T-013
カチャリ…
鍵はかかっていなかった。
静まり返った建物中で、ここだけは空気が違う。
これは作動音…?わずかだが空気が動いているのかもしれない。
恐る恐るドアを開くと、正面にはクローゼットがある。
視線を左に向けると、奥にPCモニターの光だけが見える。
椅子には…誰か座っている…?!
「お帰り…」
「っ!」
突然の出来事に身体が硬直して動かない…
『ようやくたどり着くことができました。』
誰の声だ!?
あたりを見渡そうとするが、それすらもかなわない。
急に足に力が入らなくなり、膝をつく。
顔を上げようとしても、首が石のように重くて動かない。
私はただ、自分の重みで沈むカーペットの繊維をじっと見つめるしかなかった。
何だ、何が起こっている…!?
後ろに人の気配はない、私はいったい何をされたんだ!
わずかに音をきしませながら、椅子がゆっくりと時計回りに動く。
…心臓の音がうるさい。喉が張り付くようだ。私はつばを飲み込んだ。
「君はT-013だね?」
その番号を知っているということは、やはり著者なのか!
顔を上げると、完全にこちらを認識している人の姿が見える。
ただモニターの光が眩しくて、顔は良く見えない…
だけど、誰のことを言っているんだ。
私の後ろにいつの間にかいたのか?
『はい。そしてここが目的地です。』
自分の口から知らない声が出ている。
出したいはずの言葉は、喉の奥に張り付いて消えた。
瞬きすら許されず、乾いた目が熱い。
なぜだ。 T-013は、とうの昔に破棄された理論ではなかったのか。
なぜ、私の中から別の声がする。
なぜ、目の前のこの人は、私を番号で呼ぶ。
私はただ、都市伝説を確かめに来ただけだ。
この建物のどこかに、すべてを識る著者がいるという噂。
目的は調査だったはずだ。
だが、いつから私は、ここを探すようになったのだろう。
他の噂には目もくれず、なぜこの場所だけに執着したのか。
思い出せない。
建物に入ってからの記憶は、こんなにはっきりしているのに。
私は電車でここに来た。それは覚えている。
でも、どこから? どこで切符を買い、どこで降りた?
わからない。何も思い出せない。
「これから何をするかは……聞く必要もなかったな……」
前方の低い位置から、声がした。
何をされる。私は何をさせられるんだ。
帰らせてくれ。身体よ、動いてくれ。
『それでは、これからよろしくお願いいたします。』
私の腰が、私の意志を無視して折れ曲がる。
丁寧な礼を済ませると、膝が軽々と持ち上がった。
立ち上がった私の視界に、ようやく「著者」の姿が映る。
それは、椅子に座っているのではなかった。
手足のない胴体が、無機質な機械と一体化し、椅子のような装置に埋まっている。
生きているのか、それとも装置の一部なのか。
わずかに動く指先だけが、その存在を主張していた。
部屋の隅、暗がりに人影が見える。
私と同じように、生気のない瞳をした者たちが、静かにそこに立っていた。
『完了……』
私の口が、最後の一言を吐き出した。
その瞬間、頭の中にあった霧が、色を失って消えていった。
暗闇の中、ドアの閉じる音がした。




