9.やっぱり餌付けじゃないですか!
一頻り飲んだり、食べたりして月見を堪能すると、お客様たちはバラバラと自分の部屋へと帰っていった。
いもたきのときと違って後片付けも多くなく、九十九たちも早めに業務を終えることができた。
「将崇君、今日はありがとう」
将崇は従業員側として、月見の運営を手伝ってくれた。特に、団子を丸める際は、勝手のわからないお客様たちに手本を見せる役割を買ってくれた。そのお陰で、お客様たちは困ることなく月見団子作りを堪能してくれたのだ。
九十九から声をかけられて、将崇はあからさまに顔を赤くする。
「こ、このくらい大したことないぞっ! でも、その、なんだ! 俺がいてよかったな!」
「うん、本当に助かったよ。ありがとう」
「褒められたって嬉しくなんかないぞ!」
「じゃあ、褒めないほうがよかったかな?」
「そんなこと言ってないだろうが。もっと讃えろ!」
天邪鬼であり正直者な将崇との会話は回りくどいが、慣れると楽しい。最初の猫かぶり愛くるしい転校生キャラも悪くはないのだが、こちらのほうが自然体で話すことができて、九十九も気兼ねしなくて済む。
「ウチからも感謝ですっ。師匠、ありがとうございます。師匠が丸めたお団子、とっても美味しかったです」
人の姿に化けている将崇の足元で、コマがピョコピョコと跳ねた。
「おま……お前は! そういうところだぞ!」
「うぅ……すみません……お礼もしないで、虫がいいですよね……」
将崇の罵倒を真面目に受け止めて、コマはシュンと項垂れている。
「誰が卑しく見返りなんて求めるかよ。そんなチンケなこと気にするな!」
悲しそうなコマを見て、将崇は動揺の色を強くした。
「本当ですか?」
「お、おう。気にするな」
「……でも、なにかお礼したほうがいいですよね。ウチにできることでしたら、がんばりますっ」
コマは気合を入れて、フンッと鼻息を鳴らしていた。その気合を踏みにじることができず、将崇は押し切られる形で「わ、わかった……」と答えている。
二人のやりとりに微笑みながら、九十九は厨房に空いた器を片づけにいった。
厨房には大きなバットに余った団子生地とあんこが並べてある。少し時間が経ってから、ラップをしたためやや表面が乾燥していた。
「お父さん、これ……」
洗い物をしている幸一に、九十九はつい話しかけてしまった。
「ああ、それ? 余りはおしるこにしようと思ってるんだ。勿体ないからね」
「おしるこ、いいかも。きっと、シロ様も喜ぶね」
「はは。たぶん、シロ様はぜんざいがいいって言うと思うよ」
婿入りしてからずっと、湯築屋の厨房を守ってきたのは幸一だ。シロの好みも把握している。もちろん、他の常連客や従業員の好みもすべて理解していた。
「お父さん、これ……」
「いいよ、少し持っていってあげて」
言おうとしたことを先取りされて、九十九は閉口した。
幸一は九十九の目の前で、生地とあんこのバットにかけられていたラップを外してくれる。少し乾燥しているけれど、水を少し混ぜれば生地は問題なさそうだ。
「シロ様、きっと食べ足りないから」
「うん!」
九十九と幸一の考えていることは同じだった。その嬉しさを感じながら、九十九は早速、残った団子生地を丸めはじめる。
シロが持っていった団子の本数は、九十九が思っていたより少なかった。
きっと、シロは物足りなく思っているだろう。
串団子を手早く三本作り、皿に載せる。
九十九はそのまま皿を持ち、立ちあがった。
「ありがとう、お父さん!」
「うん」
幸一はふんわりとした笑みで九十九を送り出してくれた。九十九は父の笑みを背に感じながら、浮いた足どりで厨房を出る。
「シロ様、おかわりのお団子ですよ」
シロがどこで飲んでいるのかわからなかったため、九十九は適当な空き室に入るなり宙に呼びかけた。
「早く来ないと食べちゃいますよ」
九十九は冗談っぽく言いながら串団子を一本持ちあげた。
すると、フッと背後に気配を感じる。串団子をつかんだ九十九の手首に、別の手が添えられた。
「我が妻は太るつもりか?」
九十九の手から串団子を奪いながら、シロは悪戯っぽく笑った。
シロの物言いに九十九は思わず、ムッと口を曲げてしまう。
「大きなお世話です。わたしだって、甘いもの好きなんです」
意地になって、皿に残っていた串団子をもう一本手に取り、そのまま口へ運んだ。余りの生地で作ったため心配していたが、杞憂のようだ。変わらず、モチモチで美味しい月見団子が楽しめた。あんこの甘さもちょうどよく、疲れを癒してくれる。
「ゆっくり食べる暇がなかったので、自分用に作っただけです」
心にも思っていないことがスラスラと口から流れ出た。まるで、将崇のようだと自分でも思う。
「儂を呼んでくれたではないか」
「まあ……一人で食べるには、量が多いので。仕方なくですよ」
そんな天邪鬼を言っている自分は、とてつもなく可愛げがないと思ってしまう。
追加の団子はシロのために作ったのに。
二人で食べるために、少し多めに用意したのは本当だけれど。
「一緒に食べましょうか」
「九十九、酒も注いでくれ」
「ほどほどにしてくださいよ……シロ様のお酒代は馬鹿にできないって、八雲さんが珍しくボヤいていました」
「善処しよう」
シロはいくら飲んでも酔わないため、気がついたらビンが何本も空いていることがある。
神様はみんな似たような体質なので、お酒の消費が激しいため湯築屋での飲食代は立派な収入源だった。だが、シロの晩酌代はすべて経費となってしまう。お客様からいただいた酒代と、シロが飲んだ酒代が相殺される恐ろしい月が存在すると、八雲が教えてくれたことがあった。
いくらなんでも飲みすぎだ。
九十九は客室の窓を開ける。
外は庭一面に敷き詰められた彼岸花の紅で埋まっていた。まるで、紅い絨毯のようだ。
頭上をみあげると、ぼんやりと温かい色を湛えるガス灯。しかし、目を凝らしてもその上に月や星は見えなかった。
「シロ様」
おもむろに、シロは九十九の隣に並び立った。きっと、意味はないと思う。なんとなく、九十九の隣に移動してきただけだろう。
「今日の月は綺麗だったんです」
聞こえるか聞こえないか、小さな声でそう言ってみた。
案の定、シロにはよく聞こえなかったみたいで、もう一度、九十九の声を聞き取ろうと耳を近づけてくる。耳打ちできてしまいそうな近さだ。
ガス灯の明かりに照らされるシロの横顔も綺麗だった。
絹糸のような白い髪が温かい色を吸って、黄色味を帯びている。琥珀色の瞳が柔らかく、宝石のようだった。
もう一度言ってみろ。そう促されて、九十九は唾を飲み込んだ。
「お月見、とても楽しかったです。やっぱり、お客様みんなで一緒になにかをするって、とても素晴らしいことだと思うんです。お団子も美味しかったですし、いろんな話をすることができました。普段の接客では、お客様とじっくり話す機会もそうそう多くないですから」
一言ずつ、ゆっくりと言葉を重ねていく。
これは説明だ。
シロに対する説明ではない。自分自身の気持ちに対する説明だと思った。
「でも、シロ様」
息を吸い込んだ。
自分が大きく息を吸い込む音も、シロが息を潜める音も、不思議なくらいよくわかった。
「今日の月は……とても綺麗だったんです。シロ様みたいだなって思いました……今日は月が綺麗だったんです」
声が震えていることを悟られまいと、九十九はシロの耳から顔を離す。そして、涙がこぼれてしまわないように、笑顔を繕った。
「いつか、一緒に見たいです」
これは九十九にとっての精一杯だった。
精一杯のわがまま。
シロと一緒に月を見る日なんて訪れない。
シロは結界の中にいて、月を見ることができない。
それでも、九十九はいつか……一緒に今日の月を見たいと思った。
「シロ様も、あの月を見てわたしと同じことを思ってくれたら、とても嬉しいと思っただけです」
I love you.は『月が綺麗ですね』。
そんな愛の告白ができるほど、奥ゆかしくなどない。これは身勝手で傲慢な感情なのだから。
でも、ただ思っただけだ。
シロと同じものを見て、同じ感想を抱いてみたい。
それが九十九にとっての『月が綺麗ですね』だった。
たったそれだけの、小さなわがまま。
「儂には……九十九の考えていることを理解するのは難しい」
シロは九十九の顔を覗くように、自分の顔を近づける。
顎に指が添えられ、視線が持ちあげられた。琥珀色の瞳は、心の中を探るようにまっすぐ、九十九の両目をとらえている。
シロは九十九のことを理解するのが難しいと言っている。
しかし、九十九にはシロの瞳がすべてを見透かしているような気がしていた。
宝石みたいに綺麗な瞳で心の奥底の深い感情まで、みんな見られているのではないかと不安になる。
そう思うと、どうしても九十九は自分の目を開けていることができなかった。ギュッと目を閉じて、震えてシロが離れてくれるのを待つばかりだ。
「だから、これ以上、儂の中まで入り込むな」
「え……?」
閉じていた目を開ける。
すでにシロは九十九から視線を逸らしていた。
「儂は九十九を――巫女を檻に閉じ込めて飼いたくなどない」
「シロ様?」
シロがなんのことを言っているのかわからない。
わからないけれど、彼が九十九から離れていこうとしていることだけはわかった。
引き止めないと。
絶対に、また逃げられちゃう。
「シロ様!」
とっさにシロの着流しをつかんだ。
「わかんないです! シロ様の言ってること、わたしにもわかんないです! 全然、理解できません!」
必死でしがみついた。シロを逃がさないように。
着流しの袖を引き寄せて、しっかりと腕をとらえ、そのままの勢いで胸倉をつかんだ。
「でも、わたしは待つって言いました! ずっとずっと、待ってます!」
たぶん、今の九十九はものすごい剣幕なのだと思う。鏡では見られないような顔をして、シロにつかみかかっているのだと思う。
シロは信じられないといった表情で、九十九を見下ろしていた。怯えて震えていたときと同じように、琥珀色の瞳が揺れている。
「檻があったら壊します! 鎖があるなら千切ります! だから!」
わたしだけを見て。
わたしだけを好きになって。
そんなわがままなんて言えない。
けれども、これだけは言ってもいいはずだ。
「だから……逃げずに、そこにいてください……」
そこにいるだけでいいから。
「逃げられると、追いかけたくなります」
待つと約束したのだ。
だったら、せめて待たせてほしい。
そう九十九が要求するのは、わがままではないはずだ。
シロは九十九から目を逸らさない。九十九もシロから目を逸らさなかった。
見つめ合うなんてものじゃない。睨み合いだ。
数秒の間、シロと睨み合う。
互いの息づかいも、鼓動も、熱もすべてが筒抜けだ。緊張して背中を汗が流れていくが、目を逸らした瞬間に、この時間は終わる。それは九十九の負けだと思えた。
「わかった」
一瞬の刻。しかし、永遠に終わらないと錯覚した刻を破ったのはシロだった。
シロは呑み込むように一言。九十九の手に自分の手を添えた。
「何処へも行かぬ」
九十九の両手から力が抜けて、ようやくシロを解放する。シロの表情から気が抜けて、ホッとしているのが伝わった。つかみかかっておいて今更だが、九十九も気が抜ける。
なんか、疲れた。
そう思った一寸あとには、崩れるように九十九の膝は脱力していた。
ヘタリと畳の上に座り込んだ九十九の肩をシロが支える。
安心してしまったようだ。身体に力が入らなくて、シロの腕にもたれるように身を預けてしまった。シロはそんな九十九を拒むこともしなかった。
今だったら、シロになにをされたって許してしまうと思う。
「疲れておるな」
シロの指が九十九の唇に触れた。震える花弁のような唇に、指が二本押し当てられる。
されるがまま、閉ざした口がこじ開けられた。
これ、このあと、どうなっちゃうのかな?
不安に思ったのは一瞬だけだった。
「はふっ」
次の数秒で、口の中で甘い味が広がっていた。
恋の味は甘酸っぱいレモンキャンディーではなく――小豆と砂糖がバランスよく調和し、もっちりとした団子を包んでいた。
「甘いものを食べると、疲れがとれるとテレビで言っていた」
弾力のある団子を一生懸命咀嚼する九十九に、シロは優しい声音のまま言った。悪気はまったくない。純粋に「九十九が疲れているから、甘いものを与えよう」と思って行動しただけだ。
九十九はモグモグと無心で口を動かす。とにかく、無心。無言。無我。
「美味いか」
「はい」
飲み込むタイミングで、もう一度、串に刺さった団子を差し出される。
九十九はなにも言わず、啄むように団子に食いついた。パクリ、モグモグ、ゴックン。一連の動作を繰り返す。
「なんか……」
「なんだ?」
二つ目の団子を飲み込んだ段階で、九十九はようやく口を開いた。
「餌付けされてる気分です」
「儂も同じことを考えておった」
やっぱり、これ餌付けだった!
シロがまったく否定しなかったので、九十九はプゥッと頬をふくらませる。そんな九十九の口元に、シロは再び団子を運ぶ。九十九は無視してやろうかと思ったが、それも癪なので、団子にガブリとかぶりついてやった。
「このまま離さぬと言ったら、どうする?」
「嫌ですよ。ずっと、お団子は飽きるので自分で他のご飯をもらいにいきます」
「望めば好きなものを与えるぞ」
「シロ様がお客様のおもてなしをしてくださるなら、どうぞ。無理でしょ?」
「……無理だな」
可愛げはないが、率直な返事をする。別に天邪鬼でもなんでもない。
そんな返事をしていたせいか、シロが苦笑いした。呆れられてしまったのだろうか。それにしては、清々しく割り切ったような表情だった。
「儂の杞憂だったな」
「なんの話ですか?」
シロは九十九の額に唇をつけた。この段になると、九十九もだいぶいつもの思考に戻ってきている。ちょっと鬱陶しく思いながら、シロの身体を押しのけようと腕に力を込めた。
「十八になる夜だ」
え?
九十九はシロからなにを言われたのか、わからなかった。
「そこで話そう」
十八になる夜?
今月の十八日? そうではないことは、なんとなくわかった。
「わたしの誕生日?」
話すって、なにを?
そう問う前に、なんとなくわかっていた。
九十九が十八歳になる誕生日――三月二十三日。
シロは九十九がずっと欲しかった答えをくれる。
ドキリと胸が高鳴って、心を覆っていた氷のようなものが、パキンと割れる気がした。
第10章は7月か8月に更新予定です。
書籍3巻は7/11発売予定です。今回も、紅木春様の超絶可愛らしくて美麗な表紙が目印となっております。最高です。
書き下ろしはいつもの倍近い分量でお届けしております。
よろしくおねがいします。




