第26話 和泉守兼定
一行は二十号線へ向かい、ひび割れたアスファルトと土が入り混じる道を歩いていた。
舗装の隙間から伸びる草が靴裏を擦り、乾いた風が木々の葉を揺らす。
遠くでは、かつて車の往来が絶えなかった道が、今はただ静かに伸びている。
その途中、美桜の視線がふと逸れた。
木々の合間、わずかに開けた場所に――
白地に黒い文字で掲げられた**「新撰組」**の幟が、風に揺れている。
胸の奥が、かすかに引かれた。
(……あそこは、確か……)
「ねえ姉ちゃん」
横を歩いていた湊も、同じものに気づいたようだった。
「あれ、前に行った新撰組の歴史館だよね?」
「……うん、そうね」
美桜は短く答えた。
声に出した瞬間、記憶の奥から、畳の匂いと古い木材の軋む音が蘇る。
その会話が耳に入ったのだろう、少し前を歩いていたカイが振り返る。
「あ、あそこか。僕も昔行ったよ。懐かしいなあ」
少し照れたように笑い、軽い調子で続けた。
「僕、結構好きだったんだよ。新撰組。……ちょっと寄っていかない?」
先頭のグロスが足を止め、振り返る。
「どうした。何かあったのか?」
「いや、昔に行ったことがある場所を見つけただけさ」
グロスは少し考えるように顎を撫で、やがて肩をすくめた。
「……時間には余裕がある。少しなら構わん」
「よし!」
カイは嬉しそうに声を上げ、美桜と湊を振り返る。
「じゃ、行こ!」
歴史館の前に立つと、建物は想像していたよりも静まり返っていた。
ガラス越しに差し込む光は淡く、内部の様子は窺えない。
「鍵、閉まってるかな……」
カイがそう言いながら、引き戸に手をかける。
軽く力を入れると――
す、と音もなく扉が開いた。
「……開いた」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
美桜はそのまま中へ足を踏み入れる。
その瞬間、肌に触れる空気が、外とは微妙に違うことに気づいた。
(……なに、これ)
冷たいわけでも、重いわけでもない。
ただ、澄んでいる。
時間だけが、ここだけ少し遅れて流れているような感覚。
嫌な感じは、まったくしなかった。
続いて全員が中に入る。
「ほー……こりゃまた広いな」
グロスが天井を見上げながら呟く。
「ここは家か? それとも砦か?」
エナやテルマも、興味深そうに周囲を見回している。
異世界の建築とも、現代の住宅とも違う空間に、目を奪われているようだった。
その時、奥の展示エリアから声がした。
「姉ちゃん! こっちこっち!」
湊が手を振り、美桜を呼んでいる。
「なによ」
美桜は応じながら、奥へと足を向けた。
「姉ちゃん、土方歳三好きだろ? いいもんあるぜ!」
弾んだ声に導かれ、角を曲がる。
――そして。
視界が開けた瞬間、美桜の足が止まった。
展示ケースの中央。
そこに並べられていたのは、刀身と柄。
離れて展示されているにもかかわらず、
二つは不思議なほど強く、互いを引き合っているように見えた。
息が、わずかに詰まる。
(……綺麗)
声に出すことも忘れ、美桜はただ見つめていた。
研ぎ澄まされた刃の反射。
時代を超えて残る、静かな存在感。
「これさ、土方歳三が使ってた刀で――名前は……」
湊が説明しようとした、その言葉に――
美桜の声が、重なった。
「和泉守兼定」
湊は一瞬きょとんとし、
「なんだ、知ってんのかよ」
と、少しつまらなそうに肩を落とし、別の展示へ視線を移した。
その瞬間――
ガン。
硬い音が、静かな館内に響いた。
「……なんだ?」
湊が反射的に声を上げ、音のした方へ振り向いた。
そこにいたのは――
美桜だった。
展示ケースに向かい、木刀を振り下ろしている。
ガンッ――!
鈍い衝撃音が、静まり返った展示室を打つ。
ガラスは揺れたが、割れない。
それでも、美桜の動きは止まらなかった。
もう一度。
ガンッ!
「お、おい姉ちゃん! 何してんだよ、やめろって!」
湊が駆け寄り、必死に叫ぶ。
だが、美桜は振り返らない。
その顔には、感情がなかった。
怒りも、焦りも、戸惑いもない。
ただ――そこに至るべき行為だけが存在している。
三度目。
ガンッ――!
木刀が、軋む。
次の瞬間、
バキィッ――!!
乾いた破裂音。
木刀が根元から折れ、衝撃で刀の部分が床を転がる。
からん、と軽い音が響いた。
美桜は一瞥もくれず、折れた木刀を放り捨てる。
そして、視線を巡らせた。
展示室の隅。
仕切り用のベルトパーテーション。
金属製の支柱を掴み、ためらいなく持ち上げる。
「やめろって言ってんだろ!!」
湊の声が裏返る。
だが――
美桜は振り下ろした。
ガシャァンッ!!
甲高い破砕音。
強化ガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、次の瞬間、砕け散った。
破片が床を滑り、跳ね、乾いた音を立てて散乱する。
その音に引き寄せられるように、複数の足音が重なった。
「大丈夫かい!」
抜刀したまま、カイが駆け込んでくる。
続いてグロス、エナ、テルマ、母。
カイは、その光景に言葉を失った。
砕けたケース。
床に散乱するガラス片。
そして――
「……どうした?」
カイは湊を見る。
「わかりません! 姉ちゃんが、急に……!」
湊が視線を戻す。
その先で、美桜は――
刀身を手にしていた。
素手で。
迷いなく。
冷たい金属に、指先がわずかに滑る。
確かめるような、その仕草。
美桜は床に落ちていた部品を拾い上げる。
切羽。
鍔。
もう一枚の切羽。
順序を違えない。
一切の逡巡もない。
茎に鎺を通し、
切羽、鍔、切羽の順で重ね――
そのまま柄へ差し込む。
「美桜! 何してるの!?」
母が駆け寄ろうとした瞬間、
カイが片手を上げ、制止した。
「……待って。何か、おかしい」
剣は抜いたまま。
声は低く、緊張を孕んでいる。
フォーエッジの面々も、自然と武器を構えた。
「どうなってる?」
カイがグロスに問う。
「わからん……が、嫌な予感がするな」
その間にも、美桜は動き続ける。
視線を巡らせ、
ケースの縁、床の隅――
目釘。
それを拾い上げ、
柄に空いた穴へ、指で押し込む。
――コツリ。
もう一本。
――コツリ。
深く、確実に嵌まった。
美桜は、完成した刀を両手で持ち上げる。
刃を掲げ、
まるで――出来映えを確認する職人のように、静かに眺める。
そして、そのまま振り返った。
切っ先が、カイたちを向く。
空気が、一瞬で凍りついた。
「下がって!」
カイが叫ぶ。
全員が身を低くし、構える。
――次の瞬間。
ヒュン。
空を裂く、短く鋭い風切り音。
美桜は、剣を一度。
二度。
確かめるように振る。
無駄のない軌道。
音すら最小限。
そして、左手に取った鞘へ刀を収める。
カチン。
金属が噛み合う、澄んだ音。
その音と同時に――
美桜の身体が、わずかに揺れた。
「……え?」
瞳に、光が戻る。
映ったのは――
警戒したままのフォーエッジ。
青ざめた母。
右側で息を詰める湊。
「あ、あれ……?」
美桜は戸惑いながら言う。
「……みなさん、どうしたんですか?」
「美桜ちゃん……急に、どうした?」
カイの声は慎重だった。
「え? どうしたって……?」
「……その、左手の刀は?」
疑念を含んだ視線が向けられる。
美桜は、ゆっくりと自分の手を見る。
「……え?」
次の瞬間、
「なんで!?」
反射的に刀を落とした。
金属音が床に響く。
砕けたケース。
散乱するガラス。
背後を振り返り、
美桜は息を呑む。
「な……なに、これ……」
「姉ちゃんが壊したんだよ! 俺、止めたのに!」
湊の声が震える。
「え……嘘。私が……?」
美桜は、その場に立ち尽くす。
「美桜。体は大丈夫?」
母が近づき、そっと肩に手を置く。
「……うん。なんともない、けど……」
母は小さく息を吐いた。
「……なら、よかった」
母はカイを見る。
「もう、大丈夫よね?」
「いや……まだ警戒は――」
その時。
グロスが、カイの肩を軽く叩いた。
「多分……魔剣の類だろう」
カイが振り向く。
「魔剣や聖剣はな。
使い手を選ぶらしい」
そう言って、
グロスは武器を背中に背負い直した。
「……選ばれたのは――」
視線が、床に落ちた刀へ向く。
――和泉守兼定。
静かに。
まるで、最初からそこに在るべきだったかのように。




