第2話
翌朝。
私は学園寮の自室で時を待っていた。
壁掛け時計を睨んでばかりの私に、ロイアがおずおずと話しかける。
「ノエル様、まだ行かれないのですか? 始業のお時間が迫っておりますが……」
「まだよ。まだ時間ではないわ」
今日から本番が始まる。ゲームのイベントでは、プレイヤーは初日に攻略対象たち及びノエルと接触するのだ。
つまり、今日私は主人公――メイナ・キャラバンと会う。
桜のように華やかなピンクの髪に、海のように澄んだブルーの目。誰が見ても一目惚れするような美少女だ。スペックの凄さに負けそうだったけど、私はある意味冷静だった。
ここまで来てしまったら、メイナや攻略対象ズと関わらないことは不可能だ。
そこで、私はとある計画を立てていた。
私の計画、それは……始業ギリギリに教室に入ること。
なるべく、メイナ及び攻略対象ズとの接触を減らすのだ。そもそも接触頻度を最低限にすれば、処刑フラグの回避も容易いはず。
今日はオリエンテーションだけだから、ゲームでの会話もそれほど多くはなかった。明日から本格的な授業が始まって、さっそく初級魔法のテストが始まるはずだ。それまで、少しでも無用な接触は避けておく。
ちなみに、ノエルは無属性。魔法が使えないことを、無属性という属性に無理矢理こじつけて入学したらしい。
現在時刻は、朝8時42二分。そして、始業は9時。
昨日、目測でこの部屋から教室までの距離を測った。私の足でおよそ約10分だ。屋根の上を走って行けば、ギリギリ間に合うはず。
本音を言うと、せっかく忍者のない世界転生したから、忍者要素はなるべく出したくない。
……のだが、処刑フラグを回避するには使わざるを得ないという、理想と現実の狭間で葛藤する私を、ロイアは複雑な表情で見る。
「私にはノエル様のお考えがわかります」
「え!?」
彼女は私の手を握り、真剣な瞳で私を見つめた。
「魔法の才が微塵もないにも拘わらず魔法学園にご入学された理由は、自分に厳しい環境で修練を積むため。まさか、あのノエル様がこれほどまでご自身に厳しくなれるとは……私めは幸せでございます」
「あ、いや、ちょっ」
ロイア泣き出しちゃった。慌ててカーテンを閉める。
誤解されるからやめて頂戴よ。私がいじめているみたいじゃないの。こんな場面誰かに見られたら、それだけで新しい処刑フラグが生まれそうだ。
ロイアの涙を拭き終わったところで、カーテンを再度開け、私は窓の傍で準備する。
「あの、ノエル様? ドアはこちらですが……」
「いえ、ここでいいのよ。それじゃあ、行ってくるわね」
時計の長針が10を指した。今だ!
私は猛然と窓から飛び出し、屋根瓦を蹴り、一直線に教室棟に走る。我ながら良いアイデアかも。
そう思ったとき、後ろからシュタッ! シュタッ! と何者かが追いかけてくる音が聞こえた。最悪の事態を考え血の気が引く。
ま、まさか、虎渡忍者!? 世界を超えて追ってきた!? どれだけ執念あるんだよ!
心臓の拍動を感じながら、覚悟を決めて振り返った。
すると、とんでもない衝撃に襲われてしまった。
「ノエル様、私もお供いたします」
「ロ、ロイア!?」
虎渡忍者など影も形もない。ロイアがメイド服の裾をつまみながら走ってくる!
というか、身のこなし半端ないんですけど!?
屋根の上は意外とツルツルしているし斜面なのに、まるで平気なようだ。
「ノエル様がこれほど動ける方だとは、私めも初めて知りました」
「ありがとう。これでも鍛えていたから……って、なんで一緒についてくるの!?」
「面白そうだからでございます」
ロイアはまったく呼吸を乱さずに答える。
まさか、身近なメイドにこんな人材がいたとは……。あんたは忍者としてもやっていけるよ。もし現世に戻ったらじーちゃんに推薦しとくね。
シュダダダダッ! と二人で屋根を走っていたら、やがて教室棟が見えてきた。よし、もうちょっとだ。ここまでは計画通りね。あとは地面に降りてからが勝負よ。メイナと攻略対象ズに会わないように……。
「ノエル様、北東の屋根にどなたかいらっしゃるようですね」
「ふーん、私たちみたいなギリギリを狙っている人かな。というか、よくわかったね、ロイア。……ん?」
屋根の上に誰かいる……だと?
動揺しながら右斜め前に意識を集中すると、たしかに人影が見える。どういうことだ。
「早朝からこのような場所にいるなど、よからぬ人物に違いありません。私めはワクワクしてまいりました」
「いや、私はワクワクなんてできないんだけど……」
ロイアはウキウキしているけど、とてもそんな気持ちにはなれない。近づくにつれ、そいつの正体がはっきりしてきたから。
火が燃え盛っているような真っ赤な髪に、髪の毛と同じルビーのような赤い瞳。攻略対象その2。レシピエント公爵家の嫡男――アンガー。見た目通り、ワイルドタイプのイケメン野郎だ。
……なんで、お前がいるんだよ。
私とロイアに気づくと、アンガーは楽しそうにこちらを見た。
「おい、ヴィラニール公爵家のノエルじゃねえか。ククッ、こんな大物が釣れるなんて、わざわざ屋根の上で不審者を探していた甲斐があったぜ」
不審者はお前だろうが。
こいつの魔法属性は、見た目通りの火。好戦的な性格というか、どうやら自分の力を誇示したいタイプらしく、ゲームではやたらと主人公のメイナに勝負を仕掛けてくる。そのバトルを経て、両者は恋仲になっていくのだ。
ヴィラニール家も公爵だから、アンガーのレシピエント家とは同列ということにはなる。まぁ、それでもうちの方が序列は上という設定だけど……。
アンガーの貴族的には不敬な物言いが気に障ったのか、ロイアの表情が険しくなった。
「いかがいたしましょうか、ノエル様。お望みとあらば私が処分を……」
「しなくていいから! ってか、処分ってなに!?」
「おい、聞いてるのか? 俺の質問に答えろ。どうしてこんなところにいる」
ロイアの物騒な発言に驚いている間も、アンガーは詰め寄る。
どうしてこんなところにいる……?
だから、それはこっちのセリフだっつーの! なんで公爵家の嫡男が学園寮の屋根の上にいるんだよ! 私の非接触プランが台無しじゃねーか。
「アンタこそどうし……こほん。アンガー様こそ、どうしてお屋根の上でお黄昏してらっしゃるのでしょうか?」
「ああ? 鍛錬に決まってるだろ。俺はいずれ騎士団長になる男だからな。学園に入ったら、毎日不審者がいないか自主的に警備しようと決めていたのさ」
「はぁ……そうなんですか。ご苦労なことで」
「さっそく警備の成果が出たってわけだな。おい、俺と勝負してもらおうか」
「は? なんで? ……でございますか?」
「お前が朝っぱらからこんな場所にいた理由を聞くためだ。俺が勝ったら全て話せ。その代わり、俺が負けたら逃がしてやるよ」
勝負て。始業まであと十分もないのに。
ゲーム以上にこいつは戦闘狂らしい。いろいろと御託を並べていたけど、もはや戦えればそれでいいんじゃね?
「言っておくが、俺は結構魔法の鍛錬を積んでるぜ? <ファイヤー・ソード>!」
アンガーの手に炎の剣が出てきちゃった。焚き火の炎が剣みたいになっていて、ぼおお……! と燃え盛っている。すげえ、本当に魔法だ。
アンガーは炎剣を握ったまま、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「せいぜい、俺を楽しませてくれや!」
悪役のセリフじゃん。
アンガーはドンッ! と屋根を蹴って、勢いよく突っ込んできた。なんという大胆不敵さ。さすがは騎士団長の息子だ。
「この急展開、背筋がゾクゾクしてまいりますね」
あろうことか、ロイアはワクワクしている。そんな状況じゃないでしょうに!
アンガーはブォンッ! と、私の首を狙ってきやがった。躊躇なんて少しもない。怪我でもしたらどうするんじゃ。
咄嗟に、ロイアと一緒にジャンプして距離を取る。
「ほぅ、意外とやるな。それならこいつを喰らえ! <ファイヤー・クラッシュ>!」
アンガーが炎剣を横に構えた瞬間、剣が破裂して炎のつぶてが襲ってきた。どれも拳大くらいのサイズで、当たるとなかなかに痛そうなんですけど……。
高速で反復横跳びして、全てのつぶてを避ける。ロイアはロイアでメイド服を摘みながら、華麗に躱していた。あ、あなたは本当にメイドなの?
「ノエル様! 私、楽しくなってまいりました! やはり、戦いは人間の本能であることを僭越ながら自覚した次第でございます!」
「そ、そう……それは良かったわね」
「一度でいいので、このような生活を送ってみたかったのでございます! ああ、私めにもっと刺激をいただきたく存じます!」
ロイアは清々しいほどの笑顔だ。彼女のこんな晴れやかな表情はゲームでも見たことがない。
炎のつぶてが消え去ると、アンガーの表情が険しくなった。
「チッ、これも避けるのか。思ったより動けるヤツだな」
「ノエル様、どうしてやり返さないのですか? 再起不能になるほどボコボコにしてくださいませ」
「ダメ、ダメ、ダメ! それだけは絶対ダメ!」
もし怪我でもさせてしまったら、それこそ本当に悪役令嬢になってしまう。かと言って、このままでは授業に遅れてしまう。初日から遅刻はいろんな意味でまずい気がする。ただでさえ目立ちたくないのに。
ぐぅ……仕方ない。忍術を使うか。できれば使いたくはないけど、そうも言ってられん。それ以外に解決策はなさそうだし、遅刻も迫っている。この状況を抜けるには、あの忍術だ!
私は胆力を全身に集め、超高速で印を結ぶ。
「<幻遁・影分身の術>!」
「な、なんだ!? 何が起きている!? これは何の魔法だ!?」
私の全身から、何体もの分身がズズズ……と生まれ出る。
身体能力をそのまま受け継いだ分身だ。
散らばれ! と念じた直後、分身たちは四方八方に走り去った。
アンガーはしばし呆然としていたが、そのうち「おい、待て!」と分身の一人を追いかけてどこかに行ってしまった。ロイアもまた、ポカンと佇む。
「ノ、ノエル様、いったい何を……? あんな魔法、私も見たことがございません……。ノエル様は……魔法を使えたのですね!? ああ、なんということでしょう!」
「まぁ、昔取った杵柄よ」
「キ、キネヅカ……でございますか」
というわけで、どうにかアンガーから逃げることができた。
「はぁ……ったく、いきなり襲われて大変だったわ」
「大変お見事でございました。公爵様と奥様にもお見せしたかったですね」
「冗談を言わないでよ」
父母が見たら卒倒しかねない。今日のことは黙っておこう。
ふぅっ、と一息ついてたら、教室棟から鐘の音が聞こえてきた。
「まずい! 始業のベルだ! 急ぐよ、ロイア!」
「では、ノエル様。行ってらっしゃいませ」
私は駆け出すもロイアは動かない。屋根の上で礼儀正しく佇んでいる。
「え? 一緒に行かないの?」
「もちろん、私めは参りません。教室にメイドは入れませんので。そもそも、授業はノエル様のために行われるのであり、メイドはお呼びでございません」
「で、でも、思ったよりギリギリになっちゃたし……先生に怒られるかもしれないわ。お願いだから一緒に来てよ」
「ノエル様。数多の苦難はご自身で乗り越えることで、初めて己の糧となるのです」
ロイアに真顔でピシリと言われた。正論なんだけど、もうちょっと、こう……ねえ?
「私はノエル様のメイドでございますが、ノエル様の大切な成長の機会を奪うつもりはまったくございません。それでは、これにて失礼いたします」
淡々と言い、ロイアは走り去っちゃった。なんだか急に心細くなる……って、ボーっとしてちゃダメだ! 遅刻すると余計に目立つ!
猛ダッシュで教室棟を駆け上がる。鐘の余韻が消える直前で教室に滑り込んだ。
あぶねー、ギリギリセーフ!
やれやれ、私の席はどこだ? と、思ったら、教卓からカツカツと背の高い男性がやってきた。
はいはい、担任のトシリアス先生ね。年取ったらじーちゃんに似そうなキャラデザが苦手。なんだか、原作より目がつり上がっていて怖い顔だけど大丈夫。ゲームをプレイしている私としては顔なじみだ。
「ノエル・ヴィラニールさんですね?」
「申し訳ありません、ギリギリになって。でも、遅刻じゃございませんわよね?」
「ノエル・ヴィラニールさんですね!?」
「は、はい」
……ん? こんなきつかったっけ? 元々甘くはないけど、ここまで辛辣な人ではなかったはず。というより、何かに怯えている気の弱い先生ってイメージだった。どうしたんだろう?
「初日だと言うのに、こんなギリギリに来るなんて何を考えているのですか!? 他の皆さんは五分前には全員揃っていましたよ! 来ていなかったのは、あ・な・た・だけです!」
「も、申し訳ございません」
「あなたたち学園の生徒は、将来王国を率いていく立派な人間にならなければいけないのですよ! 五分前行動もできないようじゃ先が思いやられます! 第一、あなたは……」
まずいよ、まずいよ、まずいよ~。みんな見てるよ~。メイナも攻略対象ズも私を見てるよ~。接触を減らしてそつなく初日をこなすつもりが、とんでもないことになっちゃったよ~。
ちらりと階段式になっている座席を伺う。アンガーは素知らぬふりをして、そっぽを向いていた。いや、気づかれないように薄っすらと笑っている。
アンタのせいでしょうが! というか、なんで間に合ってんのよ!
「聞いているんですか、ノエルさん!!」
「はいはいはい! 聞いてます、聞いてます!」
「いくらヴィラニール家だからといって見過ごすことはできません! お父上からも特別扱いしないように、と言われていますからね!」
その瞬間、トシリアス先生がこんなに厳しい理由がわかった。
ノエルが改心したからだ。ゲームだとトシリアス先生は生徒を怖がっている感じだった。それはきっと、ノエルの父母から圧力をかけられていたからだ。
思い返せば、ノエルはどんな授業でも試験でも特別待遇だった。ノエルが改心した(謝れるようになった+人に頭を下げられるようになった)ことで、父母は圧力をかけなくてよくなったのだ。
結果として、トシリアス先生ものびのびと注意できるようになってしまったと。
「そして、その格好はなんですか!」
「ぇえ?」
「ぇえ? じゃ、ありません! ご自身の姿を確認なさい! <ミラー>!」
トシリアス先生が手を振ると、こじんまりした姿見が現れた。ボロボロになったノエルが映っている。前髪は汗で額にべっとりと張り付き、ドレスは乱れて汚れまくり。猛ダッシュで走ってきたし、おまけにアンガーとのバトルのせいで髪も服もぐちゃぐちゃだった。
「初日からあそこまで攻めるとは……とても好戦的な性格でいらっしゃるようですね」
「とてもじゃないですが、私にはあんな度胸はございませんわ」
「さすが、三大公爵家のお考えになることは想像もつきませんわね」
他の生徒たちがコソコソ話す。ぐぬぅ……いきなり目立ってしまった。
「もういいです! あなたには後でみっちり指導しますからね! 早く席に着いてください!」
「あ、あの~、私の席はどこで……」
「あちらです! そんなこともわかりませんか!」
「も、申し訳ございません!」
トシリアス先生がビシィッ! と指した先には、ぽっかりと席が空いている。その隣にはピンクの髪をした可愛い女の子。我らが主人公、メイナ・キャラバンだ。
ぐっ……シナリオ通りの席順。
仕方がない、せめて笑顔で好印象を狙おう。
「おはようございます。ノエル・ヴィラニールですわ。どうぞよろしくお願いしますわね」
「お、おはようございます。メイナ……キャラバン……と申します。どうかお手柔らかにお願いします……」
メイナはめっちゃプルプルしている。悪い印象を与えないどころか怖がらせちゃった。
私が席に着くと、トシリアス先生がきつい声で宣言する。
「では、さっそく試験を始めます! 明日の予定でしたが、今日行います! ここが劇場かどこかだと勘違いしているご令嬢がいるようですからね! 初日から厳しくいきますよ! 課題は基礎的な初級魔法の実習! できなかった者は補習です!」
「「!?」」
生徒の動揺が伝わる。ゲームの中では、今日はオリエンテーションだけ。試験は明日の予定だからね。
私がトシリアス先生を怒らせちゃったからだ。すまん、みんな。




