Episode33 銀嘶草の秘密
しばらく、沈黙が続いた。
「――もう一つ話しておきたいことがある」
バルナバスが少し声を落として、そう切り出した。
「どうぞ」
ローウェンが静かに先を促す。
バルナバスはすぐには続けなかった。
一度、扉の方に視線をやる。
「――こんな話、本来誰にもするつもりはなかった」
「?」
「一人で二十年抱えてきた話だ。……だが一人じゃこれ以上どうにもならねぇとこまで来ちまってな」
バルナバスがそう言って少し間を置いた。
「王家に報告するにしても伝手がねぇ。下手に動きゃ闇に葬られて終わりだ。だがお前らなら話は違う」
ローウェンにちらりと視線を向ける。
「商人の伝手ってのは馬鹿にできねぇ。それに、こういう場に平然と同席できる坊ちゃん嬢ちゃんだ。ただの世間話にゃ聞こえねぇとこもあるだろ」
「――つまり私たちを見込んで、ということですか」
ローウェンが確かめるように問うた。
「そういうこった。賭けだよ。お前らが本当に信用できる相手かどうかはまだ分からねぇ。だが黙ったまま朽ちていくよりゃ賭けてみる方がまだマシだ」
バルナバスがそう言って声を少し潜めた。
「――誰にも漏らすなよ。俺の首がいくつあっても足りねぇ話だ」
その声には、さっきまでの飄々とした調子とは違う硬さがあった。
「正確に言うと――王家も本当のとこは分かっちゃいねぇんだよ」
「と、いうと?」
「銀嘶草は『王の中庭』という特定の場所でしか生えない。基本的には王のみ立ち入れる場所でな。その場所に何か特別な恩恵がある。それが今までの見解だった。だがなんでそうなるのか、仕組みは分かっちゃいなかった」
「王しか入れない場所だと、おっしゃいましたが……あなたは、どうしてそれをご存知なんです?」
ローウェンがすかさずそう尋ねた。
「――ああ、そこ気になるよな」
バルナバスが苦笑した。
「王立研究所にいた頃、涸れ病の治療で王族に直接薬草を煎じて届ける役目を任されててな。あの花壇には、俺も何度か足を踏み入れたことがある」
「治療のため、特別に許されていた、ということですか」
「そういうこった。護衛付きで決まった手順を踏んでな。勝手に入ったわけじゃねぇよ」
バルナバスがそう言って首を軽く振った。
「銀嘶草がそこでしか栽培できない理由は、もうとっくの昔に失われててな。歴代の王様たちは、古の魔法の名残だと思ってた。俺が研究所にいた頃は、前任からそう教わったよ」
「魔法……」
「誰も疑問に思わなかったんですか?」
ローウェンがそう問うた。
「疑問に思う奴もいたにはいただろうな。だが確かめようがねぇんだよ。花壇そのものが王しか入れねぇ場所だ。知ってるのも極少数で持ち出しもそうそうできねぇ」
バルナバスがそう言って鼻で笑った。
「俺が突き止めたのはそこだ。あの花壇の草が、そこいらにいくらでも生えてる、ただの雑草と同じ種だってこと。俺が確かめるまで誰も気づいちゃいなかった」
「――雑草と同じ種?」
ローウェンが驚いたように目を見開いた。
「ああ。名前も王家の呼び方とは違う。市井じゃ"ルミナ草"って呼ばれてる。マナが通ってねぇ状態だと、薬効も何もない、ただの草にしか見えねぇからな」
「見た目だけで断定できるものなんですか?」
「葉に特徴があってな。五つに割れてて少し捻れてる。花壇のもんも外に生えてるもんも、葉の形は全く同じだった。だから仮説を立てた」
「――今まで気づいた人はいなかったのかしら」
エラリーは思わずそう呟いていた。
「さあな」
バルナバスがそう言って肩を竦めた。
「花壇の世話役ってのは、代々研究者の家系でな。もしかしたら気づいた人間もいたかもしれねぇ。ただお上の考え方次第では運がなかったかもしれないな」
「――運がなかった?」
バルナバスはエラリーの問いには答えずに伏し目がちに少し笑って話を続けた。
「なんでその花壇でしか育たねぇのか。それが知りたくて、俺はコソコソ成分やら成り立ちやらを調べ始めた。そんなこと期待されて呼ばれたわけじゃねぇのにな」
「――それで何が判明したんですか?」
気を取り直してそう尋ねる。
「花壇の土にほかの土地では見られない鉱物の成分が混ざってたんだよ」
「――鉱物ですか」
ローウェンが目を細めた。
「それはどんな鉱物なんですか」
思わずエラリーが問うと、バルナバスが鼻をすすりながら言った。
「――お前ら、本当に最後まで聞く気なんだな」
「――ご不快でしたら無理には」
「いや」
バルナバスが片手を軽く振った。
「不快ってわけじゃねぇ。ただ俺の話、真面目に聞いてくれる奴が久しぶりでな。ちっと調子に乗っちまった」
照れ隠しのようにそう言って鼻の下を擦る。
「――で、どこまで話したっけな」
「土に鉱物が混ざっていた、というところまでです」
ローウェンが静かにそう言うと、バルナバスが頷いた。
「特定の鉱物が混じっていることが分かって、花壇自体に同じ鉱物が使われていたことが分かった。だがそこからが難儀でな」
バルナバスは目を閉じた。
「そこら辺には無い希少な鉱物でな。それなりの値段はするんだが、取り寄せて試した。ただ鉱物を混ぜた土地でルミナ草を育ててみても銀嘶草にはならなかった。――だが銀嘶草の秘密はその鉱物だと確信していた」
エラリーは息を殺して聞いた。
「王立研究所を辞してからその鉱物の産地に移動して何年も試した」
「――何年も?」
「二十年かかったな」
バルナバスがそう言って目を伏せた。
「二十年……」
思わず息を呑んだ。
ローウェンもしばらく何も言わずに、その言葉を噛み締めるように目を伏せていた。
「色んな環境下で試して、ようやくこれだ、ってやつに行き当たった」
バルナバスがそう言ってふっと目を細めた。
「――特別な鉱物と特別な環境が必要だったと?」
ローウェンがそう問うた。
「ああ。花壇の水路そのものに鉱物が使われててな。水がそこを通る間に成分をじっくり吸い込んでる。ただ浸けりゃいい、ってほど単純な話でもねぇんだが」
「単純ではない、と」
「――まあ、そこから先は企業秘密ってやっだ。勘弁してくれ」
バルナバスがそう言って片手を軽く上げた。
「二十年かけて辿り着いたもんを、こんなとこで洗いざらい喋るほどお人好しじゃねぇよ」
ニヤリと笑いながらそう言う。
「――それは失礼しました」
ローウェンが穏やかにそう返した。だがその目には、なお興味の色が消えずに残っていた。
「ただ方法は分かったってことでいい。鉱物と水をうまく組み合わせてやりゃ、あの花壇じゃなくても育てられる。今なら、そう確信を持って言える」
「――確信、というのは……何か根拠が?」
ローウェンがそう問うた。
「俺自身で試したからだよ」
バルナバスがそう言って少し声を落とした。
「出来上がったもんを、しばらく飲み続けてみた。血を採って成分を調べた。マナの残滓がちゃんと宿ってる数値が出たんだよ」
「――数値、というと。何か専用の道具でも?」
ローウェンがそう尋ねた。
「ああ。王城にいた頃、マナの濃度を測る専用の道具を散々扱っててな。辞める時、劣化版だが似たようなもんを、自分で組んで持ち出しといた」
「持ち出した、というのは……」
「まあ正規の代物じゃねぇよ。精度は本物の足元にも及ばねぇ。だが実用には十分耐えた」
バルナバスがそう言って肩を竦めた。
「実際、身体が軽くなって、重いものを長時間持ち運べたり、疲れにくくなった」
「――身体が強化された、ということですか」
「大したもんじゃねぇが数値と実感が両方揃ったんだ。これは本物だってな」
そう言われてみれば、バルナバスは先ほどまで行き倒れていたというのに、いくら食事をしたからといって、あまりにも元気そうだった。
バルナバスがそう言って少し得意げに鼻を鳴らした。
「――ちなみに、その体格の良さも銀嘶草の恩恵か何かですか?」
思わずそう尋ねていた。
「あ? ……いや、こいつは生まれつきだ」
バルナバスがそう言って自分の腕を軽く叩いた。
「親もでかい一族でな。銀嘶草は関係ねぇよ」
フィンが肩の上でけらけらと笑い出した。
「――なんだよ、そこ気になるとこ、そこかよ!」
その声は、もちろんバルナバスには届かない。
「――それで少々調子に乗っちまってな」
「?」
「体が軽い。頭も冴えてる。そう思い込んじまうと無茶が利く気になるんだよ。早く報告に行かなきゃ、って気が急いて飯も碌に食わずに歩き続けた」
「――それで街で倒れられたんですね」
エラリーは思わずそう繋げていた。
「ああ。街道の途中で行き倒れた」
バルナバスがそう言って苦笑した。
「あん時お前らに拾われてなきゃ、今頃野垂れ死んでたかもしれねぇ。いい歳して恥ずかしい話だ」
ローウェンがわずかに身を乗り出した。
「王室に嫌気が差したと言うのに戻られたのは何故なんですか?」
「俺の作った銀嘶草だけじゃ量産とまでは言えねぇし鉱物も高額で俺の懐も限界がきてる。だが……道筋が見えた。あとは実地検証が必要だ。本来、王の中庭で栽培される銀嘶草との比較もしなきゃならねぇし、涸れ病患者への治験もしなくちゃならねぇ。涸れ病は貴族に多いからな、必然的に涸れ病患者は王都に集まる。治験に足る量産体制を取らなきゃならねぇし、陛下に許可をもらわなくちゃならねぇ」
バルナバスがそう言って深く頷いた。
部屋の空気が少し変わった気がした。
「なあなあ、それってつまり」
フィンがバルナバスの肩の上で、ひょいと身を乗り出した。
「涸れ病、めちゃくちゃ助かる奴がいっぱい出てくるってことだろ?」
もちろんフィンの声はバルナバスには聞こえていない。
でも、なんとなく私も同じことを考えていた。
「――このまま報告に行けば、あなたは殺されるかもしれませんよ」
ローウェンが静かにそう言った。
バルナバスは目を少し見開いた。
だがすぐに肩を竦めた。
「……かもな。俺もそのくらいは覚悟の上だ」
「――は?」
フィンが肩の上で勢いよく立ち上がった。
「なんだよ、そんなん絶対おかしいだろ!――殺させたりなんかしねぇからな! 俺が絶対守ってやる!」
肩の上でぷんすかと腕を組むフィンの声なき怒りは、どこまでも純粋で真っ直ぐだった。
「分かっていらっしゃるんですね」
「この国の研究者だった身の上でな。先代の陛下は、なんというか賢君ではなかった」
バルナバスがそこで一度言葉を区切った。
「――が、先代は亡くなられてる。今の陛下がどういうお人か。そこに賭けるしかねぇ」
「賭け、ですか」
「先代なら間違いなく握り潰す。だが今の陛下は――まだ俺は見たことがねぇ」
そう言いかけて、バルナバスが少し首を傾げた。
「――いや、正確には一度だけある」
「?」
「花壇の調査でな。あの頃も、しょっちゅう王城に出入りしてた。その行き帰りに、たまたま廊下で行き合わせたんだ」
「陛下と、ですか」
「まだ子供の頃の話だ」
バルナバスがそう言って懐かしむように目を細めた。
「護衛がうるさく急かしてきたのを、たしなめてくれてな。偉ぶったとこがまるでねぇ子供だった」
「そう、なんですか」
「俺みたいな薄汚い研究者にも、ちゃんと目を見て話しかけてきた。ああいうのは育ちだけじゃできねぇもんだ」
バルナバスがそう言って少し笑った。
「あん時のあの目のまま育ってりゃ……もしかしたら、って思っちまうんだよ」
「――淡い期待ですね」
ローウェンがそう言ってわずかに目を細めた。
「ああ。淡い期待だ」
バルナバスが頷いた。
「だが俺にゃ、それしか縋るもんがねぇ」
「――では準備をしましょうか」
ローウェンがそう言って微笑んだ。
「準備、というと……?」
「陛下に賭けるにしても、この話をあなた一人の口から王家に伝えるだけでは心もとない」
「――どういう意味だ?」
「握り潰すのは簡単なんですよ」
ローウェンがそう言って少し目を伏せた。
「あなた一人を消してしまえば、それで終わる話です。証拠も記録も何も残らない」
バルナバスの顔がわずかに強張った。
「だからこそ記録と証人を分散させておくべきです。その鉱物の採れる場所の近くに、表向きは商会の別邸として保管場所を用意しましょう」
「――研究所を作るってことか」
バルナバスが目を細めた。
「保険をかけておくということです」
ローウェンはあくまで穏やかな口調のまま、そう続けた。
「あなたが口を封じられても、他所に記録が残っていれば……なかったことにはしにくくなる」
「――随分と周到なんだな」
「商人ですから」
その一言で片付けてしまう辺りが、いかにも彼らしかった。
バルナバスは少しの間、ローウェンをじっと見ていた。
やがて、ふっと息を吐いた。
「――助かる。恩に着る」
「ご心配なく。これも商売のうちです」
目の前のローウェンはあくまで穏やかな笑みを浮かべながら、淡々と「記録と証人の分散」「別邸の用意」という政治的・商業的な防衛策を組み立てている。
理詰めで網を張る商人。
エラリーには、まだローウェンが読み切れなかった。
だが、この場に呼んだことは正解だった。




