八項 ネクストステップ
「ロイ様、ロイ様! 起きてください!」
「む……? リシア、おはよ」
「おはようございます。ロイ様、急いでください朝食の時間に遅れてしまいますよ」
「わかってる、わかってる」
創人暦2423年、幻月の第六週、光の日。
僕は今日、五歳の誕生日を迎えた。
「おはようございます。ミュゼットさん」
「おはようございます」
朝食に向かう途中でも、図書室に向かう時でも家に仕える人とすれ違う時には挨拶は欠かさない。
これはマイルールだ。
誰かの影響を受けたわけではないが、挨拶を交わすのは気分が良い。
ミュゼットさんは今日も変わりなく優しく挨拶を返してくれる。
挨拶なんて代り映えしないだろうと思うかもしれないが、意外にそうでもない。
今日は会う人合う人皆どこか上の空といった感じがする。特にリシアだ。
「リシア。今日なにかあるの? みんなソワソワしているけど」
「えっと……い、いや。何もないと思いますけど……」
解かり易すぎる。
もう少しポーカーフェイスの訓練を積んだ方がいい。
そんなんだから毎週のように失態が明るみになるのだ。
「もう少し取り繕いなよ」
「え? 今なんと?」
「もう少しで着くねって言ったの」
「は、はい、そうですね」
僕がダイニングに着くと、テーブルには既に母のロゼルがいた。
ロゼルは最近あまり活動していない。
仕事が落ち着いているのなら嬉しいが、父を見ているとそうでもないようで――なにかあるのだろうか。
そんな父はというと、いつも疲れ切った表情で朝食の席に現れる。
今日もほら――む?
「みんな、おはよう!」
「おはよう、あなた」
「おはようございます。父様」
「「おはようございます。カッセル様」」
どうしたのだろう。
やけに上機嫌だな。
今日は特別な日であることは僕も理解している。
四歳の誕生日もその前の誕生日も盛大に祝ってもらった。
しかし、ここまで上機嫌には訝しまずにはいられない。
今までにこんな雰囲気の父を見たことがない。
朝食が運ばれてくる。
僕たちは静かに食べ進めるが、食事中も父は上機嫌のままだ。
「リシア、父様はなにかあったの?」
「いえ。なにも伺っていませんが」
僕は側にいたリシアに小声で聞いてみたが、この子が知るはずもなく。
余計な思索に貴重な朝の脳みそを使いたくないので、どうでも良いということにした。
本心ではとても気になっている。
朝食を終え、僕はそのままリシアから本を受け取る。
僕が預けていた本だ。
図書室の本は持ち出してはいけないと認識していたのだが、四歳の誕生日を機に家の中であれば持ち出しが許可されることになった。ちなみに三歳の誕生日には家の中を自由に歩き回る権利を手に入れている。
お客さんが来ているときなどは例外だが、僕の世界は何倍にも広がった。
「ロイ?」
母が話しかけてきた。
「何でしょう母様」
「今はどんな本を読んでいるの?」
「これはですね。冒険者が記録したという魔物の種類とその特徴がまとめられた本です」
「魔物ねえ。実際に出会った時のために出来るだけ多くの知識を蓄えておくことはとても重要なことよ」
「母様も魔物にであったことがあるのですか?」
「ええ、あるわよ。それも、とても凶暴な魔物……」
「怖かったですか?」
「ええ、とても恐ろしかった。今でも忘れられないわ。魔物より先にその本に出合いたかったわね」
「そうですか……」
「今日は中庭で遊ばないの?」
「遊びますよ。丁度次のページで最後にしようと思っていたところです」
「そう。気を付けてね」
母から忠告を受けたが、この家の中庭に危険な物はない。
子供が危険に陥る事故といえば高所か水場だろうが、そのどちらもこの中庭にはない。
強いて言えば、花の蜜を吸いにやってくる蜂の様な昆虫のことだろうか。
「今日もいるね」
黄色に黒のこの昆虫は、蜂と同様に毒を持っているらしい。
しかし、その毒を意図的に放出する器官は持っていないらしく、あくまでも食された後、死んだあとに意味を成すのだとか。
自分が死んでも仲間は殺させないという強い意思を感じる。
僕にとっての一番の危険はこの昆虫を誤食することだと言えよう。
「そういえば、なんて名前なんだろう」
「この虫のことですか?」
「うん。リシアは知ってる?」
「えっと、確か――」
「知らないんでしょ?」
「はい……。私の故郷にはいませんでしたので……」
「そうなのか。じゃあ、後でミュゼットさんに聞きに行こう」
「はい!」
中庭で僕がすることといえば、庭師が管理する花々を見ることや、それらに引き寄せられる蝶を観察することくらいのものだ。
本当は家の外へ遊びに行きたいのだが、父が同行できるときでないと叶わない願いなのである。
一度も家の外へでたことがない、なんてことはない。
父に連れられてカイドリの街を散策したことがある。
しかし途中で人だかりができてしまい。渋々退散したわけだが、カイドリの街の人たちが父を慕っていることが良く理解できた出来事だった。
町並みは前世でいうところのヨーロッパの様な町並みだった。
立ち並ぶ家々にはかなり年季がはいっており、この街の歴史を垣間見ることができる。
その後も何度か街に出た。
あの時はそう「収穫祭」だったはずだ。
大通りにはびっしり露店がならんでいて、前世で見た地元の祭りなんかよりよっぽど賑わっていた。収穫祭というからには農家の姿が多くあった。
しかし、僕が目を惹かれたのは冒険者と呼ばれる人たちだ。
冒険者はどこかの組織に所属しているわけではなく、広間にある掲示板から依頼を見つけ、依頼人と直接契約を交わすのだとか。
依頼というのも、人探しから魔物対峙まで様々だそうだ。
一時期は大人気の職業だったらしいのだが、争いごとの依頼が増え傭兵のような職業になってしまい。それであれば、給料も安定する騎士団などに就職したいと考える者が増えた影響で、現在は減少傾向にあるのだとか。
余談だが、今は掲示板に人同士の争いごとが絡むようなものは掲載できないようになっているらしい。
「ロイ様!」
「ああ、えっと。なに?」
「そろそろカッセル様がお帰りになる時間ですよ」
「そうなの? でもそれって僕に関係あるの?」
「え? 今日はお昼の前にカッセルさまからお呼び出しがあると……お伝えしたつもりでしたが……」
「うん、聞いてないね」
「申し訳ございません……」
リシアはこういうことが多い。
最初は悩まされていたが、もう慣れてしまった。
リシアには過度な期待をしないこと。
そうすることで、相対的に優秀に見えてくるという寸法なのだが。
「もうちょっと頑張ってほしいよね」
「はい……」
ちなみにリシアは僕の見張りを任されているらしい。
専属という訳ではないが、ほとんどの時間は僕の側にいて僕が飽きないようにしてくれる。
ミュゼットさんは母の専属だ。いつも母の側にいるため、僕も顔を合わせることも多い。
リシアによると父からの呼び出しは玄関前で、とのことなので少し早いがここで待つことにしよう。
「御早いですね。ロイ様」
「あっ、セバンさん! おはよう」
「おはようございます。旦那様は外で準備をなさっていますので、ロイ様もお越しください」
「準備? 街に行くの?」
「いえ。お出かけではありませんよ――リシアに伝えていたと思うのですが」
「あっ……」
僕の背後で、風船が凋むような声が聞こえた。
「リシア」
「は、はいっ!」
「昼食のお時間に話を聞きますからね」
「は、はい……」
僕らの目の前にいる、タキシードを着こなし、髭を蓄え、少し白髪がかった髪のイケオジは、我がヒルトン家に仕える給仕たちの長、セバン・クライブだ。
リシアはいつもクライブさんに教育されている。
今日の一件もその対象となるらしい。
「セバンさん、外で何をするんですか?」
「どうやら旦那様がロイ様へ直々に御指導なさるそうですよ」
「し、しどう?」
「そんなに怖がらなくても大丈夫です。旦那様は意外にも教えるのがお上手ですから」
「そうです! こんな私でも魔法が使えるようになったわけですし! ロイ様ならきっと大丈夫です!」
「ああ、うん。ありがとう」
なんだ?
リシアは説教が確定して自棄になったのか?
でも、これで分かった。
いよいよ。
いよいよだ。
僕の魔法ライフの幕開け。
魔法と聞いて咄嗟にポーカーフェイスをしてしまったが、いま僕の鼓動が静まる様子はない。
これは急がなくては!
「よし! 急ごう!」
「はい。私がご案内いたします」
セバンさんについて行くと、街に近い門を通り過ぎ家の裏に到着した。
こちら側は崖になっており、家より高い監視塔から魔域に異変がないか一年を通して見逃す時間がないように監視が行われている。
この仕事を行うのはヒルトン家が持つ騎士団の者たちだ。
ちょうどいま、仕事の引継ぎが行われている。
「セバスさん。父様はどちらでしょうか?」
「直ぐに――」
「来たか、ロイ」
セバスさんに父の居所を尋ねると、答えを待たずして父が現れた。
手には木の棒が二本。
しかし、その棒は僕が期待していたものとは違い――。
「父様、何をもっているのですか?」
「これか? 木剣だ」
「木剣……」
「ああ、これからお前に剣術を教える」
剣術。
思いもよらぬ発言に僕の思考が鈍る。
父が剣の扱いに長けていることは知っていた。
そして、父の剣の指導がとても厳しいことも知っていた。
僕は剣を扱ったことがない。
前世でも中学校の体育で剣道に触れたくらい。それも柔道の抽選に外れてのことだった。僕は物を操る運動が大の苦手だった。
そんな僕が父から剣を、教わる……。
「ロイどうした? そんなに嬉しいのか?」
「っ! はい!」
間違えた。
僕はいま何と聞かれたんだ?
「そうか……そうか、そうか! 聞いたかセバン!」
「はい……」
「ロイは俺から剣を教わるのが嬉しいんだってよ。ハハハッ!」
「では、ロイ様。御気をつけて」
「うん……セバンありがと」
セバンの横ではリシアが両手を握ってエールを送ってくる。
どうやら、僕の心配をしてくれるのはセバンさんだけのようだ。




