赤い布とクレイアスの決意
大神殿の内部、荘厳な雰囲気をもつ歴史ある大神殿の廊下をクレイアスは下位神官に先導されて歩いていた。
神殿の奥、白と金で彩られた静謐な執務室に案内されたクレイアスは、恭しく頭を下げた。
目の前には、法衣に身を包んだ一人の老齢の男性ーー彼の大叔父にして、この大陸最高位の大神官である、アルセルド大神官が座していた。
「……そうか。空には雲一つなかった、と」
「はい、風もほとんどありませんでした。布が飛ばされてきたとしては不自然なほどに……
しかも、魔力の発動も、痕跡すら一切確認できませんでした。」
クレイアスは丁寧に語り、件の布を収めた箱をそっと開ける。
中から現れたのは、薄くて赤い小さな布と、二つの膨らみが連なった布で出来た物。そしてそれらが入っていた白い網の様な袋。
「これが……突然、私の頭上から水と共に降ってきたのです。
反射的に手を伸ばして受け止めました。
突然の事に警戒し、馬を止めたところで先の林に潜伏者がいる事に気が付きました。」
クレイアスは慎重に言葉を選びながら語った。
アルセルド大神官は無言で頷き、小箱の中身を一つずつ手に取った。
老いた手が布の質を確かめるようになでる。
「……精巧だな。人の手によるものとは思えぬ。この国のどの職人にもここまでの仕事は不可能だろう。」
クレイアスは静かにうなずいた。
「私の護衛の中には女性はおらず、現場に女性の気配もなく。
……私に向かって落ちてきたのです」
「ではこれは……、汝に与えられた”何か”だと考えるのが妥当であろう」
アルセルド大神官は手にした赤い布を見つめながら、ゆっくりと言った。
「命を救う様な導きがあった以上、女神の加護が働いた可能性が高い」
「……女神の加護、ですか」
クレイアスがもつ女神の加護……
だが、それがどう働くのかは明確には知らされていない。加護を持つ者すべてがその効果を理解できるわけではないのだ。
分かりやすい加護を持つ者もいる。
例えば傷が瞬時に治ったり、どんな毒も効かない体を持つ者。
伝承では未来を見通す者もいたと伝わっている。
しかし、どのような効果があり、どのように働くのか一生分からない者も多い。
クレイアスの加護もどのような働きをするのか分かっていなかった。
「しかし、これは、女性の……下着では……?」
クレイアスは箱の中を見下ろし、わずかに顔を赤らめた。
「……この布の面積の少なく透けていて……こんな破廉恥な卑猥な物を、私にーーー」
その言葉に、アルセルド大神官はわずかに口元を緩め、優しく語った。
「クレイアスよ。汝の戸惑いはもっともじゃ」
大叔父は、箱に布を丁重に戻すと、視線を彼に向ける。
「だがな……よいか、クレイアス。 ”衣” を纏って生まれる赤子などおらぬ。
どれほどの美女であれ、美丈夫であれ、生まれ落ちた時は裸なのだ」
「……!」
「では、その姿を ”破廉恥” と責めるか?……人は衣ではなく、その心と歩む道で価値を持つものよ」
アルセルド大神官は静かに話を続けた。
「布地が少ない事、透けている事を ”卑猥” ととらえるのは俗世の欲の眼差しによるものであろうよ」
クレイアスが息をのんだ。
アルセルド大神官は一呼吸おいてから、穏やかな口調で告げた。
「クレイアスよ、欲そのものは、悪ではない。
愛することも、他者を思いやることも、手を取り合う事も……すべて、欲があってこそだ。
”慈悲”や”慈愛”もまた欲なのじゃよ。
女神は他者を思いやる欲を ”是” としている。
女神が ”否”とするのは『我欲』。他者を踏みにじる歪んだ欲望じゃ。」
さらに静かにつづけた。
「女神がこの地に初めて降臨された際……
聖なる泉の水面に、二枚の透ける薄布を纏って現れたとされておる。
そして二枚の布は ”慈悲” と ”慈愛” の象徴であるとされておるのだ。
女神もまた慈愛や慈悲により人を救わんとする ”欲” を纏っておられるのじゃよ。」
それは静かな説得だった。
信頼してる大叔父の言葉、そして自身の命が救われた結果から、
信仰心のあついクレイアスが当初の考えを…
ーーー勝負下着をーーー破廉恥だと思ってしまった事を、深く後悔し、己を恥じるのは当然の事だった。
「この国では、結婚を控えた者に、身に着けるもの……特に、下着を贈る風習がある事は知っておろう」
「……はい」
「また、戦いに身を置く者が伴侶や婚約者の身に着けている物を守りとして持ち歩く事も知られておろう。
戦の前には必ず兵士も騎士も、伴侶や婚約者の身に着けている物、リボンや下着等を守りとして持ち、戦いに挑むのだ。これは必ず愛しき者の待つ場所へ生きて帰るという誓いでもある」
「で、あれば女神が汝に女性の下着を授けたというのは……汝の ”伴侶” に関する啓示であると、わしは考える。」
クレイアスの目が見開かれる。
「私の……伴侶に関する啓示……」
「そうだ。加護はそなたの ”命を守る” 形で現れた。そして、その手段として ”女性の下着” が用いられた。
ならばそなたに授けられた ”赤い布” は、伴侶に対する象徴的な啓示として考えるのが自然だろう。」
クレイアスは決意を新たに、まっすぐ大叔父を見つめて言った。
「……大叔父上……私は、この ”啓示” を無下にせぬよう、しかと心にとどめます」
「うむ。女神はいつも見ておられる。そなたが正しき選択をなすことを、な」
クレイアスは静かに深く頭を下げ、領地へ戻る為に神殿を後にするのだった。
◇◇◇美春side◇◇◇
私の勝負下着が旅立ってから、もう3ヶ月たった。
……何を言ってるのか分からないと思うけど、私も分からない。
最初の頃は無駄だと思いながらもネットで色々調べていた。
”洗濯機の不具合で戦場が見える”
で探したら普通に故障時の対応が出てきた。戦場が見える不具合なんてない。当たり前だ。
”洗濯機 下着が消えた”
でも調べた。出てきた検索結果に従って、フィルターから排水の入り口まで探したが私の下着はどこにもなかった。
しかし、あの ”事件” 以来、洗濯機はすっかり普通になり、あれは性質の悪い夢だったのでは無いかと思い始めている。
美春の生活もすっかり穏やかさを取りつつあった。
「今日はカーテンも洗おうかなぁ」
ぽつりと独り言を呟きながら、洗濯かごを持ち上げる。
美春が暮らすのは亡くなった祖母の残してくれたすこし古い一軒家。就職するまではここで祖母と暮らしていた。
この家に帰って来てから、祖母の家なのに祖母がいない……
その環境に寂しさもあったが、今ではこの家が”自分の居場所”になってきた。
美春の祖母はどこか不思議な人だった。
日本人にしてはちょっと堀が深く、よく「外人さんみたいって言われるのよ」と言っていた。
あまり人のやる事に口出しも反対もしないタイプだったが、ごくたまに……、本当にたまにだけ、何かを強く止めることがあった。
「虫の知らせってやつよ」
そう言って、危険を的中させることが何度もあった。
美春が就職し祖母の家を出るとき、
「何かあったらこの家に戻って来なさいね。美春のために残しておくからね」
「そうしたら、全部うまくいくからね」
そう言っていた。
「私が困ってるのはイケメン彼氏がいない事だけよ〜」と冗談まじりに言ったときも、祖母はウンウン、と優しく頷いていたっけ。
……美春は、ふと思う。
カーテンを洗ったら、おばあちゃんのお墓参りに行こう、と。
変な事があったんだよ、ってお墓に報告して聞いてもらって帰ってこよう。
あの出来事は、きっともう大丈夫。日常は、ちゃんと戻ってきてる。
……そう、信じたい。




