六項 本の虫
さらに二週間が経ち、魔力は4500を超えた。
初めこそ毎時間に一度ステータスを開いていたものだが、それも面倒になってしまった。
モチベーションが下がっているわけでも、成長の実感が欲しくなることもない。
そんなある日のことだった。
僕は珍しく父に担がれていた。
普段から忙しい父が、僕と遊んでくれたことは記憶にない。
毎日、夕食のときに顔を合わせるがいつも表情が疲弊している。
僕の思っていた貴族とは少し乖離しているようにも思う。
父に連れていきたい場所がある、と言われ担がれた時は正直困惑した。
僕たちには母とリシアが追従している。
普段使用するダイニングを抜け、屋敷の反対側にやってきた。
家に真四角の屋敷を刳り貫くようにして中庭が備わっており、僕が過ごしている部屋から反対の部屋に移るにはダイニングか玄関を通る必要がある。
僕が玄関に近づくことは全くと言っていいほど認められていない。
一人で散策していたときに一度行ったきりだ。
今回もダイニングから抜けるルートを選択された。
玄関を真下と見た時に、左上の角に当たる部屋に到着した。僕の部屋は大体右上辺りだ。
到着した部屋の扉は他の部屋のものよりもすこし大きい。
その扉を父が開けると、紙とインクと埃の匂いが僕の鼻腔をくすぐる。
「ロイ。ここがお前を連れてきたかった場所。図書室だ」
「おお!」
僕は目に映る大量の本と、それらを支える木製の棚を、玩具売り場を眺めるかのように見つめた。
「気に入ったか?」
「うん」
図書室はいずれ見つけたい、行きたいと思っていた。
行動制限をかけられたことで、当分諦めようとしていたのだが、まさか図書室の方からやってきてくれるなんて。
「だから言ったでしょ、カッセル。ロイは本が大好きなのよ。いっつも私の読み聞かせを一生懸命に聞いていて、全然寝てくれないんだから」
「あ、ああ。喜んでくれて何よりだ。しかし、絵本はあまりおいてないと思うんだが」
「大丈夫よ。最近のロイには絵本なんて読み聞かせてないわ」
「そう……なのか?」
「うん」
確かに、最近母が読み聞かせてくれる本の内容が異常なまでに難しくなったように思っていたが、意図的にやっていたのか。
あまりに優秀すぎると変な子供だと思われかねない。
もう少し慎重に過ごすことにしよう。
「読み聞かせをしているのは良いのだが、その、文字は読めるのか?」
「ん――ちょっと」
「そ、そうか」
嘘だ。
全てが日本語に翻訳されているため、全て読める。
「どうするのだ? ロゼル」
「心配ないわ。子供の学習用の本もあるし、リシアちゃんもいるし」
「は、はい! お任せください!」
「そうか、なら良いんだが」
「その――カッセル様」
「なんだ」
「ここに来るときの決まり事とか――ありますでしょうか? 時間の指定とか」
「いや、特にない。ここは滅多に人も入らない。どれくらい使うのかはわからんが、あまりにも長かったら部屋に戻してくれ。暇だったら掃除も頼む」
「わ、承知しました」
なんとほぼ無制限。
僕のハッピーエブリデイ図書室ライフが始まる予感がした。
その後は二、三十分程、父に連れられ図書室の中の案内をされた。
今までこんなにも長い時間父に構ってもらえたことが無かったからか。父の自慢気な表情を見ていると、何故か嬉しくなる。
父に受けた説明によると、この図書室の殆どは野生動物や魔物、植物といったこの地域の自然に関する報告書が占めているらしい。
だからロイにとっては面白くないのではないか、そういう父だったが、僕が否定して見せると、嬉しそうにしていた。
「あとは?」
「後はそうだな。魔法研究、歴史、王都の書庫よりは古いが近頃の社会情勢なんかだな、って何を言ってるかわからないか」
「……」
「そうだよな。難しいが分かるようになれば意外にも面白いものだぞ」
「あら、あなた。ついに分かるようになったの?」
「なっ! ああ、そうだ」
「そうなの。じゃあこっちの仕事もたまには手伝ってね」
「いやぁ、知識を得るのとそれを利用するのは、また違った話で」
「手伝ってね?」
「――はい」
どうやら母の方が事務仕事を担当しているらしい。
この世界の領主の妻というのは、とても現実的な仕事をこなしているのだな。
しかし、わかるようになった、とは、まさか父は政治方面に疎いのだろうか。
まぁ、僕に直接の関係はないことだ。
それにしてもこの図書室はかなりの情報が得られそうだ。
「それじゃあ、父さんたちは仕事に戻るからな。良い子にしておくんだぞ。リシア、頼むぞ。本を戻す場所が分からなくなったら、そのテーブルに置いておいてくれ。毎週の始まりに司書が来てくれるからな」
「承知しました」
そういうと、父と母は部屋を出た。
扉を閉める瞬間の父の顔は前世で見た、出勤途中のサラリーマンと近しいものを感じた。
対称に母はとても満足気だったのが、不穏な空気を生んでいた。
リシアと二人になった僕はさっそく歴史の本が置かれている棚に向かった。
その棚は図書室に入って一番右奥にある。
壁沿いにびっしりと並べられ、左に向かうにつれて新しくなっているのが、背表紙を見ればわかる。
見れば、といったが僕の身長では一番下の列がかろうじて見える程度だ。
一番右の棚は本を支えている板が少し歪んでいた。
僕は立ち止って、背表紙のタイトルを眺める。
「ロイ様? まずはロゼル様に頂いたこちらの本をお読みになってはいかがでしょう。ほらこれ『誰にでも読める! 書ける! 文字入門』!」
「……」
歴史関係を読んでいけば僕が気になっている「魔王」「勇者」というものにありつけると思ったのだが、僕の視界に入っているのは財務報告とかつまらないものばかり。
勇者などというポップな文字は一つも見当たらなかった。
諦めて世界情勢が分かる本を探すことにした。
こちらでは望むものが直ぐに発見できた。
一つの話題を掘り下げるのではなく、あらゆる分野、広い地域に浅く触れていそうな本だ。
それから僕は、その本をリシアに取り出してもらい読み込むことにした。
「あの……こちらの本でお勉強を――」
ここからはこの本で得た知見をお披露目しよう。
まずは僕が暮らしている土地についてだ。
これについては正直、今までに知ったこと以上のものはあまり載っていなかった。
しかし気になる文言があった。
発行日が二年前となっていたその本の中にナノン連邦国の貿易相手として登場していた。
『――ナノン連邦国最大の輸出先はノードル王国であるが、この関係もいつまで続くか分からない。というのも、ここ数年でノードル王国の農業は大きな進歩を見せているからだ。農業に適さない土地が八割を占めるこの国は元来から食料問題に悩まされていた。しかし近年の研究の成果か、昨年の生産量は一昨年よりも八割増しであった。これに伴ってナノン連邦国からの輸入量も大幅に減少した。ナノン連邦国はこの急激な予算の低減に大きく振り回される結果となった訳だ。今後もこのような結果が続くのであれば、ナノン連邦国はますます苦しい立場に置かれることになるだろう――』
というものだった。
以前に食料不足を感じた時は、今年だけのことだと考えたのだが、そう簡単な問題ではないようだ。
それでも暗いことばかりではないと、この部分を読んでそう感じた。
次に見つけたのもノードル王国視点ではないものだった。
もう一つの隣国であるフェルシード皇国の敵国とし書かれていた。
そこでは「皇国はノードル王国を気にしすぎている」とそれだけの登場だった。
ノードル王国に置いてある本とは思えないほど、その名前を見かけることはなかった。
しかし、直接の言及はないもののかなり関わりの深いところがあった。
それは「魔域」に関するページでのことである。
『――現在の魔域は少し落ち込んでいる様に見える。十年ほど前にあった大規模侵攻を受け魔族への対策を強化した人類であったが、魔物と魔族が落ち着きを見せて以降、そのままの魔族を押し返す状況にある。フェルシード皇国はこれを好機とみているらしく、魔域を開拓する案を画策しているとの噂が立っている。しかしそれに続こうとする国は現れておらず、皇国の動きが今後の人類の未来を左右する可能性すらある――』
これから分かったのは、今は人類が優勢であるということだ。
皇国がどうのこうのは、正直どうでもいい。
魔域と接しているこのカイドリにとってはこのまま、魔族が弱った状況が続いて欲しいものだ。
次は視野を外へ向けよう。
外といったがかなり限定的だ。
先ほども少し触れたが、ナノン連邦国についてだ。
ナノン連邦国という国は少し。いや、だいぶ酷い状況にあるらしい。
国のトップたちは権力闘争に明け暮れ、民は今日を生きることで精一杯。ついには一揆が起こり始めているらしい。
さらに言うと、書類上では収まっていた紛争の火種が各地で勢いを増す状況にあるのだとか。
この本だけではどうにもならないので、歴史の棚を左端から探ってみることにした。
「ん――」
あまり良さそうなものがない。
歴史となるとこの辺りについての物が多いので仕方がないかもしれない。
僕はリシアを見上げて、持ち上げて欲しいと要求する。
彼女は直ぐに気が付いて僕を抱っこした。
先ほど父にされていたときも思ったのだが、負んぶや抱っこは想像よりも高く感じて恐怖すら覚える。
こんなもので喜んでいたと思うと、自分自身に恐怖しそうだ。
下を見ないようにしながら、背表紙を見定めていると『ナノン連邦国―建国―』という文字が目に入った。
これ以外を選ぶ選択肢はないだろう。
本を指さす。
「こ、これですか?」
「うん」
リシアは僕を降ろして、お願いした本を取ってくれた。
僕はお礼をしてその本を開く。
先程から床に広げて読んでいるのだが、許してほしい。
椅子に座って、とか無理だからな。
後の僕はこの本を読み始めたことを後悔することになるが、それと同等以上に満足することになるのも、また事実である。




