第二部
そんなことをぼやいた私に、彼は声を上げて笑った。
「んなこと考えてるとこまでお前らしいな」
「なにそれ、褒め言葉?」
「まぁね」
吊り上った口角。変わらない、その笑い方。取り繕うことを覚えたはずの私が、大学生になってから出会ったにも関わらず、今でも素でいれる唯一の人のその笑みを、よく知っている。
友人関係にそんなことを考え続け、疲れ果てた私に手を差し伸べた、その人の笑みを。
「で? なんで演技したわけ?」
「…したくなかったから」
「じゃあなんでしたんだよ」
「私はしたくなかったけど、ミズキはしたそうだったから」
「したくないって言えばよかったのに」
「…言えなかった。最近ずっと拒否ってたから」
「なんで拒否ってたのさ」
「…仕事で疲れてて、相手する元気なんてなかったの」
「んなの、求めるほうが悪いじゃん」
「…なんか、可哀想かなって思って」
「子守りじゃあるまいし」
確かに、そうだね、と。
「でも…嫌われたくなかったし」
「それくらいで嫌われると思ってんの?」
「…分かんないけど、さ。なんか、しなきゃだめかなって思っちゃったんだよね」
「つか、お前、なんでしたくなかったの?」
何か理由あったんじゃねぇの、と。
「…仕事で同期がミスって、代わりに私が怒られた」
「…なんだそれ。何でだよ」
「…私、今、企画の班長だって話したっけ」
「あぁ、聞いたな」
「まぁ、班員の責任を班長がとるのは当然ですよね」
「なるほどね。それでか」
「言い訳するとさ。全部私がやるのは無理だから、班員に仕事振って、最終的に統合する予定だったんだよね。だから…仕事振って、そのまま安心してたんだ」
「そしたら、やってなかったと?」
「うん。見事にすっぽかされた。途中経過は確認してたんだけど、仕事進んでるかどうかとしか聞かなかったんだよね。目で、確認しなかった」
「そしたら、口先だけだったと」
「うん。お蔭で徹夜して私が作った。徹夜したもんのクオリティも保障できるほど要領よくないし、私。当然上司にそのミスを怒られましたよ」
「そのレベルの話もミズキさんに相談できねぇの?」
「…できない」
「別れろよ」
彼は冷ややかに笑った。その言葉に、私は頷くことなどできない。
「──プロポーズ、されたんだ」
彼は、少し驚いた顔をしてみせた。けれど、少しだけ笑った。
「結婚するんだ?」
「…うん」
「…おめでと」
「…そう、思ってる?」
「…さぁ」
「…今更、別れたいなんて言えないよ」
「…婚約破棄は慰謝料もんだっけ? 今回はそれに当たるわけ?」
「さぁ、どうなんだろう。でもいいの、結婚するって決めてるから」
「悩みも相談できないのに?」
「うん」
「なんで相談できないの?」
「…分かってるから」
「何が?」
「彼も合理主義者だって」
私とミズキが惹かれあった理由は、きっとそこにある。
お互い合理主義者。だから、意見が合うこともあるし、合わなくともお互いを否定しない。別の人間同士が究極的には理解し合えないのだと、私達は理解っている。その冷めた一線を引きながら、私達は付き合っていた。それが4年間、大きな喧嘩もせずに付き合えた理由の一つなのかもしれない。
「合理主義者だから相談できないってのが分かんないんだけど?」
「…前にも同じようなことあったじゃん」
「仕事で?」
「うん。ほら…広報部と合同でする仕事があったんだって話、しなかったっけ?」
「あー…えっと、広報部の担当がお前の先輩だったって話?」
「そう、それ。先輩が仕事しなくて、大幅に予定狂って、仕事委託できる業者がめちゃくちゃ絞られて、しかも例年より格段に劣る結果になりましたってやつ」
「はいはい、思い出した。んで、先輩達にめちゃくちゃ嫌味言われて凹んだってやつな」
「うん。それ、ミズキに愚痴ったんだけど、」
「うん」
「パートナーの仕事を管理できない私が悪いって言われたの」
「…ふむ」
確かに、それは一理ある。というか、社会人なら、その回答は自分の中で出すべき模範解答なのかもしれない。でも。
「…私ね、恋人は、味方になってくれる人だと思ってた」
「どういうこと?」
「客観的に正しいかどうかじゃなくて…辛いなら、その気持ちを受け止めるくらいしてあげるよ、っていうか。そういうのを、期待してた。社会では言い訳にすらならないことを、優しく聞いてくれる人かなって」
カシオレの通った喉が、ゴクリと音を立てる。
「──大人になっても、甘えていい相手なんだと、思ってた」
その認識は、正しいのだろうか、間違っているのだろうか。分からない。ただ、私は、その認識が正しいんだと、信じたかっただけだ。
「だから、相談しなかったんだ?」
「うん。班員のミスは班長の責任だし、ミスしないように管理するのも当然班長の義務。でもね、私がこの話をしたい理由は、そういう回答が欲しいからじゃないの。ただ…大変だったね、って。上っ面でもいいから、班員が悪いな、って言ってほしいの」
「そう言われないって分かってるから、言わないんだ?」
「うん。相談じゃないんだ、だから。ただの愚痴なんだ」
頬杖をついていたけれど、その手を首の後ろまでずらして、腕にもたれかかる。頬がカウンターテーブルにつきそうだった。
「班員を管理できない班長が、一番悪いの? そもそも仕事しない班員は悪くないの? 班長が責任をとるべきだから、仕事しなかった班員は、謝りもせず、黙って班長が叱られる姿を見ていて許されるの?」
それを、ミズキに話しても、無駄だということは、分かっている。彼にとって、相談も愚痴も同じだ。何らかの合理的な答えを出すことが、彼にとっての“正解”なのだ。それを否定することなどできない。
私達は、お互いが理解り合えないことを知っている。
ミズキにとって、相談も愚痴も根源に悩みがあるという点で変わりない。だから、ミズキなりの答えを出してやることが、その解決という意味で求められるものだと思ってる。私だって、悩みを解決したくて、他人の答えを求めることはある。女の“相談”にはただ頷いていればいいというよくある言葉は、私にとっては嘘だ。
“相談”には答えが必要だ。答えが必要ない、ただ頷くことが相手の役に立つのは、それが“愚痴”である場合だ。
ただ、口から零れる話が、相談なのか愚痴なのか。その判別基準は、人それぞれなのだ。だから、ミズキが私の話を相談だと思うことも、それが女心を理解しない言動だと私が言うことも──真実なのだ。
この世にたった一つなのは、事実だ。
真実は、人の数だけ溢れてる。私にとっての真実。ミズキにとっての真実。両方とも、“真実”。私達の誰もが、主観というフィルターを通して世界を見ている。その見た結果が“真実”なのだから、“真実”に客観性はなく、それが唯一たりえないことなど、自明なのだ。
だから、私はミズキを否定しない。ミズキだって、私を否定したりしない。その関係は、心地いいと言えば、心地いい。
「それ、結婚してからやっていけるの?」
「ん?」
「お前、嫌なこと溜めこむじゃん。俺にくらいしか相談しないじゃん。結婚してもまだ俺に愚痴るつもり?」
「…半年に1回くらい」
「マジかよ。でも俺もいつまでもバイトしてるわけじゃないんだからな?」
そっか、と返事をする。ペタリと、冷たいカウンターに頬を載せた。




