第2話 黒翼の影と最初の死
「……私、ちょっと見てくる」
美桜は言うなり、玄関へ駆けだした。
「ちょっと待ちなさい!」
背後から母の声。けれど、足は止まらなかった。
ドアを開けた瞬間、風が吹き込む。
湿った空気の中に、土と焦げた鉄の匂いが混じっていた。
ひと息で胸の奥までそれが入り込み、思わず咳き込む。
「な、なにこれ……どうなってるの……」
外に出た瞬間、世界が変わっていた。
いつもは灰色の街並み。
整然と並んでいたマンション群。
そのすべてが――緑に呑まれていた。
電柱の根元から草木が生え、アスファルトの割れ目に蔦が絡まっている。
信号機は折れ、遠くのビルは崩れかけ、その隙間から陽光が射していた。
まるで街ごと森にねじ込まれたような、異様な景色。
時間が止まったみたいに、誰もが立ち尽くしている。
廊下には近所の住人たちが顔を出していた。
「危ないぞー!」「下がれ!」
誰かが叫ぶ。
遠くではクラクション、そして……爆発音。
その直後――獣のような、低い唸り声。
美桜の喉が鳴る。
声にならない息が漏れた。
呆然としていると、遠くから声が飛ぶ。
「美桜ちゃん! 美桜ちゃん!」
振り向けば、近所のおばさんが手を振っていた。
昔からお世話になっている人だ。
「怪我はない!?」
「う、うん……ないよ。でも……これ、何が起きてるの?」
「わからないのよ。地震かと思って外に出たら……もう、街が……」
おばさんの声は震えていた。
その時――
パンッ! パンッ!
乾いた銃声が、マンションの下から響いた。
誰かが悲鳴を上げる。
美桜は反射的に手すりに駆け寄り、下を覗き込んだ。
木々の隙間に、黒い制服が見える。
警官だ。
拳銃を構え、何かに向けて叫んでいる。
「来るな! 来るなぁッ――うわぁぁぁ! たすけ――」
声は途中で途切れた。
その後、何かが叩きつけられるような鈍い音。
そして、静寂。
誰も動けなかった。
美桜の鼓動だけが、やけにうるさく響いた。
そのとき――視界の端で“何か”が動いた。
空。
黒くて、大きい。
ゆっくりと浮かぶ影。
「……あれは、鳥か?」
誰かが呟く。
美桜も目を凝らした。
翼を広げた“それ”は、確かに鳥の形をしていた。
だが、あまりにも巨大だった。
翼の先から黒い靄のようなものが漏れ、光を呑み込んでいる。
その瞬間――“目が合った”。
視線が突き刺さる。
全身の血が凍りつく。
ゾクリ、と背筋を走る悪寒。
鳥は、翼を折りたたんだ。
音が消える。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
風が悲鳴を上げるように鳴り、美桜の髪が大きく揺れた。
“それ”は、美桜に向かって――一直線に落ちてくる。
「……っ!」
体が動かない。
視界の中で、影がどんどん大きくなっていく。
そのとき、隣の男性が叫んだ。
「危ないッ!」
強く腕を引かれ、体が横に弾かれた。
刹那――鳥の爪が空を裂く。
クワァアアアアア――ッ!!
鼓膜が破れそうな咆哮。
鳥は翼を広げ、風を巻き上げながら旋回した。
その翼の先は、優に二メートルを超えている。
周囲の人たちが悲鳴を上げた。
隣の男性――先ほど助けてくれたおじさんが、バッグを振り回しながら叫ぶ。
「こっちだ! あっちに行け!」
鳥が唸る。
その目が、確実に“敵”を見据えていた。
嫌な予感が、美桜の体を貫く。
鳥が翼を広げ――大気を叩いた。
ザクン――。
ガンッ!
何かが砕ける音。
同時に、美桜の頬に“暖かい液体”が飛び散った。
ぬるい。
そして、鉄の匂い。
視線を横に向ける。
おじさんが――地面に崩れていた。
胸に、何かが刺さったような――いや、えぐれている。
服が濡れて、赤黒く広がる。
赤い血が、床を濡らしていく。
「……ぁ……あ……」
声にならない悲鳴が、喉からこぼれた。
やがて、それは自然に叫びへと変わった。
「きゃあああああああああっ!!」
その叫びが引き金だった。
誰かが走り出し、
次々と扉が開き、
悲鳴と足音が廊下を満たす。
「人が死んだぞ!」「逃げろ!」
「中に入れ! 早く!」
怒号と泣き声が混ざり合い、
まるで地獄の合唱のようだった。
美桜は足が動かず、その場に座り込んだ。
体が震えている。頭の奥で、何かがキーンと鳴っていた。
「み、美桜ちゃん! 早く中へ!」
おばさんに腕を掴まれ、引っ張られる。
その瞬間――背後のドアが勢いよく開いた。
「美桜!」
母だった。
顔色を失いながらも、娘の名を叫ぶ。
「中に入りなさい!」
「みんなも早く!」
鳥が再び旋回する。
今度はまっすぐこちらへ。
風圧が頬を切る。
美桜はおばさんと母に引かれ、玄関の中へ転がり込むようにして入った。
ドアを閉めた瞬間――
ガンッ!!
外壁を叩く衝撃。
続いて、悔しそうな咆哮が響いた。
クワアアアアア――ッ!!
扉の向こうで、何かが暴れている。
ノブがわずかに震え、ガラスがきしむ。
母が必死に押さえつけた。
やがて、外の音が遠ざかっていった。
残ったのは、三人の荒い息と、血の匂いだけだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
衝撃の連鎖が始まり、美桜たちが直面する現実はさらに加速していきます。
もしよろしければ、次回もお付き合いください。




