第1話 崩壊の足音
ピピピピピ――。
耳を刺す電子音が、眠気の膜を引き裂く。
「ん〜……あと五分……」
枕を抱いたまま呻くと、階下から母の声が飛んできた。
「美桜ー! 早く起きなさい! 時間でしょー!」
「……はーい……」
渋々体を起こし、カーテンを少しだけ開ける。
差し込む光が白い。いや、“白すぎる”。
雲の切れ間から落ちる朝の光は、いつもの黄色じゃなく、
まるで蛍光灯のような不自然な白さをしていた。
「……今日、天気悪いのかな」
誰にともなく呟き、冷たい床に足を下ろす。
マンションの廊下を抜けると、
リビングからトーストの香りとテレビの音が流れてきた。
「……あんた、なんでこんな朝早く起きてんのよ」
寝癖だらけの髪をかき上げながら言うと、
ソファでニュースを見ていた弟・湊がコーヒーをすすった。
「早起きは三文の徳って言うだろ」
「ジジくさ……」
湊は苦笑いして、トーストを一口。
美桜は洗面所に向かい、冷たい水で顔を叩く。
鏡の中の自分がぼんやりとあくびをしている。
戻ると、時計の針は七時四十分を指していた。
母が新聞をたたみながら声を上げる。
「もう時間ないじゃない、美桜。早く食べなさい!」
「はーい、いただきまーす」
テーブルに座ると、バターが溶けるパンの香ばしさが鼻をくすぐる。
それだけで、少し幸せになれる。
「姉ちゃん、準備おっそ」
「女の子は支度に時間がかかるの!」
「おばさんの間違いだろ」
「うるさいっ!」
湊がケラケラ笑う。
母が溜め息をつきながらも、どこか嬉しそうだ。
「二人とも、朝から元気ね」
カーテン越しの光がやけに眩しく、
白い壁に反射して部屋全体がぼんやり光って見えた。
――それが、最初の違和感だった。
時計の針が八時を少し過ぎた頃
「やばっ!時間ないじゃん!行ってきます」
美桜はカバンを掴み、玄関へ走り出す。
その瞬間――
ゴゴゴゴゴッ――。
低い地鳴りが床を這った。
次の瞬間、建物全体が揺れた。
吊るされた照明が大きく揺れ、
ガラス窓がビリビリと音を立てる。
「キャッ……地震!?」
美桜はバランスを崩して尻もちをつく。
足元のコップが床を転がり、ガシャンと割れた。
「机の下に! 早く!」
母の声が響く。
這うようにしてリビングへ戻る。
湊がテーブルの下に潜り込み、美桜も追いかける。
鼓動が喉の奥で暴れた。
だが、すぐに揺れは止まった。
静寂。
耳鳴りのような“何か”が残る。
「……終わった?」
「……たぶん……」
湊の視線が窓の外で止まった。
「――姉ちゃん……あれ……」
湊の声が震えていた。
美桜もつられて顔を上げ、カーテンの隙間から外を覗く。
――空が、光っていた。
紫色の光の線が、静かに回転している。
最初は錯覚かと思った。
だが、雲が“裂けている”。
幾何学模様のような線が空一面に広がり、まるで空全体が一枚の巨大なスクリーンになったようだった。
ガラス越しにも、頬を撫でるような熱を感じる。
空気がざらつく。息が少し、重い。
「……なに、あれ……」
母が息を呑んだ。
その声が、わずかに震えている。
テレビのアナウンサーの声も、車の音も、鳥の鳴き声も――全部、消えた。
――音が、止まった。
次の瞬間、空の中心が爆ぜた。
バチッ!
白紫の光が走り、世界が“白”に呑まれる。
何も見えない。何も聞こえない。
熱と光と圧が一斉に押し寄せ、
世界が丸ごと反転したような感覚。
「――っ!」
美桜は咄嗟に腕で顔を覆った。
まぶたの裏まで焼けるような閃光。
空気が弾けるような衝撃。
肺が押し潰され、声が出ない。
呼吸も、鼓動も、世界の音も――何ひとつ感じない。
――ただ、光。
どれくらいの時間が経ったのか分からない。
一瞬にも、永遠にも感じた。
やがて、光が薄れ、色が戻る。
耳鳴りとともに、世界が静かに戻ってきた。
目を開けると、そこには変わらないリビング。
倒れた椅子、割れたコップ、散らばるパンくず。
何も変わっていない――ように見えた。
「……なんだったの、今の……?」
「わかんない……夢、じゃないよな……」
湊の声が小さく響く。
美桜は震える指で髪を耳にかけ、無理に笑った。
「さすがに、これで部活は休みだよね……」
「これであったら文句言ってやるわよ」
母の言葉に、美桜はほっとして小さく笑う。
――だが、その笑いは長く続かなかった。
母がふと、首を傾げる。
「……ねぇ、なんか外、騒がしくない?」
耳を澄ます。
廊下の向こうから、人の声。
誰かが走る足音。
ドアを叩く音。
悲鳴。
コンクリートの壁を通して、
何かがぶつかる、鈍い衝撃音。
心臓が一度、跳ねた。
背筋を、冷たい何かが這い上がってくる。
――世界が、音を取り戻した。
ただしそれは、日常の音じゃなかった。
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