13 妖術師
学園都市の妖術師——というのは、こんな噂話だった。
真夜中に笛の音が聞こえる。その音色に誘われるようにして外に出て、広場に向かうと漆黒のローブを身に纏った人物が待っている。男か女かわからない、しわがれた声音で呪文を唱えられるのだ。
途端に身体は重くなり、目の前が真っ暗になってしまう。気がついた時には朝を迎えていて、いつもどおり寮の寝台で目覚める。あれはきっと夢をみていたのだろう、そう思ったのに——その日からどうも体調を崩し始め、やがて……。
その「呪い」で実際に休学してしまった生徒もいるという話だった。少女たちはあくまでも噂だと言っていたが、悪しき魔術師が何かを企てているのだとしたら見過ごせない。学校側でも夜間の外出を禁じてはいるが、常に見張っているわけにもいかないだろう。
夜が深まる学園都市は人気がまるでなく、静寂が支配している。明かりが消えた街からは紺青の空に眩いほどの星と、猫の爪のように細く尖った月がちりばめられているのが見えた。
「ねえ、ジュリアス……大丈夫なの?」
ジュリアスのローブの袖をそっと引いて声をかけると、どこか嬉しそうに応じた。
「怖いなら先に転移魔術で家に戻っていてくれて構わないよ」
「別にそういうわけじゃないわよ! それよりあなた……宮廷魔術師の仕事を放り出して、女学生の他愛もない噂話に付き合っている暇があるの?」
「殿下には使い魔で連絡したし、問題ないよ。悪しき魔術師がいるのなら捕縛せよ、と殿下も仰るだろう」
「ああ、そう……」
きっぱりとした口調で断言したジュリアスを止める理由も見つからず、レナリアは沈黙した。それにしてもわざわざ「姿隠し」の魔術を用いて、件の広場で張り込みをすることになるとは思いもしなかった。
まるで浮かれた学生がする肝試しみたいだ。
レナリアが魔術学校にいた頃には、多少の夜更かしこそしたがそれもすべて勉強のためのものだった。
同級生たちが年頃の少年少女らしく、青春を謳歌していた頃、レナリアはひたすら机に向かって勉強を、あるいは杖を片手に魔術の特訓をしていた。ミレルディの魔女としてカルデローナに負けるわけにはいかない、その一心で——。
いま考えればもう少し余白のようなものがあったって良かったのかもしれない。こんなふうに、誰かと一緒に夜間外出をするようなことが……。
「ふふ」
「どうしたの、レナリア?」
思わずこぼれた笑みに、ジュリアスが怪訝そうに振り返った。
「ごめんなさい、なんだかちょっと……」
楽しくなってしまって、と言うと不謹慎だろうか。でもどうせ「夜更かし」をするのなら、学生時代とは違う気持ちで臨みたい。どうせ、噂の妖術師なんて現れないだろうし。しかしこの感情をどう説明したものかと悩んでいると、ジュリアスが羽織っていたローブを脱いで、レナリアの肩にかけた。
「風が冷たくなってきたし風邪をひかないように、ね」
「……ありがと」
ローブからはかすかに薬草のにおいがする。そういえばジュリアスは薬の調合も得意だった。魔術薬学のテストでは勝てたためしがない。宮廷魔術師としてはあまり手を出さない分野だが、いまも研鑽を積んでいるのだろう——そうでなければにおいが移ることもないはずだ。
「そういえば、そろそろ『仮面祭』の季節だね」
「……ああ、仮面をつけた不審者が街に溢れかえる、あの」
「言い方……フローレンス王国伝統のお祭りをそこまで悪し様にいわなくても」
仮面祭に参加するには大人も子供も仮面をつけなければならない。ちょうど秋が深まる頃合いに、お祭り用の華やかな仮面が店先に並ぶ。
色とりどりの仮面をつけた人々が街を練り歩くさまは美しくも妖しげだ。そこでたとえ知り合いに出会ったとしても本人ではなくあくまで別のモノとして接するのがルールだった。
レナリアも学生時代に一度だけ参加したことがある。
あのときは確か——見知らぬ誰かと、街に流れる陽気な音楽に合わせてダンスを踊ったのだっけ。でたらめなステップを踏んで、大声で笑い合ったのはあのときが初めてだった。
「ジュリアスも仮面祭に参加したことがあるの?」
「……さあ、どうだったかな」
「何よ。はぐらかさなくったっていいじゃな……」
そのとき、ジュリアスの指先がレナリアの唇に触れた。黙って、のサインに思わず口を閉じる。徐々にうるさくなっていく鼓動の音にまじって、笛の音が聞こえた。軽快で陽気なようにも聞こえるのに、どこか胸を貫くような切実さを感じるメロディ。ふらりと音の方に向かって足を踏み出しかけたレナリアの腕をジュリアスが掴んだ。
「見て、レナリア。東の路地から誰か出てきた」
耳朶に唇を寄せて囁かれる。
くすぐったさに身じろぎしないように気をつけながら指示された方角に視線を向ければ、夜闇に溶け込むような漆黒のローブを纏った人物が横笛を吹きながら広場に向かって歩いてきた。
奏でられる旋律がいよいよ盛り上がってきたとき——もうひとり、人影が見えた。寝巻きと思われる白いドレスを纏った少女がふらつきながら笛吹きのもとへと近づいていく。
「っ、ジュリアス……!」
「待って。もっと確実な場面を押さえたい」
飛び出そうとしたレナリアを止めたジュリアスは、広場を食い入るように見つめていた。
笛の音が止んですぐに、漆黒のローブの人物——妖術師は懐から小型の杖を取り出した。
まるで指揮棒のようなそれを振りかざした瞬間、ジュリアスは物陰から広場に向かって駆け出し、すばやく呪文を唱えた。
「『拘束』!」
凄まじい勢いで地を這った金色の光が、笛吹きの腕に絡みつく。からん、と音を立てて転がった杖めがけてジュリアスが走る。レナリアも数拍遅れてそれに続き、力なく地面に倒れ伏した少女のもとに駆け寄った。
顔色こそ青ざめてはいるが呼吸は規則正しい。外傷もなく、ただ眠っているだけのように見える。
「くそっ!」
荒々しい声音にはっと顔を上げれば、ジュリアスが転がっていた小さな杖と漆黒のローブの切れ端を握りしめていた。
異様な雰囲気を漂わせていた妖術師の姿はもうどこにもない。そのとき、ぽたり、とジュリアスの手のひらから鮮血が滴り落ちた。
「ジュリアス! まさか怪我を……」
「いや、これはあいつの血だよ。採取しておけばいざというとき証拠になるだろう。徹底的に追い詰めてやるさ」
淡々と口にしたジュリアスは、思いの外、冷ややかな表情をしている。レナリアはまるで底知れない淵を覗き込んだような気がして、ぞくりとした。
「うう……」
抱き起こした少女が苦しそうに呻いた。まるで悪夢を見ているかのような表情に見ているこちらまで胸が詰まった。
「……とりあえず、この子を安全な場所に運びましょう——手伝ってくれる?」
「勿論」
にっこりといつも通りに優しく微笑むと、ハンカチで赤く染まった手を拭う。血の色に染まったそれを見下ろし、ごめんね、と感情の伴わない声音でジュリアスは言った。
「えっ」
「俺はあまり良い夫にはなれないけれど、君を手放すつもりはないから——どうか許して欲しい」
そう呟いたジュリアスが、いままで見たことがないような顔をしていることにレナリアは動揺を隠せないでいた。




