番外編 光を受けた子、背いた子
気がつくと、『彼女』は見渡す限り真っ白な空間に佇んでいた。潜りこんだ布団から出た覚えがない『彼女』は、ここが夢の中なのだと解釈した。
視界の端に誰かの後ろ姿が映った。『彼女』はその背中に引き寄せられるように歩き出す。心がざわついて仕方ない。見覚えのある明るい茶色の髪から目を逸らせない。
「誰? え?」
気配を察知した人影が振り向き、唖然とした。無理もないだろう。こっちだって驚いている。
「なんで……なんで転生前のあたしがいるの?」
こちらを見て目を見開く彼女の姿は他でもないカティア・フルーテ……『本来の自分の姿』だったから。
「もしかして、貴方は古谷花梨?」
今現在呼ばれている名前を出してみると、カティアの姿をした人物は頷く。『彼女』は懸命に頭の中を整理しながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「なるほど。私たち、入れ替わったのね。私はカティア・フルーテ。元々その体で生まれて光の乙女として王立学園へ入学したのよ」
「は……? そんであんたがあたしの中に入ったの?」
「そうみたい」
『花梨』は信じられないと言わんばかりの顔で、こちらの頭から爪先まで凝視する。思えば彼女の記憶にある古谷花梨と今の自分は結構変わっているかもしれない。伸び放題でボサボサだった髪は一度短く切って伸ばし直している途中だし、体重は数キロ減った。今着ている服も入れ替わってから買ったもので、元々タンスに入っていた服たちとはちょっとジャンルが違う。彼女の目にはかつての自分が見違えて見えるのだろう。
「家族や周りの人やSNSとかを見て、私と入れ替わる前の貴方について大まかには把握したつもり」
そう言うと『花梨』はビクッとして露骨に顔を顰めた。まあそんな反応にもなるだろう。彼女にとってカティア・フルーテになる前の日々は忌まわしき過去だろうから。
「貴方は高校二年生。周りの子の大半と共に大学進学を目指していた。でも学力は思うように伸びず、第一志望を変えた方がいいと言われていたのよね? 苛立った貴方は家族に八つ当たりしたり同級生や先生に不貞腐れた態度をとり、だんだん孤立していった。生活は荒れ、インターネットやゲームの世界に入り浸り……特にカティア・フルーテが主人公のゲーム『純光の花籠』にのめり込んだ」
そこまで話したところで、『カティア』はボトムスのポケットに何かが入っていることに気づいた。さっきまで何も入ってなかったと思うのだが。取り出してみて何か気づき、『カティア』は『花梨』にそれを見せた。
「これ、何か分かる?」
プラスチック製のカードに印字された文字を読んだ『花梨』は目を剥く。
「これ――ここ国立大学じゃない! 入学したの? あんたが?」
その通り、それはある国立大学の学生証だった。古谷花梨の名前と写真がプリントされている。
「一月にインフルエンザにかかって寝込んだ貴方と入れ替わった私は、古谷花梨の状況を把握してこのままじゃよくないと思った。だから困らせてしまった周りの人に謝って、勉強を始めたの。休みの日は十時間、学校がある日も五時間ぐらいやったかな。こっちの世界での知識はほぼなかったから結構大変だったけど、一学期が終わる頃には貴方の第一志望を狙えるところまで成績を伸ばせた」
目の前の少女はポカンとした顔で『カティア』の話を聞いている。
「私立大学はお金がかかるというしもっといけそうだと思ったから、もう少し偏差値が高い国立大学に志望校を変えて頑張った。結果現役合格して今二年生よ。家族や先生によく頑張ったねって褒めてもらえて嬉しかった。……前とは別人みたいって泣かれた時はちょっと複雑だったけどね」
最後の言葉を聞いた『花梨』はばつが悪そうに目を逸らした。SNSに社会はクソとか誰も分かってくれないとか書き込んでいた時も、こんな風に口をへの字に曲げていたのだろうか。『カティア』はさらに言った。
「貴方の方は…………散々だったみたいね。転生しても努力を嫌ってやっているふりだけして、私が築いたカティア・フルーテの世界や人生を台無しにしてしまって。しまいには声をかけ続けてくれたリリアン様を逆恨みして、濡れ衣を着せようとした。だから神も匙をお投げになったんだわ」
『花梨』の顔にサッと紅が差す。
「あの女が嫌味ったらしく口出ししてくるから悪いのよ! 主人公に意地悪する悪役令嬢は破滅するもんでしょ!」
『カティア』は即座に言い返した。
「貴方は間違ってる。リリアン様はむしろ、貴方の自尊心を傷つけずに伝えようと心を砕いてくれていたわ。それは『純光の花籠』の中でも同じ」
『カティア』は古谷花梨のゲーム機で元いた世界に酷似した作品を実際にプレイしていた。だからすぐ反論が出来る。目の前の彼女の認識が歪んでいることが分かる。
「あのゲームは恋愛シミュレーションの要素と同じぐらい、主人公の育成要素も充実していたでしょ? 勉強をして知識を身につけたり、マナーを教わって品性を養ったり、お祈りや奉仕活動で信仰心を高めたり。どのステータスが高いか低いかで攻略出来るキャラクターやストーリーが変わったじゃない。そんなゲームの中でリリアン様は、どのステータスを上げるべきか教えてくれる存在。徹頭徹尾味方よ」
そう、リリアンはプレイヤーが望む結末のためにアドバイスをくれるキャラだ。序盤は一番低いステータスとそれを上げるための手段に言及し、ある程度ルートが定まってくると攻略対象と親しくなるために必要なものについて教えてくれるようになる。言い方は基本優しく丁寧で、逆恨みの余地もない。能力が低い素行が悪いなどの理由でバッドエンド一択になりそうな場合にのみ強めに注意をしてくるが、それはぐうの音も出ないほどの正論かつ主人公を案じる気持ちがちゃんと伝わるテキストだった。『リリアン様に叱ってもらいたい』ユーザーを大量に生み出したほどである。
「ゲームでも現実でも、リリアン様は悪役令嬢ではなかった。むしろリリアン様の手を払いのけて嘘で断罪しようとした貴方の方が悪役じゃないかしら」
「うるさいうるさい! あんた馬鹿じゃないの!? そもそも、あたしについてなんで分かったような口をきけるのよ! 違う世界のことなんか見えるわけないでしょ!」
耳まで真っ赤にした『花梨』の金切り声が頭にガンガン響き、『カティア』は溜め息を吐いて目を閉じた。
「貴方、大学生活を送る古谷花梨の夢を見たことない? 私は傍若無人で失礼なカティアの姿を何度も見たわ。酷い悪夢だと思っていたけど、今は貴方を見ていたんだと確信している」
「あんたに何が分かるっていうの!? 最初から心が清らかで神に力をもらって成り上がれる美少女に作られた奴が偉そうなんだよ! 勝ち確キャラのくせに、努力したからとかみんなのおかげだとかそういういい子ぶった態度がムカつくんだよ! 死ね! クソ!」
髪を振り乱し歯を剥き目を限界まで見開いた凄まじい形相で睨みつけてくる、かつての自分の顔をした女。それと向き合いながら、『カティア』は静かに得心していた。目の前の彼女は努力や人への感謝を『いい子ぶってる行為』と見下しており、それゆえ上手くいかないのだ。求めるものを得るには努力を避けては通れないのに、腫れ上がらせたプライドが邪魔で前に進めない。説教どころか心配の声すら辱めになり、素直な反省や感謝が出来ない。何ひとつ思い通りにならない苛立ちが積もり積もれば、こういう狂気にまで育つのかもしれない。
とても酷い人だけど、同時にとても可哀想な人。そして自分はそんな彼女に引導を渡すためにここに呼ばれたのだ。『カティア』の心は冬の朝のように静かに澄み渡った。まっすぐ『花梨』を見つめ、ギラギラした瞳をしっかりとらえ、口を開いた。
「あの世界がゲームであれ現実であれ、貴方が望むようなゲーム通りの展開にはならなかったわ」
「またその話? あんたしつこいわよ! 努力努力って!」
「いいえ、それ以前の問題。貴方がゲームの通りにしなかったからよ。攻略対象に避けられるからといって攻略対象じゃないミハイル殿下たちに擦り寄って、シナリオにない断罪を企んだ。その時点でもう、あの世界は『純光の花籠』じゃなくなったの」
古の勇者が剣を振り下ろすように、最後の言葉を放つ。
「貴方は愚かにも、ハッピーエンドを自ら捨てた。生まれた世界と理想の世界とで二回もね」
「……ちがあああぁぁぁぁぁぁう!」
『花梨』が激昂し殴りかかってきたが、『カティア』に届く前にどたりと転び顔から地に倒れ込んだ。見ると素足が、手が、炭のように黒くなりボロボロと崩れていく。一方の『カティア』は意識が薄れていくのを感じた。自分の体がキラキラと光り輝いている。きっと夢から醒めるのだろう。
「あ、が……ぐあ、ぐぅっ」
のたうち回る『花梨』が仰向けになり、焼け爛れ溶け潰れた顔が見える。現実のカティアと同じ状態になっているのだ。『カティア』は最後に言った。
「さようなら、花梨。いつか冷静になって素直に自分を省みることが出来ますように」
「待っ……て…………」
こちらの足元に這い寄ろうと藻掻く姿を見ながら、『カティア』の意識は閉じていった。
意識が朝の光の中に浮上し、『彼女』は布団の中でもぞもぞした後目を開けた。時計の針は七時半を少し過ぎたところを指している。いつもよりちょっと遅い。
布団から出て伸びをし、着替えるべく動き出す。さっきまでの夢のせいで寝た気はあまりしない。今日の講義は二限からだから、それまでにエンジンをかけなきゃ。朝ごはんどうしようかな。頭を掻きながら洗面所に向かう。
大学に入り元の古谷花梨と決別したが、それらは通過点でしかない。自分はこれからも古谷花梨としてこの世界で精一杯生きていく。それが元の世界とあの哀れな女の子に対して出来る唯一のことだ。
「さようなら、カティア。さようなら、ディタイト王国」
『彼女』はそう呟き、顔を洗い始める。今日とこれからを生きるために。小窓から差し込む光はいつもより眩しかった。




