第10話 ペトリコール
朱李が潜在的な能力に目覚め、その力によって電脳異界が削除されるのを妨害しているその間。
寿々と史は必死になって、結界の突破口になりそうな方法を探っていた。
「それにしても、この場所。全く先が見えてきそうにないな・・」
ポリビアスを起点に周囲に広がるグリッド状の空間を二人は歩いて見て回ったが、この先どこまで行けば壁に突き当たるのか・・・。視覚は愚か史の透視でもその範囲を見極めることは不可能だった。
「これは確実に前に見たバックルームと同じような亜空間になっていますね。なんというか・・例えば同じ白いだけの空間を無限につなげて広げている・・みたいな」
「なあ、バックルームの時も確か誰かが意図的に操作しているって言ってたよな?やっぱり今回もその誰かと同じ人物だったりするのかな・・・」
寿々が不安そうに聞くと、
「俺は多分そうだと思っています」
史は透視を止めてゆっくりと寿々の方に向き直った。
「・・って事は今回はやっぱり俺達を狙って?」
寿々が更に険しい表情で質問すると、史は少しだけ言葉に詰まったように短く息を吐き、
「俺達も含まれているでしょうね。でも今回は恐らく、朱李さんがターゲットのような気がします」
「朱李さんが?」
寿々は少しだけ驚いてポリビアスに意識を集中させている朱李を振り返った。
「はい。事の流れ的に、俺達も付いてくる可能性を含ませながら、それでもまずは朱李さんをメインターゲットにして今回はここへ連れ込まれた。というのが正解のような気がします」
「だとすると、バックルームの事件とThis Manの一件に関連性があると?」
「・・・確証はありませんが、多いにあり得ると思いますよ」
史はそう言うと辺りを見回し、
「とりあえず一旦戻りましょう。これ以上進んでも時間の無駄です」
と言って元の場所に戻ろうと足を踏み出した。そして視線をポリビアスへと戻し、ふとバックルームの時の事を思い出した。
「!?」
「どうした史?」
寿々が急に足を止めた史に聞くと、
「そう言えばバックルームの時の結界を破壊するファクターはエンティティでしたね。つまりオブジェクトの浄化そのものが結界を破壊させるきっかけになっていた・・」
「!!そうか。This Manもそうだ。あの時はオブジェクトではないけど、囚われた久野誠の魂を浄化させた事によって結界が壊れた・・・」
寿々と史はお互いに頷き合う。
「この空間にあるオブジェクトは当然ポリビアスしかありません。とりあえず試してみましょう!」
二人は急いでポリビアスの場所まで戻ってくると、まず寿々が集中している朱李の気を削がないように出来るだけ優しい口調で話しかけた。
「朱李さん・・。ちょっと今から史がこの筐体を浄化してみるけれど、朱李さんはなるべくそのまま作業を続けていて欲しんだ。出来そうかな?」
寿々に聞かれた朱李はちらりとだけ目を開けそちらを見たが、まだ上手く力を安定させられないのか、少しだけ難しそうな顔をして、
「・・・・・はい。もし無理だったらすぐに離れます・・」
と言うと再び目を閉じた。
確認をした後寿々は史に目で合図を送ると、史は一旦両手をパシン!と合わせ、そしてぐっと力を右手へと循環させると一気に右手から銀色の浄化の光を放った。
その光景を有明もやはり凄いな・・と感心し見守りながらも少し筐体から離れると、史は筐体に〝祓〟の波動を一気に押し込んだ。
パキィィィィィイイイン!!!
と薄く固いものが割れるような音が空間に響き渡り、浄化の波動が空間を満たしてゆくのが分かる。
その清らかな波動は物理的な効果は全くないが、ビリビリと小刻みに揺れる感覚だけが全身を物凄い速さで通り抜けていった。
「!!」
エレクトロキネシスを操作していた朱李も思わず一瞬気が緩み、コードを変更させる妨害の手が止まった。
しかし、
『!?・・・なんだ??今の波動を受けたせいでポリビアスのデータの向こうに・・何かが透けて見え・・・あれは人か?・・・まさか向こうで操作している人物!!』
東京ドームの複合施設の建物の一番上。
今日は大雨につき、外のアトラクションは全てが運休となってた。
メインのジェットコースターのすぐ下、少しだけ庇になっている場所に二人の人影がゲームセンターへと視線を集中させている。
そこへ、カッ!
というヒールの音をたて、傘をさした中尾がダクト菅を飛び越えて二人の前へと現れた。
「!!?」
急に背後から現れた見知らぬ女に二人は動揺している様子だ。
「あ~あ・・びしょびしょじゃない・・ったく、これだから外仕事は嫌いなんだよ」
中尾は濡れた手と足の水滴を掃うように手足をブルブルと振るう。
「さてと?・・・・そんな馬鹿みたいなお面被ってないでお顔を見せなよ、僕ちゃんお嬢ちゃん?」
中尾は丈の長い黒いセットアップのジャケットに左手を突っ込み、右手に傘を持ってぶっきらぼうに話しながら、目の前にいる烏天狗の面を付けた二人へふざけた足取りで近づいた。
「・・・・誰だ」
先に話したのは少年の方だった。
「さぁ~?誰でも良くない?アンタたちみたいな面倒くせぇクソガキに名乗る名前なんてないよね。ほらさっさとそっちのクソガキも無駄な結界を早く解きな」
「!・・・てめぇ誰に向かって喋ってやがる・・」
それまで結界に集中していた少女の方は、中尾の挑発にまんまとひっかかり、その力を緩めてしまった。
「おい!何やってんだよ!結界に集中しろよ、でないと・・・」
中尾はその二人の集中力が乱れたのを逃さなかった。
面を被ったおかっぱの少女の動きが自分へと向いた瞬間、中尾はポケットから竹串に挟まれた人形をまるでコマを回すかのように一気に十数体投げ出した。
「なんだ!?」
中尾から放たれた人形はそのまま雨に濡れる事なくくるくると回り続け二人の周りを取り囲んだ。
すると中尾は長い数珠を取り出し、ジャリジャリと合わせながら法文を唱え始めた。
「・・この釼ともうすは日本の鍛治打たん、唐土の鍛冶打たん、これ天竺黄金の唐上国から、から天神ののべさせたもうた八釼を行い降いて、逆印逆手に取りて元本人の守神は天へ切って上げる!」
それはいざなぎ流の天神の調伏法。
つまり天神を式神として人形へと招き、天神の釼による呪法を断ち切る法文でもある。
「何なんだこれは・・・!」
先に反応した鳶色の髪の毛の少年は操作していたノートPCが急にバチバチと火花を発し、今にもバッテリーが発火しそうなところを水がたまった屋上のコンクリの上へと投げつけた。
しかし中尾の法文は更に続く。
「まだも残りた五尺の身体は、血神の帝へ切り詰める!舌を食い切りはぶろがなまき、無言頂礼、即!滅!蘇婆訶と切ってはなす!!」
そう言い切ると同時に囲まれた人形全てからズズズズズ・・!と黒い煙が立ち込め、その一体一体が2m以上の大きさへと姿を変え、不気味に光る眼で二人を取り囲み見下ろした。
「!!なんだこいつら・・」
さっきまで威勢よく罵声を出していた少女も目の前に現れた数々の強大な気配に恐れおののいた様子で後ずさった。
「なんだじゃないんだよ。神々を目の当りにしてなんとも無礼な奴らだ・・・。今お前達の魂は天神様の手の内にある」
二人は目の前のひと際大きく厳めしい体躯に両刃の大きな釼を持った黒い影を見上げ言葉を失う。
「・・・・・」
「残念だが、そのまま魂を切り取られ地獄の帝へと献上するのさ」
雨に濡れた中尾が垂れた前髪から死神の様な顔でニカリと笑い、更に法文を続けようと数珠を口元に寄せたその時、
左方面から急に地鳴りのような轟と共に白い波状閃光がとぐろを巻いて屋上の床を物凄い勢いで駆け巡った。
ドドドドドド!!!
白い波状閃光は烏面をつけた二人の周りを取り囲んでいた人形を一気に浄化させ粒子にさせると、それと同時にさっきまで二人を見下ろしていた召喚された神々もまるで蒸発するようにしてその場から一気に姿を消されてしまった。
「何!?」
中尾が急いで見ると、そこには一人の小柄で白髪の老人が腰を少しだけ曲げ、怒るわけでも睨みつけるでもなく、ただまっすぐな目で自分を見ていた。
「・・・誰だ」
中尾は自分の調伏法が一瞬にして浄化させれた驚きと、そのとんでもない力にただ恐怖を覚えた。
老人は雨に濡れながらも床にへたばっている少女と少年へと近づく。
「うちのぉ・・身内の悪戯がすぎたみたいで、悪かったな・・。しかしだ。たかが子供の遊びにいざなぎ流の調伏法は・・ちとやりすぎだと思わんか?ん?」
老人はそう言いながらもう一度中尾をチラっと見たが、すぐに二人の前に立ち、
「何故お前達はいつも勝手な事ばかりをする。お前達のような未熟者では太刀打ちできない相手がこの世に沢山いるのはわかっただろ。・・・さぁ、さっさと立って家に帰れ!」
そう諫められ、二人は中尾を睨みつけたままゆっくりと立ち上がった。
「くそ・・・せっかく楽しんでいたのにどいつもこいつも邪魔しやがって」
少女の方がそう文句を垂れると少年も、
「でもあいつらのデータはちゃんと抜き取れたから目的は達成できただろ?文句言うな」
と少女へと小声で答えた。
「黙って早く行かんか!」
老人はその無駄口を怒鳴ると、少年少女は少しだけ体をビクつかせ、急いで互いの手を大きく回転させてそこに現れた亜空間へのポータルへと飛び込み瞬時にして消え去ってしまった。
「ふぅ・・全くこれだから子供のお守は」
そう言いながら老人は再び中尾の方を向き、今度はジロリとあからさまに睨みつけきた。
「・・・ふむ。あんたは公安の特務か。なるほど。いざなぎ流がいるって噂は本当だったんだな」
「何故私の事を知っている・・・お前は一体何者だ?」
中尾は目の前にいる老人に呪力では到底敵わない事を認めると、左ポケットに入れたままだった左手の隠し穴から腰に装備したSIG SAUER P230のグリップをゆっくりと握った。
だが、
「はは、そんなおもちゃでワシにたてついたところで無駄だぞ?大体〝ニル〟に配属しておきながらワシが誰だか分からんのか?公安も落ちたもんだな・・。まだかつていた頃の〝ゼロ〟の方が組織としては有能だったかもしれんな?ん?」
中尾はその言葉を聞いて急に殺気を帯びた。
そして感情に負け左手をそのまま抜き出した。
「貴様が〝佐藤〟か!!!」
中尾は銃口を佐藤の眉間に向け固定をすると、ジリジリと距離を詰める。
「ん?・・・何かワシに恨みでも?」
佐藤は銃口から目を離す事なく、余裕の笑みを浮かべた。
「貴様・・・まさか大松伊尾士を忘れたとは言わせないぞ!」
中尾の目は血走り、その開かれた目の上を大粒の雨が滴り流れた。
「大松・・・ああ。あれはお前の親族だったか。よく覚えているよ。いざなぎ流太夫の中でも呪詛掛けがずば抜けて優秀だったからなぁ・・・。だが向けた相手が不味かった。調伏法は誰彼構わずに掛けていいわけではない。ワシは仕事で調伏返しをしただけにすぎない。その後大松の身の周りが散々だった事は知っている。だがそれも全て大松の呪詛自体が強大かつ悍ましいものだったからだ。自分の放った呪詛が全て自分に返ってきただけの話。・・・・つまり自業自得ってやつだ」
中尾は唇を噛み、その血が雨に滲んで口元を流れた。
「ああ・・その通りだ。祖父が亡くなったのは自業自得だ。・・・しかしお前はそのまま返したわけではない。その力を何倍にも膨れさせてから返した。だから私の祖母も母も弟も皆惨たらしい死に方をした。血反吐を吐きもがき苦しみそれはもう地獄のような死に方だ。弟は・・まだ5歳だった。最後は口から内臓を吐き出し息を詰まらせ死んでいった」
中尾の言葉を聞いても佐藤は一切表情を変える事は無かった。
「・・まぁ、呪うのは勝手だ。だが相手は決して間違えるなよ?でないと次はお前とお前の身の周りが同じ目に遭うからな?」
そう言って佐藤は踵を返す。
中尾はその頭に向けて躊躇う事なく引き金を引いた!
カチリ・・・
構えたP230はまるでおもちゃのような音を出す。
それでも中尾はそのままカチリカチリと立て続けに引き金を引いた。
佐藤はやれやれといった表情をすると、後手に組んだまま左足そスッと上げるとそのまま床にドン!と落とした。
「!!」
佐藤が足を下したと同時に、銃を構えた中尾の手に向けて床から白い浄化の閃光が縄のように突き出し、そのまま地面へとひきずり下した。
その勢いで中尾は軽く頭を打ちつけ、左の頭から鮮血が滲む。
「う!」
「勘違いするなよ?別にお前達にチャンスを与えるわけではない。ただな?〝ニル〟だなんて言っても所詮は国家の僕。つまりお前達の上層部は結局我々の上に繋がっているのだ。敵にはなれんのだよ。私怨は結構。殺したければいつでも掛かってくるがいい。だがお前の呪詛などワシには効かん。それだけはよぉく覚えておけ・・・」
そう言うと佐藤は印を結び、先ほどの2人同様にポータルのような空間へと姿を消していった。
同時に中尾を縛っていた浄化の縄も消えた。
「くそ!!・・・佐藤。絶対にいつかこの手で捕まえてやるからな・・・」
中尾がそう言って体を起こすと、2mくらい前に落とされたノートPCから声が聴こえてきた。
「・・さ・・。な・・おさ・・・!」
「?・・有明か??」
中尾は起き上がると急いでノートPCを拾い、そのまま庇のある場所へと駆け込んだ。
しかしPCはバッテリーが壊れ電源が復旧しそうな様子はない。
「おかしいな・・今確かに有明の声が聴こえてきたような気がしたが・・」
そう言って中尾はノートPCをくるくると色んな角度から見ていると、
「おかしくないですよ!聴こえますか?今こちらからそのPC内に残ったデータを媒介してテレパシーで話し掛けています!」
「はぁ?」
中尾は意味が分からないといった反応をしながら、壊れたノートPCの画面を見つめた。
現実世界の術師二人が消えたと同時に筐体脇に居た二人の黒スーツの男のホログラムも消え、削除が途中でフリーズしてしまったのは本当に奇跡だった。
だがそれと同時に4人と坂口はデータの中に完全に閉じ込められてしまった事になる。
史の浄化の力で内側の結界は解く事ができたおかげで、朱李のエレクトロキネシスを使えばPC画面越しの映像だけはこちらからも筐体画面で見られたのだが、どうもそれだけではこの世界から出る事はできそうになく。更に外からの浄化も必要だという推論に至った。
そこで全員を驚かせたのは、朱李の力を媒介させればポリビアスからノートPCを伝って有明のテレパシーをのせられる事が分かったという事だ。
この一か八かを考えついたのは勿論史だった。
史は何故か土壇場での発想の的中率が格段に上がっているようだ。
「原理について説明している暇はないので色々と端折りますが、とりあえず、中尾さんの手でそのノートPCを浄化して結界を祓ってみてください。それによって私達が引きずり込まれた物質データや精神データが元に戻れる可能性があります」
真っ黒なPC画面から聴こえる有明の声を頼りに中尾はその言葉を信じ深く頷いた。
「わかった。やってみよう」
中尾は目の前の室外ダクトの接合箱の上にPCを置くと、胸ポケットから細工された御幣と署内で有明に頼まれて作ったあった提婆の人形を取り出し上に並べた。
「・・幣で飾れば、ふまぬし氏子へ取りて、十二が方から神の位を取り立てる・・・」
中尾は再び数珠を取り出し、ジャラジャラと音を立て合わせながら取り分けの儀を行う。
今度は先ほどとは違い、忌まわしきものを人形へと押し込める呪詛の祭文を唱え始めた。
「・・行合強くに御座れば、命の立替、身の立替に白紙御幣、はなべら、はなみてぐらも取りとうたて、ひけいによらめて出でまいらした、身肌を離れて、肌よ離れて、眷属集めてはなべら、はなみてぐらへさらさらと遊び、影向成り給へ・・・」
中尾が祭文を唱え終えると、PCの上の置いた御幣と人形がみるみるうちに溶けだし、そのまま滲み込むように隙間に入り込んで消えていった。
「・・・・・有明、まだ聴こえるか?」
中尾のその問いに返答はなかった。
「ん?上手くいったのか?」
ゲームセンターへと入った鎌田は、しばらく店内の様子をぼんやりと眺めると、さてどうしようかと思い目の前を通りかかった店員を呼び止めた。
「あんのぉ・・」
そう言って胸ポケットから徐に警察手帳を取り出し女性店員へと見せる。
「え!?」
店員は鎌田のそのやる気の無さそうな顔つきや、姿勢の悪い巨体を見てまさか警察だとは微塵も思ってなかったようで驚いたまま硬直していた。
「すんませんけど。今ここに俺の部署の人間が来てると思うんですが、どこに行ったか知ってますか?」
歯切れの悪いのろのろとした喋り方の鎌田に、店員は思わず後ずさりをしながら、
「あ、・・ちょ、ちょっと店長呼んで来ますのでお待ちください!!」
と恐怖で顔を引きつらせながら一目散に逃げていってしまった。
「・・・・・・」
その後鎌田の元に忙しい時間帯の対応に追われていた店長がやってきたのは、15分以上経ってからだった。
その間鎌田はただひたすらボヤ~っと入口脇につったったままで、通り過ぎる誰もがその巨体と人相に怯えながらビクビクしてしていたのは言うまでもない。
「ああ、お待たせしました!えっと先に来ている刑事さんの・・」
そう言って店長も鎌田を見上げながら、まるで熊のようなその風貌にビクビクとしている。
「はい。有明と言う者を探していますが、どこにいますか・・」
のろのろと喋る鎌田を連れ、ようやく機械トラブルの対応が終わった店長は再びバックヤードへと戻ってきた。
「なんでも店内で人が消えたとかで、私もまだちゃんと把握できていないんですけれど。裏の倉庫を調べたいというので案内をしたんですよ。もうかれこれ30分以上になりますが、まだ調べているようで・・」
そう言って店長と鎌田が倉庫の扉を開けたその瞬間、
ドタドタドタ!!
という何かが倒れるような音が奥の方からしたと思うと、そちらの方向から頭を押さえながら有明がゆっくりと立ち上がる様子が目に入った。
「いたた・・・急に押し出されましたけれど・・何とか戻って来られたみたいですね」
続いて史が抱えていた寿々を持ち上げて起こす。
「大丈夫ですか?」
「ああ、俺は大丈夫。それより朱李さんは大丈夫?」
寿々は隣ですっころんでいた朱李へと手を差し出した。
朱李は先ほどまで慣れない力を使っていたせいもあり、大分疲弊しているように見える。
寿々の手を素直に受け入れ、持ち上げられてようやく立ち上がれた。
「ありがとうございます寿々さん・・・」
現実の世界ではたった30分程度しか経っていなかったが、ポリビアスの中で実質何日間も一緒に過ごしたおかげで朱李はすっかり〝寿々さん〟呼びが定着しているようだった。
寿々はそれを全く気にしていない様子だったが、史はその事についても相当な苛つきがありありと見て取れる。
有明はすぐに、まだ意識が虚ろなまま横になった坂口へと近づき心配そうに肩を揺らし、
「坂口さん!起きれますか?」
と問いかけると、坂口は急にがばっと身を起こし辺りをキョロキョロと見回した。
「あれ?・・え?ここはどこ・・だ?ってか有明さんはいつの間に?」
どうも記憶がまだはっきりとしていない様子ではあるが、口調や動きは問題はなさそうだ。
「坂口・・とりあえず大丈夫そうで良かった」
朱李も膝を付き、坂口の目を見てやっと安心して肩の力が抜けたようにホッとしていた。
「有明さん・・・」
そこへ店長と一緒に鎌田がやってくると、のそりと声を掛けてきたのを有明も少々驚いている。
「鎌田君?キミ、非番だったのに何で?・・というか中尾さんは?」
「あ~・・・中尾さんは別のところに隠れてる奴らを説教しに行きました。俺は・・中尾さんに呼び出されたので」
鎌田はぼそぼそと説明をするが、どうにも有明はこの鎌田の歯切れの悪い喋り方と性格が苦手で、これ以上ここで何か聞くのはやめておこう思い作り笑いだけして無言のまま頷いた。
午後5時半
先ほどまでの大雨は少しだけ落ち着きを見せ、公安第3課特務係〝ニル〟の3人は後処理も含め色々な捜査をする為に鑑識などを要請し現場捜査の準備を始めていた。
当然寿々や史も前回同様調書を取らなければならなかったのだが、今回は有明が全面的にこの捜査の担当になるらしく、二人は後日改めて警視庁の方へと出向かなくてはいけなくなった。
当然寿々も史もこんな事に巻き込まれるのは嫌だったが、しかしもうこの状況で有明と朱李、そしてオカルトラボの存在を無視する事など出来るわけもなく、これからは全員で密に連絡を取り合い異変などすべて情報共有する必要があると説得され、二人だけでなく朱李も納得しないわけにはいかなかった・・・・。
「とりあえず、朱李さんは坂口さんを病院に連れて行ってください。所長の方には私からもちゃんと連絡をしておきますので。あとうちの鎌田を付けますから何かあれば鎌田に話をしてください」
そう言うと3人を乗せたタクシーはそのまま発進していってしまった。
タクシーを見送ると有明は寿々と史を振り返り、
「お二人も協力ありがとうございます。今日のところはこれで帰宅してもらって大丈夫なので、詳細はまた後日ということでよろしくお願いします」
と軽く頭を下げた。
「わかりました。・・・・・あの、今回の一件ってもしかしたら朱李さんが狙われていたのではないかって、さっき史とも話したんですけど・・。有明さんはどう思いますか?」
寿々はこれだけは聞いておかねばと思い質問すると、
「・・そうですね。私も直感的にはそう思います。勿論今はまだ何も証拠はありませんが。でもうちの中尾が〝佐藤〟という術師に接触しています。この佐藤という人物、もしかしてお二人はもうご存知ですか?」
有明は恐らく確信があってそう質問しているようだ。
寿々は少しだけ俯き、佐藤との嫌な記憶を掘り起こしながらゆっくりと小さく頷く。
「知っている・・なんてもんじゃないです。ある意味俺と史にとってあの人物は最初からずっと付きまとっている因縁のような存在です。しかし佐藤から直接被害を受けたわけでもないので本当にどうすればいいのか・・」
寿々の表情を察し有明はここでそれ以上聞くのはやめておこうと呼応するようにゆっくりと頷いた。
「わかりました。その事についてはまた近いうちに・・・」
そう言うと、少し離れた背後から中尾から声がかかった。
「おい有明いいか?」
「はい、どうしました?」
「悪いけど、うち一度戻って着替えてくるからちょっと現場を離れるぞ」
中尾は雨の中佐藤とやり合ったおかげで全身ずぶ濡れのままで、白い顔を更に青白くさせ震えている。
「わかりました。じゃあすぐに行きますので鑑識に伝えておいてください」
返事を返すと中尾は少しだけ手をあげ、戻って行ってしまった。
有明は再び二人を見るとちょっとだけ躊躇うように俯き黙り込み、顔を上げるともう一度向き直った。
「・・・史君。前回のバックルームの件だけど。君の助言のおかげで探していた同僚と思われる身体の一部が海辺で発見されたよ。まだDNA鑑定も完全に終わってはいないけれど恐らく間違いないだろう。・・・ただ半年近く経っているし、多くの身体の部分が海の中へと落ちていると思われ捜索は難航している。この一件は守秘義務があって口外すれば私は懲戒免職になるが・・それでも君のおかげでようやく彼らも家に帰れると思うと、ちゃんとお礼を言っておきたかった。・・ありがとう」
有明はそう言って史に頭を下げた。
「・・・いえ、正しくお役に立てたのか分かりませんが。でも見つかって良かったです」
状況からして素直に喜べるような事では無かったが、それでも史も自分の能力によって誰かが救われたのであればそれは素直に受け取っておこうとゆっくりと頷いた。
「じゃあ、気をつけて・・・」
そう言うと有明は急いで現場のゲームセンターへと戻っていってしまった。
「・・・・・結局向こうの術師二人が誰だったのかまでは分からなかったけれど。やっぱり背後に佐藤が絡んでいるんだな・・」
寿々は表情を変える事なく、しかしこの因縁だけは避けて通れないのだと改めて自覚させられショックでもあった。
本心ではこのまま佐藤と二度と会わずにいられたらどれだけ良かっただろうかとも考えていた。
『佐藤・・柴垣幸之助・・、常天統合府・・そしてその先にいる・・何か・』
寿々は恐ろしくなって隣に立つ史の腕にしがみ付きたい衝動を必死に抑えた・・・が、
「ん?」
気づくと寿々の右手を史の左手がいつの間にかがっしりと恋人繋ぎで握っており、寿々は思わず焦って顔を赤くさせた。
「ちょ!こんなところでまだ明るいうちに~!」
しかし史は少しだけ意地悪そうな笑顔で微笑むだけで手を離してくれそうにない。
「いいでしょ別に。誰も変に思いませんて今時このくらい」
「いやいや、変な目では見られるからな?普通に」
「これだけ変な目に遭っておきながら、知らない人達に変な目で見られるくらい何だって言うんですか?それにここはデートスポットですよ?いろんな人がいるんだからそれに紛れてもいいじゃないですか」
堂々と言うと史はそのまま寿々の手を引いて歩き出し、そしてふと上を見上げた。
「・・寿々さんはジェットコースターは好きですか?」
「いや!絶対に乗りたくない!」
「そうなんですか?面白いのに」
「えぇ・・史はこういう場所好きなのか?」
「友達いないんで来る機会がなかったですが、校外学習で来た時は10回以上は乗りたい気分でしたね」
「はは・・嘘だろ、どんだけだよ」
「まぁこういう賑やかな場所に連れて来てくれる人もいませんでしたから・・・」
史はあえてそんな言い方をして寿々の反応を試しているようにも見える。
しかも寿々は史のそういう言い方にとても弱い。
「・・そんな言い方されたら、いくらでも連れて来てやりたくなっちゃうだろ!」
「じゃあ今度一緒にフジQに行きましょう、ジェットコースターと迷宮病院目当てで」
「絶対に嫌なコース!頼むからもっと穏やかな場所を選んでくれ!!」
そんなくだらない話をしているうちに、寿々はさっきまで不安で一杯だった胸の内がスっと軽くなっている事に気が付いた。
勿論史は遊園地などに寄り道をする気は全く無く、手を繋いだまま再び強くなってきた雨を避けるために持っていたビニール傘を広げ寿々の上にさすと、気持ち早い足取りで駅を目指した。
そこで寿々も史が約束を忘れていない事に気が付き再び顔を紅くさせた。
「・・・・・やっぱりその・・行くの・・か?」
自分から誘ったのは事実だが、こんな事があった後でもそんな気になれるのかと不思議そうに聞くと、
「行くに決まってるでしょ、まだ時間はありますからね」
そう言ってただひたすら嬉しそうに寿々の手を引き、青になった横断歩道を誰よりも先に歩き出した。




