演劇部1
五月の風が咲弥の前髪を揺らす。
午後の教室の空気はとろりと脳に絡みつく様に甘く、咲弥は頬杖の影でそっとあくびをかみ殺した。
周りを見渡してみると、完全に机に頭を落として眠りについている者も少なくない。
先日席替えをして、咲弥の前になった雄大も、机に立てた教科書の影で気持ちよさそうに昼寝をしていた。
少し前まで元気のなかった雄大だが、今日の昼休みは何かをふっ切ったような笑顔でサッカーに興じていた。
やっぱり雄大は元気な方がいい。
咲弥は、微かに規則正しく上下する雄大の背を眺めながら、そう思った。
結局雄大は授業どころか、担任のショートホームルームが終わっても目を覚まさなかった。
これはお腹が減るまで起きないな。
周りが下校の準備で騒がしいのに、ぴくりとも動かないその背中を見て、咲弥が雄大を起こそうと腰を浮かせかけた時だった。
「おーまーえーいつまで寝てるつもりだー」
ゆらりと雄大の机の前に立った黒澤が、その名の通り黒いオーラを揺らめかせながら地の底から響いてくるような低い声を出した。
それは決して大きな声ではなかったのだが。
その冷気に反応したのか、一回びくっと大きく背を揺らして、雄大がゆっくりと頭を上げた。
「んー? あれえ? なに? もう帰りの時間?」
きょろきょろと周りを見回して寝ぼけた声を上げる雄大の小振りな頭を、黒澤の大きな手ががっしりと掴む。
「いてててっ。なにすんだよっ。黒澤!」
「お前ー。あれほど口を酸っぱくして言ってるのに、まだ演劇部に行ってないそうだなー」
「ちょっ。離せよっ。いてーだろ!?」
「うるせー。あれほど実行委員の俺に迷惑かけんじゃねえって言っただろうが。俺は光晴ほど甘くねーからな」
「なんなんだよっ。どうせ入んねーんだから、行かなくたっておんなじじゃねーかっ」
頭をがっしり掴む大きな手と格闘しながら、雄大が果敢に抵抗しているが。
どう見ても敵うはずない光景に、咲弥は軽くため息をついた。
「黒澤。俺が連れていくから、放してやって」
咲弥が雄大の体越しに声をかけると、黒澤はひょいと片眉を上げた。
「本気かよ」
「いいんだ。雄大には借りがあるから。ほら、雄大。一緒に行こう?」
やっと黒澤の手から解放されて振り返った雄大は、頭を押さえながら涙目で咲弥を見つめた。
「けどさぁ」
咲弥の言葉に、情けなく眉を下げる雄大は、まるで捨てられた子犬みたいだ。
「ルールは守らなきゃ。行って、入る気がないって伝えてみようよ。もしかしたらそれで許してもらえるかもしれないよ?」
諭すような咲弥の言葉に、雄大は瞳をウルウルさせながらも渋々頷いた。
「わかった。咲弥が行ってくれるなら、俺行く」
まるで子供のような雄大に、黒澤が呆れたようなため息をつく。
「悪いな山田」
「いいよ。任せて」
咲弥はにっこり笑って、早速雄大の腕を確保した。
咲弥が雄大と肩を並べて廊下に出ると、おそらく咲弥を待っていたのであろう数人の女の子が、明らかにがっかりとした表情を浮かべた。
一応拒否はするものの、女の子に対して甘い咲弥とちがい、咲弥の周りにいる男子はガードが固い。
中でも雄大は女嫌いなのかと思うほど、女子に対して手厳しい。
先日、咲弥の女装に暴走した女子生徒を全員正座させて反省文を書かせた時も、普段の彼からは想像できない冷酷な言動と表情に、女子一同震え上がったという。
そんな魔王雄大の存在に躊躇する集団を、見ない振りをして通り過ぎようとした咲弥の元に、一人の女の子が必死の形相で駆け寄った。
「あ、あの咲弥さま。このクッキー……」
彼女が胸の前で両手でぎゅっと握りしめた可愛らしい包みを、果敢に咲弥に押しつけようとした時。
「受け取らねえって言ってるだろ。学習しねー女だな」
女の子から咲弥を庇うようにその背に手を回し、雄大が吐き捨てるように言う。
その言葉に真っ青になって涙を浮かべる女の子を一切気にかけることなく、雄大は戸惑う咲弥の背中を押して歩きだした。
「まだあんなこと許してんの?」
「あんなって?」
「贈り物とかさ、断れって言われてるだろ? お前がいい顔して受け取ったりするからあいつら全然懲りてないじゃん。忘れたの? 女装事件のこと」
「……女装って言うなよ。忘れてないよ」
「じゃあちゃんと断れよ。あいつら食いもんなら構わねーと思ってるみたいだけど、結局捨てるだけになるんだから」
「うん。ごめん」
「まさか食べたりしてねーだろうな?」
「まさか。ありさに注意されてるし、甘いものは得意じゃないから」
「じゃあ断れ」
「……うん」
咲弥はそう返事したものの、実際彼女たちをきっぱり切り捨てる自信はさっぱりなかった。
さっきの女の子も、悩んだ末に一大決心をして咲弥に声をかけたのかも知れないのだ。
ごめんね、と言って引きさがってくれるならいいけれど、悲愴な顔で食い下がられれば、咲弥はどうしていいか分からない。
挙句の果てに泣かれてしまえば、受け取れば気が済むのならもう受け取ってしまおうか、と考えてしまうのだ。
だから突撃をする女の子たちは後を絶たないのだと、雄大たちには口を酸っぱくして言われるのだけれど。
しゅんと俯いた咲弥の内心を見透かすように、雄大はため息をつく。
「それができねえなら一人で歩くなよ」
「……分かった」
教室とは形勢逆転。
雄大の言葉に、咲弥は神妙な顔で頷いた。




