【起】
「きゃーん、いゃあ〜怖ぁいぃ〜〜〜!」
「ちょっ誰!?痛っ、痛いからそんなに掴まないで!」
「なぁに、ひどーい!そんなきつい言い方しなくてもいいじゃない?誰って、私にはシャラっていう名前があるのに。」
シャラ?んー、つい最近にどこかで聞いたような?
肩越しにちらりと振り返ると、そこにはピンクのふわふわした髪が揺れているのが見えた。しかし私にはこんなアニメみたいなピンク髪の知り合いはいない。
足元からゴツゴツとした感触がする。なんか変な匂いの薄暗いところにいるようだけど。洞窟とか?
周りを見回してから、自分の服も確認した。いつものお気に入りの安眠パジャマではなく、何故か不思議な形の学生服だ。しかしよく見たというか、見せられたこの学生服には覚えがある。
もしそうだとしたら、この薄暗い洞窟の中で私の背中に隠れるように力いっぱいしがみついてきているのは、このゲームのヒロインのシャラだ。
どうやらここは、中学生の妹が暇さえあればプレイしている乙女ゲームの『ゆめきみ』こと、『この夢のように輝く世界で運命の君とともに幸せに生きるのは私だけ』とかなんとかいう、タイトルがやたらと長いゲームの中のようだ。
昨夜もこのゲームの王子オタの妹が何十回めかのプレイ中で、全くよく飽きないもんだと後ろから画面を眺めていたから覚えてる。
お風呂から上がると、いつものようにリビングのパソコンでプレイしていた妹がゲームの画面をつけたままつっぷして爆睡していたので、どうしたものかとビールを呑みながら椅子に座り、流れていた映像をなんとなく見ていたような記憶はある。
そして気づくと何故かそのゲームの中?にいて、さらに何故かそのゲームのヒロインにしがみつかれてるらしいという意味不明な状況が今。
「はぁ…何これ、夢?それにしてもめんどくさ……」
「え?なんか言った?」
「……別に。」
背中にぎゅっとしがみつかれてるせいでシャラの胸が当たってる。くっ、ゲームのくせに感触がリアルで分かる。こいつなかなかの巨乳だ。私より…いや、それはどうでもいい。
「だいたいあんたは王子と幸せに生きるキャラなんでしょ?こんなとこで私にしがみついてないで、とっとと逃げれば!?」
「え〜、キャラって何のこと?でもぉ、この洞窟にはゴブリンがあちこちにいるじゃない?どうやって逃げればいいの?だいたいなんで今、王子様の話が出てくるのよ。」
あ、そうか。妹の側に放り出されていた攻略本をパラパラ見たことあるけど、洞窟の中ならここは序盤。学園の遠足で雨に降られて、みな散り散りに洞窟の中に逃げ込んだところだ。
最後の攻略対象の王子が出てくるのは中盤以降。ゲームの終盤で王子を攻略し、結婚式で永遠の誓いのキスをし、ふたりは幸せに暮らしましたとさ〜の定番パターン。こんなの何が面白いんだか、よく分からん。
しかし…だとすると、クラスメートとはぐれた洞窟の中でひとりで怯えるヒロインのところに来るのは、確か第一村人でなく、第一出会いイベントのクラスメート、ただイケメンなだけのグレイン。
もしかして今、シャラがひとりじゃないとその出会いイベント起きないんじゃ!
「もう、いいかげん離れて!」
「きゃん!」
後ろ手で彼女を押して無理やり引き剥がし、振り返って後ろに座り込んでいる彼女の顔を見た。
やば…さすがゲームだけあって作画が良い。
ふわっとカールしたピンクの髪に、同じピンクのうるうる瞳とつやつや唇。こんなの、ファンタジーの世界にしかありえない造形だ。
まあそれはともかく、ここは早くシャラをひとりにしておかないと。このゲームから出る方法とかは後で考えよう。
「じゃあ、シャラ。後は頑張って。」
立ち上がってとりあえず明るい方へ歩きだそうとすると、後ろからいきなり足にしがみつかれてぶっ倒れた。
「痛っ!何を……!?」
「やだよぉ…こんなところにひとりで置いていかないでぇ、怖ぁい……」
「いきなり足に全力でしがみつくあんたの方が怖いわっ!」
シャラを押しのけて起き上がろうとしたのに、逆に私に覆いかぶさり、まるで身体を押さえつけるようにして、きゅるんとした目のゆるふわピンクの笑顔がじりじりと近づいてくる。
ゔっ…なんか怖いし、こんなゴツゴツした地面に押さえつけられると背中痛いんですけど!?
「ねぇ…私たち、ここで会えたのがきっと運命なんだわ。そう思わない?きっとそうよ、だから一緒にいて?私の運命の相手になって?」
さらに顔が近づいてくる。ちょっと?息が触れそうですが?
「いやそれは無理…」
ちゅっ。
……は?
何で?シャラの唇が……いきなり唇奪われてるんですけど!?
「うふふ。誓いのキスよ。これで私たちいつまでも一緒ね。」
身体に乗り上げたまま満足げに微笑むシャラと、頭真っ白になる私。
「ちょっと待ってよ!シャラ、これ私を攻略するゲームじゃないでしょ!だいたい見たら分かるでしょ、私は女なんだけど!運命の相手を勝手に決めるんじゃない!」
「何言ってるの?運命の出会いに性別なんて関係ないのよ。ね、これからずっと一緒にいよ?で、貴女の名前はなぁに?」
なんでこうなるーーー!?
*
結局私たちは、シャラを助けに来るはずのグレインにではなく、学園から緊急事態を聞いたという王国の騎士たちに救助された。
洞窟の外でクラスメートたちと一緒になり、まだ中で救助を待っている生徒は居ないかと騎士たちが確認しているのを見ながら、私は思考を巡らせていた。
ちなみにグレインは、とっくの昔に洞窟から逃げて走っていくのを見たと誰かが話していた。
しかしおかしいな……妹がプレイしていた時は、攻略する相手の順番は決まっていて、妹は「王子ルートでもね、まずこのグレインからだからなかなか王子に会えないのよ!もう!」とグチグチ言いながらやっていたはずだ。
となると、この後の展開も全て変わってくる?
「シャラ、無事だったか。ええと、君は……?」
はいはい、どうせ名前もないモブですが何か?でもモブAとか呼ばれるのは癪だから、本名を名乗っておこう。
「西都、よ。委員長。」
「そうだ、サイトだったね。すまない、焦っていて名前をど忘れしていたようだ。」
その時、洞窟から離れた後方で悲鳴が上がった。
私たちの近くにいた騎士に誰かが駆け寄って叫んでいる。
「ひぃ…グレインが……グレインが、向こうで死んでる!」
「えっ!?」
私は思わずそちらを見た。騎士に向かって叫ぶように言っているのはクラスメートのダリだ。
ダリ?……私の記憶の中にどんどんこの世界の人間関係が刷り込まれているようだ。
このゲームは乙女ゲームじゃなくて、ミステリーなの?
もう…だんだん分かんなくなってきちゃったじゃない。
しかし…グレインが死んだ。ということは、最初の出会いイベントが消滅したということだ。
このゲーム、何かがおかしくなっている。
確かこの乙女ゲームには様々なルートがあって、妹はプレイが終わるたびに、ゲームの開始から最後まで何がどうなったかを話してきた。
私は「へ〜、へ〜」と適当な相づちを打ちながら、貴重な休日に読書とブラックコーヒーを楽しむというパターンを何十回と繰り返していた。
妹がうっとりと話すストーリーを聞くともなく聞いていたけど、30分で簡単に終わるクラスメートルートから、毎日プレイしても1ヶ月以上かかる最高難易度の王子ルートまで、とにかくゆるふわで甘いだけのストーリーが続くはずだ。誰かが死ぬようなことが起きるようなルートがあるなんて聞いていない。
「サイトちゃん、どうしたのぉ?怖い顔して。でも、そんな顔も素敵よ。ふふっ。」
くっ、無理やり存在を忘れようとしていたのに。まだ私の片腕にしっかりしがみついているゆるふわピンクだ。
「シャラ。今、クラスメートのグレインが死んだって騒ぎになってる。気にならないの?」
シャラは薄いピンクの眉を寄せて私の顔を見上げて言った。
「怖いね。」
その声に特に感情は無い。ただ言ってみただけという感じだ。一瞬ゾッとした。
*
私たちは騎士たちに護衛され学園へと戻った。
グレインの件は何も分からないままだ。ただイケメンだっただけの罪の無い男。合掌。
シャラは興味なさそうにしていたが、考えたら出会いイベントが成立していない以上、彼女にとってもグレインはただのクラスメートどまりだ。それ以上の感情は無くて当たり前か。
人の少ないクラスルームの中は静かだ。教師たちは事件が起きたことで緊急会議となり、とりあえず私たちはその会議が終わってから教師が説明に来るというのを待っていた。
「俺、グレインが走っているのを見かけたんだけどさ。すげー怖い顔してた。なんか恐ろしいものでも見たのかな。」
「でも洞窟の中には数匹のゴブリンしか居なかったって話よ。ゴブリンって気持ち悪いけど、そこまで恐ろしいものじゃないって。実際、火魔法で逃げていったもの。」
「そうそう、アルミンの火魔法には助かったな。俺の水魔法はダメだったよ。」
ナイシンとアルミンが話している。彼らは男女の双子だ。この双子は属性が真逆なのか。そういう設定は面白いな。
実は今クラスに残っているのは私を含めて5名だ。他の10名は寮に一旦帰っている。雨と洞窟で汚れた制服を着替えたり、気持ちを落ち着かせる為だ。1時間後には皆クラスルームに戻ってくるように言われている。
私はといえば、シャラがべったりとくっついて離れようとしないので、汚れた服のまま仕方なくクラスルームに居る。着替えたいけど部屋に戻ろうなんてすると、絶対にこのゆるふわピンクがくっついてくるに決まっている。この子と部屋で2人っきりなんて絶対に嫌だ。危険が危ない。
「サイトはどうしてたの?無属性のシャラと一緒じゃ庇うの大変だったんじゃない?」
アルミンに声をかけられて、一瞬固まった。
え、無属性!?
私はばっとシャラの顔を見た。シャラが無属性なはずがない。この子は『闇』を除く全ての属性魔法が使えるはず。だから平民なのに、このファンタジー王立学園に入学できたという設定と妹に聞いている。
序盤だからまだその力は弱いけど、さすがに属性のことは全員に知られているはず……
私に見られたことでシャラの顔がパアッと明るくなった。また腕に顔を擦り寄せてくる。
「ふふ…サイトちゃん……まだ先生が来るまで時間あるよね?それまで寮で休憩しない?」
「絶対、嫌!」
シャラの言葉をずばっと切り捨てて、私はこのゲームのストーリーについて考えてみることにした。
攻略ルートはいくつあった?
クラスメートのグレイン
上級生のオリーグ
教師のミランド
剣士のケオ
賢者のユーリン
騎士のガリオルド
王子の従兄弟のカラント
王子のクリスタル
これくらいだったかな?意外と覚えているもんだ。
『……他にね、滅多に発生しない裏ルートがあるらしいのよ。それがもう都市伝説レベルで出てこないんだって。』
ふっと妹の言葉が頭をよぎった。
もしかして、ここはその裏ルートの世界!?
その裏ルートについて、妹が何か言ったことは無かったか?嫌な予感がする。思い出せ私、あれは確か……
『その裏ルートって、設定の全てが反転しているらしいの。攻略ルートとかヒロインの属性とか。それってなんか怖そうだしやりたくないな。私はそんなルート出てきてもきっと無視するわ。だって愛しのクリスタル王子にしか会いたくないんだもん。』
ヒロインの属性が反転している……?
私は再度シャラの顔を見た。無表情で見返してくるピンクの瞳はまるで凍りついたように大きく開いたままだ。そしてその奥にはチロチロと黒い焔が揺らめくのが見えたような気がした。




