第一回 お花畑王子の婚約破棄
株式会社アイナール王国
王立貴族学院・卒業パーティー会場
煌びやかな衣装を身にまとった令息令嬢たちが、楽しげに談笑していた。
会場には優雅な音楽が流れ、色とりどりの料理が並ぶ。
誰もが、学院生活最後の夜を楽しんでいた。
――その時。
コツ、コツ、コツ。
静かな靴音が、会場に響いた。
一人の青年が、ゆっくりと壇上へ向かって歩いていく。
その姿を見た令息令嬢たちの表情が、少しずつ変わっていった。
彼の名を知らない者など、この会場にはいない。
アイナール王国第一王子。
ルピナス・ド・アイナール。
次代の国王として生まれ、そして育てられた青年だった。
ルピナスは壇上へ上がると、会場を見渡した。
そして、大きく息を吸い込む。
「みなのもの、話を聞いてほしい!」
その声が響いた瞬間。
演奏が止まった。
令息たちの談笑も止まり、令嬢たちの笑い声も消える。
ざわめいていた会場が、静寂に包まれていく。
誰もが壇上のルピナスを見つめていた。
第一王子が、この卒業パーティーで何を語るのか。
期待する者。
不安そうに見つめる者。
そして――何かを察したように、顔をしかめる者。
様々な視線が集まる中。
ルピナスは、胸を張った。
「僕は――」
その瞬間。
この国の未来を大きく変えることになる、第一王子の言葉が始まった。
みなが静まったことを確認すると、ルピナス殿下は一人の女性に手招きをする。
「おい、あれって……」
「例の男爵令嬢……」
「しっー!余計な事は言わない」
会場が少しざわつく。
そんなこと、お構いなしにルピナス殿下は、男爵令嬢を隣に立たせる。
「皆に伝えたいことがあります!ルピナス・ド・アイナールは父国王の名の下に、フランチェスカとの婚約破棄を宣言する。さらに隣にいる、ミモザ・ポポロと婚約することを発表する。そして2人でこの国をさらに豊かに、人々が笑い合い、幸せを体感できる良い国にすると約束する!」
一瞬の静寂。
そして、割れんばかりの拍手と嘲笑が会場を埋め尽くす。
「パリン」
会場に、ガラスの割れる音が響いた。
「あっ……」
先ほどまで騒がしかった会場が、今度こそ完全に静まり返る。
ほとんどの者が、音のした方へ視線を向けた。
そこには、一人の令嬢が立っていた。
手元には、砕けたグラス。
そして――
笑顔を貼り付けたまま、壇上のルピナス殿下をじっと見つめている。
「フランチェスカ様……」
隣にいた令嬢が、恐る恐る声をかける。
フランチェスカ・フォン・ツメヨレ公爵令嬢。
この国で知らぬ者はいない、第一王子ルピナスの婚約者。
その顔には、怒りも悲しみも浮かんでいなかった。
ただ、笑っていた。
「……ちょっと、殿下とお話してきますわ」
静かな声だった。
フランチェスカは割れたグラスを気にする様子もなく、ドレスの裾を整える。
そして、いつもの優雅な足取りで歩き始めた。
一歩。
また一歩。
壇上へ。
ルピナスと、その隣に立つ男爵令嬢――ミモザ・ポポロの元へ。
誰も、声をかけられなかった。
ただ、彼女が歩く音だけが、妙に大きく会場へ響いていた。
「殿下」
少し離れたところから、フランチェスカが声をかける。
「あ、あ、えっと……フラ……じゃないや。ツメヨレ公爵令嬢……だ。今日も綺麗だね。その美しい髪によく似合う色のドレスだよ。卒業おめでとう」
フランチェスカが、少し意外そうな顔をする。
「ありがとうございます、殿下。おめでとうございます。公爵家令嬢として、王太子殿下の門出をお祝い申し上げます」
そこで一拍置いて、微笑む。
「ただ、まだフランチェスカとお呼びください」
「え? そうなの? じゃあ、フランチェスカ。言祝ぎをありがとう。どうしたの?」
(どうしたの? じゃないわよ)
フランチェスカが小さく呟いた。
幸い、その声は誰の耳にも届かなかった。
「先ほどのお戯れは、少々度が過ぎますこと。皆様が勘違いして国が乱れ、貴族が混乱しますわ」
「え? 本気だけど?」
「…………」
フランチェスカは、数秒ほど無言でルピナスを見つめた。
「婚約は家と家との契約です。簡単に『破棄します』で、できるものではありません」
溜息をつく。
「大丈夫だよ。僕ってほら、王太子だから!」
「……」
フランチェスカが目を見開く。
「それに、ミモザは素敵な女性だし、きっと大丈夫だよ」
「まあ、ルピったら」
2人の間に甘い空気が漂う。
「では、国の運営はどうお考えなんですか?」
少しイラッとしながらフランチェスカが問う。
「まずは、心が豊かになるように花を国中に溢れさせたいね」
ルピナスが真面目な顔で答える。
「素敵」
ミモザが即座に賛成する。
(ああ、この2人は本当にダメだ)
フランチェスカの心は決まった。
そして――
「二度とフランチェスカと呼ばないでください」
「え?」
「お花畑王子」
それだけ言うと、フランチェスカは踵を返した。
ツカツカ、ツカツカと、今度こそ一度も振り返らずに会場の奥へと去っていく。
「なんだったんだろう?」
「たぶん、私たちを祝福しに来られたんですよ」
ルピナスがミモザと話していると
「兄上、卒業おめでとうございます」
レインハルト・ド・アイナール
ルピナスの弟、つまり、第二王子が挨拶にきた。
「レインハルト!ありがとう」
「先ほどの演説も素晴らしかったです。そちらの……ご令嬢もおめでとうございます」
「ありがとうございます」
ミモザが輝くような笑顔で応える。
「これから王になるために頑張るぞ」
ルピナスが拳を握りしめてそう誓う。
「あはは、できればいいですね。では、私はこれで失礼します」
レインハルトが快活に答える。
「ありがとう、また王宮で」
「さようなら」
ルピナスとミモザが弟殿下を送り出す。
(いつかやらかすとは思っていたが、あんなに馬鹿だったとは……やはり僕が王位を継ぐしかない……)
レインハルトの胸中は誰にも悟られる事なく会場の熱気に溶けていった。
翌日……第一回緊急株主説明会が開催される
王宮の大講堂は、重苦しい殺気と熱気に包まれていた。
壇上に立つのは、不敵な笑みを浮かべる代表取締役社長(CEO)のアルベルト王。
フロント席に陣取るのは、怒りで血管の浮き出た四大公爵家の大株主たち。
そして、お花畑な笑顔を浮かべるルピナス王太子とミモザ男爵令嬢。
毅然とした態度で状況を見極める、完璧なキャリアウーマンのフランチェスカ公爵令嬢。
そして、王(社長)の口から、静かな一言が放たれた。




