるよ」


「ヘルマ」


「お父さん、私のために仕事を増やしてるでしょう」


 ゲオルグの口が閉じた。


「わかるよ。ずっとここにいるんだから。夜まで槌の音がする日が増えた」


「余計なことを考えるな」


「余計じゃない」


 ヘルマは息を整えた。


 喋るだけで胸が上下している。


「私、お父さんを守りたい」


 ゲオルグは娘を見た。


 何を言っているのかわからなかった。


「私じゃ、もうお父さんのためにできることは何もないから」


「そんなことはない」


「できないんだよ」


 ヘルマは毛布の下で腕を動かそうとした。


 肘がわずかに浮き、それ以上は上がらなかった。


「薪も運べないし、料理だってもうできない。お父さんが働いて、帰ってきて、それから私の世話までしてる」


「当たり前だろう」


「でも、ずっとは無理だよ」


「もう喋るな!」


 思ったより強い声が出た。


 ヘルマが口を閉じる。


 工房から、火の粉が爆ぜる音がした。


 ゲオルグは自分の呼吸が荒くなっていることに気づいた。


「……悪かった」


 ヘルマは首を横に振った。


 ゲオルグは椀を置いた。


 寝床の横に腰を下ろす。


 そのまま長い時間、二人はともに口を開かなかった。


 炉の熱はここまで届かない。


 工房の奥は寒かった。


 やがてヘルマが言った。


「お母さんのときも、こうだった?」


 ゲオルグは顔を上げた。


「最後の頃」


「……ああ」


「お母さんも、なりたかったんだよね」


 言葉が喉に引っかかり、何年も前の光景が蘇った。


 死んだ身体を焼いたときの煙。


 妻は肺を病んでいた。


 もう助からないとわかった夜、妻はゲオルグに頼んだ。


 炉へ入れてくれ、と。


 血鉄にしてほしい。


 あなたが使うものになりたい。


 だが、ゲオルグにはできなかった。


 炉へ人を入れるということだけなら、何度も繰り返しやっていた。


 知らない人間ならできた。近所の住人にも。


 だが、妻の身体を抱き上げて炉まで運ぶことだけは、どうしてもできなかった。


 明日にしよう。


 そう言った。


 翌日も、同じことを言った。


 妻は三日後に死んだ。


 その身体からは、もう血鉄を作れず、彼女は灰になった。


 白い骨も最後には崩れ、何にもならなかった。


 あれでよかったのか。


 今も答えは出ていない。


「お母さん、怒ってた?」


 ヘルマが尋ねた。


「いや」


「悲しんでた?」


「……わからん」


 最後に妻がどんな顔をしていたのか。


 思い出そうとするたび、なぜか輪郭がぼやける。


 ただ、手の温度だけは覚えていた。


 熱のある妻の手を、一晩中握っていた。


 死ぬ少し前、その熱が急に消えた。


 人間はこんなに早く冷たくなるのかと、あのとき初めて知った。


「私はね」


 ヘルマが言った。


「灰にはなりたくないの」


 ゲオルグは娘を見る。


「お父さんのそばに残りたい」


「やめろ」


「剣にして」


 ゲオルグは一瞬固まった。


「私を剣にして、お父さん」


「やめろと言った」


「まだ間に合ううちに」


「黙れ」


「錆血病の身体は、丈夫な血鉄になるんでしょう」


「誰から聞いた」


「知ってるよ、それくらい」


 ゲオルグは立ち上がり、今度こそ背を向けた。


「寝ろ」


「お父さん」


「その話は終わりだ」


「終わってない」


「終わりだ」


「じゃあ、いつ話すの?」


 ゲオルグは答えなかった。


「私が死んでから?」


 その言葉が背中に刺さった。


「そのときには、もう遅いよ」


 そんなことは誰よりもわかっていた。


 命が消えれば血鉄にはならず、ヘルマの身体は灰になる。


 妻と同じように、何も残らない。


「私が灰になる前に、お父さんを守る剣にしてほしい」


 ゲオルグは作業台へ手をついた。


 指先に力が入る。


 爪の間に残っていた煤が、木の表面へ黒く付着した。


「私、お父さんの役に立ちたい」


「生きていろ」


「生きたいよ」


 ヘルマの声が震えた。


 初めてだった。


 ゲオルグは振り返った。


 ヘルマは泣いていなかった。


 ただ唇を噛んでいた。


「私だって、生きたい」


 その声を聞いて、ゲオルグは何も言えなくなった。


「死にたいわけじゃないよ」


 ヘルマは息を吸った。


 胸の奥で何かが引っかかり、苦しそうに咳をする。


 口元を押さえた指の間から、黒ずんだ血が滲んだ。


「でも、死ぬんでしょう」


 ゲオルグは動けなかった。


「だったら選びたい」


 ヘルマは血の付いた手を毛布へ隠した。


「最後くらい、自分で」


 炉の火が小さく鳴っていた。


 ゲオルグは娘を見ていた。


 妻の顔が重なる。


 あの夜、妻は選ぼうとした。


 ゲオルグが選ばせなかった。


 愛していたからだ。


 だが、愛していたことと、正しかったことが同じなのかは、何年経ってもわからなかった。


 ゲオルグは寝床へ戻り、娘の前に膝をついた。


 ヘルマの手を取る。やはり、冷たい。


 指先は硬く、爪の周囲には赤錆色の斑が広がっている。


 それでも、掌の奥にはかすかな脈があった。


 とくん。


 間を置いて。


 とくん、と。


 弱い。だが、生きている。


 ゲオルグはその手を握った。


「…………」


 浮かんだ言葉が喉から先に出てこない。


 悟られないように深く息を吸い、ゲオルグは重い口を開いた。


「……剣でいいんだな」


 ヘルマの瞳が揺れた。


「うん」


「後から嫌だと言っても止められん」


「うん」


「炉へ入れば、俺にも止められない」


「わかってる」


 ゲオルグは目を閉じた。


「……そうか」


 それだけだった。


 ◇


 炉へ新しい炭を入れた。


 ふいごを踏む。


 眠りかけていた炎が息を吹き返した。


 赤から橙へ。


 橙から白へ。


 熱が工房を満たしていく。


 ゲオルグは黙って準備をした。


 火鋏や、槌。型や水桶。


 どれも何百回と使ったものだった。


 何百人もの身体を血鉄へ変えてきた道具だが、今夜だけは、すべてが初めて見るもののように思えた。


 背後で音がした。


 ゲオルグは振り返る。


 ヘルマが仕切り布を掴んで立っていた。


 立っている、と呼べるのかもわからない。


 片脚を引きずり、壁へ肩を預けている。寝床から炉まで、ほんのわずかな距離しかない。それだけの道のりで息を切らし、額には汗が浮かんでいた。


「呼べば運んだ」


「自分で行きたかった」


「馬鹿が」


 ゲオルグは娘のところへ行った。


 腕を差し出す。


 ヘルマはそれにつかまった。


 ざざ、という音がし、また皮膚から黒い粒が落ちた。


 二人で炉へ向かう。


 一歩ずつ。


 炉が近づくにつれ、ヘルマの頬へ赤みが戻っていった。


 ゲオルグには、久しぶりに娘の顔へ血が通ったように見えた。


 炉の前で止まると、熱風が二人を包んだ。


 ヘルマが目を細める。


「温かい」


 ゲオルグは返事をしなかった。


 娘の手を握る。


 冷たい手だった。


 その奥で、まだ脈が打っている。


 ゲオルグは炉口を開いた。


 炎が唸る。


 ヘルマの身体が小さく震えた。


 ゲオルグは気づいていたが、何も言わなかった。


 ゲオルグはヘルマの前に立ち、何度も唱えてきた言葉を紡いだ。


 一度として間違えたことはない。


 それなのに、最初の一言が出なかった。


 ヘルマが父を見る。


「お父さん」


 ゲオルグは唇を噛んだ。


 鉄の味がした。


「言って」


 炉は燃えているのに、娘の手は冷たい。


 それでも、握った指の奥から確かに鼓動が伝わってくる。


 ゲオルグは息を吸った。


「汝の血、肉、骨、爪の先に至るまで」


 声が掠れた。


「命を象る身体のすべてを――我らは受け取る」


 ヘルマは目を閉じた。


 ゲオルグはその手を離さなかった。


「剣あるいは鋏、門か屋根か。聖なる炎をもって作り変え……」


 そこで一度、言葉が止まった。


 炎が二人の顔を赤く照らしている。


「我ら罪人が、責任を持って使い切ることを」


 ヘルマの指が、父親の手を握り返した。


 弱い力だった。


「ここに誓う」


 宣誓を終え、ゲオルグは細い体をそっと抱き上げた。まだかすかな鼓動を感じる。


 ゲオルグは娘を見た。


 ヘルマも目を開けた。


 炉の中で、白い炎が揺れていた。

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