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魔法哲学構築記 ~世界ゲームプレイ日誌~  作者: 誰でもない誰か
第三章 世界と個人の相互作用を読む ~天命を探って生きてみる~
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夢ある人生と夢なき人生は等価ではありません

夢のある人を潰すために、恋愛を夢のないものに変える、

というのが、実際には市場では横行しているのだと思う。


私はあえて報われずともロマンを持ち続けることこそ、

人間としての価値だと思うので、

浅薄な芸能ゴシップや、恋愛至上主義の嘘はリビールしてしまった方がいい。


ただ、ロマンに逃げ込むためにオタク趣味はどうかとも思う。

現実としてロマンを保持したい場合には、それなりの継続的な努力が必要だし、

なによりもその努力は、人間の理解とそれを育てた宇宙の実感に関わっている。

私は特定の個人に向かう感情に「愛」はないという気がしている。厳密に言えば、発達段階での感情分化の過程を踏まえても、感情というは全てが愛の派生物だとは思うが、それでも対象に対する強い所有欲や独占欲というのであれば、それは愛と言うよりは承認欲求だと思う。


愛には強弱も偏向もあるのかもしれないが、私の実感としては愛は反応物だと思う。愛を感じることは至福だと思うが、これは自己愛で実は十分間に合う。だから、承認や独占による愛と言うのは愛を要求するのであって、与えるものではないと思う。


もっとも自己愛で十分という在り方は私は男性的だと思っている。女性は特定の人に向かう与える愛があるというのが私の実感である。男性が与える愛になるのは、この与えらえた愛への反応だと思うのだ。


誰もが認める美人とかイケメンというのは自己愛が非常に強くて、その波動を放出している。自己愛の強さが外見の美を要求するのである。美は物理構造だけではなく雰囲気という構造もあるだろう。


昨今、恋愛がやたらとテクニックで語られるのが苦々しくてたまらないのだが、そんな風に心を魂と切り離して扱うのは、人間性への冒涜以外のなにものでもないからだ。愛を潰すというのは、人格を破壊するということだ。


但し、テクニックを駆使しあうことが楽しいと思う人同士なら全く問題はないと思う。それは人格の触れ合いだろうから。そういう話で言えば、恋愛に幻想を持ってる人と恋愛を遊びだと思ってる人は交わらない方がいいのだ。(人格を破壊される幻想側が物理的にも心理的にも自己防衛するしかないが。)


あとは自己愛が承認や独占や優越によって得られるものだと、たいていの人が勘違いしているが、自己愛とは他者の存在を前提としない、湧き起こる自己充足感である。それは「汝自身を知れ」を追究しつくし、自分自身を生きることで得られる。


深い人間関係を通して自分の本質は見えてくるものなので、鶏が先か卵が先かみたいな構図はあるのだが、それでも自分と向き合う覚悟の差が経験を活かして素敵な人物になれるかどうかを左右することになる。


さて、話を戻すと、愛と言うのは、個性と個性の共鳴だと思うのだ。私はその共鳴の場を欲が乱すのはものすごく醜悪だと感じてしまう。欲を否定しているのではなくて、共鳴を乱すことが美しくないのだ。共鳴が起こらない恋愛には将来性がないし、共鳴はある種の奇跡なのだから。


遊びと幻想は普通は共鳴したりしない。もっとも遊びというのは精神的発達の遅れとも考えられるので、きっかけがあれば幻想側に移行するだろう。幻想側から遊び側への移行は絶望や諦念を経て起こると思う。それは魂の退化だから、私の信条としては制止したくなる。(だからこそ、こんな文章を書いている。)


共鳴がなくとも、同意がある関係ならばそれは十分に強固な縁のはずである。(縁ということは何らかの共鳴だったということだが…)。遊び側の人にだって、次の標語は当てはまると思う。


「誰かに特別を見出せない人が、特別な誰かを見出せるはずがない」


遊び側の人は特別というのをきっと想定しないのだ。夢がないのだと思うけど、夢を持つ人を巻き込んで潰すのはホントにやめて欲しい。夢がない人の人生と夢がある人の人生は等価交換にはならないのだから。やってることは泥棒を通り越して殺人以上だとすら思う。

「理解しなければ愛せないとしたら、女性は家事なんか絶対にできないだろう。」


理解は男性の機能、愛するは女性の機能。まあ、男性は概念で愛するし、物理で恋をする。そして女性は物理で愛を感じて、概念で恋している気はするし、そんな実感もないでもない。


力の強い男性が恋を物理で処理すると、女性がその物理によって愛を悩むのが世界の悲劇とはいえる。これが逆で、男性が概念で恋をしていたら、ずいぶんと平和だっただろう。


となると、男性のノーリスクハイリターンの勘違いをしっかり法で規制するのは必要である。男性こそ、先に愛を知り、それから恋をするべきなのだ。


こんなのは精神史がずいぶんと進展した現代だからこういう問題にもなってるかもしれない。愛と所有と力がとことん悪い相互作用した結果が、現代の恋愛や家族の問題の混乱、そして家族の混乱は当然国家の混乱でもある。


理論的に考えても、男性の非対称な傲慢は抑制すべきだと思う。女性が愛を失えば、子どもも愛を知らずに育つ。結果として国家は連帯感を喪失して崩壊するに決まってるのだ。


自分の浅薄な利益だけを追究する非国民を産むのは、長い目で見れば男尊女卑を信奉する男女かなと思う。


恋愛がロマンであることは、家族の維持、次世代の健全化、国家社会と世界平和に通じる道なのである。

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