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パーティーに向けて

 誰かの吐息が顔にあたってくすぐったい。それにちょっと暑いな。あ…なんか右腕が痺れてる。寝相悪くて寝違えたかな?

 目を開けて気になる右腕を見た。

「ぬぅわっ!…ブレ、ブレイブ?!」

 寝起きではっきりしない頭をフル回転させて今の状況について考えた。冷静になってよく見ると、隣に眠っていたのはまだ幼さが残る顔だった。

「なぁんだ、ムゼットか……」

 でも何で右手が痺れてるんだろ?もしかしてムゼットに踏まれてるんじゃ…。自分の手をよく見てみると、右腕関節辺りに想像通りの男の頭が乗っている。

「ああ、そっか…。腕枕してたからか。道理で腕が痺れるわけだ」

 腕立て伏せとかやって、もう少し筋肉を増やさないとな。

「って、違ーーう!!」

 何で俺が腕枕なんてしてるんだ!?こんなことした覚えはないのに…。そもそもつっこむべきとこはそこじゃなくて、何で俺の隣に寝てるのかってところだろ!!

「うぅ…ん?うるさいよ…」

「あ、悪ぃ……」

 俺ってつい大声出しちゃうからなぁ。ちゃんと時や場所を注意しないと。

「…じゃ、ねぇーーー!!」

 言うと同時に起き上がり、腕枕をしていた腕を引っこ抜いた。落ちた頭から痛いという声が呟いたように聞こえたけれど、そんなことはどうでもいい。

「ひどいじゃないかぁ。せっかくいい気持ちで寝てたのに…」

 ひどいのはどっちだ?どうせ寝るなら違う場所で寝ろ!

「何の嫌がらせだ!用がないなら俺の部屋に来んなよ!」

 夜這いならぬ朝這いか?…こんな考えに行き着く俺も俺で問題だけど。

「用ならちゃんとあるよ~。ただちょっと一休みしようと思って寝てただけじゃん。…枕がなかったから腕を借りてたけど」

 俺の寝相が悪いせいか、枕はベッドからずり落ちていた。それに気づかれないように、あわてて拾い上げてベッドの上にもどした。

「お前っ……コホン、よ、用ってなんだよ?」

 ここで言い合ったところで余計に気力を使うだけだ。冷静に平静に。

「ん?ん~と、どこにしまったかなぁ…っと。あ、あった」

 ムゼットの洋服の内側に入っていたらしい手紙のようなものは、少し端が折れていた。原因はこいつの一休みのせいといったところか。

「はい、これ」

 スッと差し出されても、俺には手紙のやり取りをするような相手は地上にはいない。いかにも上質ですと言わんばかりのそれは、宛名がちゃんと俺の名前になっている。どうやら間違って出したのではないらしい。

「…おう」

 受け取ったのはいいけれど、誰から届いたのかわからなければ、当然封を切る気にもなれない。最近流行りのナントカ詐欺ってヤツかもしれないし。

「開け方わかんないの?えっとね、ここの紙を」

「それくらいわかる!!」

 叫んだ勢いのまま乱暴に封を切ると、中には二つ折りにされた一枚の真っ白な紙が入っていた。その紙を開くと丁寧な文字でこう書かれていた。


―――今宵の私の誕生パーティーへの御出席、心よりお待ちしております―――


「こ、これ…」

 もしかして、いや、もしかしなくても招待状…?

「ブレイブがぜひ君にも出席してほしいってさ。どうせ渡すなら昨日渡せばいいのにね」

 ムゼットが何か言っているようだが、その言葉は俺に耳には届かない。それほどびっくりしていたが、しばらくして、ふとある疑問が頭に浮かぶ。

「何で昨日の時に渡さなかったんだ?」

 昨日…正式に言えば今日だけど、プレゼントをあげた時に渡せば、わざわざ今日こいつを使ってまで渡さなくてもよかったのに。

「照れ臭かったんじゃない?君は彼にとってイレギュラーなタイプの友達だからね」

 イレギュラー?ブレイブの友達って一体どんな奴なんだろう?それにしても、ブレイブも照れ臭いなんて思うこともあるんだな。

「ま、とりあえずこれで君も参加資格をゲットしたね」

 参加資格…か。たぶんこの招待状のことだよな。

王子相手だとパーティーに行くのも資格がないとダメなのか。改めて存在の凄みを思い知った。

「…ありがとな」

「礼ならブレイブに言いなよ。んじゃね」

 そっか、そうだよな。あとでブレイブに言っとこう。それより、パーティーなんて初めてだな。プレゼントは昨日あげたからもういいよな。場所はこの城だろ。時間は…。

 さっきの手紙をもう一度広げた。

時間は今日の午後5時からか。今のうちにいろいろと準備するか。えっと…服はどうしようかな?

 あ、服…。

「……俺、礼服一枚も持ってねぇよ」

 男物の服は少ないながら何枚か貰っていた。新品を用意すると言ってくれたが、さすがにそれは悪い気がしたので、この城にあるものでいいと頼んだら、ブレイブのお下がり物になったのだ。あいにくその中には礼服は含まれていなかった。もう頼みの綱は今部屋を出ていったあいつしかいない。あんまり気が進まないけど。けど、今さらだから気の持ちようはさすがに妥協しなくてはいけない。あわてて後を追いかけた。

 部屋を出ると、ちょうどムゼットは角を曲がるところだった。大声で呼べばすぐに立ち止まってくれるだろうが、今日は誕生パーティーがある。もしかしたらもうすでにブレイブの知り合いがここに来ているかもしれない。そうすれば当然恥をかくのはブレイブ。

 結局そのまま走ることにした。ムゼットが曲がったであろう角を曲がると長い廊下が続いていた。そこに目的の人物の姿は…ない!

「どこ行ったんだ?」

 離れていた距離を考えると廊下の向こう側まで行ったわけではなさそうだ。ということは…。今さっき曲がってきた角から長く続いた廊下の角までのどこかにいるってことだよな。いそうなところは、目の前にあるアンティーク調の扉。しかしそれは向かい合うように並んでいる。どうやら一部屋ずつ当たっていくしかなさそうだ。たしかこの辺は客室だったような気がする。でも誰も出入りするところは見たことないし、おそらくここは誰も泊まっていないのだろう。

 やっぱり素直にブレイブから借りるべきなのか?いや、でもパーティーの主役に服借りるって普通に考えておかしいよな。それに、悔しいけどサイズ絶対に合わねぇし。…選択肢はないな。

 そのためにも、まずはこの扉どうにかしないと。誰も出入りするところを見たことがないといっても、誰かが休憩室として使っている可能性だってある。けれど人の話し声はおろか、物音一つしない。

 まさかムゼットの奴、俺が探してるのを知ってて、隠れていやがるのか?…あいつならありうる話だ。

「おぉい、ムゼット」

―――ガチャリ

 一番目の扉を開けた。中にはテーブルとイス、ベッドなど自分のいまいる部屋とさほど変わりないものが置かれてある。よく見渡してみても誰もいない。もちろんベッドの下、トイレの中にもだ。二番目、三番目も同じだった。

 このまま見つけられないままパーティーが始まったらどうしよう。最終手段(魔術師)に頼むのだけは何としても避けたいし…。万一頼んだとしても、これはサイズを測っているだけで、決してセクシャルハラスメントではありませんよ、とか言って絶対変なことされるに決まっている。

 もうやめよう。あれこれ考えるのもこの最後の部屋を確かめてからにしよう。悩むのはそれからだ。

最後の部屋もやっぱり人のいる気配はしない。半ば諦めかけて扉を開けた。

「だぁれもいないよな…」

 ため息を吐きながら部屋をぐるりと見ると、ベッドの上に荷物が置いてあることに気がついた。無造作に放ってあるワイシャツ、真っ黒な縁の眼鏡はムゼットのものなのだろうか。眼鏡をかけている姿なんて一度も見たことはない。そもそも目が悪いなんて言っていなかった。試しにかけてみたら確かにレンズが入っている。まさか…!

 耳を澄ますと微かに水の流れる音がする。俺の他に、誰かこの部屋にいる。だが、それはおそらく俺の探し人ではない。早くここから出ないと!

「あっれぇ?アズールじゃん。どしたの、こんなとこで」

 …いたー!!

「ん?誰だい、その子は?」

 なんか違うのまで出てきた…。俺は反射的にコンプレックスの片目を髪の毛で隠した。

 見知らぬ男は首にかけたタオルで濡れそぼった髪を拭きながらこちらに向かってくる。シャワーでも浴びていたのだろう。上半身は何も身につけておらず、綺麗に割れた筋肉がタオルから見え隠れしている。正直少しうらやましい。

「この子はアズールだよ。僕のお友達」

 そうなんだ、と相槌を打ちながら俺の隣をスッと通り過ぎる。ふわりとコロンのような甘い香りが鼻腔をくすぐった。相手が男だとわかっているのに、その香りに思わずうっとりとしてしまう。はっと振り返った時には、彼はベッドに置いてあるシャツに手をかけているところだった。

「私はラファエル=アリストクレイシー。悪いね、こんな姿で挨拶だなんて…」

 ハハ…と苦笑しながらも、その振る舞いはなぜか様になっていた。同じ男なのにこんなおと思うのはおかしいかもしれないが、…すごくエロい。本人はそんなつもりはないのだろうが、濡れて首に張り付いている透き通るような金の髪、少し垂れ目がちな目、落ち着いた物腰がそれを醸し出していた。

「ん?どうかしたかい?」

 にこりと笑い首をかしげる仕草は大人らしい余裕あるものだ。なんだか緊張してしまう。

「いえ、とても綺麗だなー…と」

 あ、やべ…。急に話しかけてくるから、つい思ってること言っちまった。男が綺麗とか言われても、普通嬉しくないよなぁ。

「す、すいません。えと、そういう意味じゃなくて、あの…」

「ハハハ、ありがとう。君も綺麗…というよりかわいいね。顔の半分を髪で隠してるのはもったいないよ」

 ラファエルの白い指がつぅっ…と額から頬にかけて滑り落ちる。そのおかげでせっかく片目を隠していか髪を払いのけられた。

 まただ。また、昔みたいに気持ち悪いって言われる。父も母も姉も皆黄色の瞳だから、一人だけ片目が青だと変だって冷たく笑われるんだ。人魚という種族に青い目なんて存在するわけがないのだから。そのせいで、いつも一筋縄では受け入れられることがなかった。母以外に初めて受け入れられたのが、危険だといわれる種族の人間。なのに人魚は皆、中身を知らぬまま全てを嫌っていた。まるで昔の俺がされていたように。

「思った通りだ。随分といいモノを持っているね」

 俺の露になった顔を見るや否や、一瞬目を見開いた後、スゥッと細めた。

「もっと近くで見せてくれよ」

 やっぱり人間は優しい。普通と違うとか、見た目が変だとかを気にしない生物だ。…人間になった方がきっと幸せなんだろうなぁ。もう、いっそのことそうしちゃおうかな?

 考えごとをしている間に、肩口をつかみ寄せられていた。その行動の意味がわからず、そっと相手の表情(かお)(うかが)おうとすると自然とそうなってしまうのだ。

 口元はにこやかだが、目は笑っていない。それを確認する間にもどんどん俺達の距離は縮まっていく。俺は射止められたように、セルリアンブルーの瞳を見つめたまま動けなかった。

「はい、ストップ」

 止めてくれたのは意外にもムゼットだった。

「いくら手が早いからって、僕のお友達に手を出ないでくれるかな?」

 ぶんっ、と 俺達の間に制止を意とする手を降り下ろした。

「ねぇ、貴公子サン?」

 その目は鋭いものだ。いつものハイな笑顔はどうしたというのか。

 怖えぇ~…。いつもヘラヘラしてるだけだと思っていたけど、こうやって怒ることもあるんだな。このドンとした構え…、やっぱりコイツにも王家の血が流れてるってことか。

「フッ…。騎士(ナイト)がいたんじゃガードは堅そうだね」

「言ったはずだけど?ただのお友達だ…って」

 二人ともにこやかに話してはいるが…何だ、この不穏な空気は?!

「なるほど。じゃあまだチャンスはあるってことだ」

 シャツに着替えてストンとベッドに腰を下ろした金髪は、眼鏡を広げたり折り畳んだりという行動を繰り返している。

「お生憎様(あいにくさま)それは(キング)が黙っちゃいないよ」

 それを聞いたラファエルは、なるほどね…と呟いて、意味ありげな笑みを一瞬浮かべて から立ち上がり、俺の方へ向き直った。先程の気味の悪い笑みはなく、そこにあったのは優しい微笑みだった。

「じゃあまた。パーティーでね」

 ラファエルが何か言おうとしていたけれど、ムゼットがそれを遮って別れの挨拶をし、俺の手を引いてその部屋を後にした。強めに握られていたので手が少し痛む。が、自分の少し前を歩く背中が何だか怒っているように見えたので何も言えなかった。いつもなら陽気に話でもしながら歩く廊下を無言で歩いていたせいか、妙に長い間歩いている気がする。すれ違うメイドにも声をかけず、ただ目的の場所へと歩くこの男に話しかけることなんてできなかった。

 手が離されたのはある部屋に入ってからだった。

「何であんなところに来たの?」

 やや苛立った風に問い詰められ、やっと思いついた話題を口にするわけにもいかず、素直に答えた。

「…お前に頼みたいことがあったんだよ」

 何だか照れ臭くてふい、と視線を逸らした。どうも人にものを頼むのは恥ずかしい。

「だからってわざわざあんな奴のところにまで来ることないじゃん!」

 そんなに俺に来てほしくなかったのかよ。そりゃそうだよな。友達の友達が友達なわけないもんな。仲良く話している中に割って入られたら誰だって気を悪くするよな。

「そんなに怒ることねぇだろ?お前らの邪魔するつもりなんてなかったんだしさ」

「それ、本気で言ってんの?」

 俺が言ったことに心底嫌そうな顔をしてため息をついた。

「あのねぇ、僕があそこにいたのはエメルダに手を出すなって忠告しに行っただけ。僕アイツ嫌い」

 意外だ。男も女も関係なく、誰とでも仲良く接していると思っていたのに。しかもあんなに綺麗で優しそうなのに、嫌いだなんてどういうことなんだろう。それにエメルダちゃんはすでに婚約しているから簡単に手を出せないと思うし。

「ラファエル…だったっけ?いい奴そうだと思ったんだけどなぁ」

 嫉妬でもしてるのか?まあ、あの容姿じゃ無理ないよな。俺なんか嫉妬を通り越して尊敬の域に入っている。

「アズールは知らないんだよね。アイツが何て言われてるか…」

 呆れたように窓の外に視線をやるムゼット。何もかも知っていたら、俺だって最初から関わらなかった……部屋に入らなかったかもしれない。

「あ?ああ…」

 もしかしてあんまりいい噂されてないのかな?

「狙った獲物は必ず落とす。節操なしの両刀(バイ)野郎。寝室の貴公子」

「し、寝室の貴公子!?」

 言葉の意味をそのまま捉えたら“そういう意味”になるけど…。そんなことするような人には見えない。あの気さくな態度を見たらとてもそうとは思えない。

「大丈夫だって!俺、男だしさ」

 もしかしたらプレイボーイなだけかもしれない。ムゼットと同じようにただの女好きなだけだろう。どうせ夜になったら男に戻るんだし、今度会うときは昼間会わなきゃ大丈夫ってことだよな。

「だからぁ、アイツは男でもヤれるの。男でもヤるの!言ってる意味、わかる?」

 自分の耳を疑いたくなってきた。

「や、やるって、“殺る”とかの間違いじゃないよなー…?

 この会話の流れでどのような意味かはわかっていた。だけど信じられないせいで発してしまった自分の言葉でさらに核心に迫ってしまった。

「それはそれで問題だよ。よかったらゴムあげようか?色んな意味で万が一もしもの時のためにさ」

「おっ、お前なーっ……!!」

 まさか魔術師みたいな奴が地上にもいたなんて…。別に軽蔑はしないけど、ちょっともったいない気がする。

「まー俺がどうということはないから。忠告さんきゅ」

 コイツにしては気が利くな。とりあえずエメルダちゃんを守ることを頭の隅に置いておこう。あのキラキラしたオーラで迫られたら、ほぼイチコロに落ちるだろう。でもエメルダちゃんには悔しいけどブレイブがいるから大丈夫かな。

「ほんっと、なーんにもわかってないんだね。君、ラファエルに目ぇつけられたっていうのに…」

「え゛!?」

 今の言葉、聞き間違いじゃないよな?耳は人よりかはいい方だし。嘘だろ…?

「それより頼みたいことって?」

 って気になること言っておいて話をそらすって、わざとか?わざとなのか?聞きたいけど、このタイミング逃したら頼み辛くなりそうだ。ここは我慢、我慢…。

「あ、えぇと…。パーティー用の服のことなんだけど」

 そこまで言いかけると、ああ、よ納得したかのように感嘆の声をあげた。そして俺の心の中を全て見通したのか、おもむろにクローゼットを開いた。戸の影で中の全ては見えないが、黒のタキシードやゆったりとした部屋着、いつ着るのかわからない奇抜な装飾が施された服などが入っていた。サイズはそんなに変わりはないはずだから、あまり文句は言わないようにしよう。一応借りる身だしな。

「ちゃんと準備してあるんだよ、ほら!」

 ひとつハンガーを取り、その上にかかっていたホコリ除けのの白い袋を取っていく。しだいに露わになっていくそれを見て唖然とした。たしかにパーティーに着ていくにはふさわしいだろう。派手すぎず、かといって地味すぎない。服のことはよくわからないが、大体こんなものだろう。今夜着ていくにはちょうどいい。……俺が女ならば。

 淡いブルーのドレスは身体にぴたりとフィットしそうな細身のつくりで、背中の部分はなぜか無駄に大きく開いている。丈はいつもより長いし、この細身のつくりのせいで動きがかなり制限されるのが容易に想像できる。

 俺は顔を思い切り歪めて精一杯嫌そうな表情を作ったが、伝わらなかったみたいだ。にこにこと笑みを浮かべ俺にドレスをあてがっている。

「サイズは大丈夫そうだね。…ま、寝てる時に測ったから当然だけど」

 最後に何かぼそりと言ったような気がしたが聞き返しても、気のせいだ、と言ってはぐらかされた。

「さ、早く試着して!」

「おい、俺は…!」

 話くらいは最後まで聞いてほしいものだ。ドレスと共に洗面所へ押し込まれてしまった。今は一応女の姿だから気を遣ったんだろう。どうせ遣うなら、着替えの時ではなく着るものに遣ってほしいくらいだ。

 俺は洗面所の鍵がかかっていることを確認してから着替え始めた。

 もともと男だから女物の服を着るのは最初はかなり抵抗があった。だが今はどうだろう。それが普通になっているせいか、もう何も思わなくなってしまった。夜には男に戻るといえど、この心持ちが心配になる。そのうちオカマに…。ないない!それだけは絶対にない!さっさとこれを着てしまおう。

 身につけているものを全て取り払い、カゴの中に置いたブルーのドレスを手に取る。ふと、鏡に映った自分の姿が気になり、そちらに目をやった。腰まで伸びた茶色の髪、青と黄のオッドアイ。身体は丸みを帯びており、胸は膨らんでいて陰部は割れている。

 最初はすごく興奮した。本来そのような関係にならなけらば見られない部分が簡単に見られるのだ。それに普段はこんな体験ができないから少し楽しかった。すぐに戻れると思っていたから。なのに…。

「まだ~?手伝おっか?」

 外から子供のように問う声が聞こえる。

「いらん」

 俺はあわててドレスを身につけた。そこではっと気がつく。

 おいおい、何でドレスなんて着てんだ?俺が頼みに来たのは燕尾服やタキシード…とりあえず男物の礼服だ。

「おい!俺が借りたいのは…」

 叫んだ勢いにドアを荒々しく開ける。

「まあ、やっぱり私が思った通り!素敵ですわ」

「え、エメルダちゃん!?」

 何でここに…。

「うん。エメルダには及ばないけどね」

「ふふ、おだてても何も出ないわよ?」

 俺はササッと動き、部屋の隅へとムゼットを引っ張った。されるがままといった風だったので簡単に誘導できた。

「どーいうことだよ?何でエメルダちゃんがこんなところに…」

 ひそひそとなるだけ小声で問いかける。

「こんなところとは失礼だなぁ~。僕の部屋なのに」

「んなこと聞いて……って、お前の部屋ぁ?!」

 あ…つい大きな声が。せっかう小声で話していた意味がない。エメルダちゃんもこちらに気づいてしまった。

「どうかなさったの?」

「いいぃえっ!!何も…」

 そう、と笑って彼女は部屋をきょろきょろ見渡していた。俺も彼女を追うように足を運ぶ。

 あの性格からは想像できないほどすっきりとしている。ただ遊びに来ている居候だからかもしれないが、それでももっとこうごちゃごちゃと何かがあるイメージだった。

「あら、この人形…ブレイブそっくり」

 エメルダちゃんが手に取っていたのは先日のあの人形だった。見間違えるはずがない。なぜなら…やっぱりそうだ。ズボンがもっこりしている。

「何だかズボンがきつそう」

 そう言いながら何も知らない彼女はズボンに手をかけた。

 ダメだ!!あの下には男性特有のアレがついている。しかもそれは本物と大きさ、色がさして変わりない。それをこの清純な女の子に晒し出すことは…何としてでも防がねば!!

「うぅん…なかなか取れませんわね」

 どうやらズボンのベルトに手こずっているようだ。できればそのまま諦めてほしいけれど、一度気になったものだ。そう簡単には諦めないだろう。

「おい!どうすんだよ、アレ!!」

 俺はすぐさまムゼットの知恵を借りることにした。大体責任はあんなものを作らせた奴にある。

「え…?って、うわ!それ返して!!」

 やっと事態に気づいたらしい。だが人間返せと言われたら逆に返したくなくなるもので。それは男女問わず同じのようである。

「あとちょっとだから。あ…さては何か隠しているのね?」

 ……あながち間違ってはいない。正式に言うと隠しているではなく、しまっているだけど。なんて思う余裕がまだあったのかと、ため息混じりに思わず苦笑してしまう。

 エメルダちゃんはというと人形を抱えて部屋の入り口の方へと走っていくところのようだった。俺は一番入り口に近いかったのに、先ほど気を抜いてしまったのとドレスのせいとでいつもより動きがにぶくなっていた。そのことを忘れていて、人形をつかもうとした手がつかんだものは何もない宙。その間にも彼女は扉の前へと向かっていく。ベルトはもう、穴にかかっているフックを取れてしまったようで、あとはバンドを引っ張れば完全に取れてしまう。

 もうダメだ。終わった…。俺達は真っ白な汚れなきものに黒き染みをつけてしまうのだ。

 そう思った時だった。

「はぁ…探したぞ、エメルダ。何たってムゼットのところに…」

「「「ブレイブ!!」」」

 一斉に名前を呼ばれ振り向かれたので、本人は何だか戸惑っているみたいだった。しかしちょうどいいところに現れてくれた。もう頼めるのはこの男しかいない。どうやらムゼットも同じことを考えていたらしく、いつの間にか自分の前に立って息を荒げながら先に口を開いた。

「ブレ…ィブ、…ッその人形を……」

「ん?これか?」

 皆まで言う前にスルリと人形を取り上げてくれた。その衝撃か否か、カシャンという硬い金属製のような音がした。何だか心当たりあるか気がしたが、念のために音源に目をやる。

 …ああ、想像通りだな。

「……何だ、これは?」

 隠すものが何もなくなったソレはずるりと剥き出しになっているはずだろう。こちら側からでは後ろ姿しか確認できないが、すぐにそう悟った。

「何が隠してあったの?」

 すずいと例の人形に近づくエメルダちゃん。しかしさすがに空気を読んだのか、一つ咳払いをして遠巻きにこう答えた。

「人間と同じ、普通の…下着だ」

「や、やだ、私ったら……」

 ほんのり頬を朱に染めてそこに手をやる様子までかわいく見えてしまう。それにしてもブレイブもうまく言ったものだ。

「あの、ごめんなさい。私そんなつもりじゃ……」

 やはりアレは隠して正解だったようだ。パンツを連想してこれじゃあ、きっとアレを見れば失神していただろう。

「そんなことはわかってるって」

 その言葉を放った後に何を言えばいいのかわからなくなる。なんとかこの場をフォローしないと!このままだと会話が途切れて気まずい空気になってしまう。そうなればエメルダちゃんがかわいそうだ。

 そう思ってあれこれと考えてはみたが、ついには会話が途切れてしまった。しばらく予想通りの気まずい沈黙が続く。

「あっ、そうだわ!」

 沈黙を打ち破ったのはエメルダちゃんだった。

「わ、私、用事を思い出しましたの!で、ではっ!!」

「エメルダッ……!」

 彼女に用があって来たはずのブレイブの声が虚しく室内に響いた。一連の事故に巻き込まれた彼に哀れみの目をやると、体が小刻みに震えているのがわかった。それは寒さや恐ろしさからのものではないことは馬鹿でもわかる。その顔に刻み込まれた眉間のシワを見れば。

「これは何なんだ?」

 ブレイブは事件の発端の人形をずいと突き出し仁王立ちをしている。お調子者は珍しくしどろもどろになって目があちらこちらへ泳いでいた。

「えと……に、人形です」

「俺がそんなこと聞いているわけないとわかっているな?」

 お気の毒様としか言いようがないな。さすがにコイツも今回はこってり絞られるだろう。ざまあみろ。さて、俺はとっとと着替えて部屋に戻るか。

 ……ん?待てよ?

「お前、結局服くれねぇのかよ!!」

 しおれた男の胸ぐらをつかみ、前後にぶんぶんと激しく揺さぶった。

「…もうそれでいいじゃん。ねぇ?ブレイブ?」

 なぜそこで話を振るんだ!どうせ話を逸らすためだろうが、これじゃあせっかくブレイブにバレないように頼みに来た意味がなくなるだろが!!

はたとブレイブを見ると、先程までのシワは消え去り、驚いたように目を見開いている。うっすら開いた唇からはわずかな声で、あ……とさえ漏らした。

 今まで俺がこれを着ていることに気づいてなかったのか?うぅ、…そんなにまじまじ見られてもなあ…。いっそのこと笑って受け流してくれた方が気が楽だ。

「……男物じゃなくて大丈夫なのか?」

 はい、よくぞ言ってくれました。できればそれをそのままムゼットに言って怒ってやってください。

「いや、俺は…「うん、似合ってるし問題ナッシングだよ!ブレイブもそー思うよね?」

 なぜお前が答えるっ!?

「え…と。まあ、そうだな……。とりあえず男物も用意しないといけないな」

 あ……。なんかちゃんとした意見聞けなかったな。似合っているかいないか、はっきり言ってほしかったな。…って、いかんいかん。俺は何を考えているんだっ!俺がほしいのはパーティー用の服であって、ブレイブの賞賛の言葉じゃない。にしても、いい加減この格好恥ずかしくなってきたな。もう着替えてもいいよな?

「はいは~い。ちょっと1コだけいい?」

 ムゼットの意味ありげな言い方に、洗面所へ行こうとしていた俺は足を止めて、そのまま続く言葉を待った。

「仮に男物を用意するとしても、女の子がそれを着てたら変じゃない?今の時期だと女の子でいる時間の方が長いだろうし」

 あ、そっか!忘れてたけど夏は日没が遅いんだ。たしか今は7時頃に暗くなるからそれまで俺は女の子なんだ。パーティーの開始時刻は午後5時。これは妥協せざるを得ないようだ。

「……わかったよ。けど」

「大丈夫大丈夫。タキシードはちゃんと準備するから」

 …イマイチ信用に欠けるな。ふい、とブレイブに視線を移すと、ニッと笑顔を向けられる。

「心配するな。これにはちゃんと言っておく」

 まさかそんな顔をされると思ってもみなかった。思わず目を逸らし、おう、という軽い返事しか言えなかった。

「ひどっ!ついに“これ”呼ばわり」

「言われて当然。俺、もう着替えるから」

「なら、俺もそろそろ部屋に戻るか。あいつのフォローもしないといけないしな」

 あいつ…、エメルダちゃんのことだよな。ま、たしかにこの部屋を出る時に言った、用事とは嘘だろうから、何かしら言ってあげた方がいいんだろう。けど、どうしてこんなにイライラするんだ?エメルダちゃんのことを考えたら、そうするのが一番いいってわかるのに。

 エメルダちゃんのことは好きだ。ブレイブもいい奴だから好きだ。なら、何で好きなもの二つが一緒になったらイライラになるんだ?

 こんな足し算、海底でも習わなかった。

「じゃあ、また後で」

 それだけ言うと洗面所へ逃げた。

 パーティーだからといって浮かれていたのか。感情の浮き沈みが激しくなっていたのか。

 …急に笑ったブレイブが悪ぃんだ。あいつのせいで調子が狂ったんだ。きっとそうだ。うん、そういうことにしよう。

 考えながらだとあっという間に着替えが終わってしまった。外からはまだかまだかという大きな子どもの声がうるさい。ドレスを抱えて洗面所を出ると、俺をまじまじ見てクスリと笑う青年。

「何だよ?」

「ボタン、掛け違えてるよ」

 右にボタンが2つ余っている。俺の調子は本当に狂っていた。

アズール君に目をつけるキャラがいてもいいんじゃないかと思いまして、新キャラ出しました。話が進まないからではありません、…ええ、決して。

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