(最終話)今を抱きしめる
その後、二人で黙って夜道を歩いた。
黙っていても、お互い嫌な沈黙とは思っていなかったと思う。
時々に目線を合わせた。微笑みあった。
そして、また歩いた。
歩く途中、ラブホテルも数軒あったけど、私も彼もそちらの方向にすすむことはなかった。
抱き合うよりも、ただこの八年間を――……別々に過ごした八年を一緒に歩くことで癒すみたいにして、とにかく手をつないで歩き続けた。
駅の明かりが見えてきて、私たちは三駅分も歩いたってことがわかった。闇雲に進んでも、どうにかなるものだ。
二人でまぶしい駅構内に目を細める。
「ICカード、乗る前にチャージしておこうかな」
「あぁ、じゃあ、その間に俺のみもの買ってくる。疲れただろ、そこのベンチに座ってて」
改札口を通る前に気になって、鞄からカードを出そうとしたとき、手が小箱に触れた。
――……シルバーリング。
もしかして矢野さんと堂下さんがつきあってるんだったら、返そうと思ってたものだ。これをひっつかんで持ってきたときの、自分の激情を想うと苦笑する。
何も知らなかった。己の苦しみだけに目が向いていた。
この八年――……あの、何も言わなくても人のための分も飲み物を求めてきてくれる、それが自然に身についた彼の苦しみに、目を向けられてなかった。
「これ覚えてる?」
ホットの紅茶二つ手にして戻ってくる彼に、小箱を見せる。
「それ……」
彼の表情は覚えてるって顔だった。
幸せを願ってくれた矢野さん。今より若い……そして今の私と同じ年の矢野さんが、たしかにあのとき、私の幸せを願ってくれたのだ。
彼が紅茶の一本を私に渡し、その空いた手で小箱を受け取った。缶をもちながら、器用にも小箱の蓋を開ける。
「シルバーリング……綺麗なままだ」
「磨いてたから」
言うと、矢野さんが「そっか……ありがとう」と言った。
「彩に幸せになってほしかったんだ」
「うん」
「……これ渡したとき、俺なんて言ったか覚えてる?」
「え?……『幸せであるように』……って。お守りだって……」
「うん、俺の自信の無さの象徴だよな」
自嘲的にそう言って、矢野さんは缶の紅茶をぐいと飲み干した。
彼が軽く足先で缶を蹴ると、綺麗な放物線を描き駅前ロータリーのゴミ箱に入っていった。
「ナイスシュート」
声をかけると矢野さんが、「いきがった学生みたいなことしちゃった」と苦笑した。
見つめあう。
「彩、8年前、俺は指輪とか19歳のシルバーのジンクスとかに頼って彩を守りたいと言うしかできなかった。結局、そういう他力本願では別れをとめられなかった」
「矢野さん……」
私が彼の肘をつかむと、矢野さんは私をそっと抱き寄せた。
彼の顔が近づいて、私の耳元まで降りてくる。
師走に入った木枯らしの吹く夜なのに、いっきに顔が火照る。
耳に小さく矢野さんが何かをつぶやいたのが聞こえた。
「なあに? っあ………」
今度は聞こえた。
私の耳も頬もいっきにあかく染まる。
――……いずれ、左にはめるのを贈るからね、
彼の小さな声、囁き。目を閉じて味わって。
それから、私は。
頷くかわりに、今度は彼の首に両腕を伸ばし、彼の顔をひきよせるようにして。彼の耳に囁き返した。
「わたしも、あなたの左手にはめるのを贈るね」
私が言い終えると、彼は私の方に目を向けて。
そして。
泣きそうな顔をしながら笑った。
それは、私の記憶に夢に――まったく存在しない、新しい彼の姿だった。
****
私は、彼に幸せにしてもらうために生まれたんじゃなく。
彼と幸せを掴み、それを育てはぐくみ、彼と私が共に幸せになってゆくため、ここにいる。
ここにいて、彼を抱きしめるんだ。
そう、過去も未来もひっくるめて。
私がそっと彼の頬にすりよると、くすぐったそうにしながら矢野さんが私をふんわり抱きしめた。
彼の肩の向こうは冬の夜空が広がっていた。
それは何度も繰り返しみた夢の、別れの前の闇と同じ。冬の木枯らしの肺が痛むみたいな冷たい空気。
でも、その凍てついた闇にも、ちゃんと冬の星が輝いていることに今の私は気づいてる。
安堵して、私は彼の肩に顔をうずめた。
大切な恋人の腕の中で。
fin.
これにて完結です。
お読みくださり、ありがとうございました。
また企画主催者様、復縁企画に参加させていただき、本当にありがとうございました!
****以下、おまけ***
彩「矢野さん、プレゼント」
矢野「え……!た、誕生日はまだ先だけど」
彩「理由のないプレゼント、似合うと思って。寒いし」
矢野「ありがとう。あ、マフラーだ……大切にする!」
彩「(ほんとに矢野さんの場合、ずっと大切にしてくれそうだもんね……)」
矢野「似合うかな?」
彩「うん似合う似合う!……あのね」
矢野「なに?」
彩「ブックカバー、もしかして、まだある?」
矢野「(目をそらす)」
彩「ちょっ……げ、原型とどめてるの!?」
矢野、おもむろに鞄から取り出す。
矢野「これ」
彩「やーっ!色あせてる、擦り切れてる、なにこのユーズド感……しかも、カバーとしては現役」
矢野「当然」
マフラーにすりすりしている矢野さんを見て、彩は定期的に新調したものをプレゼントしようと誓うのだった……。
(これにて、おしまい!)