カレーライス
二人がようやく自宅マンションに帰宅したのは夜9時半過ぎだった。
勿論この時間まで二人は昼から何も食べていない。
史は当然だが、寿々も今日一日の疲労から普段よりお腹が空いているようだ。
「やっぱり飯食って来れば良かったですね。それかデリバリーするとか・・・」
史は片付けを終え自室からリビングへと戻り、そのままキッチンへ向かうと冷蔵庫を開けた。
その様子を見て寿々も急いでキッチンへと入ってくる。
「あ、ちょ・・ちょっと待って。今日は俺が作るから!」
とやつれた顔で史の動作を止めた。
「・・・いやいやいいですから、寿々さんは休んでいてください。お願いなので」
史も今日の出来事とさっきまでの情事を含めて、どう考えても寿々にこれ以上無理をさせるわけにもいかずきっぱりと断りを入れた。
「でも、どうしても今日は俺が作りたいんだよ。前から料理するって約束していたのにずっとやれてなかっただろ?あとほら、史、ゲームの中でカレー食べられなくて拗ねてたからさ。だから俺が今夜はカレーを作ってあげたいんだ」
「それはめちゃくちゃ嬉しいんですけれど、でももう9時半ですよ?今からカレー作ったら食べるのは10時過ぎになるし。それに寿々さんにはさっきまで色々としてもらったから今日は素直に休んで欲しいんです・・」
そう言って史は本気で心配して寿々の顔に手を当てると、疲れた顔をした頬を優しく撫でた。
寿々は嬉しそうに史の大きな手の甲に触れ、
「じゃあ、史も手伝ってよ。本当は俺だけでやりたかったけれど、正直俺もカレー作るの小学生ぶりだからさ、自信なくて。な?」
とにっこりと笑うものだから、史も仕方なく少しだけ困ったように笑い、
「わかりました。じゃあ一緒に作りましょう」
と了承してくれたのだった。
「えーっと・・・確かカレーのルーは去年買ったやつがまだあったはずなんだよなぁ・・」
寿々はストック棚を漁り、ごそごそと奥の方をかき分けている。
「それは自分で作ろうとして買ったんですか?」
「いやぁ・・実は買い物に行ったら安かったから、非常時用として買っただけ」
「非常時用にカレールーを・・?レトルトとかでなく?」
史は元々寿々が全く料理をしないのを知っているので、どうしてカレールーがあるのか不思議に思ったが、非常時用にしてもどのみち災害時にこの家でカレーが作れるカセットコンロやらの器具があるわけでもないので、寿々のその天然プリに苦笑いをしてしまった。
「あった!ほら!」
そう言ってようやく一番奥の方から発掘した小さめの未開封のカレールーを嬉しそうに取り出す。
「・・・甘口ですか」
「え!甘口だめだったか!?」
「いや、寿々さん辛いの駄目ですもんね。らしいっていうか」
「らしいて・・わかったよ、今度買う時はちゃんと中辛にするよ」
「いえ、いいんですよ。俺はカレー食えるなら何でもいいです」
寿々は続いて冷蔵庫の野菜室を探り、ジャガイモと人参、玉ねぎを取り出した。
寿々は野菜だけは何でも食べられるので、料理担当の史も普段から野菜室は一杯の状態にしている。
「俺、基本野菜カレーしか食べないからさぁ、本当はあとピーマンとかキノコ類とか欲しいんだけど、今日はないからこれだけでいっか」
そう言うと野菜室を閉めて立ち上がった。
「ピーマンですかぁ?・・・カレーにピーマンは不要でしょう?」
史はどうもピーマンが好きではないらしく、買い物に行っても購入を避けようとする。
しかし寿々はピーマンが好きなので一緒に行ってかごに入れると史はあからさまに嫌な顔をするのだった。
「ピーマン美味いのに分からないなんて勿体ない。あ、あとナスとカボチャも入ってると嬉しいんだよなぁ」
寿々は一旦野菜をシンクの上に置くと再び冷蔵庫を開けた。
「あとは・・・肉か・・」
「え!?肉も入るんですか?」
基本的に肉も魚も食べない寿々の事を考慮して史も肉はあまり購入しないのだが。それでも史は必要最低限のタンパク質を摂取しないと大きな身体が持たないので、少ないながらも鶏肉だけはいつもストックしてある。
「ん~、俺は食べないけれど、でも入っていた方が味は安定するよな?多分。・・・史が買ってきたこの手羽元使ってもいいか?」
「全然いいですよ!えー・・めっちゃ嬉しいです。俺、寿々さんの作るカレーは肉無し前提だと思い込んでいたので」
「ほら、史の為に作るわけだから。そりゃあ・・」
寿々も史が素直に喜んでいるのが可愛すぎて、照れてしまった。
だが問題はここからだ。
正直寿々はここ1年近く包丁を持ったことがない。
「大丈夫ですか・・・?」
史も寿々がまな板の上の乗せた玉ねぎを切るのをハラハラとした様子で見守っている。
「多分大丈夫・・・」
とは言ってみたが、包丁を握るのもかなり久しぶりだし、玉ねぎなんてもう何年も切った事がない。
寿々はゆっくりと玉ねぎに包丁を入れるが、やはり思ったようにスっとは切れずにヤキモキしているうちに玉ねぎから出た催涙成分が目を刺激して一気に目が真っ赤になって涙が出て来た。
「うぅっ・・・目がイタっっ!!・・」
まだヘタの部分がようやく切れただけだと言うのに、寿々は涙を拭くために包丁を置いた。
「大丈夫ですか?」
そう言って史も目がしみるのを避けようとしながら寿々にティッシュを渡すが、自分まで涙が出てきそうだ。
「本当なんでたまねぎってこんなに厄介なんだ!」
寿々は涙を拭きながら不満を漏らした。
「俺も玉ねぎを切るのは得意じゃないですが、迦音が言うには切り方と切る速さで全然違うって言ってましたよ。どうもこればっかりは練習あるのみらしいです」
「そうなのか・・・ああ、まだしみる・・・」
寿々はそう言いながらも再び包丁を持ち、涙を流しつつも玉ねぎの皮を剥いてだいぶ時間はかかったがなんとか全部を切り終えた。
お次は人参だ。
こちらは玉ねぎほどの手ごわさが無かったようだが、ただ切り方に関しては全くもってバラバラで、小さいのもあれば異常に大きいのもある。
問題はジャガイモ。
皮むきは史が隣で手伝ってくれていたので、あとは切るだけなのだが。
これも玉ねぎ以上に切りづらい形状のため、寿々はゆっくりとじっくりと包丁を入れていた。
が、包丁の使い方があまりにも不安定なので隣で史もずっとハラハラとした様子で見守っていた。
「ごめん・・・野菜切るだけでもう10時になっちゃった・・」
寿々はようやく切り終えた野菜を油を敷いた鍋に全部入れ、火にかけ出したところでがっくりと肩を落とした。
「じゃあここからは俺がやりましょうか?」
史もあまりにもボロボロな姿の寿々を見ていたたまれなくなり、本当に今すぐにでも休んで欲しくてそう言ったが、
「いいや・・大丈夫。ここまでやったんだから最後までやってやるよ・・」
「本当今日一日、何に挑んでいるのか分からないですが・・真面目に無理しないでくださいよ?」
「断じて無理ではない!」
「断じて?・・」
史は寿々がすぐにでも倒れるんじゃないかと思い心配して片時も離れずにいたが、寿々もぴったりと寄り添っていてくれるのを嬉しくもありながら、少しだけ恥ずかしそうにそっと史の広い胸に頭を寄せると、
「あんまり史が大丈夫か、大丈夫か聞くとさ、俺も実はダメかもしれないって思っちゃうだろ?でも本当に今日は大丈夫だから。・・それに」
「それに?」
「俺、この前の健康診断でちょっとだけだけど体重戻ってたんだよ。最近体調が悪くなる日も少なくなった気がするし!これも史が毎日料理を作ってくれてるおかげだな」
そう言って寿々は史を見上げてにっこりと笑った。
寿々のそうやって無邪気に笑う笑顔を見ると史は抱きしめずにはいられない。
包み込むように後ろから寿々を抱きしめ、その柔らかいくせっ毛に顔を埋めると、
「知っています。俺、寿々さんの体調データは全て分かるので。今は身長167.5㎝体重45㎏血圧も血糖値も肝機能も数値換算はできなくても健康範囲なのは全部知ってます」
「!!あまり透視で何でもかんでも視るなよなぁ~!恥ずかしいだろ?」
寿々は鍋を回しながら耳元に頬を寄せる史に少しだけ怒った。
「透視しようとしてるわけではなく。寿々さんとすると何故か全部データが書き換わるんですよ。我ながら不思議です」
そんな事を言うものだから寿々も一気に顔が真っ赤になった。
「するとって・・!それ、どの部分から情報得てるんだよ・・」
「わかりません。もしかしたら体液からとか?」
「体液!・・・じゃあそれってキスするだけでも俺の健康データが分かるのか?」
「キスだけでは明確ではないので、全部じゃないですか?」
「全部・・・」
寿々は顔を真っ赤にして手で顔覆うと、史は後ろから寿々の止まっていた手を掴み鍋を回しながら、
「だって俺が寿々さんの身体データを全て理解していたから、こうやってこの世に身体を戻して今こうやって動かせているわけですよ?つまりセックスしてなかったら寿々さんを再びこの世界に戻す事は出来なかったわけです。俺は医者じゃありませんが、寿々さんの健康状態が全部分かるんだし便利だな~って思うくらいでいいじゃないですか?」
史は寿々に代わって鍋の中に肉を入れ、用意していた水を中へと注いだ。
「・・・・まぁそう言われればそうだな」
寿々は鍋に水を入れたのを見ると、蓋をして火を少し弱めた。
そして史に向き直りそのまま史を抱きしめると、
「なぁ、今日なんで俺がこんなにも史にしてあげたいって思ってたか分かるか?」
そう聞かれ史は少しだけ考えてみたがすぐには検討がつかず、
「すみません、ちょっと明確には・・・」
と謝ると、
「あ~そう明確じゃないんだけど。もうすぐ付き合い始めて3ヵ月だし、俺がこの世界に戻ってきて2ヵ月経ったんだよ。・・先月は先月で色々と忙しかったから何も出来なかったから、今日くらいは、って思って・・」
寿々はそう言って史の顔に手を添え、背伸びをしながらキスをした。
史は寿々のその気持ちが物凄く嬉しくてそのまま寿々の細い腰をぐいっと持ち上げるときつく抱きしめた。
「・・・・泣きそう」
と耳元で囁く声は少しだけ喉に詰まるようで苦しそうだ。
「え~泣いてもいいじゃん。・・てか俺の方が泣いてるし」
寿々も笑いながらも史に寄せた頬に涙が伝った。
「史・・俺の事好きになってくれてありがとう。この先もずっと一緒にいような?・・・・それとさっき言えなかったけど。俺も史の事・・・愛してる」
カレーは結局出来上がるまで1時間以上時間がかかり、食べる頃には10半を超えていた。
「結局作ってあげるはずが合作になったな。まぁでも問題は味だけど・・」
そう言いながら寿々はスプーンを口に運ぶ。
「うんうん・・・美味いよ。やっぱりカレーは誰が作っても美味くできるようになってるのは凄い!・・まぁ母さんのカレーと同じってわけにはいかないけれど」
とそこそこ満足そうにしていると、史はまだ瞼を真っ赤にさせながらカレーをじぃっと眺めている。
『そう言えば前に実家に行って母さんの料理を前にした時もこんな顔をしていたな・・』
寿々はそんな事を思い出しつつ、
「ほら、史も腹減っただろ?早く食べてみろって」
と促すとようやく掬って大きな口にばくりと頬張った。
するとじっくりと愛情を噛みしめるように堪能しているようだ。
「・・・美味すぎです。いや、味は甘いんですが、何て言うかもう・・好きな人に飯作ってもらえるって本当にこんなにも嬉しいものなのか、と」
「責められているんだか褒められているんだか・・・。でも俺は史のそういう素直なところが好きだよ」
隣で史が感動しながらカレーを食べる様子を見て心から嬉しそうに微笑むと、寿々も満足気にカレーを口へと運んだ。




